傷跡
城の廊下を歩きとある場所を目指すと、正面にメイドが数人何か話しをしていた。ジンが歩いてくるのを察して、彼女達は会釈をした。
ジンは堂々とその横を歩くと、彼女達には見えない素早い速度で手首を振るう。魔力を込めたその手は風邪を巻き起こし、彼女達のスカートを巻き上げた。
彼女達が手でスカートを手で押さえるまで、およそ0.4秒。だが元剣聖のジンには十分な時間だった。
絹の様に滑らかな素足、その上には朝日を浴び、宝石の様に輝く白い下着。ジンは顔は正面を向いたまま視線だけをそちらに向けそれらを確認すると、微笑みながら満足そうに頷き堂々と歩き去っていった。
ジンがこの城に来てから、メイド達の間で、神風、と呼ばれる風が噂となっていた。風もなく窓も開いていない場所でよく起こるからだ。
因みにこの技は、前国王アドルフも使える。何故ならこの技は若い時に二人が編み出した技なのだから。
城の一角、一つの大きな扉をノックする。中から返事は聞こえない。だが気にする事なくジンは中へと入っていった。
相変わらず訳わからんもんばかり置いてある部屋じゃ。少しは整理したらどうじゃ?
乱雑に置かれている数多くの道具。壁にも、棚にも、床さえも足の踏み場がない程ものが置かれていた。
五月蝿いのが来たね。乙女が返事をする前に部屋に入ってくるんじゃないよ。
沢山の物に紛れて聞こえる声の方に目をやると、小さく丸まった背中を見つけることが出来た。
なにが乙女じゃ。60過ぎたババァの台詞じゃないじゃろ。
ジンの言葉に、ふん!と鼻を鳴らし、振り向こうともしない初老の女性をジンは考え深く見つめ、小さくなったもんじゃ、と思う。
彼女は『メアリー』。この『スクルス王国元宮廷筆頭魔導師』であり、ジンの元妻である。
聖剣を次の者に託してきた。 儂はここを出て旅をしようと思う。
突然のジンの言葉に、メアリーはピタリとその手を止め、ゆっくりと振り返りジンを見つめる。
いつじゃ?と聞くメアリーに、明朝じゃ、と目を逸らさず答えるジン。二人は暫く見つめあった後、深くため息をつきながら、メアリーは重い腰を上げ奥の部屋へと消えていく。
ほら、座んな。
暫くして、奥から戻ってきたメアリーの手には、お盆に乗ったカップが二つとティーポットが乗っていた。
彼女に促されるままに座り、目の前に置かれたカップにハーブティーが注がれるのを黙って見つめる。
懐かしい香りじゃ。
思わずジンはそう呟いた。淡いピンク色をしたハーブティーは、あの頃と変わらない香りを漂わせ、ジンの鼻へと運ばれている。
メアリーは自分のカップにもハーブティーを注ぐとジンの向かいの席に着く。
暫く二人は黙ってカップを傾け、ゆっくり流れる時間を感じていた。
15分程経ち、ジンのカップの中身が無くなると、再びメアリーがハーブティーを注ぎ入れ、口を開く。
お勤めご苦労様でした。
思わぬ優しい言葉に、ジンは目頭が熱くなるが、それを隠そうと微笑み髭を撫でながら、うむ、と呟く。
ふわりと風がカーテンを揺らし、木漏れ日が二人を包んだ。ジンには、席に着き髪をかきあげ耳にかけながらこちらに微笑むメアリーが、一瞬若い頃の美しい彼女に見えた。いや、歳を重ねた今も美しいが、ジンはその事を上手く伝えられた事はない。
同様に肩の荷を下ろし微笑むジンが、メアリーには若くカッコいい頃の彼に見えた。いや、今も変わらなずカッコいいが、メアリーがそれを伝えられた事はない。
不思議と二人は同時にそんな奇妙な体験をした。まるで自分達があの頃に戻ったような感覚。あれから色々あった。本当に沢山の経験をした。二人はそんな想いを馳せる。
風が止みカーテンが元の位置に戻ると、二人はお互いが年相応の顔に見える。いい歳した元夫婦は、微笑みながら見つめあってるのが気恥ずかしくなり、慌てて視線を落とし紅茶を啜った。そして空気を変えるべく、ジンは口を開いた。
剣聖になり45年。自身が作った平和とやらをちと見てみたくなっての。それで旅に出ようかと。
そう語りかけるジンに、そうかね、そりゃ楽しそうだ、と彼女は微笑みながら答える。
どうじゃ?お主も来るか?
