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林檎革命  作者: 此や此
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花蕾

 馬は思いっきり走って気がすんだのか、徐々に歩みをゆるめていきます。

 馬の背にぽくぽく揺られるままだったエンゾが、不意に背筋を伸ばしました。

 隣町への関所には、役人たちがたむろっています。


「おや、これはこれは。名のあるお方とお見受けします」


 エンゾの立派な出で立ちを見て、役人たちはうやうやしく頭を下げました。

 どうやら、馬上の男が行商人のエンゾであるとはつゆほども思わないようです。


「おそれながら、馬上のお方。ロバを連れた行商人風情(ふぜい)の薄汚い男を見ませんでしたか?

 その男はポムデギャミンで子供を買った前科のある男。決して野に放ってはおけません」


「はて……行商人か。見かけた覚えはないのだが」


 誰が子供なんて買ったかと心の中で毒づきながら、エンゾは精一杯の余裕の態度で答えます。


「それは失礼いたしました。なに、早晩そうばん捕らえられるでしょう。

 その男の妻を、此処まで引っ立てておりますゆえ。夫を見つけ次第、嘘いつわりなく告げるようにと」


「何だって!?」


 エンゾの顔色が変わりました。

 見れば、関所の奥には確かに見慣れた姿がありました。エンゾの誰よりも愛しい人です。

 役人に顎をつかまれ、無理やりにこちらを向かされた奥さんが、悲しげに唇だけを動かします。

 音のない言葉は、にげて、と。確かにつむがれましたが。


「彼女に、……さわるな」


 馬上で震えるエンゾが、低い声を落としました。


「は……? 今、何と」


「――僕の妻に触るなと言ったんだ!!!」


 エンゾはやおら馬上から飛び降りて、役人につかみかかります。


「貴様……! 貴様がエンゾか! 馬まで用意して、小癪こしゃくな真似を!!」

「取り押さえろ! 腕の一本くらい折っても構わん、だが殺すな!!」


 勢いこそ良かったものの、無骨な役人が三人掛かりではエンゾにはなすすべもありません。

 たちまちに袋叩きにされ、エンゾの顔がぼこぼこに腫れあがりました。


「あなた……! やめて……うちの人が何をしたと言うの、あなた、あなた――……!!」


 奥さんの悲痛な声が、薄れゆくエンゾの意識にこだましました。






「――――……此処は?」


 目が覚めた時、エンゾはまったく知らない所にいました。

 見覚えはなかったものの、石造りのせまい部屋が査問所さもんじょである事は想像に難くありません。

 エンゾは粗末な椅子の上に座らされていました。

 立ち上がろうとすれば、両腕にぎりりと痛みが走ります。どうやら縛り付けられているようです。


「目が覚めたか、エンゾ」


 おそろしく横柄な声が聞こえました。

 エンゾを捕らえた役人が、ずっと戸口で見張っていたようです。

 役人は、冷たい目で扉の鉄格子からエンゾを一瞥して。


「顔の腫れも引いたな、それなら見間違う事もないだろう。――入れ」


 誰かに入室をうながしました。

 鍵が差し込まれ、査問所さもんじょの扉が重苦しい音を立てて開きました。

 役人にともなわれて扉をくぐる姿は、少女のように見えました。

 もしかしたら、一番上の娘との面会が許されたのかと淡い期待を抱きましたが、どうやらそうではないようです。

 年頃こそ娘に近いものの、まったく別の少女です。


「……彼女は?」


「断罪の天使だ」


 役人は意味深に笑います。

 ああ、と。エンゾは理解しました。

 聞いた事があります。取調べの時に顔も知らない子供が現れ、この人に買われたとでっち上げるのだと。

 目の前の少女はすでに買っても罪に問われる年頃ではありませんが、なるほど、エンゾがポムデギャミンに出入りしていた八年前には、彼女はいたいけな童女だったでしょう。


「……手の込んだ事で」


 もはや、エンゾにはそれしか言えません。

 目の前の少女に見覚えなど――いいえ、こんなすさんだ目をした少女なら、何人も見た気がします。

