最強の元剣聖vs最強のギルドマスター
地下へ向かう階段は石造りとなっている為、一段一段降りるたびに、コツンコツンと音が鳴る。途中から壁には文字が書かれているのが分かった。どうやら城の訓練場と同様のものなのだろう。
地下に降りるとジンは驚きを隠せなかった。レオンが地下に向かってから、まだ15分程度だろう。なのにレオンが立つ石出てきたリングの周りには、ロビーにいた冒険者の数の倍はいたからだ。
地下の空間は外に比べ暖かく、すぐに体を動かしても問題なさそうだ。地上からは考えられないほど空間は広く、複数人が戦える広さのリングが九つ設置されていた。
漸く来てくれたな。さっさと始めようぜ!
どうやら彼は準備運動をしていたようだ。その体からは蒸気が立ち昇り、彼がすでに準備万端な事を知らせている。ジンはゆっくりと歩き、リングの上の、レオンとは向き合う形で立ち止まる。外野は煩く、ジンに向かって、爺さん無理すんなよ、とヤジを飛ばしている。レオンは早く戦いたくてたまらない子供のように、嬉しそうにその背丈ほどある大剣を握りしめていた。
ジンがゆっくりと剣を抜くと、辺りが静寂に包まれる。いや、誰も声を出せないのだ。ジンが剣を抜いたタイミングで、レオンが殺気を全開で飛ばしてくるからだ。
まるで獣の様じゃのう。
レオンの殺気を正面から受けて、ジンはそう思う。おまけにレオンの構えは不格好だった。だが同時に隙が無い、とも思う。
ジンは剣聖として、常に歴史ある王国剣術を学び昇華させてきた。対してレオンは冒険者だ。その戦い方は、先輩冒険者の見様見真似で、残りは魔物との戦いの中で昇華させていったのだろう。故に彼の殺気は獣の様で、その構えには型がない。だが彼はそれで冒険者最強と呼ばれるまでに上り詰めたのだ。そんな彼を見つめ、ジンは目を細める。
もしかしたらこやつ、ニクスくらい強いんじゃね?
現剣聖ニクス程の力量を目の前の男から感じる。独自の戦闘スタイルでそこまで強く感じる目の前の男に、ジンは思わず感動してしまった。
こやつはどれだけの努力をしてきたのだろうか。そこまでの道のりは決して楽な物ではなかったはずだ。
ジンも殺気を全開にして構える。その殺気の強さに、見ていた下級の冒険者達はそれだけで膝をついてしまう。相対するレオンでさえ、その殺気を受け目を見開き、本能的に距離を取ってしまったほどだ。
だからこそ、こやつには全力で答えてやらねばならない。
ジンは先ほど考え出した結論、彼に道の先を見せる為、彼に対して本気で戦う事を決意する。
殺気をぶつけ合う二人は暫く睨みあったまま動かなかった。しかし涼しそうに剣を構え立つジンに対し、レオンの頬にはいくつもの汗の流れた跡があった。
くくく。こりゃ参った。何度やっても勝てる気がしねぇ。
ニヤリと笑いレオンがそう口にして、それを聞いた冒険者達は驚愕する。ギルドマスターや支部の支部長になる人間には二種類いる。その実力を買われた者、戦闘能力は高くないが組織を運営する手腕に適性があった者。レオンは間違いなく前者だった。特に王都のギルドマスターは全ての冒険者達の頭であり、もし問題が起きたらそれに対処する実力が問われる。
ジンは間違いなく冒険者の中で最強であり、皆の憧れだった。その彼が、勝てない、という事は彼らのとってあり得ない事だったからだ。レオンが勝てなければ、全ての冒険者はあの老人に勝てない、と言っているようなもの。だが自分達には遥か高みの存在二人の勝負の行方など想像もできない。
どうした?まさか老人に走らせて、かかって来い、とでもいうつもりか?遠慮はいらない。そちらからかかってきなさい。
