賢者の憂鬱1
私は八雲藍。
幻想郷の大賢者たる八雲紫様に使える式神だ。
紫様のお役に立つことが私の使命ではあるが・・・
「・・・紫様。そろそろ布団から出ていただけませんか?いい加減洗濯物を片付けたいので」
「・・・何よ藍。主人がこんなに思い詰めているのに冷たいんじゃなくて?」
「こんなにって、布団でだらけてるだけじゃありませんか」
目の前には布団の中にすっぽり頭まで入り込んだ大賢者が横たわっている。
恐れく今回も霊夢がらみなのは明らかだった。この方が悩むことはたいていあの子のことばかり。
「・・・・今回はどんなひどいことをあの子に言ったんですか?ご自身が気にすするくらいなら言わなければいいですのに」
「・・・仕方ないじゃない。あれ以上はあの子が危険なのよ。もちろん幻想郷にとってもね。ただ、今回のことで確信したわ」
「何にです?」
紫様は布団から顔を出して私に言う。
「あの子は少し妖怪に近づきすぎたのよ。原因は私や勇儀にあるとはいえ、ああまで霊夢の思考が妖怪寄りとなるとね、よく聞かない?人間が妖怪になるって話」
「まあ、幼少の時から私たち妖怪と接してきたなら仕方ないとは思いますが。それにしても人間から妖怪にですか。確かにこの幻想郷ではそのような例特段珍しくはないですね」
各言う私も獣が妖怪になった口。
「人間と獣なら多少違えど根本は同じこと。けれどもね、霊夢は博麗の巫女。そんな人間が妖怪になってしまったらどうなると思う?私たち妖怪はいわばマイナスの存在。世界に存在することができない負の概念。対して霊夢は人間。つまり在るべき世界に存在するプラスのような存在。そして、博麗神社は決してマイナスの概念である妖怪に力を貸すことはない。あるべき存在に力を分け与えるだけ」
紫様は静かに、そして厳かに続ける。
「もし、霊夢が妖怪に転じようものなら、その瞬間博麗神社の力があの子から抜け出て、結界が崩壊するわ。もちろんあの子もただじゃ済まない」
紫様は真剣な面持ちで「おそらく死んでしまうでしょうね」とつぶやいた。
「・・・布団の上で話す内容ではありませんね。しかし、それならあの子を博麗の巫女から開放すべきでは?」
そもそも代わりの巫女などいくらでもいるのだ。あの子一人を辛い目に合わせる必要もない。
博麗の巫女は代々が消耗品の使い捨て。紫様がどこぞの人間を拾ってきては記憶を書き換え、博麗の巫女として造り上げる。以前までなら、妖怪相手の兵器として存在してきた彼女たちであったが、霊夢は違う人間と妖怪の争いが終わり、兵器としての役割を終え幻想郷の結界の維持を担うのが今の巫女。
言ってしまえば以前よりは遥かに少ない。
代々の巫女は妖怪との闘いで命を落としてきたが、霊夢に限ってはその危険は皆無と言っていいだろう。スペルカードルールが制定された今、命を懸けた戦いなんてほとんどない。それに、たとえそのような戦いが起こっても対処するのは紫様や星熊勇儀だろう。
妖怪との関係が改善された今、その功労者である霊夢が妖怪を殺せばのちに禍根を生むことは明らか。
「そうよねぇ。それが最善ではあるのだけれどね」と紫様は言う。
「だったら、」
「最善ではあるけれど、それは最悪の手段よ、藍」
「はい?」
紫様は布団から出ると続けて言う。
「確かにあの子のことを考えるならすぐにでも巫女の任から解き自由にしてあげるのが最善。あの子の体のことを思うならね。けれど、はたして博麗神社がそれを許すと思う?」
「許すも何も・・・・」
「博麗の巫女は代々皆命を落としてきたわ。そしてその度に私と貴女で新しい巫女を連れてきた。そして、またその巫女が死んでは繰り返し・・・・この意味わかる?」
・・・・ああ、なるほど。
私は神妙な面持ちで主を見やる。
その表情は読めない。笑っているようで、泣いているようで。
「そう、博麗の巫女は一度巫女として在れば死ぬまでその役割から逃げられない。逃げようとしても無駄。逃げたらその先は・・・・」
「すべてを受け入れる幻想郷ですか・・・」
「そうね。残酷なくらいこの世界はすべてを受け入れるの。受け入れるということは、即ち逃げられないということ。私たちがいくらこの世界を拒絶しようとお構いなし、まるで底なし沼ね」
幻想郷。幻想の郷。幻に想いをはせ、行き着く先は分からない。
終わらない世界。けれどもすでに終わっている世界。矛盾を内包する世界で私は今日も主のために尽くす。
しかして、それは・・・・・
妖怪において時間という概念はあってないようなものだと私は自覚する。
幾年、幾星霜生きようが妖怪は不変であり、停滞する。前に進むこともなく、かと言って後退することもない。各々がその場に留まり、生き続ける。
かく言う私もその一人。
自分が自分であるための存在意義、存在価値、存在理由。それさえ証明できれば、私たちは途方もない時間を排他的に生きることが可能だ。俗世との関りを根絶し、他者との繋がりを断絶し、孤独と隣り合わせにこれから先を生きていく。
しかし、人間と妖怪の争いが終わり、私たち妖怪の在り方が少しではあるが変化してきた。
