~1~
二学期が始まると、夏はあっという間だったな、と、思う。
いや、唯さんは社会人なので、僕のように八月いっぱいがお休みだったわけでもなく、ごくごく普通に日常を過ごしていたことを考えれば、甘えた意見かもしれないけれど。
でも、僕の方としてもだらけていたわけではなく、お弁当を作って渡してみたり、風鈴を設置してみたりと、酷暑を乗り切るために少しは頑張ったつもりではある。だからなのか、二人きりでのんびり過ごす週末がいくつか過ぎたなと思えば、夏休みはいつの間にか終わっていて、それに合わせたかのように夏の暑さもいつの間にか終わっていた。
窓の外、小川に沿うように植えられた桜は三割程度が紅葉している。朝晩は冷えてきているけど、秋はまだこれからなんだろう。次の三連休には、もっと秋らしい風景に変わっているかな?
明るくも暗くもない薄曇の天気と、朝食後のまどろんだ時間。
窓際でクッションの上に正座で座った僕の太腿の上に唯さんの頭があった。寒いのは嫌でも厚着はあんまり好きじゃないとのことなので、唯さんのパジャマの足には薄手のブランケットを掛けている。
横向きで寝転がった唯さんは、当初の目的を忘れたのか、なぜか僕の背中に腕を回してお腹に顔を埋め……?
服越しではあるけど、臍のすぐ上辺りが熱と湿り気を帯びた事から――いや、息遣いの荒さには最初の段階で気づいたけれど――、嗅がれていることが確定し……。
「どうかしました? 匂いますか?」
土曜日の午前中で、しかも外出の予定がなかったことからお互いにパジャマ兼部屋着の格好のままだけど、パジャマは金曜の夜に換えている。唯さんが社会人なので、家事は僕が担当しているけど、秋物として買ったパジャマが三着だったので、隔日の洗濯の際にパジャマも洗うことにしていた。だから、一夜着ただけでそれだけ匂うとは思っていなかったんだけど……。
困惑する僕を他所に、唯さんはそのまま数度深呼吸を続け、自分の納得したタイミングで顔を離し。
「充電してただけ」
こてん、と、仰向けになって僕の顔を下から見上げ、ふにゃっと笑った。
なんだっけ、こういうの? あ、理科の授業で聞いたフレーメン反応……と、思い当たったけれど、補足としてフレーメン反応は人間では起こらないらしいし、そもそも、こういう例えをすると唯さんは、……時々怒る、ので、黙っておくことにした。代わりに。
「耳掻きは、いいんですか?」
そう尋ねると、子供っぽく頬を膨らませた唯さん。
「耳掻きの最中に、ゆーわくされそうだったから」
「はい?」
首を傾げれば、ぷい、と、視線を逸らし、さっきと同じように、僕のお腹側へと顔を向けるようにして横になった。
「なんでも!」
耳を向けたって事は、始めて欲しいということかな? と、竹の耳掻きを右手に、左手で唯さんの頬に触れ顔を寄せる。すると、左手の指を軽く唯さんに噛まれ、そのまま首の後ろに腕を回され――。上体を起こそうとして出来なかったのか、プルプル震えた後、ふはっと短く息を吐いた唯さん。不意にキッと凛々しい顔を向けられると、うなじを軽く叩かれ、体重を掛けるようにして引き寄せられた。
抗わずに顔を近付けてゆくと、唇に触れるだけのキスをされた。
いや、位置関係的には僕からキスしたの方が正しいかもしれないけど。
「……もう、格は、恋人になってもそういうとこ、変わらないなぁ」
唯さんが変わり過ぎの様な気もするけれど、それは指摘しなかった。
いや、そもそも、あの小さな神社で出会った日は、お互いのこと、なんにも知らないままで抱きついたりキスしたりしていたので、あの夏の小旅行で本来の立ち居地に戻ったというだけなのかもしれないけれど。
キスの後もしばし見詰め合っていると、僕の髪が顔に掛かるのがくすぐったいのか、軽く身じろぎした唯さんは、でも、次の瞬間にはくすぐったさからではない、油断しきった笑顔を向けてきた。
「この包まれてる感じ、すっごく恋人っぽい」
確かに、唯さんの頭の下には僕の太腿があって、肩は僕の手で支えられ、唯さんの視界はほぼ僕の顔が占めている。
たしたし、と、再びうなじを唯さんの掌で叩かれて、促されるまま僕から自発的に口付ける。
「ぽい、じゃなくて、実際に恋人ですよね?」
うなじを叩いて催促してきたのは唯さんの方だったのに、キスの後で額を擦り合せながら尋ねると、唯さんの顔が真っ赤になってか細い声が返ってきた。
「……その通りです」
女の人の照れる基準が中々分からない。
分からないけど……、唯さんが可愛いので、それでいいとも最近は思う。
「耳掻き、始めましょうか?」
姿勢を戻してから、少し余韻をもってそう訊ねてみる。
「うん」
小さく膝の上で頷いて見せた唯さんは、出会った頃より伸びて肩に掛かるほどになった髪を少しだけ掻き分けて、小さな耳を僕に向けた。
背も低くて丸顔で、こじんまりとした唯さんらしい小さな耳だな、と、思う。そして、お腹側をむいていて表情こそ見えないものの、隠しようのない真っ赤になった耳を見ていると……。そんな簡単な一言で言い表せられる感情じゃないのだけれど、でも、敢て言葉にするなら、唯さんが好きだな、と、しみじみと感じていた。