ある聖女の昔話 ――<聖女>――
マリアの昔話です。グレイくんも登場しています。
私の告げた言葉。
それが引き金となり、一人の少年を苦しめてしまうことになった。
怒声、罵倒。それは何度も何度も少年に向けられ、必要以上に少年を苦しめていた。
幼き私は訳も分からずに、周りの罵倒を聞いていた。
聖女だ、なんだ、と言われていても所詮は子どもで人の気持ちに無頓着だったということだろう。いや、むしろ人の気持ちには疎かったかもしれない。あれを聞いていて、良く解っていなかったのだから。
ただ、あの日を今になって思い出すと胸を強く強く締め付けてしまうほどにあの少年はつらかったのだろうと思うようになった。
そして、どれだけ自分が愚かであったのかを思うようにもなった。
「おぉ、聖女様ッ! 私たちは聖女様にいつも感謝しております」
巡回中に国民の皆様から、感謝の言葉をいただく。
それは本当に私に感謝している言葉で、形式というものではないことが解る。
だけど、私は感謝の言葉をいただくほどのことをしていたわけではない。
だが、私は相手の気持ちを考えて笑顔で口を開く。
「ありがとうございます。私もいつも貴方たちに加護が有らんことを祈っております」
「あぁ、有り難き幸せです」
「それでは失礼します」
私の気持ち。それは本当の感謝の気持ちをくれる人たちに対して、失礼だと思う。
だけど、私は何か偉いことも凄いこともまだ出来ていない。
そのことがあり、私は本当に感謝の気持ちに応えることは出来ない。
「聖女様? どうかなさいましたか?」
「いえ、何でもありません」
「そうですか。ならいいのですが」
護衛の人が私を気遣って声をかけてくれた。
というよりも私がそこまで追い込まれているのが気づかれる程に表に出てしまっているのだろうな。
私は本当にどうしようもないし、弱いな。
信者である国民たちはいつも私に感謝してくれる。聖女である私に。
私は特別なことをしたわけではない。
むしろ、私はすぐ目の前で苦しむ少年に何も出来ない程にどうしようもないのに。
私は教会で光の神である白神の特殊な加護を持つ聖女として育った。
確かに私は聖女として強き癒しの力を持ち、聖なる加護を一身に受けた者だ。
だが、私は聖なる加護の力を使いこなすことは出来ていない。
私が今出来ることは、一般の聖職者と遜色ない程度の治療魔法を扱えるといった程度。
そのため、私は主に行っていることは普通の治療魔法による国民への救済といった程度だ。
それは聖女でなくとも出来ること。
私が治療せずとも他の者が治せるということ。
私はそんなことしか出来ていない。
そして、教会からの施しを実施する際には私が表舞台にたって行われることが多い。
それが国民からの支持を受ける理由。
そう私は作られたハリボテ。
聖女として特に何も出来ない。
そんな聖女であるが聖女でない私。
そんな私に嫌気がさしていた。
だから、皆の気持ちを否定したくなることがある。
だけど、皆の気持ちを考えるとそうは出来ない。
確かに、そうすることで皆に安らぎを与えることは出来ているのだから。
そして、それには国民の皆さんにとって必要であるということも解る。
でも私は自分に納得出来ない。それは私のワガママだろうが、気持ちは解っていても制御出来ないから。
そうして、頭の中で色々と考えながら、巡回していると、いつものあの光景を見掛ける。
あの少年がよってたかって殴られ蹴られている光景。
「何が勇者だ。ケッ! 条約があるから殺しはしないが、本当に目障りなんだよッ!」
「いつも笑いやがって気持ち悪いなッ! お前には笑う権利なんてないんだよッ!」
「ちッ! 何で末裔流血事件での生き残りがお前なんだよッ! このグズがッ!」
あの少年に暴言を吐きながら様々な人が殴り、蹴り、あの少年を傷つけていく。少年はなす術もなく地面に横になっている。
私はそれをいつも見過ごす。
止めても意味のないことであると解ってしまっているから。止めても次から私の見えないところで行われるようになるだけだから。
例え、止めたとしても、救われるのは自分。この光景を見たくない自分が見なくていいようになるだけ。
自分の心を救うために止めても意味がない。
少年が救われないのに私だけが救われる。こんなことは許されてはいけない。
だから、私はいつも通り、見過ごそうとした。
「聖女様? どうかなされました?」
その場から遠ざかろうと一歩踏み出そうとした時、足が止まった。
そんな私を不思議そうに見ながら、護衛の者が声を掛けた。
私は、私の目の前から、この光景を消したい。
そう強く思ってしまった弱い私は足を止めてしまった。
そして、本当に今さら止めるために口を開いてしまう。
本当は止まらないと知りながらも。
「そこの人たち、勇者を傷つけるのは、そこまでにしておきましょう」
「ですけど、コイツは勇者であって勇者じゃないですよ」
「勇者でありながら勇者じゃないから、と言って痛みつけるのはダメです。彼だってこの国の民なんですから」
「……そこまで聖女様が言うなら止めます」
「ありがとうございます」
渋々といった様子で勇者を痛みつけていた者たちが去っていく。
そして、その去り際にある一人が寝そべっている勇者に「ケッ! 明日は覚えておけよ!」と囁いていたのが聞こえた。
そうやっぱり私が止めたのは意味がないと解るやり取りだった。
……いや、意味はある。
意味……私にかかる負担が減るということが。私の心が救われるという意味が。
そう考えると私は自分に嫌気がさす。
人のために起こした行動と見せ掛けて自分のためだなんて。
救わないといけない者を救わずに自身を救うだなんてね。
「勇者さん。大丈夫ですか? 彼方で治療しましょう」
「聖女様、巡回は終わりましたし、そのような者は放って置いて帰りませんか?」
「いえ、大した怪我ではないとは言え、生傷だらけでは辛いでしょう。治療しておきます」
「聖女様がそこまでおっしゃるのであれば仕方ないですね。では私はこの辺りで周りを警戒しておきます」
「えぇ、宜しくお願いします。さぁ、勇者さん。彼方のベンチへどうぞ」
促された通り、少年は公園に設置されたベンチへと腰かける。
そういえば、少年は私のことを覚えているのだろうか?
