第七列車「二人の関係:単線並列」
亜鈴編完結となります。
「おっはよー、祐介くん!」
「おはようございます」
朝の通学時間、俺は南山公園で亜鈴さんに出会った。
あの日、ゆで卵ソフトの日以来俺たちはただの親友のような仲になっている。ちょっと前に「もし告白されたら?」と聞いたことがあったのだが、さすがに「同年代がいい」とのことだった。
「あれ、前髪変えた?」
「気づきましたか、まぁ女性なら気づくだろうと思いましたけどね」
ほんのちょっと変えただけなのに、こうやって亜鈴さんは反応してくれる。
ただ、その様子が俺には無理をしているように見えた。
「あと、無理して褒めなくてもいいんですよ。うっわ、前髪変えたとか似合ってねぇ、とか言ってくれても結構です」
「そんなことないよ! ま、まぁ? 元が大したことないから全体的に見ればあまり変化はないけど……」
苦笑しながら、現実をズバズバ突きつけてくる。覚悟は出来ていたはずなのだが、結構来るものがあるなぁ、これ。
「はは……じゃあぜひ女性から見た改善策を教えてください。彼女作るために」
最後の一言は冗談で言ったのだが、亜鈴さんはお得意の男子殺しスマイルで俺を悩殺してきた。
「彼女候補なら、ここにいるんじゃない?」
……人生に悔いなし。すまないな、多分今日南山公園でグモる。
「い、いやいや! 俺はフラれてしまいましたので? 過去を気にせず未来を見て……」
そりゃあ、俺だってフラれたときは心に来たよ。でも俺は悲しむ勇気がないんだなぁ。
「あっれれー? 誰もちゃんとお断りした覚えはないなぁ?」
明後日の方向を向いて、独り言みたいに小さな声で……じゃない、これは『秋桜』だった。
「うぐぬっ……」
俺があの夜どれほど涙を流したか知らないんだな! どちらかと言うと出たのは温泉シーンを想像した結果の白いタンパク質かもしれないけど!
「じゃあお願いしたら付き合ってくれるんですか!?」
「条件に合えば?」
うわー、亜鈴さんの条件とか、年収一千万以上とか、別荘持ちとかそんなのしか思い浮かばねー。
「条件って、合う気がしないんですけど」
「さぁねー? 鉄道マンは本当に重要なことは隠し通すものですから。その条件は秘密ですよ」
……どうにかして聞きたい!
「じゃあどっか行きましょう。全額負担するので」
「おお、行く! 函館とか行こう! そしたらお姉さん喋っちゃうかも!?」
「軽いな!?」
というか、まだカメラ代を返済しきれてないんだから旅行に行くのは一年待ってくれ。
「あ、あと五分で列車来るね。じゃ、今日も一日頑張って〜」
「はい、では」
なんというか、朝にこうやって励ましてくれる女性って……どんな存在だろう?
◇
朝の列車は混雑する。
それは誰しもが知っていることだろう。七時ごろから八時ごろまでが最も混雑し、車内は隙間という隙間に人が入り込んでくる。
たまにトイレにこもったりする奴もいるが、俺はそいつを咎めるつもりはない。そもそも具合が悪くなったところでトイレにたどり着けないからだ。
だがしかし。ドアの前で止まる奴、テメーはダメだ。乗降の妨げになるんだよ。
……と、思っていた時期が私にもありました。
「第四閉塞進行」
学生の声で、人の声はかき消されてしまう。そんな中で不思議と聞こえる、この声。
そう、亜鈴さんの声である。
乗客が車内で大声を出そうものなら周囲から「なんだこいつ?」と思われることだろう。だが運転士は例外で、むしろ大声を出さないと「教育が成ってない」と鉄オタにバカにされるのがオチだ。
日本であれば、というかそもそも海外には喚呼という概念がないので喚呼で会社を比べるならどうしても日本限定になってしまうわけだが、やはり有名なのは小田急や東海あたりだろう。
小田急は全国区だろうし、東海は名古屋の鉄なら「ドア、ホーム、オーライ」の三角形が有名ははずだ。だが大抵の運転士や車掌は二つに分かれる。
一つ、ほぼ黙ってる系。どうせ聞こえないから、と大した声で喋らない人。もう一つが、かぶりついてる運転室直後まで普通に聞こえてくるような声で喋る人。
ここ森元鉄道はどちらかというと後者が多い。もちろん大きさは人にもよるが、スタフをL字形になぞる動きが大抵の人はキビキビしている。動きがしっかりしていればちゃんとしゃべっている、と思う。
「第三閉塞進行、村方停車、十二両」
信号や標識を指すその指、手、腕。全てがまっすぐに伸びていて、その先を見つめる目線は真剣そのものだ。
かっこいい。ああいう風になりたい。
俺は自然とそう考える。
運転の技量は仕方ないとして、停止位置に止める、確認する事項はしっかりと、守るものは守る。この三つをこなせていれば、運転士としては立派だろう。
『まもなく、村方、村方です。お出口は右側です』
マスコンを操る左手がせわしなく動いて、減速度の変化を感じさせないようにブレーキを調整していく。ガリガリ、という音は耳障りかもしれないが、俺にとっては努力の結果、いい物だ。
列車はホームに進入し、そして止まる。ドアが開くと熱気のこもっていた車内に新鮮な空気が入ってきて、すこし気が楽になる。
(ちょっと、乗降の妨げですけど?)
