第二列車「一瞬のできごと」
いよいよ今回で、一人目のヒロイン登場か……?
朝のシーンはめちゃくちゃ長い上に展開がだるいと思います。すいません。
俺の家の最寄り駅は、東三神線の「平台駅」。辺りは昔からの住宅街で、通勤快速が停車する、それなりに大きな駅だ。
駅の配線は島式二面四線、内側の線路が本線で外側が副本線となっている。
ラッシュ時は通勤快速との緩急接続も行われ、朝と夕方にはとても賑わう、橋上駅だ。
駅舎にはなにがあるわけでもなく、普通に改札と南北連絡通路があるのみだ。住宅街の駅と言えばそんなものだろう。
――カシャッ。
人が行き交う様子を、今日も俺は記録した。
こうやって毎日毎日何かをしていく。あまり理由は無いが、何かの役には立つだろう……という勝手な思いが行動理由のほぼ全てを占めている。
ちゃんと記録した後はICカードで改札に入り、下りの湯海方面のホームへ向かう。
朝の時間帯、七時から八時半までは全ての列車が六両で運転される。ホームは九両まで対応しているので、列車は前と後ろにそれぞれ一両と半分ぐらいを残して停車する。
俺は中央線に乗り換えるので、乗り換えの「南山公園駅」でもっとも階段に近い列車真ん中――に乗るのはバカだけだ。
仮にも六分に一本列車が来るほど混雑する区間、列車中央というのはもっとも混む位置なのだ。
だから俺はいつも先頭、運転台直後に乗る事にしている。もちろんそれはかぶりつくという理由もあるのだが。
『おはようございます。まもなく、四番線に、普通、湯海行きが参ります。危ないですから、黄色い線の内側までお下がりください』
駅手前、約一分程度の位置を列車が通過すると始まる接近放送。
「えー四番線には、普通湯海行きがまいります。えー、この列車、後から参ります、通勤快速湯海行きに当駅で抜かれます。通勤快速停車駅ご利用のお客様は、三番線に参ります通勤快速ご利用ください」
放送が終わると、今度は駅員による放送が始まる。
ちなみに乗り換えの南山公園駅は通勤快速停車駅ではあるのだが、通勤快速というか優等種別は混みやすいので普通に乗る事にしている。
――パアアアァァァン
四番線ホームは「く」の字形になっているので、端から端への見通しが聞かない。だから朝は列車が入線するたびに警笛が鳴り響く。
……今日の運転士は電笛だけか。と、超どうでもいい事を考えながら列車が停止位置に止まるのを待つ。
「えー四番線ご注意下さい。列車入っております」
やがて人混みの中からHIDのライトが見えた。
それと時を同じくして、ドンドン、ドンドン……と重そうな音を、足元のレールが発し始める。
ステンレスの車体に、緑色のライン。いつも見ている車両が、目の前に止まった。
『ご乗車、ありがとうございまし』
「えーご乗車ありがとうございました、平台、平台に到着です。車内にお忘れ物なさいませんようご注意下さい。通勤快速ご利用のお客様、向かい側三番線にてお待ち下さい」
安定の自動放送カット。
またか……今日で十回連続だぞ?と最近の記憶と照らし合わせつつ、俺はホーム端から通勤快速の到着を待った。その間も、カメラのシャッターからは指を離さない。
『おはようございます。まもなく、三番線に、通勤快速、湯海行きが参ります。危ないですから、黄色い線の内側までお下がりください』
ドアが開いたと思えば、すぐに放送が始まる。
「三番線、通勤快速湯海行き参ります。ご注意ください」
三番線を担当している駅員は、かなり短めな放送だけだった。もうすぐ通勤快速が来る事を考えればおかしい事ではないが。
普通に乗る乗客はほぼ車内に入っていて、ホームに出ているのは通勤快速を使う乗客だけだった。しかし俺はまだ動かない。
するとファインダーの中に、緑色の光が見えた。
ホームの屋根から吊るしてあるのは、「レピーター」という装置。正確には「出発反応標識」という。
大抵は駅前方の信号機と連動し、赤以外ならば点灯して、駅から出発可能である事を知らせる標識だ。
この駅は列車が発車する時しか青にならない出発信号機があるので、列車が来るまでは基本赤なのだ。しかし信号が変わったということは、通勤快速の到着はもうすぐという事だ。
「三番線には通勤快速到着です」
ダンダン、ダンダン。本線なのでレールも重く、四番線に到着した列車とは違う音が響き渡る。
――キイィィ……。
制輪子が車輪とこすれる音がして、列車は止まった。
「平台、平台です。向かい側停車中の列車、普通湯海行きです。三番線、まもなく発車です」
発車メロディがホームに響き渡る。
「ご乗車されましたら、車内中ほどへお詰め下さい」
「次の列車ご利用くださーい!」
駅員はマイクで、車掌が肉声で。すぐに発車するために、乗客を誘導していく。
「西了解!」
こっち側のホーム端の駅員が赤い旗をあげる。乗降が済んだ、という事だ。
「ドア、閉まります!」
やがて車両側面の赤いライトが消える。ドアが開いている時は点いて、閉じている時は消える。車側灯という。
――パ、フォン!
