二、廃屋にて
一話で七千文字というのはあまりに読みにくかったので分割しました。
二人の死神は森を往く。
日差しは彼らを通り抜け枝葉は彼らをすり抜ける。
身に纏いし黒は夏という季節には重苦しく浮いて見えた。
「ん? 」
それに気が付いたのか、不意に彼女は動きを止め自らの纏う黒い服と彼の纏う黒衣を交互に見つめ首を傾げた。
「ねえ、死神の服って何で黒なの? 夏とか暑苦しいと思うけど」
「暑苦しいも何も肉体が無いから関係ない」
彼はそう言って相方に無愛想に答えた。
「冷たいなぁ」
「……例えばあの時お前をけばけばしい衣装を身にまとって迎えに来たとしたらどう思う」
しかし彼女が不満そうに頬を膨らませるのを見て、彼はあえて直接は言わず彼女に問いかける。実に面倒臭そうな様子だ
彼女はその問いに人差し指を顎に当てしばし考え、半年前の自分が死神になった日のことを思い出し、茶色を帯びた瞳が懐かしさに細められる。
彼女はいわば死神の中でも例外とも言える存在であった。
通常死神は自ら命を絶った者であるのに、彼女は定めに従い病にて死した。
その時彼女を迎えに来たのが黒であった。
今と変わらぬ陰気な顔で黒衣を纏って。
それがけばけばしい格好だったら……一瞬脳裏に極彩色の服を纏った彼が浮かび余りの似合わなさに吹き出しかける。
「黒にはどうせ似合わ……ま、間違いなくついて行くのを拒否したと思う」
「だろう。死神は死者のイメージに沿った黒衣を纏う方が仕事をしやすい」
行くぞ、と言って彼は彼女を追い抜き廃屋に向かって歩き出す。
彼女はそんな彼の後を待ってよ、と頬を膨らませつつも追い掛けた。
「それにしても何で人間って肝試しっていって幽霊の縄張りに足を踏み入れるんだろうね」
彼の後ろをちょこちょこと追いかけながら彼女は退屈を紛らわせるために話しかける。
肝試し。
小さい頃からほとんどの時間を病室で過ごしたため話や本でそう言うイベントがあることは知っていた。だが何故わざわざ怖い思いをしに行くのだろう。
――肝試しに行ってうっかり取り殺された奴の魂回収してこい。
そう、それが今回の彼女たちのなすべきことであった。
彼女はその対象の理不尽な死因とともに肝試しの意義について納得できないものがあった。
その事には全くだな、と黒も同意しつついくつかの仮定を述べる。
「好奇心、話題づくり、ひょっとしたら死者を見て恐怖を味わうことで生を実感したいのかもしれん」
死というものは生きているうえでは無自覚なもので、誰かの死にふれてやっとはっきりと自覚する。肝試しもそのようなものだろうと彼はあまりやる気のない様子で結論付けた。
「でもさ死んじゃったら元も子もないのにね。今回の人たちを馬鹿にするわけじゃないんだけどさ」
真白は対象たちへの呆れを一切隠さない。
「どちらにしろ俺達は彼らを導けばそれでよい」
黒は大半の死神がそうであるように特に興味はないようであるが、ある懸念が脳裏をよぎり眉をひそめる。
そもそも今までここの主は人を殺めておらず今回初めてとり殺したと聞く。
何故かはどうでもよいことであるがここである危険が浮上する。
『もしかしたら自分たちにも牙を剥くかもしれない』
死神は神とつくが所詮は罪人の魂、人を殺すことも魂魄を滅することも一切できない。
それどころか悪い条件が全て満たされれば、消滅という死が待っている。
仕事である以上、彼はそれをなんとかして為すだけであるが危険かもしれないと彼は思った。
「……ボロいね」
彼の懸念をよそについに二人は廃屋の前にたどり着く。そして彼女は遠慮する様子を全く見せず率直な感想を漏らした。確かに彼女の感じたとおり廃屋はあちこちが痛んで今にもどこか崩れそうな様相である。地震が来れば間違いなく倒壊するだろう。
しかし、その今にも崩れ落ちそうな様子と反してそれは圧倒的な存在感を放っていた。
生者ならその霧のように漂いじっとりと纏わりつく死の気配に気持ちが掻き乱されるだろう。しかし二人は、まだ死神になって日の浅い彼女でさえもそれに圧倒されることは無い。
「ねえ、黒。黒もそう思う……」
彼に同意を求めようとした彼女は言葉を一旦切る。
彼は視線を二階の一つの窓に集中させていた。その様子につられるように彼女も視線を動かし僅かに目を見開いた。
