四、闇の中の真実
ちょっと読みにくいかもしれません……
一方彼女は闇に包まれた空間を漂っていた。
ぼんやりとあたりを見回しつつ彼女あの一瞬の間自分に起きたことを思い起こす。
『そうか……私あの幽霊に食べられたんだ』
そう、鏡は所詮物体を移す加工されたガラス板でしかなく、黒がやった通り霊体で触れようとすり抜けるだけだ。
それなら彼女に何が起きたかというと……簡単だ、鏡の内に隠れていた彼女に取り込まれてしまったのだ。
つまり、抜け出すにはあの幽霊と向かい合わなければならないということ。
状況は実に悪いが、何とか最悪の事態だけは避けられた。
自分の一部と鎌を彼に託したからよほどのことがない限り大丈夫だ。
ただ問題は自分の精神が崩壊してしまったらどうしようもないという点であるが。
今の彼女は幽霊と大して変りはしないのだ。
「黒はどう思うだろうな」
感情を表に現さない彼が自分の勝手に何を思うか考え、少しくらい心配してくれたらいいなと呟く。実を言うとあっさりと見捨てられそうで怖い。
今は片腕の喪失感とともに彼を信じ、自分はここの主と向かい合うしかない。
やはり幽霊というものは嫌いだと思った。
「いるんでしょう? 幽霊さん」
「えェ」
すぐさま掠れた声で返答が来て彼女は身を固くする。
視線の先には一人の少女がいた。
年のころは七歳ぐらいだろうか。顔を蔽い隠すように伸びた髪の毛の間からぎょろりとした目が覗く。ここの主、その意識の部分なのだろう。
「ねェねえ、あたシのお友達をどうすルつもりだッタの? 」
その声はところどころトーンが狂った狂気がありありと感じ取られるものであり、真白はその顔を僅かであるが引きつらせた。
「あのね、私、あの人たちをお迎えに来たのよ。だから……」
「フぅん。おねェちゃンもあタしと同じで死んデルんだよね。
ナンデお迎えニくるの? 」
彼女はずいと真白の元に接近しケタケタと笑う。
血の臭いなぞつくわけがないのに彼女の口からは鉄に似た臭気が漂っていた。
『この子、死神を知らない? 』
言い知れぬ恐怖を抱きつつ、彼女の態度から真白は思った。
しかし何故、彼女は知らないのか。
死神など迎えに来なかった。
脳裏に先ほど一階を漂っていた幽霊の言葉がよぎった。
「お仕事だからよ。勝手にあなたの家に入ったことは謝るわ」
自分が死神であることなぞ今は関係ない。
力の核である鎌の存在を知られる方がまずいので真白はあえて黙っておくことにした。
「あなたに何かするつもりはないわ。だから……元の場所に帰してくれない? 」
なんとなく話の通じない相手であることはわかりつつできるだけ刺激しないように少女に頼み込んでみる。
少女はきょとんとした様子で首をかしげる。
そして言われた意味を理解できたのかキャハハと笑った。
「あのオ友達の代ワリに遊んでクレたラね」
嗜虐性を剥き出しにした声が発せられたその瞬間少女は真白の腕をまるで人形のように引きちぎり、続いて真白を力の赴くままに引き裂き始めた。
瞬く間に四肢が千切られ胴が裂かれていく。
「アハハ! 死ナナイ死ナナイ面白イ! 」
壊れたような笑い声を発しながら髪を振り乱し彼女は遊びと称した一方的な破壊を続ける。
物理的な力ではないが非常に強いそれは、まるで豆腐のように真白を削っていく。
引きちぎられ飛び散っていくそれは人体のそれとは違いあまり凄惨さを感じさせず、すぐに霧散する。
少女の目に宿るは狂気。
両の腕に破壊の力を与えているのは衝動。
真白は唇をかみしめ、ありありと恐怖の色を浮かべているが抵抗することはない。
何故なのかよくわからない。
少女が彼女を引き裂くたびに流れてくる何なのかよくわからない記憶の断片が彼女に抵抗する気を失わせていた。
『死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない』
すでに死んでいるのに真白は死を再び感じ耐え切れず叫びをあげる。それは少女の破壊衝動をさらに高め実に楽しそうに彼女を引き裂く。
『私は、私のできることを』
せめて狂気に沈まぬように真白はそう自分に言い聞かせる。
黒が仕事を果たせるように自分はここで大人しく引き裂かれよう。
半年前のあの日、生きている間に見ることのかなわなかった世界を見ていたいという思い故に本来刑罰である死神となることを願った。
しかし待っていた現実はいつも黒がいないとまともに仕事ができないという何とも情けない現状。
