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二、ゾンビの学校

 

  二、ゾンビの学校


 次の日の夜、僕は久しぶりの登校をした。夜空に刃物のような細い月が出ている。時間は間違いではないようで、杉原第二中学の生徒たちが暗闇の中をぞろぞろ登校してゆく。みんな無言でふらふらと歩いていて、幽霊の行列……という感じだった。生きているようにはとても見えない。魚の腐ったような異様な匂いが空気を支配していた。

 教室に行くと、三年三組の三十二人の生徒が全員そろっていた。

「誰も死ななかった……」

 僕はクラスを見回した。でも、もうみんな死んでいるのかもしれない。

「あっ!」

 それでも、血色のいい生徒がクラスに何人か残っていて、僕は彼らの中に飛び込んだ。

「どこへ行っても吸血病のやつらばかりだ。もうだめだよ」

 話を聞くと、みんな僕と同じように部屋に閉じ籠って隠れていたようだ。昨日、先生から電話で呼び出しがあり、それで登校してきたということも同じだった。

 ホームルームのあとに授業が始まった。

 照明が外されたり暗いものに替えられているけど、不思議と規則正しく授業は進んでゆく。部活動まであり、どこの部にも所属していなかった僕は、野球部に勧誘されて見学に行く約束までしてしまった。誘ったのは給食当番のときに揉めた美田君で、やはりゾンビのような風体で、断ったら襲われそうな気がして、つい見に行くと約束してしまった。

「ゾンビの野球部か……」

 野球は小学校のリトルリーグ以来で、興味はあったけど、こんな状態で野球なんかできるわけがない。

「武器を持てるからいいか」

 僕はそう思った。野球部に所属だけして、登下校時にいつも金属バットを持って歩けば武器になる。


 なにが正しくてなにが間違っているのか僕にはわからなくなった。そこはゾンビの学校だ。悪夢を形にしたら、こういうふうになるのでは? という映像が、僕の前に展開され続けた。吸血病患者たちは身体のどこかから血を流している者が多く、その血で床は汚れ、教室でも廊下でも、べたべた音をさせたり滑ったりしながら歩かざるを得ない。

 授業中、ふと気づくと、美田君が牙を出した顔で僕を睨んでいた。

 野球部の練習を見に行く約束をしたのに、行かなかっ僕を怒っているのだろう。

 昨日、僕は野球部を見学には行った。グラウンドには照明が灯っていない。けれど、その暗闇の中で、ボールをあらぬ方向に投げたり、奇声を上げながらバットを振り回している影が点在していた。僕はグラウンドから逃げ帰ってきたのだった。美田君に怒られたってどうしたって、あんな中で野球なんかできるわけがない。

「ほかにも……」

 美田君のほかに、二人の男子生徒が僕を睨んでいた。

「あいつら、頭が弱ってるから、感情がストレートに出るんだ」

 睨んでくるその男子生徒は、どれも僕は嫌いだった。彼らも僕のことが嫌いだったのだろう。僕はむしろ納得した。

 昼休みに、――と言っても夜中の十二時に、僕は市川杏菜さんのところへ行った。配膳台の片付けを手伝ってくれた笑顔の彼女も、残念ながら吸血病に感染している。血だらけの暗く沈んだ顔でうつむいていた。

「こんばんは」

 声を掛けてみたけど無反応。

 もしも僕のことが好きならば、弱った精神と頭脳ではコントロールできず、その態度に現れるかもしれない。僕はそう思って市川さんの前に立ってみたのだった。

「ねえ、こんばんは」

「…………」

 一瞥もくれない。

 僕はがっかりした。あの配膳台を片付けてくれたときから、密かに彼女に恋心を抱いていた。あの時のあの笑顔は、僕への好意のシルシかもしれない。そんなふうに思っていたのに、風が吹いたほどの反応も彼女は示してくれない。もしも市川さんに好かれていても、ゾンビな彼女とは付き合えないけど……。

「気を付けたほうがいいぜ」

 僕は元気なクラスメイトの一人に袖を引かれた。

 クラスには僕を含めて四人の無感染の生徒が残っていて、その一人が言うには、感染者はみな、元気な者に噛みつく機会を狙っているという。

「わかってるよ……」

 僕はうなずいた。僕の家族がそうだった。

「気付いたか?」

「なんに?」

「ほら、やつらを見ろよ。いくつかのグループに固まってるだろ? 噛まれると、その噛まれた系統の吸血病のグループに入るんだよ。だから奴らは自分たちの仲間を増やそうと、競争するみたいに無感染の物を狙ってる」

