散木
ポムデギャミンは子供が買える歓楽街。
寄ってらっしゃい見てらっしゃい、何処よりも若い娘がいるよ。
男の子が好きだというなら、それもお望みのまま。
他じゃこんな幼い子供は抱けないさ、清く正しい大人たちに後ろ指をさされちまうから。
さあ、此処なら禁忌なんて何もない。心行くまで楽しんで――
「こんな背徳が許されて良いはずがない」
長く続いたポムデギャミンの頽廃に、終わりの時がおとずれました。
先王の崩御にともなって、厳格なる女王が即位したからです。
女王は子供に向けられる邪まな目を、決して許しはしません。
子供相手に淫らな行いをした大人を、決して逃がしはしません。
何人もの悪い大人が捕まりました。
まずは子供を売り物にしていた娼館の主や奴隷商人。
次に、子供たちを買っていた金払いの良い客たち。
捕まった大人たちは、劣悪な環境の監獄で強制労働に就かされます。
あまりの過酷な労役に、悪い大人は刑期の終わりを待たずに次々と死んでいきました。
穢れた行いをした報いだ、女王陛下万歳!
賃金のいらない労働力が得られる優れた刑罰だ、女王陛下万歳!
人びとは手放しに女王の政策を賞賛しました。
それからというもの、ポムデギャミンに関わった大人たちへの、女王の仕置きは加速します。
「粉挽き屋の主人が捕まったってさ!」
「なんだって!? あんな誠実な男が子供なんて買うはずないのに!」
「ポムデギャミンに粉を卸していたからだと。
もはやポムデギャミン憎しで何でもありさ、関わった者を根絶やしにしなければ気が済まないらしい」
「なんでも、取調べで子供が出てきて、この人に買われたと言うんだとさ。
顔も知らない子供がだぜ? そうしたら、そいつの罪はほぼ確定。豚箱生きの地獄生きさ」
日に日に入ってくる噂話に、行商人のエンゾは震え上がります。
「どうしよう、僕も昔にポムデギャミンで商いをしていたぞ……
もし僕が捕まったら、君や子供たちや働き手のみんなを誰が食わせていくっていうんだ」
「大丈夫よ、あなた。
あんな胡散臭い街とはやっていけないって、すぐに取引はやめてしまったのだし。
それにあなたがポムデギャミンに出入りしていたのなんて八年も前じゃない。
あなたが商いをしていた時の子供は、とっくに大きくなっているはずよ。誰があなたを裁くというの?」
エンゾの奥さんは、夫が不安を口にするたびに優しくなだめてくれました。
しっかり者で気立ての優しいこの妻を、エンゾは誰よりも愛しています。
「ごめん、ごめんよ。変なことを言って。……四人の子の父親がこのざまなんて、情けないな」
「あら、慎重なのは悪い事じゃないわ。一番上の子もね、お父さんみたいな人と結婚したいって言っているくらいよ」
「ああ、もうあの子も結婚を考える歳かい。……早いものだなぁ、ついこの間まで赤ん坊だった気がするのに」
一番上のエンゾの娘はお年頃。奥さんに似た器量よしで、ぜひ花嫁にと求める声もやみません。
父親として誇らしくもあり、物寂しくもあります。
「あの子には素敵な花嫁衣裳を着せてあげたいわ、だからたっぷり稼がないとね。
さあ、もう寝ましょう? 明日も早いのでしょう、夜更かしするとロバから落っこちるわよ」
奥さんにうながされて、エンゾは暖炉の火を消します。
一緒の布団で奥さんの肌のあたたかさを感じながらも、エンゾの頭の中には色んなことがぐるぐると渦巻きます。
ポムデギャミンの事、娘の結婚の事、明日の仕事……
そんなエンゾの心配を見すかしたように、奥さんは眠るまでエンゾの背中をぽんぽんと撫でてくれるのです。
「エンゾ? ええ、うちの夫の名前です。夫が何か……?」
翌日、エンゾが積み荷をたっぷりロバに積んでいると、玄関から奥さんが誰かと話す声が聞こえてきました。
しばらくして奥さんはぱたぱたと、厩舎に駆け込んできました。
「誰かたずねてきたようだね、僕がどうかしたのかい?」
エンゾが顔を出そうとすると、奥さんが慌ててエンゾを厩舎に押し返します。
「逃げて! あなた! ポムデギャミンの捜査がきたわ!」
「なんだって!?」
エンゾは泡を食ったように叫びます。
「――此処にいるのか、行商人エンゾ」
おそろしく横柄な声が聞こえてきました。捜査に当たる役人が、家の中に勝手に入ってきたようです。
「早く! 早くロバを出して! しばらくは帰ってきては駄目よ!!」
「でも、僕を逃がしたと知られたら君がどんな目にあうか……」
「今は自分の事だけ心配してよ! 早く行って!!」
奥さんに尻を叩かれるように、エンゾはロバを引いて家を飛び出していきました。
さて、帰ってくるなと言われても、何処へ行ったものでしょう。
このまま行商に出るのは危険ですが、ロバの積み荷にはあまり日持ちしない物もあります。
「そうだ、彼になら……」
エンゾは街はずれの、木こりの家をたずねます。
木こりの息子はエンゾの所の働き手で、人一倍よく働くのでエンゾはとても頼りにしています。
「……もしもし、誰かいますか」
エンゾが木こりの家の戸を叩くと、見知った顔が勢いよく出てきました。
エンゾの所で働いている木こりの息子です。
「旦那! 無事だったのかい! 心配したんだぜ!?」
「ああ、その様子だと君の所にも役人がきたんだね。
困ったな、君に代わりに積み荷を捌いてもらおうと思っていたのに……」
「いいや、俺の所にきたのは旦那の娘さんさ。
事情は彼女が全部話してくれたよ、それと旦那が尋ねてきたら助けてくれって。まったく良くできた娘さんだよ」
エンゾは娘の手回しを喜ばしく思いましたが、同時に情けなくもなりました。
ポムデギャミンなんかで商ったばっかりに、罪もない妻や娘や、彼まで巻き込んでしまって。
「おかげで僕はこの通り、まだ逃げ切れているよ。
だが積み荷を君に託したら、君にまで迷惑がかかりそうだ。残念だけれど、他を当たるよ」
「待ってくれ! そんな大荷物じゃいくら人目を避けても目立ち過ぎる!