いや、あの悲惨な出来事を作った切っ掛けの人物を忘れているはずなどない。恨まれているだろう。
何も出来なかった私に。今も何も出来ない私に。
「えっと……まだかな?」
「へ?」
「治療するんじゃ――」
「はわッ! します! 治療します!」
ボーッとしてしまっていたのが恥ずかしく焦って返事をしてしまった。
すると、少年がクスリと笑っていた。その顔は純粋で綺麗な笑顔だった。
……ってまた意識が飛び掛けた。早く治療をしよう。
『白なる祈り。汝の傷ついた身体を癒す光を今ここに現れんことを祈る。癒しの光』
癒しの光を発動させ、少年の先ほど受けた生傷を治す。
私の力では、昔に受けた数々の古傷の痕……毎日増やしている傷の痕を癒すことは出来ない。
心の傷も治せない。
傷ついていくのも止めれない。
――そう私は無力。
そうしている間に、気がつくと癒しの光が消えていっていた。
どうやら、魔法による癒しが終えたようだ。
結果、少年の生傷は見事に癒えていた。
「うん、痛くないや、ありがとう」
少年は傷が癒えたことにより、私にお礼を言う。
私なんかにお礼を言う。
私は自分が楽になりたくて彼を一時的に助けただけなのに。
――それなのに。
「……どうしたの?」
「私は貴方に礼を言われる資格なんてないわ」
そう私に礼を言われる資格などない。私は私を助けただけなのだから。自分の心を救いたかっただけなのだから。
だから……だから私に礼なんて言わないで。
「資格があるとかないとかよく解らないけど、俺が言いたいから言っただけだよ。だから、いいんじゃない?」
「だけど、私は貴方が苦しむのを見るに耐えなくなって助けただけ。苦しむことを止められたのは私だけ。貴方は苦しむことが止まらない。そう知っていて助けたとしても貴方は……貴方はッ!」
正直に言う。
私がとんでもない自分勝手な人間だということを。私は弱いということを。
少年に嫌われたくなかったが、それ以上に自分を偽ることが嫌だったから素直に言った。
「うん、言うよ。俺が助かったな、と思ったのは真実だし、苦しみが続くのを止めれないのは俺のせいだしね。それに何よりも君が全てを救えなくても責任を背負う必要はないしね。だから、実際に救われた感謝してくれる人たちの気持ちを素直に受け取ったらいいよ」
「でも私は聖女。だから、私は他の人よりも救わなくてはいけない。それが私の役目なのに」
「そんなことを言ったら、俺なんてダメダメだろう? でも君は精一杯に頑張っている。そして、少しだけど色々な人の気持ちを救っている。俺だって、今だけしか救われていないように見えるけど、こうして誰かが助けてくれたということは色々と支えになるよ。だから、本当の意味で嬉しかったし、救われたと思っているよ。だから、俺の気持ちも受け取ってね」
そして、少年は純粋な本当の笑顔をする。
それは本当に眩しくて綺麗だった。
「ありがとうッ!」
心に染み、頬を濡らす。
濡れた頬は冷たくなく、暖かかった。
「あっと、そろそろ帰らないとヤバいから、俺は帰るね。じゃぁね」
そう言って少年は帰っていった。
その姿をみた護衛の者が終わったと判断して此方へ来た。そして、私を見て驚きの声をあげる。
「聖女様!? どうなされたのですか? 大丈夫ですか?」
「えぇ、大丈夫です。ただ……」
「ただ?」
「嬉しくなって、救われたなって泣いただけです」
そう私は救われたのだろう。この暖かさはそうに違いない。
私は幻に囚われていた。
そして、その幻は勇者に祓われた。
だから、その日に私は泣いた。
次はセノアの話です。