「グループ?」

 なるほど、クラスの感染者たちはそんな感じで固まっている。

「気を付けろよ。俺の家は父親と妹が同じグループで、母親と兄貴が同じグループ。俺を仲間に入れようと、競争してるんだよ」

「……そうか。僕の家でも一緒だったよ」

 僕は頭を抱えた。これが現実だ……。

「でも、どうせ入るなら母親の方だな」

 その生徒は耳を疑うことを言った。

「どちらかというと、俺は母親に可愛がられていたから、噛まれるなら母親に噛まれてそのグループに入りたい」

「お、おい、落ち着けよ。ただでさえ、元気な者が少ないのに」

「もしも噛まれるならってことだよ」

「もしもね……」

 僕は改めて吸血病患者たちを見た。もともと仲の良かった者同士は同じグループにいるようだ。バカな考えには違いないけど、家で噛まれるならお姉ちゃんに。学校で噛まれるのなら市川杏菜さんに噛まれたい。どうせゾンビになるのなら、いっそ好きな人と一緒のほうがあきらめもつくだろう。


 昼夜逆転の生活がはじまった。今までと似てはいるけどすべてが違う。だがしかし、問題なく学校生活は続いていった。授業もあるしテストもある。ただ、新しいことは決して起こらなかった。吸血病患者たちがすることは過去に見たようなことばかりで、記憶の再現をしているように見えた。

「彼らはもう死んでるんだよ。肉体は動くから、過去の行動を再生するように動いているだけだ」

 そんなことを僕は無感染の者と話していたが、やがてその相手もいなくなった。日に日に新たな吸血病患者が増えて、ついに三年三組のクラスでは、僕だけが無感染となった。学校ではもう、ただ一人の無感染者かもしれない。こうなっては、健康なのが恥ずかしい気さえしてきた。先生たちだってみんな感染している。

「君はいったい、どういうつもりなんだ?」

 職員室に呼び出されて僕は担任の先生に言われた。吸血病患者たちには症状の強弱があって、僕の家族や先生のようにしっかりと話せる者もいる。

「はあ……。なんというか、僕にもわかりません」

「早く誰かのグループに入ったほうがいいと思うよ。そういうはみ出し者では、立派な大人になれないから」

「立派な大人?」

 この状況で、どういうことを立派というのだろう。でも、元気な時の先生も、こういう将来についての話を好んでしていたような気がする。しっかり自分の意見を話しているようで、これも記憶の再現をしているだけなのだろうか。

 僕が先生から目を離すと、先生が飛びかかってくるような気配がした。

「せ、先生も僕に噛みつきたいんですか?」

 思わず席を立った。

「な、なんてことを」

 少し動揺したように担任はどもる。

「生徒のお前に噛みつくわけがないじゃないか。そういうのは、誰か親しい特別の相手とするものだぞ。家族か友達か恋人か……。どちらかというと、異性の方が健全だ」

「え? そういうものなんですか?」

「あたりまえだ。まあ、若いからさ、君に噛みつきたい人なんて、いくらでもいるだろうけど」

「はあ……」

 どうやら吸血病の人たちにもルールがあるようだ。僕がわざと腕を先生が噛みやすいような位置に向けると、先生は唾を飲み込むような物羨(ものうらやみ)の目をした。

「な、なんだ? 先生が噛んでもいいのか?」

「いいえ、そういうわけでは……」

 僕は職員室を逃げるように出て行った。

 それから、噛みついてもいいのに……と思って市川さんの周りをうろうろした。ゾンビにはなりたくないけど、逃げられないのなら市川さんのグループに入りたい。しかし市川さんは僕に関心をしめさない。

 僕は、

「噛んでもいいよ」

 の一言が、なぜか言えなかった。

 相手はゾンビみたいな吸血病患者で、思考はボンヤリだから遠慮はいらない。けれど不思議と告白のような気がした。

 市川さんの前を行ったり来たりしていたら、

「こっちに来いよ」

 と、美田君に声を掛けられた。

「な、なに?」

「いいから」

 美田君は、顎をクイッと廊下の方に振る。

「僕、忙しいから」

 正直、怖かった。

 以前と美田君の表情が変わっている。頬がこけて痩せているのは他の吸血病患者と変わらないが、美田君は少し太めだったから、他の人より、より変わって見えた。

「野球部に入ってくれるんだろ? 一緒に甲子園にいこうぜ」

 甲子園は高校生でしょ?