世界を見たいという願いは叶ったが引き換えとなる仕事をロクに果たせていなかった。
黒はそんな彼女を特に責める様子はなく、言うべきことのみを告げて淡々と仕事をこなす。彼女はあえて責められぬが故に余計自分の不甲斐なさを痛感していた。現に今も彼の足手まといである。
「オネエちゃん、死ニたくなィ? 」すでに半分以下になった真白をつかみ上げ彼女は楽しそうに笑う。
「死にたいわけ……」
「でも死ンでイるよね」
死んじゃっているのに死ぬなんておかしいねといって彼女は真白の首から下を引き千切りついに彼女は首だけになる。
その時までに真白と少女は何度となく触れ合い、霊体ゆえに断片的な互いの記憶が流れ込んできていた。
それは繋げるにしてはあまりにバラバラであった。
しかし、真白の中でそれはある記憶を形成し始めていた。
『まさか』
不意に真白の中ですべてが繋がった。
二階で見た骸。
さっきから繰り返されるある言葉、そして彼女の死後遅すぎる時期に芽生えた狂気と破壊衝動、それが触媒となり導き出された答えはあまりに悲しいものだった。
「あなた……死んでいたことに今まで気がついてなかったの? 」
少女に髪を鷲掴みされながら真白は仮定された事実を告げる。
どうやら正解だったようだ。
みるみる少女の顔が驚愕に歪み次に恐怖に震え始めた。
「そ、そんなこと」
急に狂っていた声のトーンが戻り、姿が変化し真白が一階で見た写真の少女の姿となる。
先ほどとは違い、あちこちに血飛沫を浴びてはいるものの癖のある肩より少し長いくらいの髪に縁取られた顔は年相応の恐怖を感じさせない可愛らしいものである。
彼女は真白の言葉を否定するかのように首を振り、その勢いで真白の首は少女の手から離れ、少し離れた所に浮遊する。
「あの三人が肝試しに来た瞬間、気がついたんでしょう? 」
あの八つ当たりするようにズタズタにされた死体。少女は何らかの理由であの時自分の死を理解し、狂気と衝動の赴くままに三人を殺したのだ。
細切れにされ霧に帰った真白の一部が少しづつ彼女の元に戻っていく。
しかし、引きちぎられたショックか、それが再び自分の姿を形成することはないがそれに構わず少女に向かって真白は語りかける。
「じゃあなんで突然彼らを殺したり、私を引き裂いたりしたの? 」
「それは……」事実に気づかれた故に少女にはそれから逃げることはできなかった。
憑きものが落ちたような表情で少女は俯く。
人間というものは忘却できる生き物だ。
それは本人の望む望まずにかかわらず起きうるものであるが、重要な意味を有している。
そう、心の安定のためだ。
少女は十年前に死んでいた。
少女は自分の死があまりに悲惨だったゆえにその記憶を死の認識とともに忘却し、時を経て思い出した。
気づいたら一人ぼっち、目の前には自分を化け物を見るような目で見る者、彼女はやり場のない悲しみと怒りに囚われた。
「……死にたく無かったよ」
少女は自らの両手を見つめ悲しげにつぶやき、意図したのかその目には涙が生れ出る。
「それは私もよ」
真白は首の状態で少女に近づいていく。
首まで引きちぎられたら笑えないが彼女は近づくことをためらわなかった。
「おねえちゃんも? 」
「ええ、私の場合は病気だったけど」
半年前の雪の日、自分も死んだという事実を目の前にして混乱した。
しかし、いつ死んでもおかしくないと常日頃から言われていたのであっさりそれを受け入れられたがあの時の胸の奥にのしかかるような絶望は忘れられない。ただ真白にとっての死は肉体からの解放であって舞い落ちる雪を見ているうちに死への絶望が不思議と薄れ、そして黒と出会った。
「でもあなたは私も何倍もつらかったんだよね」
真白はそう言って目を伏せる。
未だに霧散した体は戻らず抱きしめることもできず、気の利いた言葉をかけてあげられるほど彼女は賢くない。
しかし少女の置かれた状況がどれほど絶望的だったかはわかり、たった一言だけことば。
少女にとっての死は唐突なものであり、自分の死に様を見てすぐさま心を閉ざすに値するものであった。そして他の幽霊や死神の姿すら見ることを拒絶し十年が過ぎ、自分の死を思い出した瞬間には絶望と孤独が彼女を押しつぶし、狂気の亡霊と化したのだ。
少女はただぽろぽろと涙を流し続け、真白は何も言わずそれを見守り続けた。
「……あたし、どうすればいい? 」
少女はうなだれたまま真白に問いかける。
