噂
陽炎、率直に聞くが、スタンリー伯爵が主体で今回の件を動かしていると思うか?
ジンの言葉に、陽炎はすぐに顔を横に振り答えた。
いいや、それはないね。確かにオイラは彼から依頼を受けた。それも今回で三回目だ。だけど、そのどれもスタンリー伯爵家が行えるとは思わない。正確に言えば、オイラが受けたどの依頼も、落ちぶれているスタンリー伯爵家が知りえない情報ばかりなはずだった。恐らくは後ろにもっと大きな力、つまり伯爵以上の権力を持った貴族がいる。オイラはそう思っているよ。
やはりそうか。ジンは深くため息をついて顔を顰めた。黒い水晶玉にしてもそうだ。落ちぶれた伯爵家が知りえる情報ではない。そしてスタンリー伯爵がそれを持ったところで、大したことは出来ないだろう。だが陽炎の話から、その後ろに誰がいるのかは現段階では分からないという事だ……。
面倒な事になってきたのぉ、だから貴族は嫌いなんじゃ。ジンは葡萄酒を煽りながら思う。愚か者程、与えらえれた力を自分の物だと勘違いし好き勝手にふるまい始める。賢い者なら、力を利用するすべを考えるはずだ。ジンはジョッキをテーブルに置くと、もう一つ肝心な話を聞くため陽炎に向き直る。
さて、もう一つ聞かねばならんことがある。と言っても、お主にとってはここからが本題なんじゃろうが。
ジンの言葉に、陽炎の表情は更に曇り、そしてジョッキを一気に煽った。テーブルにジョッキを置いた後の陽炎の顔は、決意や後悔、そして悔しさのようなやるせないなんとも複雑な表情をしていた。そして意を決したように、ジンに向き直り口を勢いよく開き話し始めた。
オイラね。オイラは泥棒だ。それが悪い事だってのは分かってる。だから仕事は必ず悪い奴からしか盗まないようにしているんだ。そしてそのお金を殆ど、教会の孤児院に寄付してたんだ。あ、オイラが孤児院出身だからさ。だけど、最近その事に気が付いたスタンリー伯爵が孤児院にちょっかいを出し始めたんだ。勿論、オイラはスタンリー伯爵の悪い噂も知っていたから止めようとしたんだけど。
陽炎はそこまで一気に話すと、一度そこでピタリと止まった。両の手をテーブルの上で強く握りしめ、悔しそうに歯を食いしばり、そしてしばらくすると再び話し始めた。
だけど、スタンリー伯爵家の後ろにはもっと大きな後ろ盾がいる事が分かったんだ。彼がちょっかいを出していた孤児院は、南部全土だったんだ。それも、酷いやり方で。金を巻き上げ子供を攫い、女を売り払おうとしていた。だけどそんな事没落貴族が出来るわけないんだ。そう言った事業は足がつきやすい。なのにそれを国が把握してないとなると……。
陽炎は、そこまで言うと俯き再び拳を握りしめた。ジンはそんな彼の姿を眺めながら、腕を組み冷静に頭を働かせる。南部全体という事は、4公爵の一人、南を統治するブロイ家が背後にいる事になる。いや、ブロイ家が関わっていなくても、複数の伯爵家が手を組んでいれば出来る事かもしれない。
つまり、儂に話したのは、その問題を解決してほしいから。そういう事でいいんじゃな?
ジンの言葉に、陽炎は俯いたままゆっくりと頷き答えた。さてさて、困ったことになった。爵位も肩書もない今、儂はただの老師だ。何の力もない。相手が公爵家なら、うっかり斬っちゃいました、てへ。という訳にもいかんしのぉ。
さてさて、どうするか……。ジンは腕を組み瞑想する。仮に陽炎の言葉が嘘とする。その場合の目的は儂じゃろう。おびき出して殺すか、問題を起こさせて殺すか、はたまた何かの犯罪の片棒を担がせる為か。現段階ではこの予想をすることしかできん。だが儂には彼の言葉が嘘には聞こえなかった。陽炎のなせる話術のせいかもしれんが、それでもじゃ。
だが儂に何が出来る?この話を国王に持って帰るか?今ならまだ王都は近い。というかそれしか出来る事もないじゃろう。なら行動は早い方がいい。陽炎は儂と接触するために貴族の手下を撒いてきたはず。恐らく近々追手がかかるじゃろうな。
だが陽炎を連れていくべきか?城の中とてブロイ公爵家の手の者は居る筈。絶対安全とは言えない。寧ろ城に行かずに隠れている方が安全とも言える。だがもし王に話すなら陽炎がいた方が話に信憑性が出る……。
ジンが暫く瞑想していると、恐る恐ると陽炎がジンの顔を覗き込み口を開いた。
ねぇ。ちょっとオイラの考え言っていい?多分アンタが考えている事は分かるんだ。王に会わせるか、オイラに隠れていろと言うか。違う?