 そういうマジなツッコミを僕はしなかった。どこで怒り出すかわからないからだ。頭が弱って、野球→甲子園と回路が繋がってしまっているのだ。

「美田君、野球部のことは、もう少し考えさせてよ」

「どれくらい?」

 のらりとくらりとかわそうと思ったら、美田君は曖昧な答えを許さない。

「なあ、どれくらい考えるんだ?」

「三日くらい」

 つい、僕は言ってしまった。美田君は、こう言ったら悪いけど、前より賢くなったように見える。隙がない感じで、僕の目をじっと見つめて離さない。

 美田君は甲子園などと変なことを言うが、目つきが鋭く狡猾な感じになっている。吸血病患者には二種類あって、酩酊するようにふらふらしてロレツが回らない者と、僕の家族や担任の先生、それに美田君のように、しっかり言葉を操れる者がいる。言葉を話せる者は以前より動物的な感覚が鋭くなって動きも俊敏になっているように僕には見えた。美田君などは、目つきが鋭くなって男前も上がったように見える。

「なに? 痛いよ」

 美田君に腕を掴まれて、僕は階段の踊り場まで連れていかれた。

「あの……美田君も、僕を噛みたいの?」

「まあね」

「僕は噛まれたい気分じゃなくって……」

「優しく噛むからさ」

 美田君は優しい感じでささやく。なんだろうこれは? まるで口説かれてるような……。

 ふと、美田君は市川さんと同じグループだったかと考えてみたが、市川さんはいつも一人でいる。それでは美田君なんかに噛まれるわけにはいかない。僕は美田君の手を振りほどいて教室に戻ろうとした。美田君が襲ってきたら戦うしかない。もうなんというか、金属バットでは足りない。彼らと戦うには銃さえ必要な気がしてきた。

「俺が噛んであげるって。そのままじっとしてな。痛くしないから」

「でも……」

 美田君の腕の檻に閉じ込められて、僕は恐怖で足がすくんでしまった。


「――翔太を噛むのは私よ。翔太と約束したから」


 とつぜん、階段の下で声がして、そこに市川杏菜さんが立っていた。

「そうなのか?」

 と、美田君は僕に聞く。

「市川さんに噛まれる約束……?」

 なんの話だろう。僕は市川さんと一言も話してない。

「そうだよね?」

 と、市川さん。

「約束というか……」

 僕は首をひねった。そんな約束はしていない。けれど、市川さんに噛まれたいと思って、さっき市川さんの周りをうろうろしていたから、もしかしたら市川さんに僕の想いが伝わって、約束したことになったのかもしれない。

「約束してたかも」

 僕がそう言うと、

「ちっ……」

 と、美田君は舌打ちしをして去っていった。

「助かった……」

 僕は溜息をして階段に座り込んだ。市川さんが近づいてきて僕の隣に腰を掛ける。

「市川さん?」

 吸血病患者と二人きりなのに恐怖を感じない。それどころか、僕の胸はときめいた。

「杏菜でいいよ」

「呼び捨てで」

「うん」

「杏菜か……。ちょっと照れ臭いな」

 市川さん……いや、杏菜もしっかり話しが出来るようには見える。でも、顔が赤黒く血で染まっていて、昔の健康的な面影が微塵もない。僕は彼女が心配になった。

「ねえ、大丈夫……?」

「なにが」

「なにがって、吸血病の人はさ、言いにくいけどゾンビみたいなものでしょ? 見た目がそんな感じだし、とても生きてるようには見えない。心臓だって止まってるんじゃないかって言われてるし」

「…………」

「ねえ?」

「………………」

 ところが、教室の彼女に戻ってしまったのか、僕がどう話しかけても反応しなくなった。僕に横顔を見せて眉ひとつ動かさない。やっぱり、死んでるんじゃないか……。

「僕は、君のことがずっと気になっていたんだ。一年生からずっと。それがこの前、給食当番の手伝いをしてくれたでしょ? あのとき、はっきり君のことが好きだって気づいたんだよ。でも、まさかこんなことになるなんて……」

