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頼むから俺の独身生活を脅かさないでくれ  作者: 瀬戸内ジャクソン
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―――今日は暇だな。

と、古川八十八ふるかわやそはちは、店の床の埃を箒でさっと払いながら思う。この作業もこの日の内で何度目になるだろうか。

普段は平日でも近所の暇を持て余したお年寄りが来店するのだが、今日はまだ誰一人客が来ない。一人きりの店内には流しっぱなしにしたラジオからのパーソナリティの軽快な声と、開けっ放しのテラスから吹き抜ける風と、その風に煽られて踊る木々の音だけが響く。

店の奥のスタッフルームに箒と塵取りを置くと、表に置いてある手製のキッチンテーブルへ向かう。その脇の冷蔵庫の中に水出しコーヒーのピッチャーがあるのだ。

一緒に並べて冷やしてあったアルミ製のタンブラーにピッチャーから注ぎ込み、氷を放り込むだけで完成である。ちなみにストローは使わず敢えて直で喉に注ぎ込む。

水出しのすっきりした味とキンと冷えた喉越しが爽快だ。八十八は一口目を飲み終わると、テーブルの上のピッチャーを片付け、タンブラーを片手に店の中ほどに向かう。そこには冬まで休養中の薪ストーブが置いてあり、脇には折り畳みのウッドチェアが広げっぱなしのまま据えてある。

ストーブをテーブル代わりにタンブラーを置いて、ウッドチェアに腰掛けた。ぼうっと外を眺めながら、二口目以降をゆっくりと口にしていく。

時にぐるりと店の中を見回し、

―――今度はあそこを直そう

―――今度は何を作ってみようか

と、思案したりする。

自らの手で一つの物を作り上げる、古くなった物を新品同然に直す、所謂DIYが彼の趣味の一つなのだ。

色々と思いふけっていると、ラジオの番組が切り替わり、パーソナリティが午前11時になったことを伝える。

そして、もう一口とタンブラーと傾けると、すっかり薄くなった、というよりはコーヒーの混ざった水がわずかに流れ込んだ。

そこですっかり飲み切ったしまったことに気づいた八十八は、空のタンブラーを片手に腰を上げ、片付けに向かった。

キッチンのシンクで、タンブラーを洗っていると、ラジオと風のBGMに紛れて、街の方から上がってくる車の風を切る音が聞こえてくる。

この店の周囲は民家がまばらに建っているだけで、車通りも少ないので、今日のようにテラスを開け放っていると車が近づいてくる時の音はよく聞こえるのだ。

そして、ついに音の主がテラスの脇に差し掛かった。

勢いよく駆け抜けてきたとおぼしき赤い軽自動車だった。

八十八はそのままの勢いで通り過ぎるのかと予想したが、ブレーキランプと左ウインカーが点いている。

本日の来客一号だ。

洗い物をしながら、駐車場に目をやる。

入ってきた車はライフだ。元々は艶やかなイタリアンレッドだったのだろうが、ルーフとボンネットを中心に褪せてピンクに変色している辺り、年季を感じさせる。

そして、その車から降りて来たのはスーツ姿の若い女性だ。車の窓は開けっぱなしで、鍵も閉めずにテラスの階段を上がってくる。

階段を上がる足音は硬い革靴などのそれではなく、ゴム質の低く鈍い音だ。

そして入り口に立ったのは季節外れのリクルートスーツに安靴を履いた汗だくの女。

走っている間に風に煽られたのか、髪の毛はボサボサ。落ち込んでいるのか僅かに目線を下に落としている。

その出で立ち、八十八は少しばかり不安というか心配というか、何かすっきりしないものを感じる。

とはいえ、店の客であることには変わりないのだ。ドアベルを鳴らしながら入ってきたその女性に向けて、洗い物をしながらではあるが、歓迎の挨拶をしなければならない。

「いらっしゃいませ、すぐ伺いますので掛けてお待ちください。」

優しく明るく笑顔で迎えた。

その声に女は顔を上げて、八十八と目を合わす。僅かな沈黙。彼女はそのまま硬直した。

「・・・ハチ、だよね?」

目を見開いて驚きの表情を見せる彼女の顔に、八十八は見覚えがあった。

「お前、御影か・・・?」


釣られて驚いた八十八の手から滑り落ちたタンブラーが床を叩き、カーンと甲高い金属音が店内に響いた。

ラジオや風や木々のそれよりも、はっきりと。

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