進路変更
冒険者ギルドへと足を運び、用事を済ませると宿に戻る。懐は暖かいため、街の中心近くにある貴族が止まるような宿を屋台巡りをする前に一室借りていた。その部屋の椅子に腰をかけると深くため息をついく。日も沈み始め家々の窓から明かりが灯り始めるのを眺め、ジンは今日起きた事を頭の中で整理する。
ジンのギルドカードには、支部長クラスの人間がみれば元剣聖だと分かるようになっている。そこでジンは支部長に身分を明かし、そして屋台巡りをする前に借りた宿で、国王宛にしたためた手紙を渡し色々話をつけてきた。。手紙の内容は、勿論あの不気味なほど黒いガラス玉の事だ。
手紙には国王にその事を伝え警告し、メアリーがその事を知っているだろうから知恵を借りる様に書いておいた。あのババァはいつもよく分からない研究をしているし、以前あれを知っているよな雰囲気だった。きっとある程度の答えを持っているだろう。
支部長と話すと、既に馬車を襲った盗賊に冒険者、そしてあの男は捕らえたと言っていた。タブスがあの後話をつけたのだろう。ジンが言ったとおりに行動し、ちゃんと口止めもお願いしておいた為、ガラス玉の事は一部人間以外には知られていないようだ。ジンは心の中でタブスに感謝する。
当然支部長はガラス玉の正体について聞いてきた。ギルドを収める者としては、それがどんなもので、どんな危険があるか把握しておきたかったのだろう。だからジンはこう言った。
それが何かはまだ分かっていない。だがそれは、最強である元剣聖の儂でさえ恐れる物。人が持っていてはいけない物じゃ。それ以上の事は、上からの報告を待つのじゃな。
ジンの言葉に、支部長は口を閉ざした。支部長からすれば、上からの報告とは、王都ギルドマスターの事である。だが、手紙の宛先は国王。その情報はギルドに伝えられるかは分からない不確定なもの。つまり、ジンは遠回しにこれ以上聞くなと言ったのだ。しかしその危険度は伝わっただろう。ドラゴンをも恐れない剣聖が恐れるものとは何か。支部長は想像するだけで身震いがした。
盗賊達や男の取り調べは、明日以降行われるそうだ。それは何故か尋ねると、支部長は顔を顰めてジンのせいだと口にした。儂のせいとはどういうことか。話を詳しく聞くと、どうやらジンに気絶させられた盗賊は明日まで起きる様子はなく、冒険者やガラス玉を持っていた男達も、ジンの殺気にやられてしまいガタガタと震え口を開くのに時間がかかるという事だ。
それを聞くと、今度はジンが口を閉ざした。ちと殺気が強すぎたみたいだ。話を聞こうとしただけなのに、ジンは彼らの心を折ってしまったらしい。それを聞いたジンは少し反省をし、ギルドを後にした。
王都からこの町へは3日かかったが、それは馬車での話。速馬なら一日とかからずにたどり着くはずだ。手紙の返事が来たら、支部長は真っ先にジンに届けると約束をしてくれた。その為、ジンは数日この街で過ごす事となる。
折角の旅が、出鼻をくじかれたわけだ。既に暗くなり人通りが無くなってきた通りを眺め、ジンは再び深いため息をついた。
元剣聖がこの街に来ている。その噂は冒険者達を通して街全体に広まっていた。その為ジンはこの数日を宿の中で過ごす。ジンの旅の目的は、静かにこの国を周り人々に触れる事。そして行く先々で美味しいものを食べ、綺麗な女性と乳繰り合えれば言う事ない。元剣聖と隠したいわけじゃないが、あまり知られて騒がれるのは迷惑だ。ジンは騒がれチヤホヤされたくて旅をしているわけではないからだ。
それに騒がれると迷惑な事がもう一つある。貴族だ。もし元剣聖がいると知れば、貴族たちは気を使いジンを屋敷に招きもてなすだろう。それがただ話をするだけならまだいい。もしその地域で起きている面倒事を解決してほしいだったり、自分の元で働いて欲しいなどの勧誘の話も多く来るだろう。元剣聖と言えど、爵位を受けなかったジンは今、ただの平民で冒険者なのだ。
元剣聖という事で、爵位はなくてもある程度の権力は有している。だがそれは、非常に曖昧なものだ。ある程度の地位を得た騎士は、大抵引退する時は一代限りの銘用男爵になったり、誰かしらの貴族に雇われたり、学校の指南役になったりと、何かしら後ろ盾を持つものだ。
だがジンはそのどれも選ばなかった。だから貴族から強く命令されれば断ることが難しい立場にいるという事だ。そう言ったことも含め、前国王アドルフはそうならないようにジンにメダルを手渡していた。だが、出来ればそれは使いたくない。全く関係ない事が、小さな水の揺らぎが大きくなった時、アドルフに迷惑をかけてしまう事が嫌だったからだ。