ジンは挑発するようにレオンに語り掛ける。一瞬目を見開いたレオンだが、面白れぇ、と呟き思考を止め、その挑発に乗ることにした。
レオンはジンの考える通り、何処かで自分の、武の頂点を決めていた。そんな戸惑い迷っていた時に、前王アドルフから今回の話を持ちかけられ、レオンは自分のこの中途半端な気持ちに答えを出そうとしていた。自分が勝って、最強の剣聖に勝って、頂に立って、満足して終わりだろうと簡単に考えていた。
だが蓋を開けてみたらどうだ。目の前にいる老師は正真正銘の化け物じゃないか。これが人間か?人はここまで強くなれるものなのか?レオンの背には冷たい汗が流れた。
恐らくどうあがいても目の前の老人には勝てないだろう。だが俺は冒険者最強、王都のギルドマスターだ。今までだってこういう戦いは何度もあった。だが俺は勝ってきた。だからこそ俺はまだ生きてる。だから俺は最強なんだ。だから今回も俺が勝つ。
レオンは自分にそう言い聞かせ、駆け出した。レオンは叫び、その大剣にありったけの魔力を込め、そしてジンに叩きつける。
王国剣術奥義『時の太刀』
レオン駆け出し間合いに入り、大剣を振るまでは一瞬。だがその刹那、レオンは確かにジンの声が聞こえた気がした。
次の瞬間、レオンは自身が宙に浮いている事に気が付く。何が起きた?何故俺は浮いているんだ?一瞬疑問に思ったが、自分が地面に落下している事に気が付き、何とか体制を立て直して着地する。
膝が笑っている。手がジンジンと痺れ、震えている。立ち上がろうとしたレオンはその事に気が付き苦笑する。立っている場所は初めに立っていた場所の辺り。ゆっくり立ち上がるが、今度は額から血が流れてきた。それを拭いながら、最初と変わらぬ体勢で立つ老人を見て身震いする。
これが最強、これが剣聖か。
レオンは自分の心が震えている事に気が付いた。剣一本で戦い続け、そしてその頂に辿り着き、いつしか挑戦することを辞めてしまっていた。もうその先はないのだと思い込んでしまっていた。
違うだろ。そうじゃないだろ。
レオンは呟き、剣の柄を強く握りしめる。最強はまだまだ先にあった。頂きはまだまだ先にあった。目の前の老師こそ最強だ。俺はまだまだだ。
だが、だからこそ、俺はまだ先に行ける。
その事に気が付き、レオンは歓喜した。まるで童心に帰ったみたいだ。仲間たちと幾度も死線を潜り抜け、そして遥か先を歩く先輩たちの背中を追いかけていたあの楽しい時代を。
対してジンは驚き目を見開く。時の太刀を使って立ち上がった者など今までいなかった。ニクスでさえ立てなかった。恐らく経験の差だろう。彼は何度も死線を潜り抜けてきたからこそ、死のその瞬間まで諦めず、思考を素早く切り替え立ち上がったのだろう。
世界は広いな。
ジンはその事を知り、そして微笑んだ。世界を知った気でいたが、まだまだ自分の知らない世界はあるようだ。これからの旅が楽しみになる。
再び静寂を破ったのはレオンだった。レオンは駆け出し、そして先ほどとは違う戦い方をし始めた。
ジンとの間合いにはまだ遠い。だがレオンは大剣を降り、地面にたたきつけた。魔力の込めた大剣はリングをえぐり、頭ほどある石たちが一斉にジンに襲い掛かる。
レオンは正攻法で戦う事をやめた。正攻法では勝てない。そう悟ったからだ。だが自分は冒険者。若い頃は魔物に勝つためには手段を選ばなかった。ならそういう戦い方をすればいい。意地汚くても、勝つしかない。何故なら自分はギルドマスターだ。ならば最強でなければならない。
ジンは足を半歩だけ動かしながら、それらを全て、王国剣術『流水』で受け流した。飛んでくる石つぶてに対し剣の切っ先をそっと当てて、剣の上を滑る様に力を逃しつつ横に受け流す。恐らくこれを真面目に斬り対応していたら、次の瞬間死ぬのは自分だと本能が告げていたからだ。
