武者震い
ギシギシ鳴く古い木で出来た階段を降りると、レオンに言われた通り、受付で手続きをする為列に並ぶ。
よく見ると皆何かしらの紙を手に持っている様だ。恐らくあれが噂に聞いていたクエストの書かれた用紙なのだろう。
ギルドが発行する依頼は、壁際にある大きな掲示板、通称クエストボードに張り出される。冒険者はその中から自分に合ったクエストを選び、そして受付で手続きをするはずだ。
記憶を探りながらその紙の正体を導き出していると、受付などのある部屋の奥にある酒場から二人の男がやって来てジンに声をかける。
おいジジィ!ここは冒険者の来るところだ!出てけ!
このジジイ、ボケて教会とギルド間違えちゃったんじゃねぇの?礼拝はここじゃ出来ねぇよ!
その息は離れていても分かるくらいに酒臭く、下品に大声で笑いジンに近づいてきた。二人はそれなりの強さだろう。先に声をかけてきた男は、背中に大きなバルバードを背負い、もう一人の男は手に背丈ほどある槍を手にしていた。
二人の武器はかなりの価値があるだろう。身なりも上質な服をまとっている事から、二人がそれなりに高ランク冒険者だと見受ける。
銀の牙の二人だ。最近AランクからBランクに落ちて荒れてるみたいだな。今度は老人イジメかよ。
トラブルに巻き込まれたくない周りの冒険者達は、いつの間にかジンから離れ、ことの成り行きを見守っていた。
彼らの言葉から、目の前の二人の状況がなんとなく把握できる。つまり、彼らは今八つ当たりをしようという訳だ。
さて、此奴らどうしようか。
ジンは髭を撫でながら思考する。だがそんな余裕のある態度が良くなかったんだろう。先頭の男が、その背にある大きなバルバードを手にして、ジンに怒号を浴びせ始めた。
だが相手が武器を抜いたなら、とジンも腰にぶら下げた飾り気のない剣を抜く。
ち、ちょっと!ギルド内での戦闘はおやめください!
そのタイミングで受付嬢の一人が叫んだ。止めるならもっと早くして欲しかった。目の前の男はすでに戦闘態勢に入ってしまっている。
お嬢さんや。安心しなさい。直ぐに終わるから。
優しく余裕を持って、ジンは彼女に声をかけた。まさか老人の方からそんな言葉を貰うとは思わなかったのだろう。彼女は目を見開き戸惑い、男は額に青筋を浮かべ斬りかかって来た。
ふざけるな!!
男は一瞬のうちに間合いを詰め、大きなバルバードを振りかざす。一方でジンは微笑みながら、剣をそれに合わせて軽く振った。
王国剣術「流水」
剣の切っ先を相手の刃の部分に合わせ、振りかざされる速度に合わながら、剣の刃の部分でそれを受け流す。
ほれ、腕の筋肉ばかり使っておるぞ。もっと背中や膝を、全身を使いなさい。
斬った。男が思った瞬間、いつの間にか老人は自分の肩をポンポンと優しく叩いていた。
誰もが言葉を失った。誰もが老人が死んだと思った。
だが実際はどうだ。男のバルバードは空を切り地面に突き刺さり、老人は剣を肩に置き、男の隣に立っていた。
理解は出来る。恐らく流水を使ったのだろう。技を受け流す技術だが、それはかなり繊細な技であり、ましてや相手は元Aランク冒険者。酒が入っていたとはいえ、振り下ろされたバルバードを目で追えた者さえ少ないだろう。
キンッ!というジンが剣をしまう音で、皆ビクッと驚き、一瞬止まった時が再び流れ始めた。
ああ?なんかあったのか?
今度は皆が一斉に受付横の階段の方を見て、そして息を飲む。
何故ならそこには自身の大剣を背負い、上質で動きやすい服装をしたレオンが立っていたからだ。
レオンが登場すると、銀の牙の二人は慌てて武器をしまうが、彼が人睨みすると顔を青くして叱られた子供のように俯いてしまった。
いやいや、特に何も無かった。ちと先輩に挨拶をしていただけじゃ。
先ほどまでの事をなかったかの様に、微笑みながらジンが答える。だが、この時何故皆がレオンの格好に驚いているのか、ジンには全く理解できないでいた。
レオンの格好は現役時代の物。ギルドマスターとしてそれを着るという事は、余程の非常自体、例えば災害級の魔物が出現したのかと皆が考えていたからだ。
そっか。まぁいい、その件は後にしよう。ジンさん登録は終わったのかい?
