三、骸と亡霊
――二階
「あの部屋だな」
「だね」
階段を登りきった瞬間に二人は交互に呟き無意識に互いの鎌を握りしめる。
それほどまでにその部屋から死の気配が漂っていた。
「行こう」
他の部屋に興味を示すことなくまっすぐ向かおうとしたが不意に彼女は妙な事に気が付き移動を止める。
「ねえ、何で一回にあんなにいた幽霊がいないの? 」
言い知れぬ不安をその顔ににじませながら彼女は尋ねた。
そこで彼も足を止めその違和感に気が付く。
感づけなかった自分の失態に舌打ちしつつ、彼女は幽霊が怖いゆえにその違和感にいち早く気づいたのだろうと結論付ける。
「それは…………急いだほうがいいかもしれない」
その言葉に彼女もこくんと頷く。
未熟な彼女でさえもそれが何を示すか理解した。
つまり――
近くに主がいるということだ。
二人は焦りを感じつつその部屋に入るなり立ち止まり息をのむ。
部屋の中はカーテンで光を遮られ薄暗い。
部屋の中央には暗色の水溜りの上にくまのぬいぐるみが使っている。
視線をさらに動かしていくと他にもぬいぐるみのようなものが……
「ぬいぐるみではない」
彼はその物体の正体を察して瞠目する。
真白もその正体に気がついたようでつないだ手を通して震えている様子がはっきりと感じられた。彼らに嗅覚が残っていたのならすさまじい鉄の臭気と、肉が朽ち始めた臭いをとらえただろう。その光景はすさまじいの一言であった。
その肉塊に近い壁にクローゼットがあることに気が付き、彼はつかつかと近づき半分開いていたその戸を完全に開いた。
「ひっ」
「これは……」
さすがに死体を見なれている彼にもこれはきついと感じられた。
彼女に至っては彼の腕に強くしがみついて震えている。
考え付く限りの破壊を行ったその死体、命令にあった数とちょうど合うようである。
「何か……八つ当たりしたような感じがするね」
精神的ダメージから復帰したのか彼の腕に抱きついていた真白はその腕を解き死体を見下ろす。
「そうだな」
「この人たちもこんな目にあうなんて思わなかったよね……」
彼女はそう言って目を閉じ一瞬黙祷する。
先ほどはどこか間抜けな死に方をした彼らを馬鹿にした様子であったのに今は死者に対する憐れみを隠し切れていない。彼はその様子を特に咎めることなくただ見つめた。
黙とうを終えよし、と呟いた彼女はつないでいた手を放し鎌を構える。
「黒に頼ってばかりじゃ駄目だから私が回収するね」
そう言って自らの鎌を振るい刃の腹で死体を撫でた。
『この肉体にかつて宿りし魂よ、姿を現して』
心の中で祈りを捧げると、靄のようなものが現れ、人の形になった。
よかった、まだいた。
彼女は心の中で安堵する。数日前の死体だからもういなくなっていると思っていたが、まだ体から離れていなかった。
人の形になった魂は男が二人、女が一人。
間違いない。
彼女は息を吐き魂を狩ろうと左手で鎌を大きく振りかぶろうとした。
その時。
クローゼットの扉に取り付けられた鏡。
真白と黒は鏡に映らないためそこには何者も映らないはずであるそこに一対の目玉と大きく裂けた口が映る。
しかし、彼女は精神を鎌と魂魄に集中しているため気がつかない。
「っ真白! 」
黒は叫び彼女を鏡の前から引き離そうとしたが一瞬早く彼女の右腕をつかみ鏡の中に引きずり込んだ。とっさに左手をつかむがその力に勝つことができずそのまま彼も引きずり込まれそうになる。
しかし、鏡の中に消えつつあった彼女はそんな彼に向かってにっこりとほほ笑んだ。
そして彼女が消えたあと、彼の手には白い鎌を握りしめたままの彼女の手首のみが残った。
まさか鏡の中にいたとは……油断した。
彼は沈黙したまま残された彼女の手を握りしめる。
その表情からは何も読み取れない。
その心中に渦巻くのは後悔か焦燥か。
彼女と出会って半年、自分の犯した罪の中に感情を封じただ魂魄を運ぶだけの道具であった彼に何らかの変化を与えつつあった。
彼はもう何も映っていない鏡面に触れる。
しかしいつもどおり感触なぞ感じることはなくただ扉の反対側に指は突き抜けた。
だとしたら……予想できる現象はただ一つ。あの主もこんな真似をできるならなかなか年季の入った魂魄のようである。
どこまでも歪んで変質してしまってはいるが元は人間であろう。
どうするべきか、彼は判断しその目を閉じ黒衣の裾を触手のように伸ばし彼女を探そうとする。
「ん? 」
それを実行する前に彼の手の中で何かが動いた。
目を開けてその正体を確かめる。
彼女の手首。
未だ鎌を手放さないそれが彼の手から抜け出そうと蠢いていた。
彼はその求めに応じ手を放してやる。
するとその手は鎌を握ったまま人差し指を彼の掌にあて文字を描いた。
わ、た、し、だ、い、じ、ょ、ぶ、し、ご、と、を。
『私は大丈夫。仕事を果たして』
その文字はそんな意味であろう。
そこで彼は彼女がわざと手首を体から切り離したことに気付く。
死神の鎌は死神の核でもある。
それを折られれば彼らは消滅してしまうが逆にいえばそれさえ折れなければ彼女は何とか無事でいられる。ただそれがそばにないと唯の魂魄同然であるがとりあえず全身を引き裂かれようが食われようがとりあえずしばらくは大丈夫である。
「的確な判断だ」
確かに彼自身彼女を助け出さなければならないことは分かっている。
しかし、彼女を探し出すのは厳しくやはり仕事を優先したい。
そんな彼の迷いは、彼女自身が残した言葉で解決された。
「それならこちらはやるべき仕事を果たそう」
手首を振るい彼女の一部を小さな燐光と変え、黒衣の内に隠し自分をよく表した暗い色の鎌を構える。そして彼女に呼びさまされ躯の上を漂う魂魄たちにその刃先を向けた。