またまた自分の考えを読まれたジンは驚くが、今度はそれを表情には出さずに頷くことが出来た。まぁここまでなら誰でも考える事の出来る事だ。不思議ではない。
でもね?オイラはその二つの選択肢をとりたくないんだ。前者なら城にいる奴らの手下に狙われるだろうし、後者なら何もできない。だからオイラはアンタについていきたいと思ってる。駄目かな?あ、その顔は何が言いたいか分かるよ。だから、ちょっと待っててね。
陽炎の提案に対し、ジンが何か言おうと口を開きかけたところで、陽炎はそれを手で制し立ち上がると店から出て行ってしまった。一体何をするつもりなのだろうか。ジンは料理を運び歩くたびに揺れ動く女性店員の胸を眺めながら今後の行動を考えていると、今度は恰幅の言いどこにでもいそうな商人風の男がジンの席の前にやってきて席に着いた。
誰じゃ?まさかもう追手が?じゃが殺気も何もないしのぉ。ジンは男性を眺めながら考える。年齢は30前半といったところか。多少羽振りがいいのか、手には小さな宝石がついた指輪を二つしていた。そんな風にジンが男性を眺めていると、男性は突然くつくつと笑いだし、そして耐えられなくなったかのように口を開いた。
ふふっ。オイラだよオイラ。陽炎さ。騙されたでしょ?
男性の声を聞き、ジンは思わず手に持ったジョッキを落としそうになってしまった。その声には聞き覚えがある。確かに先ほどまで話していた陽炎の声とそっくり、いやそのものだった。まさかこの短時間でこんな変装をしてくるとは。これこそ陽炎の技の真骨頂なのかもしれない。
ジンは口を何度か開けてはみるが、言葉が出てこなかった。言葉を発しなければ全くの別人。体格まで違う。まさかこんな芸当が出来るとは。
確かにこれならだれが見ても分からないだろう。これならいける、ジンはそう確信し、陽炎の話に乗ってみることにした。その後二人は店を出て、夜更けまで個室のある高級な飲み屋で話し合い、そして解散した。
次の日、ジンは昼前に目を覚ます。仕方ない。昨日は、いや今朝は日が昇り始めるまで陽炎と色々打ち合わせをしたのだから。ジンはゆっくりと起き上がり、身支度を素早く済ませると一階の食堂で食事をとる。昇る太陽よりも美しい二つの乳房を眺めながら食事を済ませ、宿の前に出ると既にそこには馬車が用意されてあった。
旦那様。お迎えに上がりました。ささ、こちらへ。
手に小さな宝石のある指輪を二つした、恰幅のいい商人がジンを馬車へと誘う。この短時間でこれだけ立派な馬車を用意したその手腕に驚きながらも、ジンは表情を変えずに頷き答える。馬車に乗ると、馬は鼻を鳴らしながら二度地面を掻き、そしてゆっくりと歩き始めた。またのんびり観光を楽しめなかった街をぼんやりと眺め、ついでに綺麗な女性のいる店を記憶しながらジンは街を後にした。まずは西に一つ街を進み、その後再び南に馬車を走らせることになっている。
その後の選択肢はいくつかある。陽炎なら伯爵家の敷地内の入り込み、何かの証拠のような物を見つけられるかもしれない。だがそれをしたところで、彼にはそれをどうにかする伝手がなかった。同時に時間もない。陽炎が消えたと分かれば奴らはどういった手段にでるか想像できない。だったら早めに行動した方がいい。
二人は不自然にならないように南側に戻り、そこで二手に分かれ調査する事になった。陽炎は一度伯爵邸へ。ジンは陽炎の言う教会の運営する孤児院へ行くことにした。そこに行けば、陽炎の言う事が真実か罠かはわかるだろう。
舗装された道の両脇にある石垣の下には、既に小さな花が色づき力強く咲き始めていた。まだまだ数は少なく花も小さいが、それだけでも景色が華やかに色づき心温まる。暫く代わり映えのない景色の中を陽炎が馬を引き、どこから見ても旅商人が老師を乗せている風にしか見えなかった。
