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夜空

日はすっかり落ちて、小さな虫が春を伝える歌を歌っている。路肩に馬車を止め、二人は火を起こしそれを囲んでいた。見張りは交代で。ジンが自分が一人でやると言ったら、陽炎は自分は寝ながら操車をしていたから平気だと答えた。危ない事をする奴めとジンは思ったが、堂々と言う陽炎の顔を見てやめた。此奴には色々と常識が通用しなそうだと。陽炎が平気だと言うなら平気なのだろう。


 ねぇねぇ、ジンさん。ジンさんはどうして剣聖になったの?


 子供が親に物を聞くように、好奇心いっぱいの顔で陽炎はジンに質問をしてきた。焚火の上でぐつぐつと煮立つ鍋をかき混ぜながら、ジンは、そうじゃのぉ、と思い出しながらゆっくりと語った。


 儂の家庭は貧しくてのぉ。その日生きるのに必死じゃった。母親が病気で死んで、儂は本当に一人になってしまった。腹が減り眠ることもできず、この世の全てが儂の事などいないものとして動いている。そんな気がしていた時期があったんじゃよ。


 恐らくかっこいい武勇伝のようなものを予想していたのだろう。ジンの言葉に、陽炎は空に浮かんでいる満月のように目を見開きその言葉を聞いていた。ジンは鍋の中の食べ物が焦げないようにゆっくり回しながら、その揺れ動く水面に過去を投影しその様子を語った。


 儂は母の言葉を何度も頭に浮かべた。 強くなりなさい。自分の未来を切り開けるように。優しくなりなさい。誰かを守れるように。世界なんてどうでもよかった。こんな理不尽な世界なんか。じゃが儂はその言葉通りに生きられない事だけを悔いていた。何度も何度も悔いた。そんなときじゃった……。


 ジンは鍋を火から外し、そして出来上がった料理をゆっくり椀に掬いながら話す。陽炎はそんなジンの言葉を、膝を抱えながら待っていた。


 最後の瞬間を迎えようとしていた儂の視界の端で、小さな女の子が追われている事に気が付いたんじゃ。あー、捕まるなぁ。あー、殺されちゃうなぁ。そんな風に思いながらその光景を眺めていた。じゃが、あ、今がこの時だ。今しかない。最後に母親の言葉通り動いて、そして死のう。そう思い儂は最後の力を振り絞って、少女の下に走ったんじゃ。


 ゴクリと陽炎が唾を飲み込む音が聞こえた。思い返せば、あの時何故走れたのか、何故立ち向かえたのか。いや、今となっては不思議でもなんともないか。ジンは今はその答えが分かり、そして微笑んだ。


 そして儂は少女を追っていた男に体当たりをし、男が落としたナイフで男達を殺した。敵も油断したのだろう。まさか自分達が死にかけの子供にやられるなんて思ってもいないかったじゃろううし。じゃが儂が勝ち、そして少女を助けた。そしてそれが前国王の妻マリアじゃった。


 おお!先ほどまで不安そうに聞いていた陽炎が声をあげ驚く。まるで子供に聞かせている様じゃと、ジンはくつくつ笑いながら続きを話した。


 それからそのお礼にと、儂は城の謁見の間に呼ばれた。じゃが城では、死にかけの孤児の子供が助けたなんて話を信じる者は少なかった。声を上げて嘘だと叫ぶ貴族、敵の仲間だったんじゃないかと疑う貴族もいた。儂は驚いたよ。わざわざ助けたのに、まさか非難されるとは思わなかった。じゃがそこで、一人の男性が声を上げた事で事態は一変した。それが前剣聖、いや、前前剣聖か。


 展開が変わるごとに表情を変える陽炎を微笑ましく思いながら、ジンは料理を入れた椀を陽炎に手渡した。だが陽炎は、椀を見ることなくそれを受け取り、それよりも話の続きを聞かせてくれと言った表情でジンを見つめ続けた。ジンはそれを汲み取りクスリと笑うと、ゆっくりと話を続ける。