俺がその積み荷を全部買うよ。いいや、買わせてくれ!」
「なんだって!? こんなに買ったら君のひと月の給料が吹き飛んでしまうよ!!」
「構うもんか。先立つ物は必要だろ?
旦那みたいな気の優しい男が、濡れ衣でしょっ引かれるなんて黙って見てられるかい。
俺は家の仕事を手伝って食いつなぐさ。だから旦那は逃げ切って、また俺を雇ってくれ。
そうしたら、たっぷり稼がせてもらうよ」
木こりの息子はほがらかに笑います。
エンゾはひどく申し訳ない気持ちになりましたが、背に腹は変えられません。
「ありがとう、君の好意に甘えさせてもらうよ。
積み荷は半分の値段でいい、どうか買い取ってくれないか」
「あんたも大概お人よしだな。よし、買った! 必ずまた会おうぜ!」
ここで意固地に全額払えば、エンゾがさらに恐縮してしまうと木こりの息子は知っているのでしょう。
それでも裕福ではない木こりの息子が、ひと月の給料の半分を投げ出すのは決して容易い事ではなかったはずです。
もらった路銀を握りしめ、エンゾは何度もお礼を言いながら木こりの家を後にしました。
身の軽くなったロバを引っ張りながら、エンゾは途方にくれて街道を歩きます。
街を出たはいいものの、何処へ行ったものでしょう。
「……ああ、今にも役人が追いかけてくる気がするなぁ」
エンゾが恐る恐る振り返ると、馬にまたがった人影がこちらに迫ってくるのが見えました。
「ひぃっ!?」
役人が追ってきたのだと思って、エンゾはロバにまたがり必死に街道を駆け出します。
「――おぉい、待たんか! エンゾ、エンゾだろう!?」
けれど馬上から聞こえてきたのは、役人の横柄でおそろしい声ではありません。
威厳たっぷりの老人の声でした。聞き覚えのある声です。
「……く、組合長?」
高価な馬を持っているのなんて、街では名士として知られる組合長くらいです。
エンゾはおそるおそるロバを止め、馬上の組合長をまじまじと見ました。
とても立派な騎馬装束に身を包んでいます。
若い頃には騎兵として身を立てたという話は、酒の席での大言壮語ではなかったようです。
「無事か、エンゾ。この人騒がせめが。
ポムデギャミン絡みで目をつけられたのだそうだな? 細君が泣きながら話してくれたぞ」
「……はい、ほとぼりが冷めるまで身を隠そうと思います」
エンゾは嘆かわしそうに、申し訳なさそうに話しました。
「下を向くな。本当に罪人のように見えるぞ。
お前みたいな愛妻家の子煩悩が、他所で女を、ましてや子供を買うなんて思っとらん。
女王陛下のご命令とはいえ、近頃の役人の横暴ぶりは目に余る。
この間も、うちの街から真面目な粉挽き屋が連行されたじゃないか。
誤解を解こうと嘆願書を送っちゃいるが、それもなしのつぶてでな」
組合長はうんざりしたように言います。
「逃げ切れ、エンゾ。
街の働き手をくだらん労役に取られるのは、もう我慢ならん。
儂の馬と服を貸してやろう。
立派な服を着ていれば役人というのはへいこらするし、馬ならロバよりもうんと足は速かろう」
「とんでもない! 馬がどれだけ高価なものか、私もよく知っています。
それにその服は、組合長の若かりし頃の武勇の証。私みたいな臆病者が袖を通していい物じゃない!」
エンゾは慌てて断りますが、組合長は笑い飛ばします。
「なに、どちらも老いぼれには過ぎたものだよ。ちょっと駆けただけで腰が痛くてたまらん。
……あいたたた。どれ、帰りはそのロバなんかが丁度良さそうだな」
組合長はエンゾが乗っているロバをちらりと見ました。
「へ? こいつですか? それは構いませんが……本当によろしいので?」
「くどい。さっさとしろ、お前みたいなのろまはすぐ追いつかれるぞ!」
組合長に怒鳴りつけられ、エンゾは飛び上がるようにロバから降ります。
組合長がぽいぽいと服を脱いでは投げ寄越すので、そのたびにエンゾも自分の着ているものを差し出さなくてはなりません。
エンゾはすっかりと、いつもの旅装束からは見違えるような立派な騎馬装束になりました。
「はっは、似合わんなぁ。あまり背中を丸めるな、余計に服に着られて見えるぞ」
ロバに乗って、みすぼらしい旅装束を着ていても、組合長は威風堂々としています。これが貫禄というものでしょう。
組合長がエンゾの乗った馬の尻をぴしゃりと叩くと、馬は街道を颯爽と駆け出します。
振り落とされないように馬にしがみ付きながら、去り行くエンゾは何度も何度もぺこぺこ頭を下げました。