空笛で身体が大きく震えてしまった。いつまで経っても、目の前で警笛がなるとびっくりしてしまう。
「えー四番線の普通湯海行き、信号変わり次第の発車となります。ご利用のお客様、お急ぎください」
さてと、俺も行きますか。
◇
「点灯、下り一番、出発進行。時刻、よし。制限五十五」
運転士の喚呼で、列車は動き出す。
スー……
インバータの音が聞こえてくる。
ドンッ、ドンッ
レールのジョイントを通過する音。
ウー……
やがて高くなる、モーターの音。
加速していくとインバータとモーターの音は同じ高さになり、インバータの大きな音だけが聞こえてくる。
『次は、泉出、泉出です。The next station is Senda』
「えーお客様にお願いいたします。ただいま車内大変混雑しておりますので、車内中ほどへお詰めいただきますようお願いいたします。遅延防止のため、ご協力、お願いいたします」
今日はそれほど混んでいない。冬になると雪がつもるこの森元、冬季はただでさえ空転で遅れる上に足の弱い年寄りが多く乗る事から車内は混むわ暑いわ駅につかないわという地獄に陥る事が多々ある。しかし春先ならばまだまだ許容範囲内だ。
本線に入るとロングレールなので、ジョイント音は聞こえなくなる。踏切の音とインバータの耳障りな音と高校生のうるさい駄弁り声が聞こえてくるだけだ。
「第八閉塞進行」
とはいえ運転室直後ならば運転士の声が聞こえてくる。別にそれ自体が面白いわけではないが、ちゃんと聞こえてくるほど大きな声を出せる運転士は中々居ない。うん、あなたは出世するよ。
――パアアァァン
東三神から南山公園までは某路地裏の超特急の如く家と家の間を縫うように走るので、カーブがとても多い。だからカーブに差し掛かるたび、警笛が鳴る。
『まもなく、泉出、泉出です。お出口は、右側です。We will soon arrive at Senda. Exit is right side』
インバータが減速時の音を奏ではじめると、放送が始まった。
その間にも音はどんどん低くなっていき、目の前には泉出駅が見える。
ここは島式一面二線の停留所で、住宅街の一角である。というか東三神から南山公園まではほぼ住宅街なのだ。
――パンッ
短めの警笛を鳴らして、列車はホームに差し掛かる。
……大丈夫だよな、もしホームに誰か落ちたらブレーキを非常にして。
そんなしょうもないイメトレを脳内で繰り広げ、停車までの緊張の時間を過ごす。とはいえ運転士は普通通りだが。
やがてホームの六両停止位置にピッタリと止まり、ドアが開く。
『ご乗車、ありがとうございました。泉出、泉出です。二番線の列車は、湯海行きです』
「ご乗車になりましたら、車内中ほどへお詰めください」
運転士が車内状況を確認してアナウンスをする。とはいえ身動きが出来る状況ではなく、むしろ車両先端の方がまだ空いている。
「二番線の湯海行き、発車いたします。ドアが閉まります、ご注意ください」
今度は車掌がホームでアナウンス。
俺が乗ってきた平台とは違う発車メロディが途中で切られ、ドアが閉まる。
「点灯、第五閉塞進行。時刻よし」
運転士はマスコンを一気にP5に入れ、遅れを取り戻す――事はなく、一度勾配起動を入れてから発車する。
勾配起動というのは、列車に加速を指示してもモーターが回り出すまでのタイムラグの間に列車が後退してしまうのを防ぐため、ワンハンドルマスコン車には基本搭載されている機能である。
仕組み自体は簡単、右手のハンドル(固定されている)についているボタンを押せばブレーキがかかり、その間に力行が始まったらボタンを離す。そうすればブレーキ圧が抜けてすぐに発車する、という仕組みだ。
これは乗り心地を和らげるのにも使える。一気に加速を始めると、車両の間が急に詰まってしまい、ガタンという衝撃が車内に走ってしまうのだ。
しかしブレーキ圧がかかっていると、各車両がゆっくり加速を始めるので、その衝撃はほぼ無くなる。そんな訳だ。
「十五秒遅れ」