彼の言葉にジンは首を横に振り答える。彼は頭をかき、まぁそれは後でいいか、と勝手に結論づけ、ニカッと笑いジンを誘った。
じゃあジンさん。俺と決闘してくれ。
あまりにも突然の誘いに、ジンは目を見開き、他の皆は口を大きく開け固まった。
こやつ、すでにやる気満々じゃなかろうか。
レオンからは既に並々ならぬ闘志が感じられる。彼はジンが断るとは微塵も思っていないようにみえる。そんな彼を見てジンは白く長い髭を撫でながら、面倒だし断っちゃおうかなぁ、と考え口を開きかけたところでピタリ止まる。もしや、これも?
もしやこの事もアドルフの奴が?
ジンがもしやと思い、そう問いかけると、彼はニヤリと笑って答えてくれた。
ああ、彼がジンならお願いすれば一回くらいはやってくれる。もし断ろうとするならギルドマスターの権限とでも言えばいい。とアドバイスをくれてな。
そのあまりにも勝手な意見にジンは思わず笑ってしまった。レオンもアドルフの言葉を聞いたからこそ、儂と戦えると確信しているんじゃろう。
くくく、分かった。その決闘受けようぞ。
ニヤリと笑い答えたジンの言葉を受け、なら準備が出来たら地下にある訓練場に来てくれ。と彼は言い地下への階段へと消えていった。
レオンが消えた後、ギルド内は大騒ぎとなった。あの老人は何者だ?皆に知らせろ!ギルドマスターが戦うぞ!と。
そんな慌ただしい冒険者達を見て、ジンは苦笑いをした。彼が人気なのは分かった。だがあまり見物人を増やさないで欲しい。
ジンは酒場の方に歩き、従業員に水を一杯頼んだ。従業員は恰幅のある気のいいおばさんのようだ。
アンタ、どこの誰かだか知らないが、あまり無茶をするんじゃないよ?老人の死ぬ所なんて、あたしゃ見たくないからね。
ジンを労う言葉をかけながら、一杯の木で出来たコップを渡してくれた。
心配いらんよ。コップを受け取りながらそう言おうとすると、ジンは自身の手が震えている事に気がついた。
それを見たおばさんは、今からでも断ってきな、と言い階段の下へ向かっていく。
違う。これは恐怖で震えているわけじゃない。これは武者震いだ。
ジンの体は年甲斐もなく、強者と戦える事に歓喜しているようだった。コップに入った水をゆっくりと飲み干す。自身の高ぶる感情を抑えるように。
長い事戦いの中に身を置き、自分は戦いに疲れてしまったのだと思っていた。だがどうだ。レオンの闘気に充てられるやいなや、ジンはどこかワクワクしている自分に気がついた。
アドルフは分かっていたのだろう。儂の中にまだ戦いに対する気持ちが残っていた事を。だからレオンに言ったのだ。儂と戦えるぞと。
ならレオンにはなんの得があるのだろうか。確かに彼は強いだろう。だが勝つのは儂じゃろう。だって儂最強じゃし。負ければ積み上げてきた最強のギルドマスターの名に傷が付くのではないか?
いや、逆かもしれない。彼と儂は似たような境地に達しているのかもしれない。武の頂点の孤独さを、その先がない寂しさを感じているのかもしれない。
いつの間にか、ロビーは静かになっていた。ジンは目を閉じ自身の体調を確かめる。
気持ちは落ち着いた。今朝確認したが、体調も良い。剣もしっかり手入れしてきた。
彼はまだ若い。まだ己の限界に見切りを付けるのは早い。ならば先立つ者として、若者に未来を示さねばならないだろう。
ジンはレオンと自分を重ねてそう結論付けた。武を極める者は、いつしか周りに誰もいない事に気がつく。そして歩みを止めてしまうのだ。その先には何もない気がして。
彼は儂と戦い、そして答えを出そうとしている。結論付けようとしている。もし儂が負けたら、彼は歩みを止めるだろう。最強の名と共に、頂に立ったと証明される事により、彼はそこが終着点と決めてしまうから。
目をゆっくり見開き、椅子から立ち上がると、先程レオンが降りていった階段を降りていく。
若者の未来の為に。