 本当に、どうして世の中はこんなことになってしまったのだろう。僕は頭を抱えて嘆息した。

「……こうなったら仕方ない。僕は、どうせ噛まれるなら君に。そう思っていたんだ。噛まれたら、僕の心はどこへ行くんだろう。もうわけがわからなくなって、夢の中にいるみたいになるのかな? 自分の頭がしっかりしているうちに言うね」

 杏菜はやっぱり、なんの反応もない。

「……僕は君のことが、市川杏菜が好きだった」

 噛まれる前の、人間としての最後の言葉のつもりだった。

 ぐるっと杏菜の首が横に回転して僕を見た。

「調子に乗らないで」

「は……? なに?」

 杏菜は呆れた顔をして眉根を寄せる。

「そんな言い捨てみたいに『好き』なんて簡単に言わないで。好きの意味なんてまるでわかっていないくせに」

「わ……わかってるよ」

「わかってない!」

 真剣に言ったのに、なぜかゾンビに叱られてる。

「い、いや、僕がわかってるって言ってるんだからそれでいいだろ? 僕の気持ちが、どっちに向こうが僕の勝手だし」

「向かれた人の気持ちも考えて」

「そこまで言う……」

「まあ、それはそれとして」

 杏菜は手の平を僕に向けて言葉を遮り、

「そろそろ血清ができた頃でしょ? 保健室をラボとして必要な機材を揃えてあるから、放課後に保健室に来てよ」

「ラボ……?」

 意味がわからなくて、僕は口を開けてボンヤリしてしまった。

「研究所のことよ。大丈夫?」

「いや、大丈夫じゃないのは君の方だろ」

「君ってだれよ」

「あの、杏菜……さん」

「杏菜って呼び捨てでいいって言ったでしょ。なに照れてんの? 名前なんてただの記号だし、ちゃんと名前で言って。それに翔太、あんたちゃんと話し相手の目を見て話しなさいよ。独り言なのかなんなのかわからないから。ほらそれ! どうして私と目が合うとそらすのよ」

「あの……」

「ほらまた! ちゃんと私の方を見て話さないと、また無視するからね」

「それで……」

 さっきはヘソを曲げて口を利かなかったようだ。

「まいったな……。うちの先生とか、目を見て話さない人が嫌いだったけど、僕もそうなのか」

 僕は改めて杏菜を見た。瞳があおあおと輝いていて、頬の肉付きは意外といい。牙が外れかかっているように唇の下にぐらぐら付いていて、僕が牙を見ていることに気づくと、杏菜はそれを手ではめ直した。

「もしかして……あ、杏菜って、感染者のふりをしてるの?」

「あたりまえでしょ。私が変装して感染を回避するって聞いてたでしょ? 早く血清を培養して、治療の準備を進めましょう。私たちがやらないで、いったい誰がやるっていうの? 手遅れになるから」

「なんのことやらピーヒャララ」

 意味のわからない笛の音だ。

 杏菜の頭は混乱している。映画やドラマの話がごちゃまぜになっているようだ。杏菜も本当は感染しているかもしれず、僕を噛もうとするかもしれない。僕は袖を撒くって腕を突き出してみた。

「なにそれ?」

 だが、杏菜は難しい顔をして目を細める。

「僕を噛みたいならどうぞ」

「バカにしないで。私が任務の途中に感染したっていうの? ちゃんと心臓だって動いてるんだから」

「……やっぱり、感染者は心臓が止まってるの?」

「感染者も本当は小さく動いているんだけど、聞いてもわからないくらい。私の心臓は、ちゃんと足踏みするみたいに元気に動いてる。聞いて確かめてみて」

 杏菜はそう言って僕の前に自分の胸の盛り上がりを持ってきた。誘われるままに、僕はそこに耳を当てる。とくっとくっ……と、本当に足踏みのようなリズムが聞こえた。

「鳴ってる……。温かいね」

 思わず泣きそうになった。学校でこのリズムを刻むのは、もう僕と杏菜だけかもしれない。

 僕は静かに杏菜の心音を聞き続ける。ところが、

「おっぱいさわってんじゃないわよ!」

 と杏菜に叱られて、慌てて顔を離した。故意にさわったわけじゃない。というかさわってない。心音を聞くのに耳を当てていただけ。ちょっと強く押し付けすぎたかもしれないけど……。


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