亜鈴さんがジェスチャーで伝えてくる。
すいませんって、ほんと。助士席直後、右側のドアのすぐ近くに居てすいません。
(じゃあ中入れてよ)
(ダメ)
ちくしょう、やはり運転台はダメだった。まぁ、この二人で済む問題でもないからな。バレたら亜鈴さんが怒られるし。
「北八宮行き発車します、ドア閉まります」
そしてドアが閉まり、車内はまた灼熱地獄と化す。
しかし一ヶ月も経てば慣れたもので、むしろガラガラの時に乗ると寒いぐらいだ。
「点灯、第二閉塞進行、時刻よし」
さらに人が乗って車内が混んできた列車は加速していく。
そこから数駅、数分。俺は学校最寄駅の陣場に到着した。
ホームに降りるなりすぐに列車の前に回って写真を撮る。それが亜鈴さんへの挨拶だから、と決めているから。
……というか、目を手で隠さないでくれるかな。運転士モノのやましいビデオみたいじゃん。まぁ顔あんま見えないけど。
「ドア閉まりま〜す。次の列車ぁ、ご利用くださ〜い」
しかしそんな時間はあっという間に過ぎて、列車は駅を発車する。
ジョイント音はかなり早くなっていき、列車はいつの間にかホームからいなくなる。
「あ、片山くん」
写真を確認していると、どこからか声をかけられた。とはいえ俺をそう呼ぶ人は一人しかいないわけだが。
「おはよう、榎本」
同じようにカメラを持った、同じ格好の生徒。
「朝から鉄道って、尊敬するね」
いやいや、俺の動機はそうではないのだ。だがもしも「亜鈴さんがー」と言うといよいよ学校でイジメの対象になりかねないので黙っておく。
「あはは、まぁ」
だがこんな適当すぎるはぐらかし方では丸わかりだったのか、まだホームに残っている生徒には聞こえないように--こっそりと、悲しい現実を伝えてくる。
「姉さんだから、でしょ?」
「バレてた!?」
まぁ、当たり前か。
「そりゃあ、南山で一緒にいたからね。声をかけようかと思ったけど、お邪魔かと思って」
「いや、別に二人きりのところを邪魔されたからと言って恨むような関係ではありませんので、ハイ」
しかし俺の弁明は信じてはくれないらしい。
「本当? 二人で、二人で、二人で夜景見に行ったのに?」
「三回も繰り返さないでくれませんかね? まぁ行ったことは否定しませんが、弟として姉がそんなちょっとのことで心を開く人だったってどうなの?」
「うん? あぁ、別に姉さんのことはあんま興味ないから。会って三日で心と股を開いたって僕はへーとしか思わないし」
「ちょっと今、朝にはふさわしくない発言入ったよ!?」
「さぁ?」
……やりづらい。すごく苦手な相手だ。
「ま、列車来ないうちに行こっか」
「はいはい……ほんと、この姉弟はなんと面倒くさいことか……」
さすがにこれは聞こえなかったらしい。もし聞こえてたら? ……トイレ行きたくなってきた。
◇
「ほひゃあひぇはは、むぐ、近所のお姉さんだな」
「伊丹、唐揚げ食ったまま喋るなキモい」
昼休み、俺は例のメンバーと昼食会。
そこで全員に亜鈴さんとの関係を聞かれたので、今まで起きたことを告げると自称恋愛の神伊丹サマからのありがたいお言葉をいただいた。
しかし、近所のお姉さんか。うーん、俺にはそんな相手がいないので分からん。
「ずっと想い続けて、でもその想いを打ち明けられない主人公! だから弟のようなポジションに収まるもののいつしかお姉さんには彼氏が! そしてある日、会う機会が減ってきたころに一緒に旅行のお誘い! そしてなんとなくそんなムードになってCまでしてしまうもののその夜にもう会うのはやめようと言われてしまう! それが近所のお姉さんだぁぁぁ!」
なにか語り始めたと思えば、そんなことかよ。
「なぁ、やっぱ唐揚げ突っ込んどいたほうがいいよな」
「さんせー。あ、アタシのはあげないよ?」
「左に同じ〜」
とはいえそんな感じであるのに変わりはなく、ありがたい助言を元に俺は今後の方針を考える。
「よし、決めた!」
「早っ!?」
いや、というか元からある程度決まっていたんだよ。
「俺はずっと、ATMでいいんだ!」
「そこはコクれよチキン!」
「そーだそーだ! ゆで卵投げつけるぞこの野郎!」
「やっぱ片山は榎本くんしかいないんだな!? よし、次の作品は決まったぁ!」
「うっせぇぞ一年! 黙れ!」
「知るかぁ! こちとら八歳差カポーの行く末かかってんじゃごら! お前みたいにサッカー部のキャプテンがマネージャーなんていうしょぼい恋とは違うんじゃ!」
「そうだそうだ! ってかアンタ、つい最近フラれたばっかじゃない! 八つ当たりとかやめてくれる〜?」
い、いかん。俺の問題発言のせいで油が大量に注がれてしまった。
「み、みんな落ち着いて。ね? はい、吸って、吐いて……」
必死に止めようとするが、俺はどうやら居ないものとして扱われているらしい。
「おし! じゃあわかったよ、そいつの彼女奪ってやらぁ!」
「はっ、自己中様には無理だね!」
「そーだそーだ! そうだぞ、そうだぞー!」
「片山くんと榎本くんの恋を邪魔するサッカー部キャプテン登場……! 燃えてきたぁぁぁ!」
……どうすればいいと思う?
