37話 記憶の誇り
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「目に、焼きつく光景だった。女神の魔道具をあんなに間近で見れるとは神秘的だ……」
「どうぞ、温かいミルクです。それとお疲れでしたら甘いものも、クッキーなんですけど」
やっと目を開けたクチナワさんはミルクのマグを手にとった。匂いを嗅ぎ、口にした。中にきな粉を入れたが口に合うだろうか。
「うまい……初めて嗅ぐ香りと味だ。毒ではないようだがこれは?」
「良かった。きな粉っていう植物の粉です。毒ではありませんよ」
「む、いけるな」
クッキーもお気に召したようだ。二人でふふと笑いあった。喜んでくれたみたいで本当に良かった。
「それにしても夜に部屋を訪ねてこいというから、少々勘違いをしてしまった」
「え、なにがですか? お仕事終わりで申し訳ないとは思ったのですが」
「風呂上がりの姿ならなおさらだ、今からでも遅くないが……」
頭のタオルを解かれ、濡れた髪からエルフ製のシャンプーの香りが溢れた。クチナワさんは私の髪を掬い、香りを楽しんでいる。
ハッとした。そうだったのか、少し気まずそうだったのはそういう理由からか。サプライズしたかったので遠回し言い方をしてしまったのが、裏目に出てしまった。遅れて顔が赤面してしまう。
「そ、そういうつもりでは! すみすみませんでしたッ」
「まぁお前のことだから違うだろうと思ったがな」
一転してクチナワさんは暗い表情になった。
「いや、それと遅くなったのも理由がある。この屋敷の主人に報告をしてきた。君が亜人だろうと。だが何故か腑に落ちない様で、背中に翼の痕跡が小さくあったと嘘をついた。それを聞いて安心されたのか、一気に興味をなくされた。あとは息子のリップに任せるという感じだ」
疲れた顔をしてクチナワさんは椅子に座りこんだ。離れてくれたのでホッとしたが、彼にここまで気を使わせる相手がいるのも驚きだ。屋敷の主人はやはり恐ろしい相手のようだ。
「種族ってそこまで大事なんですか? ヒューマンとか亜人とか、絶対に区切らなければいけないんですか? 亜人の子が不当な扱いを受けるのを見ました。髪の色とか人間の誇りって、ここではそんなにたいしたものなんですか?」
「あまりないケースだからと言われたが私も腑に落ちない。だがこだわるのも仕方がないことなんだ。ヒューマンはこの世界に魔法をもたらしたと言われ、血をとても大事にしているから」
「血……」
「髪の色からして芽衣も、もしかしたら本当に亜人かもしれない。だがそうなったら余計ややこしくなる。魔石は莫大な金を生む。それを独占できる人間の強みがなくなると立場がひっくり返る。だから絶対にばれないようにしろ、あの方には小娘一人消すことなど容易いことだ」
そうか、そういうことか。クチナワさんの真剣な表情に、ことの重大さが伝わった。お金が絡むと人はとても怖い。
「こわい……方ですね」
「ああ。軍人あがりな分、勘が鋭い方だ。枢機卿とも繋がっている手前、私も下手なことはできん。すまんな」
「いえ、こんなに力になっていただいて、本当に感謝しています。枢機卿というのはクチナワさんの上司の方ですか?」
「そうだ……夜もだいぶ遅くなってしまった、そろそろ退散する」
クチナワさんがマントを羽織る。お土産にクッキーを包んで渡した。
「あの、お金は絶対働いてお返ししますので。本当に感謝してます」
「いや、それ以上のものをもらった。私は普段あの教会にいるから何かあったらいつでも訪ねてこい」
「ありがとうございます。クチナワさんおやすみなさい」
「おやすみ、芽衣」
クチナワさんを見送ると部屋に冷たい風が入ってきた。バルコニーが開けっ放しだったので扉を閉め、布団に包まった。
どうやら今までは秋の季節でこの世界にも冬がくるらしい。センさんも分厚い布団を用意してくれている。 布団の中で冷えた手足がじんわりと温まりだした。
もしあのまま浮島で野宿をしていたらと思うと怖ろしい。だが、この屋敷の主人の存在も重くのしかかってきた。強い権力を持っていると聞いたが、もし私が人間だとバレたら魔石の利権のため小娘一人消すことなど容易なことなんだ。
私だって黒髪が気に入っていた。それはただ母譲りの髪だからだ。どんな国にもある歴史、記憶の誇りだ。この世界の人のこだわりは魔力の強さを言うだけじゃないか。この世界で何故か勝手に色だけが変えられていたのだ、私のせいじゃない。ぶつけようのない怒りの矛先は誰に向ければいいというのだ。
〈このお屋敷を出て、ひっそりと暮らそう……〉
一人静かにそう決意した途端、返事をするように籠で眠る櫂が鳴き声を漏らした。相棒にも話をしないと。クスリと笑えて少しだけ気持ちが軽くなった。