石つぶてをを躱している中、左斜め後ろから大剣が迫りくるのを感じる。レオンは初めから石つぶてでジンを倒そうとは考えていなかった。それを目眩しに使い、ジンの視界から消え背後から叩こうとした。だが時をも斬るジンの瞳には、しっかりレオンがそちらに移動するのが見えていた。
既に大剣を振りかざしているレオン。未だ石つぶての対処をしているジン。最初に動いたのはレオンだった。いや、その場から逃げるように飛びのいたのはレオンだった。
ジンはレオンの動きをしっかり見ていた。だから石つぶてを、何個か受け流しながらレオンの飛んでくる方へ投げていた。
レオンは舌打ちをしながら、ジンとの距離を開けてしまう。ジンの行った流水が、あまりにも自然な動作な為、こちらに飛ばしている事に気がつかなかった。一体どれ程の技術と目があればこのような芸当が出来るのか、レオンには想像もできない。
その一瞬の時間、レオンがジンに感嘆した時間、これがまずかった。全ての石を受け流したジンは、レオンが後ろに飛び着地した瞬間には、既に彼の正面へと移動していた。レオンはジンのその無駄のない素早い動きに驚く余裕もなく、慌てて剣を構える。
王国剣術「八の太刀」
八の太刀。その声がレオンの耳に届くより早く、ジンの剣がレオンを襲う。まるで模範解答の様な、左上から右下への綺麗な太刀筋。だが見た目と違い、まるで巨人に殴られた様な衝撃をなんとか受けたレオンは、数歩後ろに下がる。が、次の瞬間すでに目の前には、剣を構えたジンが立つ。
七の太刀。ジンは呟き、剣は今度は右横から左横へ。再びレオンはそれを防ぎ、そして反撃に出ようとする。
八の太刀。それは剣の基本中の基本の振り方。どうやら老師はそれを八から一まで降る気らしい。なら、次がどこからどう振られるかは分かる。
六の太刀。ジンの口の動きで確信して、レオンは右上から左下へ大剣を振るう。レオンの予想通り、ジンは反対に左下から右上に剣を振るう。下から剣を振るうのは、相手の死角からの攻撃、つまり不意打ちや速さを生かした攻撃。だがその反面、力が入りづらい。レオンはそれを叩き潰し、ジンを一泡吹かせるつもりだ。
だが軍配が上がったのはジンだった。大剣を弾かれたレオンは慌てて数歩下がる。確かに予想は当たった。だが、ジンの剣があまりにも速く重かった為、レオンが大剣に上手く体重を乗せる前に剣同士が衝突してしまった。
五の太刀。当然のように既に間合いに入るジンに、今度は慌てず対処する。ジンは下から上へ、レオンは上から下へ。
クソ!まだ遅い!今度もレオンの大剣は弾かれる。集中しろ、全神経を大剣に乗せるんだ。ジンの動きを、全てを真似るんだ!彼がどうやって剣を握っている?どうして自分より細く小さい老師に、こんな重い剣が触れるのか。理解しろ!じゃなきゃ彼には追いつけない!追い越せない!レオンはこの瞬間に全てをかけ集中する。
四の太刀。ここで変化が現れる。右下から左上へ振るわれたジンの剣は、レオンの大剣を弾く。だが彼は下がらなかった。いや、下がる必要が無かった。タイミングが合ってきた為、次のジンに対し振り遅れる事がなくなったからだ。
三の太刀。右横から左横へ。レオンは反対から振り、そして二つの剣は、二人の正面で止まる。レオンは完全にジンの剣を捉えたのだ。どうだ!とレオンはニヤリと笑いジンを見る。だがジンを見たレオンは目を見開く。