 ポムデギャミンの子供たちは、みんな彼女のような目をしていました。

 大人たちにもてあそばれ、心も身体も擦り切れきったような目です。


「彼女たちは決して我々を裏切らない。理由はわかるな?」


 わかりたくもありませんが、エンゾにはわかってしまいます。

 大人たちの都合の良いように振舞えばパンがもらえ、気に入られなければ鞭をくらう。

 子供たちの扱いは、ポムデギャミンが栄えていた頃と何ら変わらないのでしょう。

 布団の上でご機嫌を取るよりは、ただ証言するだけの方が、幾分か楽ではあるかも知れませんが。


「さあ、教えてくれ。八年前に幼いお前を買ってもてあそんだのは、この男だな?」


 わかりきった答えを聞くように、役人は少女に問います。

 少女は少しだけうつむいたかと思うと、すぐにエンゾの方を見て。小さく、小さく、吹き出しました。


「この人なら知ってるわ。貴方たちは、罪に問えるのなら誰でもいいのね?」


 意外な答えに、エンゾは面食らったように目を丸くします。

 少女の言葉に慌てたのは、エンゾよりむしろ役人の方です。


「こら、言われた通りにしないか……!

 お前もポムデギャミンの被害者だろう!? あの時の大人たちが憎くはないのか!?」


「ええ、今でも許すつもりはないわ。

 けど、この人をおとしいれるために私を利用するのなら、そんなのお断りよ」


 居丈高な役人を前にしても、少女は堂々としたものです。

 おそろしげな大人など見飽きているという風に。


「なぜ……僕の肩なんて持って、君に何の得が?」


 嘘でも、他の子供たちと同じように、目の前の大人をなじれば良かったのです。

 そうすれば、彼女は何のおとがめも受けません。


「貴方は覚えてないのね。……でも、私は忘れないわ」


 少女がなつかしげにエンゾを見ます。


「この人が子供なんて買うわけないじゃない。私くらいの娘がいるって言ってたわ。

 愛想がなくて客もつかない私にぴかぴかの林檎をくれたの。ただそれだけよ」


 言い切る少女の言葉に、エンゾはようやく彼女の事を思い出しました。

 確かにそんな事をした気がします。けれど、彼女のようなかわいそうな子供が多すぎて、忘れていました。

 それを聞いた役人の顔には、見る見るうちに血がのぼり、こめかみには血管が浮かんでいます。


「馬鹿めが! 言う通りにしていればパンにありつけたというのに!

 お前がかばい立てした所で無駄なことよ! 他の娘が必ずこの男の罪を暴くぞ!!」


 口角から泡を飛ばすように役人が怒鳴ります。

 少女はただ、冷ややかに役人を見つめ。


「ご勝手に」


 毅然きぜんと言い放つのです。


「小娘が……!」


 激昂した役人が、少女の髪をつかみます。少女の眉根がかすかに寄りました。

 このままで済むのでしょうか。役人の顔に泥を塗った彼女は、果たして無事でいられるのでしょうか。

 気がつけば、エンゾは椅子ごと倒れそうなほど身を乗り出していました。


「待ってくれ……! 僕は、確かに君を買った!」


 エンゾの言葉に、査問所さもんじょの時間が一瞬だけ止まりました。

 役人に髪をつかまれても平静を装っていた少女の顔が、苦悶くもんにゆがみます。


「……何を言うの? 私のために、そんな嘘なんてつかないで」


「いいや、林檎を受け取った時、君は僕にキスをしてくれた。

 お嬢さん。君の幼い唇を、僕は林檎一つで買ったんだ。

 君が売ったつもりはなくても、僕が対価を払った以上、言い訳なんてできないよ」


 まっすぐなエンゾの視線に、少女は言葉をうしないました。

 彼女の思い出と、エンゾの言葉には、何も違いはなかったのでしょう。

 役人は額をおさえながら、かぶりを振ります。


「……微罪だな。だが罪は罪、一年は労役に就いてもらう」


 自分の口で罪を認めたエンゾは、役人の言葉にうなずかざるをえません。

 縄を解かれ椅子から立ち上がりながら、エンゾは呆然としたままの少女を見ました。


「彼女はパンをもらえるのかい?」


「さあな。だが少なくとも、鞭でたたかれる事はあるまいよ」





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