 ならば戦えば分かる。剣聖は言った。そして儂は訳も分からないまま戦い、負けた。じゃがそこで剣聖がこう言ったのじゃ。この子は敵ではない。そして剣の才能がある。ならば彼が王女様を助けたのだろう。そしてここに宣言する。この子を次期剣聖候補として育てる、と。たったそれだけじゃ。あれだけの貴族、騎士、王までいて、彼のたったそれだけの言葉で、誰も儂を疑うものは居なくなった。非難する者は居なくなった。それどころか、儂は次期剣聖候補として暖かい豪華な食事も、ふかふかの寝床も手に入れ、そして皆が儂に頭を下げるようになった。


 ああ、これが力か。儂はそう感じたよ。剣聖は剣の腕が立つだけではない。その人柄も人望もあり、人一人の未来を切り開く力があるんだと。じゃから儂は剣聖を目指した。母親の遺言通り、 強くなり自分の未来を切り開けるように。優しくなり誰かを守れるように。そして儂は未来を切り開いた。60まで国の為に人々を助け続けた。


 話を終えると、陽炎は持っていた椀を地面に置き、手が腫れあがるのではないかという程力強く叩き何度も頷いていた。よほど感動したのだろう。目には涙を溜め、今にもあふれ出しそうになりながら唇をかみしめていた。

 

 ほれ、暖かいうちに食べてしまおう。


 ジンの言葉に、陽炎はまだ余韻に浸りながらもゆっくりと椀を手に取り汁をすすると、不味っ!!と驚き声を上げた。それを見たジンは大きな声で笑い、そして驚く陽炎にこう言った。


 それはの。騎士団に代々続くまずい飯なんじゃよ。これを食べた物は皆旨い飯が食いたくなって、命がけで戦い、そして家に帰る。生きて任務を遂行しようという願掛けじゃ。そして同時に、これを共に食べた者同士は家族も同然。共に生き、共に死ぬ。そういう意味もある。お主に帰る場所があるかどうかは知らんが、なければこれから探せばいい。じゃが、もしお主が今回死ねば、儂も危機に陥り死ぬかもしれない。じゃから儂らは一連托生、家族じゃ。互いを想い、互いを支えあう必要がある。共に今回の修羅場を乗り切ろうぞ。


 料理に驚いていた陽炎だったが、ジンがゆっくりと力強く語ると、陽炎は目に溜めていた涙をこぼし始めた。料理が不味過ぎたのか。ジンの言葉に感動したのか。恐らく後者だろうが、陽炎はそれを隠すように、ああ、成程!だからこんなに不味いんだね!と大きな声を上げ涙を腕で拭いた。


 彼もまた孤独な道を歩んでいたのかもしれない。彼は一体どんな人生を歩んできたのだろうか。ジンはそんな事を考えながら、陽炎に優しく微笑み不味い汁をすすった。陽炎もまた、不味いや!本当に不味いや!と言葉を漏らしながらも、鍋の中が空になるまでそれを飲み干していった。


 食事が終わり、後片付けを終えた二人が見張りの支度をしていると、陽炎がふと思ったことを口にしてみた。


 ねぇねぇ。ジンさんはどうして元剣聖なのに旅に出ようと思ったの?お城にいれば何不自由ない生活とかできたでしょ?


 馬車の荷台に布を敷き、魔法の袋に入れていた枕の位置を何度も直していたジンに陽炎が聞いた。そうじゃのぉ。とジンは何度か寝てみて枕の位置が決まったのを確認すると、陽炎の質問に答える。


 儂はこの年まで剣聖として戦い続けた。だがその為任務以外で城から出ることはほとんどなかった。儂は見たかったんじゃよ。儂が戦い続けた結果、作り上げた平和というものを。儂の戦い続けた意味を見てみたかったんじゃ。


 パチン、と陽炎が新しくくべた薪が弾ける音を立てた。はじけた薪の位置を直しながら、陽炎は、ふーん。と返事をする。なんじゃ、折角答えたのにそれだけか。とジンは思い頭を上げ陽炎の表情を覗くと、炎に照らされた陽炎の横顔は嬉しそうに微笑んでいた。


 ねぇねぇ。ジンさんは歴代最強の剣聖だったんでしょ?何でそんなに強いの?何でそんなに戦えるの?