妖怪でありながら自身の目的よりも他者との繋がりを求める輩が増えている。例えば、あの鬼。捻じれた双角を身から生やし、酒を片手にどこぞへと巡る風来坊。伊吹萃香はことあるごとに人里を訪れ、博麗神社を訪れ、他者との繋がりに興じている。
また、鬼であるくせに、人間に興味を抱いた者。それはあの星熊勇儀にも当てはまりはするが、彼女は博麗霊夢にしか興味がないため例外だろう。
そして、妖怪でありながら人里に住み。人間の子供たちの世話をする半白澤。上白沢慧音もその一人。
私は奴らに対して一切の興味はない。関心もなければ、慈悲すらもない。人と妖怪が交わることに対しても明確な答えがあるわけでもない。
言わば宙ぶらりん。
そんな私、風見幽香は今日も今日とて花を愛でる。
四季が織りなすこの花畑が私の在るべき場所であり、私が死する場所でもある。命が生まれ、そして枯れ出ずるこの場所こそが私にはふさわしいと思うのだ。
「・・・・こんなとこかしら。水やりはもう終わったし、夜まですることがないわね」
両脇に広がる花を見やる。
幻想郷で唯一四季が織りなす花畑。彼方へと続く道には人っ子一人見当たらない。いつもだったら、妖精やら妖精を引き連れた白黒魔法使いが来るのだが、
「・・・・言ってるそばから来客かしら。あら、貴方は・・」
白黒ではなく赤白の巫女娘だった。
「久しぶりね、幽香」
博麗の巫女。博麗霊夢は静かに言う。おそらく空を飛んできたのだろう。道理で見えなかったはずだ。
「久しぶりね、霊夢。それでどうしたの?貴方が私に会いに来るなんてね。あのスキマ妖怪からはここに近づくなって言われてるんじゃなかったの?」
「紫は関係ないのよ。私は私の意志であなたに会いに来たの。少し時間ある?気いたいことがあるのよ」
彼女の声は固く冷たい。
何があったかは知らないが、ちょうどやることもない。
「別に構わないわよ。それで危険度特大級の風見幽香に聞きたいことって?くだらないこと聞くとぶっ飛ばすからね」
「・・・・先代巫女について」
・・・・ほう。それを聞きに来るとはね。
霊夢は続けて言う。
「先代巫女がどんな人だったか知りたいのよ」
「別に構わないけど、先代巫女のことを聞いてどうするつもり?私が言うのもなんだけど、以前までの幻想郷とは時代が違うわ。武力と暴力で幻想郷を守った先代と貴女じゃまるで違う。参考なんてならないと思うけれど」
「参考とかじゃなくてね、ただ紫が認めた先代巫女のことが気になっただけよ」
「他意はないわ」と霊夢は言うが、恐らく嘘だろう。いや、嘘というよりはあのスキマ妖怪が認めたという点について何か知りたい。そんな気がする。
「・・・まぁいいわ。私があの巫女について知ってることがあるとすれば、それはひとつだけ。
「あいつはひたすらに人間のために戦った。何を思われようと、その身に何が起ころうとね。それが、あいつの過ちであり、失敗。
「私たち妖怪は他人のために戦ったりはしない。自分の存在意義を見出すため、存在価値を計るあため、存在理由を証明するため。決して他人のために動かないのが本来妖怪の在り方だと私は思うわ。
「あくまで、私の考え。今となってはこの思考を持つ者は少ないかもね。
「・・・・話を戻しましょうか。先代の巫女博麗麗華は人のために戦い死んだ。それだけで、それだけよ。人のために死んで死に絶えたのが先代博麗の巫女」
「・・・・・・人のために」と霊夢はつぶやく」
「・・・・もう一度言おうかしら。先代博麗の巫女は人のために、人間のために死んだ。言い換えれば他人のためにその命を散らせた人間。それがどんな意味を持つかはあなた次第よ、霊夢」
「私次第?」
「ええ、妖怪の私からすれば理解しがたい行動ね。自分のためでなく他人のために死ぬなんて本当に理解ができないわ。だって私は妖怪だもの、人間とは造りからして異なる存在。そんな私が麗華のことを理解なんてできるはずもない。そうでしょ?」
「そんなこと言われてもね、私は人間だからあんたの言うことがよくわからないわよ」
「そう、貴方は人間。でもね、霊夢。貴女、今ここで人間のために死ねといわれたら死ねる?」
「・・・・どうかしらね。わからないわ」
「じゃあ・・・妖怪のためなら、貴方死ねるんでしょう?」
「・・・・・・っ」
図星か。
これが、現代の巫女なのね。
これじゃ巫女としては破綻しているけれど、この子が悪いわけじゃないのよね。
「まあ、結局先代巫女は人のために戦った英雄ってことね、私の話はおしまい。聞きたいことは聞けたかしら?」
「ええ、参考になったわ。ありがとう、神社によったらお茶でもご馳走してあげる」
霊夢はそう言うとふわりと宙へ浮く。
「あら、お茶でもご馳走しようと思ってたのに、もう行くのね。」
「ええ、ちょっと用事ができたのよ」
「そう」
霊夢は空へと飛び立っていった。
・・・・散歩でもしようかしら。
神社の方へ飛んでいく霊夢を眺めながらそんなことを思った。
私は妖怪。
私は人間ではない。
だからこそ、彼女を助ける気など毛頭ない。
けれども、目の前の妖怪はどうなのだろうか。
「・・・・のぞき見とは趣味が悪いわね」
「ふふっ」
八雲紫は薄く笑った。