「放置じゃない?」
「急に背後に現れるなよ、ミスター榎本」
「さてさて、片山くん。僕にカメラを教えてくれ? な、行こう行こう」
……なるほど、俺は自主性がないらしい。だから亜鈴さんにも認めてもらえたんだろうな。
◇
「うーん、おいし〜」
「そ、それはどうも? 作ったのは俺じゃないですけど」
俺は仕事があるので、亜鈴さんの元を離れた。
「ちょっと、あの娘誰だよ!? 片山くんの知り合いだろ?」
……バイト先でもこうなるとは。
「まぁ、彼女じゃないです」
「付き合う予定は?」
「ありません」
そう、ない。ないのだ。
もちろん亜鈴さんからくれば付き合うけれど、俺から行く予定はない。
なんか、俺からいくと数少ない認められた存在という地位に甘えているみたいな感じがして、俺が嫌なんだ。
「じゃあおじさんが貰っちゃうよ?」
「好きにすればいいんじゃないですか。ま、こうやってバイト先に来るのはそうとう珍しいみたいなんで俺はかなり大事な存在らしいですが」
「ぐぬぬ、嫁との離婚まで考えたのに」
「店長、調子乗らないでくださいって」
そうなればこの店が潰れかねないぞ。そうなるとカメラ代返済がぁ!
「……ま、今日はもう上がったら?」
「いいんですか?」
「うん。まだ七時半だから、彼女さんとどっか行きな」
「だからぁ……まぁ、どこに行こうにも時間がありませんで」
「いやいや。朝帰りぐらい、高校生の時にやったよ?」
「ちょっと待ってください!? 俺がなにするって言うんですか?」
「そりゃあ、男女の関係をだね」
「……俺には理解出来ない次元ですね、今日は帰ります」
なぜこう俺の周りには下ネタが好きな人が多いのか。
とはいえ、どっかの公園ぐらいに誘ってみようかな?
「お疲れ様〜」
エプロンを脱いで、カバンを持って亜鈴さんの席に座る。
「弟が言っててね、美味しいって。だから来てみたんだけど、まさか片山くんがいるとは……」
「聞いてなかったんですか?」
あの弟のことだからてっきりリークしてるのかと思っていた。
「うん。あ、なにか食べる?」
「いやー、俺が好きなのは昼三時ごろの限定販売ですので」
「へー、そうなんだ。また今度こよっと」
とは言ってもパン屋で働いているのは単にいいバイトだからというだけで、別にパンが好きとかそんな訳ではないのだ。
「……結構食べますね。体重計壊れません?」
「ちょっとー、女の子にそういう話題はNGって分かってる?」
「じゃあ……お金が無くなりますよ?」
「考えたね」
そりゃあどうも。
「……あの、亜鈴さん」
「なに?」
普通の食パンをむっしゃむしゃと頬張る亜鈴さん。俺は咀嚼を中断してほしかったが、お願いしていないのだからいいだろう。
俺が伝えようとすること。それを脳内で考えるたびに緊張が大きくなってくる。
「……俺は、自分から告白しませんから」
断るだけなら、簡単だった。
その時の亜鈴さんは、どこか嬉しそうで--そして、悲しそうで。でもまたいつもの笑顔に戻って。
「うん、わかった」
これから俺たちは、義理の姉弟のような。そんな関係が、続くのだった。
この後は適当にifストーリーを書いたりするかも。次の女の子は鉄子にしたいと思います。亜鈴は近所のお姉さんポジが確定します。




