第1話 猫と喫茶店と探し物屋(前編)
やはりここは落ち着くな、食器棚の埃被った匂いや猫避けの匂いが無ければもっと最高なのだが――眼下には顎鬚が似合う強面の中年の男、角張った細い眼鏡が更に強面を強調させる、これが相乗効果というやつか。
「おいお前、そんなとこにいねぇで奥に行けよ――商売の邪魔だぞ」
鋭い目付きで睨むなご主人ますます怖いぞ。
先程商売と言ったがここは街外れにある喫茶店だ、アンティークな雰囲気漂う小洒落た店内はカレーとコーヒーの匂いで満たされ、天井から吊るされた照明はオレンジ色の優しい灯り。
店名を「cat tail」という、この名のお陰でピチピチの女子高生や女子大生がやってくる、吾輩には堪らない、なにせ男のゴツイ手より女性の繊細な柔らかい手で撫でられた方が数倍、いや数千倍いいに決まっている、しかし悲しいかな現実は残酷だった。
「ほれ猫、こっちこいよぉ――うめぇもんやるぞ?」
「婆さん葱が入ってるヤツは駄目だって何遍も言っただろう」
吾輩を殺すつもりかご老人、この調子ではいつか本当に食わされそうで心配だ。
「そうかそうか駄目か――ほれ猫これ食え」
だからさっきから駄目だと言っておろうが、呆けておるのかご老人、ご主人も何か言ってやってくれ――おい厨房に引っ込むな!
この空間でこのご老体と二人ぼっち――女子高生の集団が来る時間まであと三時間はある、吾輩のハーレムタイムが待ち遠しいな、仕方ない少しだけ付き合ってやるとするか。
「おぉ猫、そうかそうかバアの膝の上がええか、めんごいのぉ」
皺くちゃの手は予想よりも固いな、それに撫でる力が強すぎるこのままでは禿てしまいそうだ、そして何より押入れ臭い、鼻がもげそうだ。
◇◇◇
いつの間にか微睡んでしまったか、このご老人もそろそろ帰る頃だ、さて定位置に戻るとしよう。
「これこれもうちょいバアの上にいれ猫」
尻尾を掴むな地味に痛いのだよ!吾輩のチャームポイントである鍵尻尾が裏目に出たか、くそ、まだジンジンする――それに匂いも気になるな、毛繕いでもしておくか。
「おやぁ、お前さん体柔らかいのぉワシももう十年若かったら」
十年では今と然程変わらんだろうに、せめて五十年位は若返りが必要だな。
さてそろそろ陽が帰って来るな、今日は真っ直ぐ帰ると言っていたし友達も連れて来るだろう――スマイルの練習でもしておくか、吾輩のキュートさを完全に活かすにはやはり常日頃の笑顔の練習よ、こう口角を上げてっと。
「なんだお前、怒ってんのか?」
何を言っておるご主人、吾輩は笑顔の練習をしているのだ、ほれ見てみよ、どうだ?ん、どうだ?メロメロになっただろう?
「不気味だな、何か拾い食いしたのか?まさか婆さんさっきの食わせてねぇだろうな!」
違う――こんな反応ではないはずだ、ご主人には可愛いという概念が無いのか?まぁその筋の人の様な厳つい顔だからな、何それおいしいの?ぐらいにしか感じてないのだろう、不憫でならないな吾輩ですらこんなに感情豊かだというのに。
む、この革靴の足音と複数人の話し声、やっと吾輩の癒しの時間が!
「ただいまー、あっ重お婆ちゃんいらっしゃい」
「おぉ陽ちゃん、いつも悪いねぇお邪魔してて」
「いいのいいの、どうせお父さんも暇だろうから」
「余計なお世話だ、ったく――陽、帰って早々悪いが着替えて手伝ってくれ」
この女子高生こと陽はご主人の娘だ、この喫茶店は親子二人で経営している、強面の父親からどうやったらこんな可愛い娘が産まれて来るのか不思議でならない、まさに生命の神秘というやつだな、この間テレビでやってたぞ、うん。
「こんにちはー、おじさんいつのもくださいな」
「お、来たな不良娘ども、奥のいつもの席空いてるぜ」
「不良って、喫茶店に来ただけじゃん」
キターーー!吾輩の癒しの時間だ、さっそく練習した笑顔を!
「あれ、おじさん今日はプー太郎はいないの?」
「あ?さっきまでそこにいたんだがな、どこいったあいつ」
プー太郎――それが吾輩の名だ、こんなにもキュートで愛くるしい尊い存在なのに、選りによってプー太郎この名だけは受け入れ難い、吾輩は断固抗議する!今日こそ抗議する、するぞ!こう尻尾を膨らませてだな、怒っているアピールしながら。
「あ、いたいた、こっちおいでプー太郎」
むぐぅ、す、少しだけこっちに寄って――それから抗議だ!
