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三、白衣の杏菜

 

 三、白衣の杏菜


 放課後、保健室に来てみると、そこは暗く静まっていた。

「間違いだったかな?」

 杏菜が放課後に保健室に来るように言っていたけど、今日ではなかったかもしれない。手探りで明かりを点けてみたら、着替え途中の杏菜が浮かび上がった。

「きゃーっ!!」

 悲鳴を上げたのは僕だ。物陰に隠れた杏菜は、すぐに白衣を着て僕の前に現れた。茫然とする僕に、杏菜は顔の横に右手を付け、「こっちに来て」という感じで手招きをする。そして僕の耳元で、

「どうして、あなたが悲鳴をあげるのかしら」

「お化けかと思って」

「こんなに美人のお化けがいるわけない……でしょ!」

 杏菜は僕のヘソめがけて軽く拳を入れた。

「痛いなあ……」

「ねえ、この機材を見てよ。これが培養機で、こっちが血清製造機。機械が稼働を始めれば、一カ月で日本中を救えるわ」

「日本中……?」

「今や世界中が吸血病患者だらけだけど、他の国へは血清サンプルを送るから、それぞれの国がそれで対処できるんじゃないかな。人間が残っていない国は助けてあげなければならないけど、この部屋から世界を救えるのよ」

「救える? 僕の家族も?」

「うん!」

 勢いで、杏菜の話を信じそうになった。それらしいピカピカの白い機械が保健室に所狭しと置かれている。この機械で吸血病の血清を作ることができる。医者のような格好をする杏菜の姿も様になっていた。でも、しかし……。

「あ、あのさあ、いざとなれば僕は頭が柔らかいほうだと思うんだよ。ここで何をしようとしているか、もう一度、最初から話してみて」

「まじ……?」

「まじ」

「おかしいなあ、転送が上手く行かなかったのかしら。失敗して、翔太の頭がぱーになってる?」

「そ、それも含めて全部聞きたい」

「まあいいわ。言えば思い出すかもしれないしね」

 杏菜は、頭がぱーになっているかもしれない僕のために、ゆっくりと話し始めた。

「いい? 吸血病だけど、世界で最初の患者が発見されたのは、この学校の生徒からだったのよ」

「……うん。もちろん知ってるよ。最初の頃は報道の人が学校にたくさん来て取材してたよね」

「だから治療もこの学校からやるのよ。そのために私たちはここに潜入したんだから」

「は、はい、ストップ! その潜入の意味がわかりません!」

「ほんとう?」

 杏菜は首をひねった。

「翔太は私たちの仲間なのよ。まだ思い出さないの」

「だって、ここで吸血病の薬を作ろうっていうんでしょ? それって無理じゃね?」

「どうして」

「だって、僕らはただの中学生だから」

「やっぱり、転送の衝撃で記憶喪失かしら……」

 杏菜は僕の顔を覗き込むようにして見る。

「こまったわね……。あのね、私たちは吸血病の治療のためにこの学校に送り込まれたの。はっきり言って、地球人じゃないわ」

「は?」

「なに、その私を馬鹿にしたような笑顔は。まあいいわ。よその国の特殊機関の者とでも思って。その方が理解しやすいでしょ?」

「中学生なのに?」

「そんなの関係ないから。この病気の発生は予知されていて、その治療方法もすでにあるのよ。血清を体内に保持している生徒がいて、それが翔太なの。わかった? あなたの体の中に薬があるのよ」

「まさか」

 僕は笑った。僕の体が薬になるのなら、とっくにお医者に相談してる。

「おかしいと思わない?」

 杏菜は一緒に笑わない。真剣な顔で言った。

「どうして学校中で翔太だけが感染しないのよ? すでに体内に血清ができているからで、あなた自身が特効薬の元になるのよ」

「僕はまだ噛まれてないからだよ。だから感染してないんだよ」

「……一度も?」

 杏菜は気の毒そうな顔をした。その顔に、「友達が少ない」「モテない」と書いてあるようで、僕は心外だった。

「いや、僕だって何度も噛まれそうになったさ。さっきだって僕を噛もうとした美田君から、杏菜が助けてくれたんでしょ。先生だって僕に噛みつこうとしたしさ。ほら、誰だって僕を噛んで仲間にしたいんだ。魅力があるんだよ」

「そう言えばそうだったね」

「それに、杏菜だって感染してないじゃないか。体の中に血清があるんだろ? 自分の血液から治療薬を作ればいいんじゃない?」

「私には血清がないの。私は、治療薬の製造だけが担当だから」

「今までどう生き延びてきたの」

「だから吸血病のふりをしていたのよ。この保健室も昔から窓に鉄格子が入ってるでしょ? 何十年も前からこの騒動は予知されていて、ここで血清が作られる計画だったのよ。鍵を閉めた保健室(ここ)だけが安全地帯で私たちの保護者よ。翔太が生まれる前からこれは決まっていたの」