乗り心地を優先した結果ほんの少し定時からは遅れてしまったが、これでもまだまだ定時の範囲内。三分を超えると流石に遅れの範囲となってしまうが。
『次は、千命、千命です。The next station is Chimei』
なんだかんだおめでたい駅名の多い森元鉄道。一体誰がこんな地名を付けたのかと気になってしまう。
「第四閉塞進行」
そうしている間にも列車は進んでいき、あっというまに千命に到着する。
「停留所接近、千命停車。共通」
千命は駅の前後がカーブになっており、駅そのものもカーブになっている。だから運転士も乗客もひやひやモノの駅なのだ。
俺は万が一の可能性を考えて、スマホを取り出した。そしてカメラで映像を撮りはじめる。
運転室の後ろからは前が良く見えないものの、完全に見えない訳でもない。もし何かが写っても、少しは入るだろう。
――フォォォン!
長めの空笛。
ホーム端が見えてくる。
ピー、ピー……と停車駅を知らせるブザーが、心拍数を上げていく。
ドンッ!
午前七時三十八分。第一〇三三M列車、千命にて人身事故発生。
しかしまあ、乗客は「またかー」としか言っていない。俺もそうだ。
なんせここ、「千の命が亡くなったから千命」と冗談で言われるほど人身事故が起こりやすい駅なのだ。総武快速線ユーザーなら、新小岩で事故が起きてもそれほど驚きはしないだろう。それと同じだ。
ピピピピピピ……
防護無線が運転室内に鳴り響く。さすが喚呼がしっかりしている運転士、防護無線発報がめちゃくちゃ早い。まだ列車は停止すらしていないのに。
ガックン、と大きな衝撃で列車は止まる。
「ただいま千命駅進入中、人との接触が確認されたため停止いたしました。お急ぎの所ご迷惑おかけして申し訳ありません」
運転士が最初にアナウンスをして、すぐに車掌と連絡を取る。
「もしもし? あのね、今ぶつかって。指令には私から連絡するから、お客様の対応お願いね」
車内通話用の受話器を置いたかと思えば、今度は列車無線を手に取った。
「森元指令、こちら千三十三M運転士です」
『千三十三M運転士どうぞ』
「はい、ただいま千命駅進入中、人と接触しました。状況確認の為線路に降りたいのですが、支障無いでしょうか? どうぞ」
『千三十三M運転士、ただいま全列車停車中です。支障ありません』
「了解しましたー。では状況確認次第報告します」
そして無線機を戻したかと思うと、運転室の右側の手ブレーキをクルクルと回す。
ちゃんとブレーキがかかったのを確認して、運転士がホームへ降りる。
すぐに運転士は戻ってきて、無線を手に取った。
結局ぶつかった人は跳ね飛ばされただけで線路上に支障は無く、十分遅れで運転は再開した。
◇
余裕を持って列車に乗っていた事もあり、俺は遅刻はせずに済んだ。やはり千命を通る時には三十分は余裕を見るのが安定だ。
学校では特に人身事故の話はなく、「遅れちゃったよー」程度の会話が交わされた程度だった。
俺は部活や委員会には所属していないので、放課後は帰宅となる。とはいえパン屋の仕事があるので、家へと向かえるのは七時半過ぎとなってしまう。
「はい、おつかれさん」
店長に断りを入れてから、俺はバイト先の店の最寄り駅、「ゆうたけ山」駅に向かう。
このゆうたけ山駅は中央線の北に位置し、辺りはビル街となっている。なのでこの時間だと仕事終わりの人も多く見受けられる。
『まもなく、二番線に、快速、南山公園行きが参ります。危ないですから、黄色い線の内側までお下がりください』
中央線は七時を過ぎると快速運転が始まる。学校の最寄り駅の「陣場駅」には停車しないが、別に学校に行くときは快速自体が運転されていないので問題ない。
朝乗ってきた東三神線とは違う、赤いラインの車両が入線してくる。今朝の事があったからか、少しゆっくりだった。
「ご乗車ありがとうございました、ゆうたけ山到着です」
なんかもう疲れていてすぐ帰りたかったので、車内に入って座席に座った。
スマホでカメラ用のレンズを探しながら、南山公園へと向かう。