二の太刀。右上から右下へ。レオンは反対に振り、ジンの剣を捉える。そして再びジンの顔を見たレオンは確信した。ジンはまるで我が子を見るように微笑み自分を見ていた。こうして剣を合わせているから分かる。今迄も何度かあった。極限に研ぎ澄まされだ感覚、強者とのその戦いの中で、剣を合わせた相手の気持ち、考えが手に取るようにわかる瞬間が。今がそれだ。だからこそ、レオンはジンの考えが分かった。
彼は自分に教えているんだ。剣の振り方、立ち方、体の使い方、その全てを。そして気づかせようとしているんだ。自分はまだまだ伸び代がある、まだまだ高みがあるんだと。
一の太刀。上から下へ。レオンは反対に。剣の衝突と共に、レオンの頬を一筋の涙が流れる。
彼の心はなんと大きいのだろうか。彼の精神はなんと偉大なのだろうか。彼の剣はなんと暖かいのだろうか。
交わった剣はそっと離れ、そして初めてジンが数歩離れ、剣を鞘に納める。側から見たら、ジンが戦いをやめたように見えるかもしれない。だがレオンは確信し、涙を拭き剣を構える。
何か来る。
それが何なのか、レオンには分からない。八の太刀は一の太刀までしかないからだ。だが逃げるわけには行かない。正面に立つ。最強で最高の剣士に認められるには、受けて立つしかない。恐らくそれが、その先に自分の道がある。恐らく逃げたらその道が二度と見えなくなる。そんな気がした。
一瞬の静寂。ジンは、しっかりとレオンを見つめ、深く腰を下ろす。足を大きく前後に開き、片手で鞘に収めた剣を腰の横に持ち、反対の手で柄を握る。東の国の抜刀術だ。レオンは昔見たそれを思い出す。だがあれは、東の国の変わった形の刀といいやつだから効果のある技だと聞いた気がする。
だがジンはそれをやろうとしている。その技に適していない剣で。レオンはそこまで考え、考えを捨て大剣を構える。やるんだろうな、ジンさんは。最強の元剣聖は、やってのけるのだろう。だからレオンはジンの一挙一動を見逃さないように集中した。ジンはハッキリと、レオンに聞こえるように口を開く。
零の太刀。
それは一瞬の事だった。ジンは一瞬でレオンの懐に入り、右足を半歩前へだして、鞘から剣を抜き振るった。その速さは正に神速。次の瞬間、レオンはリングの外に倒れていた。
ホッホッホッ。儂の勝ち。
レオンの大剣は、宙を舞い、そして彼の後ろの地面に突き刺さった。
誰もが何が起きたか分からなかった。だが次の瞬間、見ていた冒険者は歓声を上げ、訓練場に響き渡った。二人のあまりにも凄まじい戦いに、見ていた者達はあまりよく分からなかった。だが凄かった。カッコよかった。感動した。この二人の戦いに、心動かされなかった者などいようはずがない。のちに彼らは語る。自分達が目指すところはあそこだと。あの二人の背中だと。最高の試合だったと。
そっか。負けちまったか。
分かっていた。この老師に勝てない事など。だが勝ちたかった。超えたかった。レオンは目頭が熱くなるのを感じる。それが悔しさからなのか、嬉しさからなのか分からない。ただ気持ちが溢れて、それが頬を伝う。
最期の零の太刀。良くぞ受けきった。どうじゃった?この戦いで、お主は何か掴めたんじゃなかろうか?
いつの間にかリングから降り、正面に立つ老師は問う。レオンは自分の手を見つめ、それから大声で笑った。
ああ、ありがとうジンさん。確かにこの戦いで、俺は何か掴めた気がする。今迄で一番最高の戦いだった!
レオンの言葉に、ジンは微笑む。彼はまだ若い。まだまだ伸び代もある。彼はこれからもっと成長するじゃろう。若者の成長を見れるのは、年寄りの特権じゃ、と。
だが覚えとけよ!次は俺が勝つからな!
そう高々と宣言する若者に、ジンは微笑み言った。
無理無理。だって儂最強じゃし。
ジンの言葉にレオンは一瞬面食らったように固まり、そして二人は大声で笑った。