真白はその言葉に一瞬視線を泳がせて何かを考える。
「私としては、一緒に送ってあげたいけど……結局はあなたの判断だと思うよ」
死神は答えを強制してはならない。
すべては死者の意思を尊重すべきと黒にいつも聞かされていて、真白はしっかりと覚えていた。同時に必要以上感情移入してはならないということもいやというほど聞かされていたが彼女には到底無理なことであったのでそこは無視していたのだが。
「送るって? 」
少女は真白の言葉に食いつくように問いかける。すべてを思い出し、もう彼女はこの世にとどまる必要がなくなった。
やり残したことができるほど長く生きていなかったから。
ただこの場にとどまり続ける方が苦痛であった。
「死んだ人がみんないるところに送るってこと。それが私の、いや私たちの仕事だから」
色を変化させるくらいには回復してきた自分の体を伸ばして少女の頭にポンと載せわしわしと撫でる。その時ほんの一瞬であるが真白は目を見開いた。
まだ、記憶のピースはそろっていなかったことに気がついたがなるほどね、と納得したように呟いただけであった。
「あたしも送って貰えるの? もう一人じゃないの? 」
一人という言葉を少女は強調する。死を実感した今、寂しくてたまらないのだろう。
そりゃ十にも満たない少女だ人恋しい年頃だ。
「ここにもいっぱい仲間はいるよ? 」
真白はその言葉にほんの少し意地悪な言葉を混ぜる。
ここがここまで幽霊屋敷となったのは少女の死が原因であることは明白だ。
そういえば黒は仕事を遂行しただろうか……愚問か。自分じゃあるまいし。
「そうじゃないのそうじゃ……」
少女はうまく言葉に表せなかったのか、ただ首をふるふると左右に振る。
もちろん真白にも彼女が何を思っているかくらいはわかる。
単にさっきの仕返しを少ししてやりたかっただけだ。
「わかった。ついてくるのね」
真白は微笑んで意思を確認する。
一時は駄目かと思ったが……そうだ、まだ確認せねばならないことがある。
「だけど、あなたはちょっと悪いことをしちゃったからそれは覚悟してね」
発狂していたとはいえ少女は三人の人間を殺めた。神というものは慈悲深いが甘くはない。それは真白が死神となると請うた時に魂ごと消されかけたことから嫌というほど実感している。少女とて何らかの落とし前は付けさせられるはずだ。
「うん。わかってる」
このままここにいて何かの拍子に同じことを繰り返したくないからと少女は呟く。
真白は満足げに頷き最後の確認をする。
「それでも来るんだね? 朝美ちゃん、夕美ちゃん」
「え? 」
真白の言葉に少女、いや朝美と夕美と呼ばれた魂魄は素っ頓狂な声を上げる。
「あなた、一人じゃないんだよ。あなた、自分の名前どっちかわかる?」
そう、真白は彼女の頭を撫でた時彼女の、いや彼女らの名前を知った。
「……どっちかじゃない。どっちも」
彼女もそこで理解した。
自分に双子の姉妹がいたこと。そして同じ時に死んだこと。
名前というものは重要なもので、死神もその魂が目的のものか確かめるために名前を告げて確認する。わからない場合は記憶を読み取る。
真白は今までそれがまったくできなかったが今、偶然であったのだが出来たのだ。
「どうやら双子ってよく似てるからくっついちゃっていたみたいね」
名前を思い出し二人に戻った少女たちを見て彼女は笑う。
「近すぎたから気がつかなかったてこと。死の記憶とともに互いのことを忘れちゃってたんだね」
少女達は互いに顔を見合せ沈黙する。
「ひさしぶり。朝ちゃん」
「ひさしぶり。夕ちゃん」
互いの手を握りそう言って二人は笑った。
その様子に真白は眩しそうに目を細めた。
そして兄弟というものがいなかったためほんの少しだけ嫉妬した自分に苦笑した。
自分にできることを、そう願い動いた結果に彼女は満足していた。
確かに自分は役立たずだ。
だが自分にできることを積み重ねていけば黒の横をパートナーとして歩くことができるのかもしれない。
「じゃあいこう……あ! 」
真白は言いかけて硬直する。
「ねえ……ここから出してくれないかな?」
ばつの悪そうな顔で笑った真白に少女達は顔を見合わせる。
どうやらここが少女たちの中であることをすっかり忘れていたらしい。
『うん』
大分輪郭を取り戻した彼女の両側に二人は並び、朝美が右手を夕美が左手を振る。
一瞬あとに彼女らの前には廃屋の中の光景が広がった。