のぉ。ところでお主の本当の名はなんじゃ?だれでも名くらいあるじゃろ。
ジンはふと思い、荷台から陽炎にそう声をかけた。だが陽炎はすぐには答えず、ジンは彼が今どんな顔をしているのか、そんな事を思い彼の背を見つめた。
太陽が真上を過ぎた頃、ジンが質問をしてから5分以上が経っただろうか。草原に一筋の線を描きながら、春を知らせる暖かな風を全身で浴び、ジンは春になる瞬間を感じた。風の中には青臭さの中にもほのかに甘い香りを感じる。草原の草草の中に、ここからでは見えないが花が隠れているのかもしれない。
陽炎は深く深呼吸をする。彼もほのかに甘い香りを嗅ぎ、何かを感じたのかもしれない。教えてはくれぬか。そうジンが考えふと視線を外そうとしたとき、聞こえるか聞こえないかギリギリの声量で陽炎が口を開いた。
アラン。オイラの名はアランだよ。死んだ両親がつけてくれた、オイラに唯一残されたものさ。
耳を澄ませていなければ聞こえなかっただろう。そんな小さな声が風に乗りジンのみみに届いた。
そうか。アランか。良い名じゃ。アランというのは調和を意味するのぉ。今回の件が解決すれば、お主は周囲に、そしてお主自身に調和をもたらす。きっとご両親は傍で見守っているじゃろう。
ジンは微笑みながら、まるで独り言のように彼に聞こえる様に呟いた。だがその声はちゃんと陽炎に届いていたようだ。先ほどまで俯きがちだった彼は頭を上げ背筋を伸ばし、馬を引く手綱を上下に動かしパチンと乾いた軽快な音を鳴らした。
二人がたどり着いた町は、王都から近いというだけで特に特徴のない町だ。大きな街と街の中間地点でもないこの町は農業を生業とし、老人が多く住んでいる所だ。その為貴族やその関係者が訪れる事はまずないだろう、という二人の予想だ。しばらくはそういった町を通りながら進むことになるだろう。
ほう、立派な農場じゃの。これだけの敷地を管理するのは大変じゃろう。
一応村長に挨拶し町一泊する事を伝えると、村長は宿まで案内をしてくれる道すがらジン達に簡単な町の説明をしてくれた。その中でジンが特に関心を寄せたのが、町よりも広い牛の放牧だった。といってもしっかりと柵はあり、だがその面積を管理しているのが老人ばかりだという事に驚いた。
町の自慢はこれ位しかないもので。この辺りは周辺に少し大きな街があり王都も近いため、魔物や盗賊の被害に怯えることなく伸び伸びと出来るのです。これも王様や騎士様方。そして何より剣聖様の存在が大きいのですよ。こんな王都に近い所で悪さをすれば、皆剣聖様が来るのではないかと怯えて犯罪に手を出しません。我々は剣聖様の加護の下生きているのです。
二人の前をゆっくりと歩き先導する村長は、嬉しそうにそう語った。陽炎は頭の後ろで両手を組みながらジンの方を見て、どこか少し誇らしそうに見えた。
そうじゃったか。確かに剣聖様はこの国を想い守っておられる。さぞかしその外見は凛々しく立派で、そしてその心は空のように澄み切った綺麗な心をもったご立派な方なんじゃろうなぁ。
ジンの何気ない返答に、陽炎は噴き出しくつくつ笑った。村長はそんな陽炎には気が付かず、ジンの言葉に同意し、昔一度だけ剣聖様の後ろ姿を見たことがある、という自慢話を宿に着くまでするのだった。
剣聖の話で気分をよくしたのだろう。その夜は村長自らが宿の食堂でジン達と杯を交わし大いに話が盛り上がった。ジンが自らの事を語らなかった為、陽炎は気を使ってかジンの正体には触れず、ただにこにこと愛想よく二人の話を聞いていた。そんな陽炎の気づかいに感謝しながら、村長の町の若者離れの悩み相談を聞いていると、ジン達はふと奇妙な話を耳にする。
そういえば最近奇妙な噂を耳にしましてな。なんでも南地区の牛が帝国領に出荷されているらしいのです。ええ、別にそれだけなら奇妙でもなんでもないんですが、問題はその数なんです。大きな戦争でも始めるのかとも思ったのですが、そうでもなさそうで……。
