閻魔と魔法使い
この世の善悪の判断基準は曖昧である。
否、私を覗いて人間あるいは妖怪は物事を曖昧に、灰色にしたがる傾向がある。時間経過により物事の境界は不明瞭。不透明な鏡を見ているようなそんな感覚。善は善、悪は悪と決めつけることに不快感を示す輩が多い。
しからば、ルールという概念も曖昧だ。
守るべきものを守らずにそれでも守りたい者がいると吹聴する彼らに嫌悪感を抱く私は恐らくこの世界では異端なのだろう。小町はそれでもいいと言ってはいるが、それでも自身の在り方に疑問を抱かないといえばそれは嘘になる。
善悪の判断をするのが私の役割であり存在証明。それを放棄したらどうなるか・・・分かりきった答えだ。裁定者たる私は結局のところ自身の主張を譲ることなのできない身。妖怪の存在意義は自身の在り方を証明すること。しかして妖怪でも人間でもない私は裁定者としての役割に殉ずるのが道理。
世の中すべてを白か黒かで判断する傍らわが身の在り方を判断しなくてはならない。
自身に裁定を下すなどつまらぬ自己否定にしかならないとはわかってはいる。
あの巫女もそうだ。
自身の在り方に悩みながら、決して叶わぬ在り方に手を伸ばし悲観的思考と諦観を身に宿す幻想郷の調停者。博麗霊夢もまた、私が判断できぬ存在の一人。
人でない者に育てられ、人でない者に寄り添おうとする人間。矛盾が現界したような少女。
他人のために動く彼女は世間的に見れば善。しかし、彼女の存在価値を考えるとひとえに善と判断できない背景が彼女にはある。
私は考える。
博麗の巫女はこの幻想郷に必用不可欠な存在だ。しかしそれは博麗霊夢がこの幻想郷に必用であるとイコールにはならない。
皆が彼女を慕っている。スペルカードルールを駆使し妖怪たちと平和的解決を、平和的争いをしてきた彼女を私を含め皆が称賛し感謝している。
それは彼女が博麗の巫女でなく博麗霊夢個人だからこそ成しえた偉業だと考える。
つまり、現時点で博麗の巫女として曖昧な彼女をその役目から解放しようと彼女を取り巻く環境は不変的なものではないだろうか。親しい者と人でない者に囲まれ、幸福な時を過ごすことができるのでないだろうか。
私は裁定者として、彼女の知人としてそう考える。
代々の巫女が辿る結末から考えると、今すぐ彼女を解放してやることが彼女にとっても周りにとっても最善だ。
しかし、この程度の回答はあの八雲紫も考えてはいるだろう。誰よりも博麗霊夢のことを想っている彼女が行動に移さないということは、何か理由があるに違いない。
霊夢にとってリスクがあるのは明白だ。
「・・・情けないですが、他に策がありませんね。幻想郷の巫女たる彼女にはなにかと力にはなってあげたいのですが」
「んあ?その声は閻魔様かー?」
茂みから聞き覚えのある声が響く。
ガサガサと草木をかき分けて姿を現したのは白黒の魔法使いだった。
「貴女でしたか、霧雨魔理沙。こんな場所で何をしているのですか?あなたの行動は大概黒ですからね。また、悪事を働くようなら今度こそ地獄送りですよ?」
「おいおい待ってくれよ」と魔法使いは言う。
「ここに来たのは偶然さ。妖精たちと弾幕ごっこしてたら帽子を落しちまってさ。拾いに降りてきたってわけさ」
そう言って彼女は葉と土で汚れた帽子をくるくると回す。どうやら、嘘は言っていないようだ。
「だったら良いのです。しかし、ここで会ったのも何かの縁です。少しあなたに聞きたいことがあるのですが、よろしいですか?」
「説教はよしてくれよ。私だって暇じゃあないんだ。説教以外なら大歓迎だが、説教するならとんずらこかせてもらうぜ?」
「安心なさい。いつもならそうですが、今回は見逃します。私が聞きたいことはひとつだけ、博麗霊夢について貴方はどう彼女を認識していますか?」
「・・・・しいて言うなら親友だな。しいて言わなくても親友だ。それ以上以下もないな」
魔理沙は迷いなくこちらを見て言う。
ふむ、良い目をしますね。
「なるほど、では今の博麗の巫女に対してはどう思いますか?」
「質問はひとつじゃないのかよ」
「まあ、いいじゃないですか。お説教を免除する代わりとしてです」
