正体
むむ、しつこいのぉ。しかし、恐らく相手は徒歩だったはず。まさかあのキャラバンを追いかけ、尚且つ儂にその居場所を気が付かせないとは。あっぱれな奴じゃ。どんな奴か、ちと興味が湧いてきたな。
ジンは手に持った串焼きを口にすると、口いっぱいに肉汁が溢れ旨味が広がってきた。それを噛みしめながら人ごみの中を歩き、ジンはふと家と家の間の狭い路地に足を踏み入れる。さてさて誘いに乗ってくるか?ジンは振り返ることなく、まるでこの辺りに詳しいかのように歩く速度を変えずにスイスイ歩いていく。二つ目の角を右に曲がり、真っ直ぐ進むと今度は三つ目の角を左に曲がり……。狭い路地とはいえ、初めはそこそこ人が通っていたが、今では野良猫一匹いなくなった。
尾行者は追ってはこなかった。始めの角を曲がったあたりで、ジンの背に刺さっていたあの視線は無くなっている。だがもしかしたら屋根に飛びのり、屋根伝いに追ってくるかもしれない。もしかしたらこの辺りに詳しく、先回りしてくるかもしれない。そう考えジンは歩き続けたが、そのどちらでもなかった。だがその行動が、ジンの中で尾行者の評価を上げていた。
この路地裏で後を追いかけてきたのなら、それは大したことのない奴じゃ。屋根伝いに追ってくるのが定石じゃろう。じゃがそれもしなかった。この広い街で、儂を一度見失ってから、また見つける自信があるのじゃろう。じゃないとここまでは追ってきまい。
これが仕事ならジンの中での警戒心は最大値に上がっていただろう。だが今はただの冒険者、ただの老師だ。剣聖の座を譲った今では、この命は大して惜しくはない。まぁ簡単にあげてやる気もないが、だが今はそれよりも好奇心の方が上回ってしまっていた。
路地裏を抜けたジンは、近くの露店で数点の保存食を買い足し、そのついでに宿の情報を手に入れた。同じ行動を2、3件繰り返し、素早く人込みを移動して聞いた複数のお勧めの宿を覗く。大して迷うことなく、ジンは一件の宿に決めると、部屋をとり日が傾き始める前に今日は休むことにした。
さてさて、奴は今日ここを見つけられるのか。はたまた今頃仲間でも呼んで街の出入り口を見張っているのか。どう出てくるか楽しみじゃわい。
年甲斐もなく、なんだかかくれんぼをしているかのような気分になり、ジンはどこか楽しくなってきていた。と言っても部屋にいても特にやることもないので、腰から剣を抜き手入れをすることにした。
この何の変哲もない剣。鈍い黒銀色に輝くこの剣は、素人が見たらただの鉄の剣にしか見えないだろう。だが、この剣は聖剣と同じ素材のオリハルコンと呼ばれる素材で出来てる為、剣の手入れをせずとも、ジンが剣聖になった時から一度も刃こぼれしたことがなかった。この剣はジンが剣聖になった後、城の宝物庫に眠っていたのを見つけ、それ以来ジンはこれをずっと愛用していた。
剣は我が半身であり心である。戦場において、剣が折れれば剣士は死ぬ。これは前剣聖に教えてもらった言葉だ。前剣聖には、剣の扱いよりも先に剣士にとっての剣の大事さというものを教わった。それ以来、ジンは毎日欠かさずに剣の手入れをしている。
荷物の中の整理、剣の手入れ、風呂などを済ませると、気が付けばすっかり日が暮れてしまっていた。ジンは何をあんなにかくれんぼ如きで心躍らせていたのかと、自分で呆れてしまっていた。とりあえず腹が減ったので、ジンは一度部屋を出て、一階に降り食事をとることにした。
一階は入り口前に受付があり、その横が広い食事処となっている。まだ日が暮れたばかりの時間だというのに、店内の8割近くの席が埋まっていた。これほど人気ならきっと料理も旨いのだろう。噂通りの繁盛ぶりに心躍らせながら、ジンは一番奥の壁際の空いている席に座ることにした。
ふぅ。この年になると、背もたれがある方が助かるわい。
背もたれのない丸椅子に座り、壁に寄りかかりながらゆっくりと店内を見回す。沢山の木で出来た円卓に様々な人々が料理を囲い酒を煽り楽しそうに食事をしていた。旅人、冒険者、商人に街の人間。様々な人が色とりどりの料理を楽しみ、近況を報告しあっていた。仲間はいい。友はいい。まだ旅に出始めたばかりのジンであったが、こうして一人でいると今迄の当たり前の事が大事な事だったと懐かしく感じてしまっていた。
店員に注文を伝えそんな風景を眺めていると、先ほどの店員とは違う男性がジンの前にビールの入ったジョッキをドンと置いた。今迄いなかった店員じゃな、とジンが一瞬考えたのもつかの間、その男はもう一つの手に持っていたジョッキをジンとは反対の席に置き自らも席に着いてしまった。
何の変哲もない旅装束。髪型も少しぼさぼさの黒髪をしている。特に特徴があるわけではないが、強いて言えば目鼻立ちははっきりしていて綺麗な顔をしている事だろう。それに加えて先ほどから愛嬌のある笑顔を、全く闘争心のない状態でジンに向けていた。
この男は見覚えも、目的すら分からない怪しい奴ではあったが、この愛嬌のある笑顔のせいだろうか。ジンはどこかこの男と話してみたいと思ってしまい、彼の開いた口から何が出るのか興味がわいていた。そんなジンに対し、彼は突然悔しそうな顔をして、頭を掻き口を開いた。そしてその内容はジンを驚かせるものであった。
んー、残念!外れか!アンタ、黒い水晶玉は、前の街で既にあの騎士に渡したね?