「こいつはね、ここが弱いんだ――うりうりぃ」
「はははテクニシャンだね、猫ちゃんもすごいゴロゴロ言ってる」
あぁ――そこ、そうそこ、堪らにゃい――抗議、明日でいいかな、今はこの癒しの時間を貪りたい。
おっとそうだ、接客は笑顔が第一だからな――ほれ、どうだ?ほれ。
「プー太郎どうした?なんか怒ってる?」
いやこれは笑顔だぞ、癒しタイム中に怒る訳なかろう、もうちょっと口角を上げるか。
「え、めっちゃキレてるんだけど――ごめんなプー太郎、ほら遊んできな」
違う違う!笑顔、これ笑顔だから!微塵も怒ってないぞ、むしろ嬉しいんだぞ!
「すごいニャーニャー言ってるね、お腹空いたとかかな」
「うん?飯なら昼に食わせたんだがな、おいプー太郎あんま客に突っかかるんじゃねぞ」
そうではない、そうではないのだご主人、嗚呼なんと煩わしき我が人生かな。
「お待たせお父さん、二人共ごめんね着替えてて」
「いよ!看板娘の登場だ!お嬢ちゃん今日のパンツは何色だい?」
ふむ、今日はピンクだな。
「はいはい、もういいからそういうの――紅茶でいいよね」
「おうよ!その他はお任せするぜ!」
「私はミルクティーで、後サンドイッチとケーキと――」
「あんた――よく食えるね、それ全部胸に行ってるんだろうな」
「え、いや、お腹空いたし――それに食べても別に」
「ああああ!やめてそれ以上聞きたくない!」
見た限り大して太ってはいない様に見えるがな、年頃の娘というのは扱いづらいものだ。
◇◇◇
陽が傾きだしたな、さてさて吾輩は窓際に行こうかね。
「うーん、何かあるのかな」
「どうかしたの?プーちゃんのとこずっと眺めて」
「いやさ、あいつこの時間になるといっつもあの窓際に行くんだよね」
「昔からなんだよずっと毎日欠かさずに、ねぇ陽何か知らない?」
「え?うーん、猫の話す言葉分かればいいんだけどね」
「確かにねぇ、分かれば猫なんざいくらでも下僕にできるんだが」
さらっと怖い事を言うな、吾輩は決して屈したりはせんぞ、多分――恐らく。
「んじゃあたしらそろそろ帰るわ、また明日な陽」
「じゃあね陽ちゃん、また明日」
「うんまたね――あ、お父さん皿洗っておくよ、そろそろ皆合の時間でしょ」
「まぁそうだが、いつも悪いな、帰りは少し遅くなるかもしれん、戸締りには気を付けろよ」
「分かってるってば、気を付けてね」
身支度を整える姿は如何にもといった感じだが、皆合なぞどこぞの組の皆合に行くようにしか見えんぞ、まぁしかし男手一つで娘を育てながら店を切り盛りするところはさすがだご主人、どれここは一つ吾輩も見送りをしてやろう。
「なんだお前、見送ってくれんのか?ふっありがとよ」
いつの間にか街灯も点いているな、暗い夜道だ心配でならない――ご主人に出会った若い女性の方が。
「こら、そういう事言わないの!」
む、人がいなくなった途端これだ、全く吾輩の事をもう少し敬っても。
「敬って欲しかったらちゃんとしてよ、それと――金輪際スカートの中覗くのやめて」
ふふふ、頬を赤らめて恥ずかしがりおって、猫に覗かれるのがそんなに嫌か?何なら昨日のパンツの色も。
「それ以上言うなバカ猫!」
く、苦しい!ギブギブ!分かった分かったから手を離すのだ!吾輩は今猛烈に酸素を欲しておるのだ!
この娘、陽は幼き頃より見たり聞いたり出来るらしい、人ならざる者の声と姿を、果ては動物に至るまで。
勿論それは吾輩とて例外ではない、お陰で吾輩のハーレムタイム――もとい癒しの時間を何度も邪魔しおって。
「そりゃあんたが下心満載だからだよ、年上お姉さんなんて来た日には鼻の下伸ばして挙句に」
やめろ、吾輩が悪かった、だからお風呂の刑だけは勘弁してくれ、あれだけはどうにも好きになれん、それに陽の水着姿にはこれっぽっちもときめかないからな。
「――ぶっとばすよ?」
ごめんなさい――それよりもそろそろ火を灯したらどうだ?もしかしたら今日は別な“お客”が来てるかもしれんぞ?