「保健室の鉄格子は暴れる生徒を隔離するためって聞いたけど……」

「そんなことが許されるわけないでしょ? そんな牢屋みたいな」

 たしかに、保健室を改めて見ると、壁も扉も頑丈そうで頼もしい。鍵も二つあって、それを掛けて保健室に居ると心から安心できた。ここなら、誰も入ってこられないだろう。

「翔太、ベッドに寝て」

 言われたとおりに僕が横になると、杏菜は大きな注射器を空中にかざした。

「ちょ……ちょっと、なにそのでっかい注射器!」

「取り敢えず、あなたの血液が血清になるか調べるから。ちょっとだけ血を貰うからね」

「待って!」

「この注射器しか手に入らなかったのよ。男でしょ、覚悟を決めて。それとも、噛んで血液を吸い出す方がいい?」

 杏菜はかわいい口をぱっくり開けて僕に噛みつく真似をした。牙はやはり付けられた偽物だったのか、もう付いていない。健康そうなピンクの歯ぐきと白い歯が見えた。

 本当に僕の身体の中に血清があるのなら、もちろん協力したい。でも、それが信じられない。杏菜が吸血病の研究者だというのも眉唾で、そういう疑問を起き上がって杏菜に話した。

「翔太の体には、ある時期に少量の吸血病が植えつけられて、そろそろ吸血病の血清ができあがっているはずなのよ」

「そんなものを注射された覚えはないけど……」

「注射ではなく、食物として体内に入ったはずよ」

「食物……?」

「給食のおばさんに化けた研究者から、特別な食べ物を渡されなかった? 吸血病と特殊な薬品を組み合わせたもので、それを食べなければ血清の元が体内に生まれないのよ」

「あっ! も、貰ったかも! カレーパンだけど!」

 まさか、あのカレーパンがそんなものだったなんて……。

「それよ!」

 杏菜は手を叩いた。

「でも、あれは本当は美田君が食べるはずだったんじゃ……」

「どういうこと?」

 カレーパンを貰うはずだったのは本当は美田君で、僕は美田君が貰うはずだったカレーパンを食べてしまった。それを僕は正直に杏菜に言った。だから、これは人違いだと……。

「人のものを食べたの? どうして?」

「どうしてって……」

 杏菜は首を横に振っている。がっかりする杏菜をに僕は弁解をした。

「あの日は色々あったんだよ。でもまあ、百歩譲って杏菜がどこかよその国の人で、その特殊任務についてる人だとするよ。ということは、あの怠け者の美田君が、本当はあのカレーパンを食べて体内で血清を作るはずだったってこと? そりゃあ嘘だね。あいつに潜入任務なんてできるわけがない。百万歩譲ったってそれだけは信じられないよ」

「美田君ってそんなにひどい人? 私は自分の役割以外のことは知らないのよ。これはそういうテストでミッションだから。それはそうと、美田君って感染してなかった?」

「とっくに感染してるよ。夜な夜な少女の生血をすすろうと住宅街を徘徊してるさ」

 僕は両腕をだらりと下げて、お化けの真似をした。

 杏菜は、

「でもよかった」

 と言って、僕の頭をいい子いい子という感じで撫でる。

「簡単に吸血病に感染してしまうおっちょこちょいが混ざっていたのでは、どうせこの計画は成功しなかったし、翔太の体に血清があるのなら、計画通りに進めらそう」

「いいの? 僕でも」

「うん。臨機応変で行かなきゃね。血液採取は、三日後くらいにしましょう」

「……う、うん」

「この大きな注射器ね、獣医さんに忍び込んで手にいれたの。三日後までに翔太が怖くない小さめの注射器を探しておいてあげるから、それで採血しましょう。それじゃあ今日は解散!」

「解散?」

「機械は揃ってるけど、注射器だってないし消毒液もない。ないものだらけよ。まだ、準備に三日はかかりそう」

「三日か……」

「早くここから出ていって。また私の着替えを見たいの?」

 杏菜がそうからかって服を脱ぐ真似をして、僕は慌てて保健室から出ていった。


 次の日から杏菜は登校しなくなった。どこへ行ったのか僕にはわからない。

「三日は長いなあ」

 けれど僕は耐えた。

 ところが、三日たっても杏菜は学校に来ない。僕は心細くなって気が狂いそうになった。家も学校も町中も、どこもかしこも吸血病患者ばかりだ。ゾンビの町に人間が一人混じって生活しているのとかわらない。こんな状況で、どう生き残れというのか。銃というか、弾数無限のガトリングガンが欲しい……。