その言葉にジンと陽炎は顔を顰め見合わせる。帝国とは何度か小競り合いをしている。だが、現在の帝国にはそれすらする余力はないはず。ましてや大きな戦争など。確かに戦争を行う際、早ければ年単位で食料を集め、戦争時に備える必要がある。だが村長の最後の言葉が気になり、ジンはその事について問うてみる。
ええ、仰る通りです。まぁ普段から隣国との食料貿易は行われていますし、それ自体は不思議ではありません。そして戦争時、特に牛や羊などの食糧は、生きたままではなく保存食として加工して出荷されることが多いのです。でなければ食糧問題を解決するために牛羊を集めて、それらを維持するのに食料を奪われてしまいますからね。それでは本末転倒というものです。
確かにそうだ。ジンは戦争の時の事を思い出す。特に大きな戦争の時は、勿論王都周辺に生きた家畜を集めるが、そのほとんどは早めに処理され塩漬けや干し肉にされる。村長の言うように、家畜を育てる食料もまた馬鹿にならないからだ。
なのに今回は生きたままの出荷。それも大量に。最近の帝国は食糧問題には陥ったという噂は入っていないのです。ああ、その辺はある意味貴族様より、食料を育てている我々独自の情報網の方が詳しかったりするものです。
ん?オイラにはよく分からないな。村長の情報網の話は分かった。それだけ多くの家畜が必要なら、この町にも売ってくれないかと話が来たんでしょ?でも、確かに食糧問題も戦争もない帝国に多くの家畜を流すのは奇妙だけど、たまたまって事なんじゃないの?
ええ、まぁ確かにたまたまかもしれません。ですが、問題はその家畜をどう運ぶかなんです。通常、国境を超える際、多くの騎士様や冒険者の方に守られながら、多くの牧者が牛を操らなければならないのですが、今回その人員を出している農家がいないのです。勿論帝国側からそれなりの数がきているのですが数が合わないらしく……。
どうやら相当腕の立つ牧者がいるのか、という話にもなったらしいが、それでも変だと噂になっているらしい。村長は、まぁあくまで噂で、実際に目にしたわけではないと締めくくった。このタイミングで帝国の話。無関係かもしれないが、そうではないかもしれない。ジンは酒の入ったジョッキを傾けながら、この話を頭の片隅に入れておこうと思った。
次の日は快晴。日に日に暖かくなっていくのを肌で感じながら、二人は町を出た。町を出るとき、遠くで村長が慌てて宿から出てくるのが見えた。その後ろには村長と同じ年くらいの女性が腰に手を立てて何か叫んでいた為、恐らく昨晩解散した後家で飲みなおし、深酒をして怒られたのだろうとジンと陽炎は推測し笑った。今日も風が心地いい一日になりそうだ。
町を出ても暫くは魔物に遭遇しなかった。その代わり若い冒険者が草原をうろうろとしているのが見えたため、彼らが狩って回っているのだろう。彼らにとってはいい収入、近隣の人にとっては安全に暮らせる。色々な人が居て、皆が平和に暮らせているんだなと、ジンは彼らを見て微笑んだ。
陽炎の腕がいいのか、馬が元気なのか。ほとんど休憩なく走ったため、一日でかなりの距離を稼げた。南地区に入り町を一つ通り越し、問題の伯爵邸までは後街二つ。ジン達は次の街で一度解散となっている。
あ、そうだ。次あった時、多分ジンさんからはオイラの見分けがつかないと思うんだ。だから合言葉を決めようと思う。そーだなー。何がいいか。あ、よし!決めた!次ジンさんと会ったら、宿を決めるのに胸の大きさで決めるのは良くないよ。って言うよ。そしたら分かるでしょ?
なんて合言葉じゃ。宿を胸の大きさで決める奴なんておるもんか。ジンがそう返すと、二人は大きな声で笑った。