『まもなく、終点、南山公園、南山公園です。お出口は、左側です。本日も森元鉄道をご利用いただきまして、ありがとうございました』
「ご乗車ありがとうございました、まもなく終点の南山公園に到着いたします。東三神線ご利用のお客様は、二階、東三神線ホームご利用ください」
英語放送との間に肉声放送を入れるスタイルの運転士か。なんというか、今日は珍しいモノによく遭遇するなあ。
ピンポーン、とドアチャイムが鳴って、ドアが開く。
「終点、南山公園です。どなた様もお忘れ物なさいませんようお気をつけ下さい。二番線に到着した列車は、回送列車です。ご乗車出来ませんのでご注意ください」
最後の方に列車から降りると、ホームは静まり返った。
誰もいない、列車が止まっているだけ。
車内に誰も居ない事を確認した運転士がドアを閉めて車内灯を消す。
そこに残るのは、蛍光灯に照らされるステンレスの車体だけだった。
「……はあ」
そんな景色がなぜかせつなくて、ため息が出てしまった。
意味も無くホームに立ち尽くしている俺を、回送の運転士は変な目で見る。いや、ほんと。すいません。今行きますから。
足をなんとか動かして、東三神線ホームへ向かおうとしたとき。
回送列車に乗務する運転士の鞄から、何かが落ちた。
……手袋、か? 運転士が持ち歩くもので白いモノと言えばそれしかない。
俺は小走りでその手袋を拾って、運転士を呼び止めた。
「これ、落としましたよ」
左右を綺麗に合わせて渡す。
「あ、ありがとう」
そういって運転士はそそくさと運転台に入っていった。
……よく見たら女の人だった。しかも超美人。
長くて綺麗な黒髪、細くて凛々しい目、整った鼻。
あ、名前見るの忘れたなあ……いやいや、それってストーカーだよね?うん、名前は見なくていいんだ。うん。
……でも、気になるじゃん? そりゃあ俺だって十五だから、そういう事が気になるお年頃な訳だよ。
じゃあせめて、発車だけでも撮影しておくか。
……いやいや、それも嫌だ。手袋拾ってくれた人が鉄だったとか、女性からしたらどうよ? しかもカメラを向けられるとか。
――ま、どうせ何をしたって「ああまた鉄オタか」としか思われないんだし、いっか。
一応反対側のホームに渡って、回送列車の発車を待つ。
さっき到着したのは二番線で、その時一番線には普通が止まっていた。普通の発車後、回送が発車する……はずなので、少し時間がある。
ちゃんと黄色い線まで下がって、カメラを取り出す。
「一番線から、普通北八宮行き発車いたします。ドアがしまります、ご注意ください」
車側灯が消えて、前照灯が明るくなる。
――パンッ
短い警笛を一回だけ鳴らして、列車が動き出す。
発車してすぐに列車前面は闇に飲み込まれる。中央線のホームは十二両対応だが、節電のためラッシュ時以外は消灯しているからだ。
カシャカシャカシャカシャ……
秒間十コマは伊達ではなく、どんどんこちらに向かってくる列車を撮っていく。
前面がファインダーから消えたら指を放して、撮れた写真を確認する。
俺は夜間は実際の明るさに近づけて撮る人間なので、後の方は列車のライトしかほぼ映っていない。だが出来る限り実際の明るさに近づけて撮れただろう。
……次はいよいよ回送か。そういえば夜間の回送って撮った事なかったな。
あー緊張する。落ち着け俺、ガンバレ手ブレ補正。
『二番線から、列車が発車します。ご注意ください』
回送が発車するのはあっという間だった。出発信号機は注意現示のまま。
プヒュウウウ……というブレーキ緩解音がした後に、列車はゆっくり動き出す。
ドン、ドン……とレールのジョイント音が次第に早くなっていき、列車はもうファインダーの中に写り始める。
さっきと同じように高速連写で、駅を出て行く列車を撮る。
百二十メートルの列車が、目の前を通るのは一瞬だった。
祐介は「回送列車の運転士」と記憶した事でしょう。でも、彼女にとってはどうなのでしょうか?
次で少し仲良くなるかも。
というか前話と今話で文字数がめっちゃ違うね……。