 吸血病患者たちは、人間のような行動を取るが、人間と似ているようでぜんぜん違う。杉原第二中学の生徒たちも、ただ習慣で人間だった頃の自分の行動を真似ているだけだ。会話ができる者もいるが、大半は夢遊病者のように学校の中をうろうろしているだけで、だいたい時間を守って登校してくるが、途中で勝手に帰ってしまう者もいる。

 会話ができる者も、よく聞いてみると論理的な思考ができないようで話題は飛び飛び。こちらが卑屈な態度を見せると嵩に懸かるように尊大な態度になるが、強く出ると負け犬のように急にしょんぼりする。臆病な野犬のように相手が弱いとなれば襲い掛かろうとするが、強いとなれば遠くで見ているだけで近寄って来ない。僕は、そういう彼らの習性に気づいた。だから、隙を見せないように堂々と過ごすようにした。

「俺様に近寄るんじゃねーよ!」

 僕は恫喝するように喚いてすごした。

 あたりをぎょろぎょろ見回して威嚇する。こうしないと、いつ噛みつかれるのかわからないのだ。

 ところが、それもほんの数日のことで、しばらくすると慣れてきたのか、僕に近寄る者が現れた。美田君だ。吸血病患者同士でも噛み合うことがあるようで、噛まれた者はその傘下に入る。美田君は、クラスの中では最大派閥のリーダーで、前よりもさらに顔つきが変わり、なんというかイケメンになっている。まるで進化しているように見えた。目が鋭く吊り上がり、伸びた爪は鷹のように鋭く尖っている。

「やばいな……」

 背後からいきなり噛みつかれたらどうしようもない。振り返ると案の定、美田君が近寄っていた。

「な、なにか用?」

「用……とは?」

 美田君は、真っ直ぐ僕を見つめて言う。

「いや……。僕の方をよく見るから、何か僕に用があるのかなって」

「君の方こそ俺に用があるんじゃないか。そんな顔をしているよ」

「用っていうか……」

 僕は美田君に撫でまわされるように見つめられて、思わず顔を両手で擦った。噛み付かれるどころではない、食べられてしまうかもしれない。

 とりあえず逃げたかったが、いつの間にか美田君から後ずさりして、僕の背中が壁に当たった。美田君がどんどん近寄ってくる。

「近頃……」

 と言って美田君は言葉を切った。そして艶めかしい視線で僕の首筋のあたりを見つめる。

「な、なに?」

「近頃、人間は珍しいから、少し見ていてもいいだろ?」

「人間って、美田君も人間じゃないか。ゾンビになったわけじゃない。吸血病は治るんだよ。実は今、その薬が完成しそうなんだ」

「そんなものはいらないね」

「どうして」

「俺たちは進化した。君も仲間になれよ」

 美田君は、僕の首筋に噛みついた。

「あっ……!」

 美田君に身体を押さえつけられて身動きが取れない。

 もしかしたら、全力で暴れたら美田君を跳ね除けられたかもしれない。でも、僕はそれをしなかった。


 ――このへんが潮時かもしれない。


 そんな気がした。

 家だってもう……。僕は家には帰っているが、無人となったスーパーで缶詰などを持ち出して、それを持って自分の部屋に閉じ籠るのが日課になっている。家でも学校でも落着ける場所などどこにもない。

 僕が故意に力を抜くと、美田君は僕を優しく抱きしめるように覆いかぶさってきた。首筋に吸い付いて、血を吸っているようだ。

「おいしい」

 そう言って、今度は僕の唇に自分のそれを重ねてきた。

「ん……?」

 なにが起こったのか僕にはわからない。

 食べられてしまうのか……。美田君は静かに僕と唇を重ね続ける。まるで恋人がする行為のようだった。

 みんなこうして吸血病になるんだ……。そう思って僕は耐えた。まさかそれ以上、破廉恥なことをしてこないだろう。

「んん……?」

 だがしかし、美田君のさらなる行動に戸惑った。あろうことか、僕の口の中に舌を侵入させてきたのだ。さすがに抵抗して美田君の胸を手で突こうとしたが、強く掴まれてどうにもならない。美田君は僕の舌を自分の舌でしばらく転がして、やがて僕の舌に噛みついた。そこから滲み出る血液を吸っているようだ。しばらくそうして、美田君は満足したように唇を離した。

「聞いてごらん」

 美田君は、僕に心音を聞かせようとした。

 杏菜が僕にやったように、自分の胸を僕に差し出すように近づける。もしかしたら、杏菜の心音を聞いたときに、その様子を美田君は見ていたのかもしれない。

 だが、胸に耳を押し当てても、美田君からはなにも聞こえない。底なしの、暗闇の谷に落ちていくような絶望を感じた。

「あの世よいとこ一度はおいで」

 美田君は歌うように言って僕を見た。ああ、美田君はもう死んでいる。僕も噛まれたから、もうすぐこんなふうになる……。


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