「それもそうだね、じゃプー太郎入り口の塩どかしておいて」
合点招致だ、塩だけにしおらしくしようじゃないか――今の面白かっただろう?御捻りは吾輩のこの皿に何卒。
「バカ言ってないで早く、待たせちゃ悪いでしょ」
全く人使いならぬ猫使いの荒い娘だ、そんなだからいつまでも彼氏が出来ぬのだよ。
「な!あ、あんたに関係ないでしょ!真面目にしないと今日のご飯カリカリの量減らすよ!」
貴様生類憐みの令を知らぬとは言わせぬぞ!これは生き物全てを大切にしろという今は亡き徳川が作った令で、この令の前では吾輩は絶対的な権力を持ってだな!
「でもその令を敷いたが為に評価は爆下がりだったけどね」
ぐぬぅああ言えばこう言う、なぁ徳川殿どう思う最近の娘は?
「某はただ動物を守りたかっただけなのに――娘よなぜわかってくれんのだ!」
「うわあああ!なんでここに徳川綱吉がいるのよ!早く帰ってよ!」
「ちょっ待て娘!私は第五代将軍徳川綱吉と知っての狼藉か!」
ほぉ霊に怯えるどころか足蹴にするその度胸、やはり陽は只者ではない。
「観察してないで手伝いなさいよバカ猫!」
あぁ無理無理、手を貸したいのは山々だが生憎吾輩は猫である、名はプー太郎――よって手を貸す事は出来ぬ、何故ならプー太郎だから。
「何その訳わかんない理屈!喧嘩売ってんのあんた!」
「娘よ何故分かって!」
「だああもう、うるっさい!」
いいぞいいぞ、もっとやれ、その間吾輩はティータイムと洒落込むか――うむ、美味い。
「いい加減に――しろ!このお化けども!」
くっ、足蹴にしたと思えば今度は鉄拳か、いつからこんな暴力娘に育ったのやら先が思いやられるなこれは。
「誰のせいよ誰の」
はて、一体誰のせいか?あれもしかして吾輩のせい?
「このっおちょくってんのかあんたは!」
「あの――“探し物屋”というのはこちらで」
ふははは、遅い遅い、かつて俊足の雉虎と呼ばれた吾輩の速さに人間如きがついて来れる訳があるまい、ふははは。
「バカ猫逃げるな!こんの絶対捕まえてやる!」
「あ、あの――こちらは」
む、これはこれはお客人がいたか、おい陽お客だぞ落ち着け、前髪乱れておるぞ。
「え?あ、すいません気付かなくって――えっとこちらにどうぞ」
「娘よ何故分かって!」
おぉ見事な張り手だな、すっかり影が薄くなりおったわ、徳川殿また遊びに来るのだぞ。
「さて――ようこそ“探し物屋”へ、依頼ですか?」
「えぇ、その――実はブローチを探して欲しいんです」
見た目は二十~三十代といったところか、この若さで亡くなるとはな、さぞ未練があるのだろう、大抵こういった依頼は本人にとって一番大切な物だからな、そしてそれが現世に繫ぎ止める原因にもなっている。
「ブローチですか、どういった形で色は何色ですか?」
「手の平程の大きさで、色は琥珀色です」
「なるほど、最後にそのブローチを見たのはいつですか?」
「いつだったかしら、もうずっと昔の事だから」
記憶の欠落か或いは長い時間が記憶を風化させたか、霊になってしまった者に良く起こる事だ、死んだショックで記憶の大半を欠落したり、何年も彷徨っているうちに忘れてしまう、だが心の奥底にある大切な物は決して忘れる事は無い――それを探し、依頼人に返すのが陽と吾輩の仕事“探し物屋”だ。
そしてそれは成仏にも繋がる、もっと言えば真に看取るまでが我々の仕事だ。
「それじゃ、家族構成は?覚えている範囲でいいので」
「夫と娘が一人、それと――確か犬を飼っていた気がします」
結局引き出せたのはこれだけか、まぁ上々だと思うぞ、中には他の事など全く覚えていない霊もいるからな。
「そうだね、何とかこの情報から家を探せればいいんだけど」
ともかく一度整理しよう、女はブローチを探している、家族は夫と娘それから犬と。
「家の近くに公園があって、水色のブランコだね」
その辺の散策は任せておけ、陽が学校に行っている間に吾輩は情報を集めておく、これで良いな?さぁ今日はもう寝るとしよう、そろそろご主人も戻って来るぞ。
「うんそうしよう、あ!明日体育あったんだっけ、ジャージジャージっと」
陽!いくら背伸びしたいからって黒は止めておけよ、お前にはまだ早い、そもそも黒はもっとこう――年上の女性が身につける物であって、お前の様な娘には。
「この変態猫!」