哀れな犠牲者達の骸を見ていた廃屋の主。
今から屋敷に侵入しようとしていた二人の死神。
人ならぬ者たちは互いの気配に勘付き視線を交わした。
彼女は初めて相対したそれに怯んでしまい動けない。
彼は視線を鋭くし、中空に右腕を差し伸べるが、彼が行動を起こす前に廃屋の中の気配は急に失せた。
二人は一気に肩の力を抜く。
「何……今の? 」
震えた声で真白は問う。
「ここの主だ」
腕を下ろしつつ彼は落ち着いた様子で答える。
しかしその声色はいつもにも増して硬い。
「上からはできればあれも回収という話ではあるが諦めよう」
「あの幽霊も回収しなきゃいけなかったの? 」
彼は淡々と彼女の知らなかった仕事の内容を語り、彼女は心底嫌そうな顔をする。
あの少し視線を合わせただけで圧倒されるあれをか……
「あれ以外にも何匹かいるからできれば説得しろと……いつもの嫌がらせだな」
彼女はかなり無茶な方法で死神になったためか内容は伏せておくが何故か嫌がらせの様な仕事が多い。それは死神としてあまりに未熟な彼女の補佐かつ監視を行っていた彼がとばっちりを食らうことが多かったのだが。
「そんなぁ」
「できればの話だ」
怯える彼女の頭にポンと手をのせる。
「今回は目標を回収すればそれでいい」
彼は心の中で先ほどよぎった不安を打ち払えずにいながらもそう彼女を慰めた。
彼女はその体温の無い、霊体故に感じることのできる感触に支えられるかのように小さく頷く。
しかし、その瞳には恐怖がありありと滲み出て肩が僅かに震えていた。
「……どうした」
彼女の頭から手を離して訝しげに問い掛ける彼に彼女は何でもない、と首を振る。
「それなら早く行こう」
彼は右手を軽く虚空に向かって振る。
腕の輪郭が崩れ戻った瞬間にはその腕には黒を基調とした大鎌が握られていた。
死神の鎌、彼らが仕事のときのみ使う道具にして死神としての核。
形を維持するのにある程度気を使わなければならないので仕事の時以外は面倒なので自分の内にしまっておく。
つまり、そういうことだ。
その様子に彼女は彼の言葉が冗談でないことを悟るが戸惑いを隠せない。。
「……彷徨う魂魄が怖いなら待っていていい」
「そんなことない」
自分の心中を見透かされて、彼女は動揺を噛み殺しに顔をあげた。
「……隠しても無駄だ。いつも街中で奴らとすれ違うたびに逃げようとしているだろう」
振り向いた黒の口の端が珍しくつり上がる。
見透かされている、と彼女は唇を噛み締めた。
彼女は正直言って生前から怪談の幽霊、つまり浮遊霊の類が怖かった。
死神となりそれらの側に立つこととなっても、未練と妄執の赴くままに土地に留まり街を死んだその時の姿で彷徨う、それとすれ違うと逃げたい衝動に駆られていた。
怪談話の中で生者に祟るその姿が恐怖の根源なのかもしれない。
もちろん、自分もたどった道である仕事の対象である死者はその死に方がどんなに悲惨であろうと怖くは無いのだが。
「どうする? 」
淡々とした声で彼女を促す。
彼は無愛想であるが彼女の意志をある程度尊重する。
そのことは彼女も理解していた。
彼女は小さく頷き左手を軽く虚空に差しのべる。
腕が彼の時よりかなり遅い速度で崩壊し黒い靄となりそれが色を失う。
それが二つに分かれ一方は腕になりもう一方は大鎌となる。
彼の大鎌に比べれば一回り小さい刃の先まで白い大鎌。
玩具にも見えるどこか頼りないその柄には雪の結晶の彫刻が一つだけ施されている。
死神の鎌は基本的に形状は似たようなものが多いが、個人の性格、想いによって形を変える。
しかしながら万人のイメージする鎌の形がほとんどであり、死神がほとんどが何らかの心の闇を抱えることから形は自然と似てしまうが、たまに形状の違うものも現われる。
彼女の場合『雪』が死神となるに至った経緯に深くかかわっていた。
「仕事だもの。怖いの何だの言ってられない」
恐怖は拭いきれない、だがそれは仕事を拒否する理由にならない。
渦巻く思いを振り払い彼女は彼を見上げる。
その言葉に彼は目を細め、それでいいと呟き彼女に手を差し伸べる。
二人で行けば大丈夫だ、彼の眼はそう語っていた。
「ありがと」
彼女はその手を握り返す。
