2
「・・・ハチ、だよね?」
「お前、御影か?」
5年ぶりくらいだろうか。
店先で洗い物をしていたのはよく見知った人物、古川八十八。
高校が違っていたのでしばらくは疎遠にはなっていたが御影にとって幼馴染といえる間柄だ。
そんな人物がまさか気分でふらっと寄った喫茶店で働いているとは夢にも思わなかった。
「そんなとこで突っ立ってないで、座ったら?」
あまりの衝撃に硬直していた御影に、八十八が声を掛ける。
「そ、そそそ、そうだよねぇ・・・、じゃあ、お邪魔しまぁぁす・・・。」
御影は思わず、おどおどと申し訳なさそうに腰を低くして席に向かう。その間に八十八が先程落としたタンブラーを拾い上げて、一旦シンクに放り込んだ。
そして、御影は一番端のカウンター席に腰を下ろした。移動中のぬる風が嘘だったかのように、テラスから吹き込んでくる風が涼しく、彼女の頬を撫でる。
そこに八十八が水の入ったグラスとおしぼりを持って来た。
「ひ、久しぶり・・・だね。」
なにか、声を掛けねばと考えて絞り出せたのはそのたった一言だった。
元々の口下手と人見知りが祟って、どう話を広げるべきか分からないのだ。
御影は今まで、自分から進んで意見することを控えて、相手の広げる話を首肯と相槌だけして聞いているだけだった。
しかし、これは再会だ。聞きたいことも少なからずある。
そして、相手である八十八も最初こそ驚きはしたものの、一応は落ち着きを取り戻しているようだ。
ここは、お互いに再会を喜びつつ、昔話や近況報告に花を咲かせようではないか。
というわけで、グラスとおしぼりを差し出しつつある八十八に向かって一言問うてみることにした。
「き・・・喫茶店で働いてるなんて知らなかったよ。バイトかなんか?」
出だしでやや躓きかけたが上々な滑り出しだ、と御影は自分を鼓舞する。しかし、焦ってしまっているのか自分の心拍が大きく揺れ動くのを感じ、差し出された水を早速口にした。
「いや、一人で経営してる。」
吹いた。御影は口に含んだ水を吹き出した。さっきまでの意気が台無しである。
「う、う、うううううう嘘でしょ?!だって、わたわた、私達って同い年じゃん?!私は20になたたたけど、ははははははハチってまだ19だよね?!」
盛大にぶっ壊れながら丸まったままのおしぼりで濡れたテーブルを拭く。当然ながら全く水を吸ってくれないので、濡れた範囲が広がるばかりである。
「何をそんな焦ってんだよ。ちょい、落ち着け。」
結局八十八が台拭きで拭いた。
「はい、アイスコーヒーお待たせ。」
先のドタバタが落ち着いたところで、御影はとりあえずアイスコーヒーを注文することにした。
ちなみに、メニュー表は恐らく本格コーヒーショップのあれで、日本語なのに意味が分からなかったので『アイスコーヒー、ブレンドで、おすすめのヤツ』と適当にオーダーした。
運ばれてきたのは磨かれたアルミのタンブラー入りのコーヒーだ。
添えられたストローを刺して、すっと口に含む。アイスコーヒーらしいすっきりとした味だ。よくわからないが。
「なんか、懐かしい味な気がする。」
ふと、引っ掛かるものを感じて御影が口を開いた。何か記憶の奥底を刺激するような味なのだ。
それは、八十八にも関係しているような気がする。
「56《フィフティシックス》。俺の祖父ちゃん考案のオリジナルブレンドだよ。メニュー表に書いてあるの見なかったのか?」
御影の疑問に八十八が答える。
そう言われて御影はメニューのページを捲ってみる。
『56《フィフティシックス》:当店創業者古川五十六考案のオリジナルブレンド。原点の味。』
思い出した。そして、御影はもう一口を口にすると、店内を見回した。
見た目はだいぶ手が加えられているが、当時の趣はところどころに見える。街から車で来たので気が付かなかったが、ここには八十八に連れられてよく来ていたのだ。自転車で山を下って来ていた。
そして、八十八の祖父、五十六によくコーヒーやお菓子を振舞ってもらっていた。キッチンの向かいのカウンター席に二人並んで、五十六とお喋りしながら笑っていた記憶が鮮明に蘇る。たった5年そこらで忘れてしまっていたとは。
そこからは、他の来客もないのも手伝って昔話が止まらなかった。
行った場所、会った人、バカ話。
そして、中学を卒業してからの5年の空白の話題になった。
「そういえば、一人で経営してるって言ってたけど、五十六じいちゃんはどうしてるの?」
御影の記憶の内と現在との間でこの店にある相違点。五十六がいないという点について、御影は気になったのだ。
ここに通っていた頃の時点でかなりの歳を取っていたし、引退しても当然だとは思うが。
「死んだよ。3年前だったかな。俺が中学を卒業してちょっと後に引退してそれっきりだったから詳しくはわからないけど、持病があったみたい。」
御影は少し俯いて口を噤んだ。少なからず世話になった人の死を知らなかった自分が情けなく、申し訳なく思えたからだ。
「ごめん、なんか変なこと聞いちゃって・・・。」
埋め合わせにと口にできたのはそれだけだった。口下手で人見知りな御影の精一杯の謝罪のつもりだった。
しかし、見上げた先の八十八は無邪気な笑顔で口を開く。
「そんな気にするな。こうして俺が継いだ店に御影が遊びに来たんだ。祖父ちゃんもきっと喜んでるよ。」
遊びに来た。敢えて、かつての、子供の頃のような言い回しで表現した八十八の言葉に、御影は笑顔を取り戻し、そうだね、と小さく答えた。
そして、グーという音。
腹の鳴った音だ。御影が顔を赤くして腹を抱える。時刻は間もなく正午だ。
「なんか食うか?」
「・・・よろしくお願いします。」
そして、二人で笑った。