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Pirouette  作者: るるる
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それは、冬に咲く極夜のように


「おねがいがあるの。」


良く晴れた冬の日。朝から低い太陽が小枝に積もった雪を照らしては、その一粒一粒を希少な宝石のように煌めかせる、とても美しい冬の日。姫様は緊張と不安の入り混じった表情で、まるでこの部屋で初めて出会った時のように神経質に言葉を紡いだ。

──今年は特に冬が長いと、街行く人が嘆く。まだ…否、春までもう数ヶ月しかないというのに、窓の外の世界は春を忘れて氷を降らす。硝子一枚隔てた室内では、暖炉で薪がごうごうと燃え盛る。「なんですか?」氷のように張り詰めた表情の姫様に優しく微笑んで、忙しなく裾で掌の汗を拭う小さな手を取る。片膝をついて、僅かに彼女を見上げる姿勢を取ると案の定琥珀色の瞳は緊張に固まっていた。


「どうぞ遠慮なさらずに仰って下さい。私は、姫様の従者なのですから。」

「‥…でも…。」

「従者たる者、主君の役に立つことが1番の歓びなんですよ、姫様。…大丈夫。それがどんな願いでも、私は笑ったり下らないと吐き捨てたりは致しません。」

「ほんとう?」


揺れる瞳を確りと見詰め返すと、口元に薄い微笑みを浮かべてゆっくり頷く。それでもまだ渋る姫様に、「それとも、私は姫様の信頼に値しない人間ですか?」そんな自嘲めいた、尚且つ純粋な彼女の罪悪感を刺激する言葉を態と選ぶ自分にほとほと嫌気が差した。自分はなんて嫌らしく、醜い生き物なのだろう。態々こんな意地悪な言葉を選ばずとも、他に選べる言葉はそれこそ幾千もあったろうに。でも、それでも、そんな言葉を選んでしまった理由はとうに分かり切っている。

──目の前の無力で、いずれ蹂躙されてしまう少女。か弱さの象徴。その彼女の信頼を得たい。もっと頼って欲しい。そしてどうか、その仄かに赤い唇で、ただ「逃げ出したい」と一言。そう。たったその一言を口にして貰いたいだけなのだ。

けれどそれは実態はどうであれ高潔で、紳士で、高貴であるべきと定められた騎士である身には程遠い、過ぎた執着心。躯体の内側に押し込んだ、醜い独り善がりの感情を押し殺してさも純粋な振りをする。そうすれば姫様は面白いくらいに慌てて首を振っては、必死に手振り身振りで誤解だと伝えようとする。その様子が本当に年相応で、愛らしくて、愛おしくて。思わず小さく笑ってしまうと何かを察した姫様は、じとりとした視線と共にむすりとした表情を向けてきた。


「わたしで遊んだでしょう。楽しんだでしょう。わたしより、7つも年上なのに。…いけない人ね、悪い人ね。なんて大人げないのかしら。」

「でも、姫様のお役に立ちたいという気持ちは本当ですよ。」


そう言ってはみたものの、自分で蒔いた種とはいえ突き刺すような視線が痛い。先程までとは一転、居心地の悪さを感じながらも姫様を見上げる。

ふと、握りしめたままの彼女の手に口づけようかと思ったけれど、やめた。この身は姫様のような、とてもうつくしい人に捧げるには些か汚れ過ぎている。忠誠の口づけなんてものは自分よりも御伽噺の王子様のような、誰もが一度は憧れて焦がれるような相応しい人物から贈られるべきだ。そしてそれは、リーン・ヴァルシオという人間ではない。そうであってはいけない。

姫様の手をそっと離し、代わりに頬に手を伸ばす。そっと触れた右の頬はあたたかくて、絹のように滑らかで、繊細で、柔らかくて、ただただ慈しむように緩々と撫でる。刺すような視線が少し和らぐ。彼女の唇が弧を描く。暫くそうしてやると、子猫のようにじゃれながら甘えてくる。「もう、しかたのない人」自分が怒っていたことさえ忘れていそうな様子と、蜂蜜色の瞳につい笑みが零れた。


「ねえ、リーン。」

「なんでしょう、姫様。」

「この国の冬はとても長くて、陽が昇らない日も多いでしょう?夜が朝を飲み込んで、わたしたちは時間を忘れる。だから、わたし怖いの。皆が眠っている間に、わたしが消えてしまうんじゃないかって。とても怖くて、寂しくて、つぶれてしまいそう。」


ずっと聞きたかった言葉。頼りにされたら、どれだけ幸せだろうと幾度となく想像した言葉。けれど庇護欲を擽り、征服欲を満たし、満足感を齎す筈のその言葉を耳にすると、何故だかとても泣きたくなってしまった。

太陽が昇ることを忘れたこの数日間、どれ程に不安だったのだろう。恐ろしくて、助けを求めたくて堪らなかっただろう。それを押し殺して、抑え込み、微笑むことがどんなに苦しかっただろうか。その間、甘い妄想に浸っては酔いしれていた自分が兎に角情けなくて堪らない。今すぐにでも舌を噛み切って死んでしまいたいけれど、瞳に薄っすらと涙を浮かべる姫様にその衝動を堪える。代わりに親指でそっと涙を掬って、優しく囁く。


「──なら、ずっと傍に居ますよ。姫様が怖くないように、寂しくないように、夜に潰され、呑まれてしまわないように。ずっとずっと、傍に居ます。」

「嫌じゃない?」


その言葉に即座に頷く。姫様の瞳からもうひと粒、ぽろりと零れた涙は僅かな陽光を集めて宝石のようにきらりと輝く。泣くまいと、泣いて他人を困らせまいと、姫様は軽く唇を噛んで涙を堪える。そんな姿が健気で、いじらしくて、殊更胸が痛む。


「まさか。私は姫様さえ宜しければ、毎日だってこの部屋で寝食を共に致しますよ。」

「ほんとう?」

「ええ。この不肖リーン・ヴァルシオ、姫様の従者であることは勿論、私は貴女のことが好きですから。」

「じゃあじゃあ、これからは毎日。毎日よ。リーンがわたしといても嫌じゃない日、疲れていない日は、ずっとずっと一緒にいてくれる?」


極夜と極夜の間の、貴重な朝日が彼女の顔を照らす。涙に輝く瞳、期待と不安に満ちた表情。細い眉尻を下げるほんの少しの遠慮に姫様の人柄が表れていると思う。従者なのだからもっと強い言葉で命令してくれても構わないと分かっている筈なのに、そうしないのは姫様がとても真っすぐに優しいお方だからだろう。


「なら、ずっと一緒ですね。そんな日はひとつもありませんから。」


太陽に見放された極夜の中、煌々と咲き誇るただひとつの優しさの真似は出来ないけれど、自分なりの言葉で素直な気持ちを紡ぎ出す。すると途端に声もなく、物分かり良く静かに泣き出した姫様に驚きつつも溢れ出す想いを受け止めてやる。抱き締めることも、寄り添うことも、全てが自分には出過ぎた真似だろう。けれど、どうか必要とされている間だけは、いつかこの少女が出会う白馬の王子様の代わりを。そんな想いで給仕が扉を叩くまでの短い間、彼女の涙を許した。






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