 まるで眠れない子供が、親に話をせがむように陽炎は質問を続けた。目を閉じかけていたジンは、一度目を開き直し、そして空を眺めた。そこには手に届きそうな距離に、沢山の光る星がちりばめられていた。


 そうじゃのぉ。母の言葉があったからかもしれんのぉ。と答えると、言葉?と陽炎がこちらを向いて質問を続ける気配がした。真っ暗な空に敷き詰められた星はとても綺麗で、そこにジンは想いを浮かべ語った。


 そうじゃ、言葉じゃ。人の強さとはな、想いなのじゃよ。勿論基盤には努力や技術などが必要不可欠じゃ。じゃがそれだけでは人は強くはなれない。小さな女の子を助けた時だって、きっと相手の方が儂より強かった。じゃが儂は勝った。それはきっと、母の言葉を、儂が死ぬ思いで叶えようとしたからなんじゃ。


 こうして見ると、自分など本当にちっぽけな人間に感じてくる。世界は広く、元剣聖の自分など、世界のほんの一部にしか過ぎないと教えてくれる。自分の存在を教えてくれる。だが幼少期に見た空は、儂の事など見ていない気がした。でも今はそれが違うと分かる。儂はあの頃、自分の存在が全てだった。世界の中心は自分で、そんな自分を無視する世界など大嫌いだった。だが違う。自分なんて、誰だって世界の一部。皆がいて世界なんだ。自分の大きさを知り、立場を知り、立ち位置を知ることがまず大事だったのだ。夜空はそんな自分の存在の大きさをいつだって教えてくれているんだ。


 儂の師である剣聖の言葉を借りれば、剣は腕で振るのではなく、想いで振るのじゃ。剣の振る意味を考え、そしてその為に振り下ろす。そうすれば何でも斬れるようになると。生きるのだって、戦うのだって、剣を振るのも同じじゃ。強い想いを抱き、その為に一歩を踏み出せた者が結果として強いんじゃよ。


 ふーん。陽炎はまた、それだけ答えた。少し難しかったか。ジンがそう思い再び頭を上げ陽炎を見ると、陽炎は膝を抱えなんだか嬉しそうに体を前後に揺らしながら座っていた。おかしなやつじゃ。本当に子供に話を言い聞かせているような気分になる。全く可愛い奴め。


 こんなちっぽけな儂でも、歴代最強の剣聖だったんじゃな。ジンはふとそう思い返し再び空を見つめる。この国で一番強い儂。国を想い守り抜いてきた儂。自分の戦ってきた人生を簡単に振り返ると、やっぱ儂ってすごいかな、なんてジンは思いにやける。


 先ほどまでちっぽけだった自分が、小さい頃は見放されていたと思っていた自分は、やっぱりすごい奴だと思い返す。すると、不思議と世界の中心に自分がいて、星々は自分を祝福するために輝いているんじゃないかと思ってしまう。


 自分の在り方なんて、結局自分が決める事。世界の中心が儂だと儂が思えば、世界の中心は儂なんじゃ。過信は良くないが、そう考えてた方が寂しくなくていい。夜空は色々の事を教えてくれる。自分を見つめ直すことが出来る。不思議な物じゃ。しかし、星々に祝福される儂か。儂かっこいい。


 ジンはそんな事を考えながら、ゆっくりと目を閉じる。が、その後も、何度も陽炎から、ねぇねぇ。と質問にあい、結局寝付けたのは月が真上に上った頃だった。途中何を答えても、ふーん、としか答えなかった陽炎が一度だけ別な事を言っていた気がする。オイラ、あの剣聖様とお話してるんだ。剣聖様がジンさんで良かった。そんな事を言っていた気がしたが、寝かけていたジンには、それが夢だったのかどうか判断が付かず、目が覚めた時にはすっかり忘れていた。

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