だからジンは、手紙が来たら早々にこの町を立ち去ろうと思った。ゆっくりと南に進み、ある程度見たら国をぐるっと一周しようとしていた。だがそれもやめて、進路を西へと変更しよう。民衆は普通この街を通ったのなら、更に南に進むと考えるはず。だから西へ。誰にも悟られることなくゆっくりと旅をする為に。
国王からの手紙の返事は、それから2日後に届いた。内心手紙を出した次の日には返事が来ると思っていが。国王のアドラスはこの件をあまり重く見てないのかとジンは思い手紙の内容に目を通す。まず前置きとして、今回の件を労う分取が書かれ、本題はその後になる。その内容を見読んで、ジンは目を見開いた。
ジンの元妻であり元宮廷魔導士のメアリーによれば、ガラス玉の中身は人の命を注ぎ黒く色づいているらしい。らしい、というのはメアリー自身もはっきりとは分かっておらず、古い文献で読んだだけの知識だからだ。その事にジンは再び驚く。あの魔法お化けが知らない事があるのかと。
だが、当然ただ人を殺すだけでは、ガラス玉の中には人の命を注ぐことは出来ない。古の禁忌の魔法陣を使い、人の魂をガラス玉に閉じ込めているという。それも、生きた人間の魂を閉じ込めるため、想像を絶する傷みが伴うという話だ。ここまででも胸糞悪い話だが、更にその続きが更にジンの顔を青くした。
人の苦痛、痛み、怨念がガラス玉をより黒くする。つまり、普通の人間をガラス玉に閉じ込めるより、不幸な人間、例えば、戦争孤児だったり、奴隷だったり、より不幸で何かに恨みを持った人間を使う事によってガラス玉の色は濃くなりその効果を強くすると書いてあった。
この話は、国王前国王含め、騎士隊長クラスの人間にしか話していません。
ジンが手紙を読み終わり、それを掌の上で燃やすのを確認すると、手紙を持ってきた現剣聖ニクスがジンに告げる。ニクスは、まさか剣聖としての初めての任務が手紙を届けることになるとは思いませんでしたと、少しでも空気を軽くするように言った。
手紙の内容を確認するように、ジンとニクスは暫く話をして、ジンは黒いガラス玉をニクスに手渡す。確かにお預かりしました。ニクスはジンに深々と頭を下げ、休むことなく王都へと帰還した。ニクスが帰り、ジンはゆっくりと立ち上がると部屋に備え付けてあった風呂に入り、ゆっくりと長い息を漏らす。
この件は今の儂には重すぎるわい。これを解決するのは現在人の上に立つ国王や剣聖騎士達の仕事。儂はゆっくりと旅を続けよう。
水面に映る白く長い髭を蓄えた老人を見つめ、ジンは深くため息をつく。自分の気持ちを誤魔化すかのように、両手でお湯を掬い顔を洗う。揺れ動く水面には、先ほどの老師は映っていない。ジンはそこから顔を背け、湯船から出ると体を洗って風呂を出た。
次の日、日の出の少し前に宿の裏口から外に出る。フード付きの灰色のローブを着て、深くフードを被り日の出の前に街を出る。ここ数日、宿の前の建物の陰に馬車が止まっているのが見えた。恐らくこの辺りの領主か、どこぞの権力者だろう。元剣聖が来たと聞いて、彼らはジンに会うために待ち伏せをしていたに違いない。そんな彼らと会ってお茶を飲んで談笑して終わるはずがない。折角の旅なのだ。静かに楽しみたい。
月や星が隠れ日の出前のこの時間、街は闇のように暗くなる。だが一度街を出てしまえば、建物などの影がない街道はほのかに明るい。まだ地平線の下に隠れているはずの太陽の光が既にそらを明るく染め始めている。そんな薄明を見つめ、ジンは頬を緩め暫く眺めた後足を動かす。
その姿を現さなくても、彼方の空はこんなにも明るい。姿が見えなくても、こんなにも存在感を感じる。闇を照らす明かりは、人の心をこんなにも温かく勇気づけてくれる。太陽とは偉大じゃ。そこにいるだけで、希望が湧いてくる。自然とは凄いのう。
こういった自然の変化を楽しむのも、また旅の醍醐味。ジンは道を照らし始めている太陽に感謝をし、ゆっくりと街道を歩く。頬にあたる朝の冷たい風が心地いい。一歩一歩地を踏みしめ、風を感じて、ジンは次の目的地に進んだ。
背に見える街が指に乗るほど小さくなってきた頃、偉大なる太陽はその姿を現した。ジンは再び足を止め、その壮大な姿を眺めた。全てを照らし、闇を払う太陽。まるで人々の明るい未来を映し出す太陽。まるで、魔物を倒し、戦争を勝利に導いた儂の様じゃな。人々を救い守り、その未来を切り開いた儂の様。つまりあれは儂。儂偉大じゃ。
太陽と自分を重ね合わせ、ジンは胸を張り腕を組み、満足そうに何度も頷き微笑む。まぶしいくらい明るく光る地平線に向かい歩み始めた。