そうじゃのう。それも悪くないかも知れん。じゃが見ての通り研究が山積みでの。もしお前さんがその平和とやらを見てきて、良いものだったら次は私も行こうかね。
そうか。と、メアリーの答えを聞き、それに短く答えるジンは嬉しそうに髭を撫でる。
メアリーは昔から素直じゃない。こういう場合は、ちょっと遊んだらもう一度ここに戻ってきなさい。必ず迎えに来るんだよ。という意味だ。
全く昔から此奴の性格は変わらんのぅ、とジンは微笑み思いながらメアリーを見つめる。昔は彼女の言葉の意味がよく分からなくて、何度も怒られ魔法で吹き飛ばされた事を思い出す。
暫く二人はゆっくりと会話を楽しんだ。最近どうじゃ?体は痛くないか?旅はどこから行くんだ?など他愛もない会話だが。
それでもいつしかティーポットの中身は冷め、日が沈むまで語らいその時間を楽しんだ。
さて、そろそろ行こうかの。
ジンが席を立ち上がると、メアリーもそれを見送ろうと立ち上がり、ドアまでついてくる。
も、もしあの子が……!
ジンがドアノブに手を掛けた時、思わず声が溢れてしまった、という感じでメアリーが声を漏らす。
振り返ると彼女の瞳は潤み、手をギュッと握りしめて、そしてゆっくりと視線を落とす。
うむ。分かってる。
彼女を安心させる様に、ジンは優しく声をかけ、扉から出て行った。
扉が閉まるまで、メアリーは視線を下げたまま手を握りしめ、すまない。とジンに聞こえない声でそう呟いた。
長く冷たい廊下をコツン、コツンと音を立てて歩くジンは歯をくいしばる。
分かっている。お互い分かっている。どうしようもなかったし、どうしようもない事を。
何度も忘れようとしたし、考えない様にしてきた。
だがどうしても忘れることの出来ない記憶、想い。
ジンとメアリーには子供がいた。
二人は幼い頃から恋をしていたが、互いに立場があった為、それが実ったのは35を過ぎた時。
そしてメアリーが45の時に子供を授かり出産した。
それから3人は幸せに、ここ王宮で過ごしていた。
だが子供が5歳になる前、子供は誘拐された。剣聖と王宮筆頭魔導師の子とあって、王自ら事件に乗り出し捜索した。
だが見つからなかった。あり得ない事だった。
ここ王宮で誘拐など、しかも厳重に警備されてるはずの剣聖と王宮筆頭魔導師の子を攫うなどあり得なかった。
国中探しても見つからず、次第に事件は闇の中へ葬られ、二人の距離は離れていき、離婚した。
現在修復済みだが、捜索打ち切りを告げられた二人は当然怒り、メアリーは魔法で城の一部を破壊、ジンは捜索打ち切りを告げられた時、謁見の間を切り裂き暫く謁見の間からは空が見えていた。
長く冷たい廊下をコツン、コツンと音を立てて歩くジンの手には、血が流れていた。いつの間にか血よく握っていた手を開くと、手のひらに食い込んだ爪の跡が残る。
やはり忘られぬ。
立ち止まり振り返ると、遠くに見えるドアに向かって、本当にすまない、と呟いた。
悔やんでも悔やみきれない。自分にもっと実力があれば、と思う。
何度も流した同じ涙を拭い、ジンは再び歩き出した。