「なんてパワーワードだよ。まあそうだな。だいぶズレてんじゃないのか?私は今の巫女しか知らねーが、それでもだいぶ妖怪寄りにずれてるとは思うぜ。不安定なくらいにな」
「やはり貴方もそう思いますか」
「あ、でも勘違いすんなよ」
魔理沙はそう言って続ける。
「あいつがどんな道を行こうと私は霊夢の味方だ。たとえその結末がこの幻想郷にとって不利益になったとしても、お前ら上位の妖怪やら神様が敵対しようと関係ないのぜ。あいつが、やりたいって決めたことなら私はあいつの親友として隣に立つ。それがダチってもんだろ?」
目の前の人間は自信満々に言い切った。
なるほど、この人間は面白い。
「その結末が霊夢自身に不幸をもたらすとしても同じようなセリフがあなたに言えますか?」
「もちろんだ。やりたいことやるってことはそーゆーことだろ?未来なんて誰にもわかりゃしない。自分で決めたことが周りにとっちゃ正しくないことかもしれない。それでも私たち人間は選ばなくちゃならないのさ。時間が限られている私たちは正しさでなく、自分の意志で選び取った未来を生きる。そこに後悔がないといえばそれは嘘になるが、少なくとも私は後悔してないね。矛盾してると思うだろ?それが私達さ。だから、今の質問にもう一度答えるぜ。霊夢が選んだ道であいつ自身がどうなろうと知ったことか。それでもダチとしてあいつの選んだ道に、在り方にこの霧雨魔理沙は何があろうと並び立ってやる。何があろうとだ」
「・・・・・・」
ふむ、このような人間がいるからこそ霊夢は悩んでいるとも見て取れますが、彼女の言い分も一理ある。
まあ、幻想郷の一翼を担うものとして今の言葉は見過ごせる物ではないのですが、なぜでしょう。この人間に少し期待したくなるのもまた事実。
人でない者に愛される霊夢に必要な者とは存外こういう輩なのかもしれませんね。
「わかりました。そうですね、私の立場上貴方のような危険因子を放っておくのも気が引けるのですが、霊夢のことを考えるならばここは見逃すのがよさそうです」
「んん?一方的に質問してなんだよそりゃ。危ない閻魔様だぜまったくよ」
「まあまあ、私個人としては霊夢のことが心配なのですよ。私はあの子が幼いころから一応見守ってきた立場ではありますからね。紫や勇儀のように近くで接してきたわけではありませんが、それでも思うところがあるのです」
「ふーん、つくづく霊夢の奴はいろんな奴から好かれてるなー」
「そうかもしれません。魔理沙。貴女はとても強い。力もそうですが、その強さは貴方の強靭な意志の強さから来るもの。私はそれを評価します。貴女のような人間だからこそ、今までこの幻想郷は度々の異変に見舞われながらも今日まで在り続けることができたのだと思いますよ」
「・・・なんだよいきなり。おだてたってなにも出てきやしないぜ」
「本心です。しかし、霊夢は違います。あの子には絶大な力がありはしますが、自身で選択する意志の強さがありません。だからこそ、貴方がそばについてあげてください。貴女の在り方を見れば、彼女にも少なからず影響を与えることができそうですから」
あの子を取り巻く環境を少しでも変えてあげなければ彼女に未来はない。
「・・・あんたが何を言いたいかはなんとなくわかったよ。私も少なからず今の霊夢には思うところがあるのぜ。これから先今のままじゃ良くないってことは私にもわかる。それでも、結局はあいつが決めることだ。そこに口出しする気は一切ない」
「ええ、それで構いません」
「そうかい」そう言って白黒の魔法使いは言ってしまった。
「・・・私もつくづく甘いですね。裁定者たる私が個人的な心情に流されるなんて」
空を見やる。青い空、雲一つないきれいな空だ。
「それでも、あの時のこと思い出してしまいますね」
十五年前。
無邪気な人間の少女に言われた一言。
「閻魔様ってやさしくてかっこいいね!私もおおきくなったら閻魔様みたいにやさしくてかっこいいおとなになる!」
今私はやさしくてかっこいい大人になれているのでしょうか。
私は閻魔。幻想郷の裁定者。しかして、それでも一人の少女を助けてあげたいと願うのは傲慢なのでしょうか?