男から発せられた思わぬ言葉に、流石のジンも目を見開き驚いてしまった。ジンは確かに黒い水晶はニクスに渡した。だがそれを知っているという事は、前の街からジンを監視していたという事。そしてそれを知る人間が此処にいるという事は、恐らく彼がずっとジンをつけてきた者の正体なのだろう。でも何故正体を明かしたのか。何故ここが分かったのか。何故水晶玉がない事が分かったのか。ジンが頭の中を整理し、順に聞いていこうと口を開こうとするのを、彼は手で遮りこう言った。
待って待って。せっかくのビールがぬるくなっちゃうよ。先に乾杯しない?
まるでいつも会っている友と話すかのように、男はジンに話しかけ、そしてジョッキを手にしジンの方へ向けて、ほら、乾杯しよ。と声をかけてくる。ジンは一瞬どうしようかと悩んだが、何となくジョッキを手にして彼と乾杯をしてしまう。すると彼は待ちきれなかったのか、ジョッキを一気に煽ると、喉を鳴らせながらビールを一気に飲み干し、泡の髭を付けながら満足そうに何度も頷きプハーと息を吐いた。
そしてジンを気にすることなく、次のビールを注文すると、来たビールを無理やりジンの手に持っていたものと取り換えそれを口にする。
ほら、今来たやつなら毒なんて入ってないよ。呑まないの?
ビールを呑んだ後、彼はジンにそう言った。確かにジンは毒などが入れられているのではないかという警戒心はあった。だがこれは今、店員が持ってきたもの。ならばとジンはそれをゆっくりと口にした。
むむ。これは旨い。キンキンに冷えたビールが喉を潤し胃に入っていくのが分かる。苦みと旨味が混同し、旅の疲れを癒し、日々の悩みを追い払ってくれるかのようだった。ジンは更にもう一口ビールを呑むと、今度こそと愛嬌のある笑顔をこちらに向けている男に向かい口を開いた。
お主は何者じゃ?何故ここに儂がいると分かった?
水晶玉の事はあえて口にしない。ジンが水晶玉に関わっている事は知られているようだが、あえて自分からその事を教えてやる必要はないだろう。ジンが質問をしジョッキをテーブルに置くと、彼は笑顔のまま、なんてことないかのように答えた。
んーそうだなぁ。どこから話そうか。まぁ端的に言えば、オイラは貴族に依頼されて、アンタをつけていた。で、黒い水晶を取り返して来いと言われてここまで来たんだけど、アンタが持ってないのに気が付きまずいことになったから、こうして話に来たんだ。まぁだからオイラはアンタに用事があった訳だけど、アンタもオイラがつけていた事に気が付き、そしてオイラに興味を持っていたんじゃない?だから丁度いいかなって。
ジンは表情を変えないように必死に真剣な表情で聞いているつもりだが、恐らくはできていないだろうと感じていた。情報が多すぎる。まずこの男は貴族に頼まれて、と言った。つまり、あの黒い水晶玉にはこの国の貴族が関わっているという事だ。誰が、一体何のために。次にこの男は貴族側の人間のはずなのに、なぜ接触してきた?状況的にジンが元剣聖だと分かっているはずだ。まさかそれを聞いていないという事はあるまい。そして何故水晶がない事がわかる。最後に何故儂が興味を持っている事が分かったのか。
ジンは自分を落ち着かせるために、ゆっくりとビールを呑みほした。それを見た彼は何事もなかったかのようにビールを二つ注文する。笑顔でそれに対応したお姉さんは素早く追加のビールを両手に持ってきてテーブルに置き、そして彼に、知り合いを見つけられて良かったわね。と告げ去っていった。
ふふ。彼女に友人を驚かせたいから、そのビールはオイラが持っていくよ。って言ってビールを渡してもらったんだ。
悪戯が成功した少年のように彼は笑い、そして再びビールを呑む。ジンは頭の中を整理し、そして彼に敵意も逃走の意思も見えない事を確認すると、ゆっくりと口を開いた。
まず、お主の名前を聞いていいかの?
オイラ?ああ、そう言えば自己紹介がまだだったね。オイラはアンドリューだったりスミスだったり。名前はその時々で違うかな。だけど世間じゃオイラの事をこう呼んでいるみたい。陽炎の大泥棒ってね。