互いに死んでいるため体温などは感じぬはずであるが、その手はどこか温かく感じた。
「一応礼儀として正面から行く」
窓から入って相手の不興を買うのだけは避けたい。
そして二人はそれぞれ片手に鎌を持ちゆっくりと暗がりに入って行った。
ただ死者の魂を導くために。
廃屋の内装は外ほど損傷が酷くはなかったがかなり荒れていた。
二人は一つ一つ部屋を見ていく。
「やっぱり幽霊多い……」
何匹かなんて嘘じゃない。二桁は絶対いる。
真白は心底怯えたように呟く。
人、動物に限らず色々と犇めいていた。
同じ存在だからこそはっきりとその姿が見えてしまうので質が悪い。
「溜まり場になっているんだろう。そういう場所もたまにある。」
死神という存在が物珍しいのか寄ってくる者も多く彼女は思わず黒の腕にしがみつく。
彼はそんな彼女にため息をつきつつそういう者達に如何用か、我らは汝らに害なすつもりはないと言い放つ。
ほとんどの場合それならそれで、と引き下がるが中には二人の服に腕にすがってくる者もいて彼女はさらに黒の腕を強く抱きしめる。
「アイツラも送るならワタシ達も送ってくれ」
彼らはそのようなことを口々に発する。
しかし彼らはそれ以上の害を及ぼさない。
その様子に恐怖が和らいだのか彼女はおずおずと尋ねる。
「私たちの仲間が来なかったの? 」
それに対し彼らは来なかった若しくは来たが、彷徨うことを選んでしまい後悔しているといった。
「そうなんだ」
彼女はそう言いつつ入る前にあれほど怖がった自分を恥ずかしく思った。
自分もあの時彼についていくか留まるかの選択を迫られた時この世に留まりたかった。
死神になるという選択肢を思いつかなかったら彼らと同類となっていただろうから彼らを恐れたりすることは間違っているのだ。
「送ってほしいものは後で送ろう」
彼は彼女の様子に気を配りつつ彼はそう言って鎌を一閃させる。
幽霊の類に対しても殺傷能力はほとんどないそれだが、まとわりついてくる彼らを離れさせるには充分であった。
「とにかく今は通せ」
何の感情もこめられぬ言葉であったがその言葉には死神独特の陰鬱さと有無を言わせぬ冷酷さが宿っていた。
一つ目の部屋を通り、二つ目の部屋を過ぎる。
水が止まって久しい台所を通り過ぎるとそこはリビングであった。
「外で睨んできたの、姿を現さないね」
「機を覗っているんだろう」
二人は目標とする死体がないかあたりを見回し、黒は体の一部を伸ばして行って調べるが見つからない。ここの住人が何らかの理由があって引っ越し、そのあと誰も住むことがなかったことが彼女にもわかった。
その時彼女は床に転がるあるものを見つける。
「黒、あれ」
彼女が指さす先に彼も視線を動かすとそこには写真立てが転がっていた。
「拾えと? 」
「だって私じゃ無理だもの」
わかった、と彼はため息をつき一時的に繋いでいた手を放し、指先に意識を集中する。
要は幽霊が生者の頸を絞めるのと同じだ。
彼女はまだ死者の魂を刈る以外のことは全くと言っていいほどできず、彼に頼りつつも僅かに表情を曇らせた。
そんな彼女をよそに彼はひろい上げられた写真立てに積もった埃を親指で拭うと、色褪せた写真が姿を現した。
「家族だね」
「前の住人のものだろう」
大人の男女に二人の少女に一人の少年。
カメラに向かって笑いかけるその姿に真白は今もどこかで生きる両親のことを重ねて微笑んだ。
「この誰かがここの主なのかな? 」
「そうかもしれないな」
写真立てを元通り床に置き、二人は再び手をつなぐ。
「一階はここで終わりだからやっぱり二階だね」
浮遊しつつ廊下の階段に二人は移動する。
さっきの黒の言葉があってか幽霊たちは絡んでこない。
『アノ子ヲ怒ラセナイヨウニネ』
二人が階段を見上げた時、足元を歩いてきた猫の霊がそう忠告する。
その言葉に二人は顔を見合わせる。
「うん、努力するよ」
黒が返答する前に真白が先ほどより幾分か怯えのとれた声で猫に返答した。
彼に頼ってばかりでは駄目、と心中で彼女は呟いた。
彼らは気がついていなかった。
天井にぶら下がるようにして背後からじっと観察している黒い靄を。
猫はその場にとどまり顔を洗いつつそれをみとめ、意味ありげ目を細めた。