番外編_姫様と私(9)
「はあ?!婚約!?」
「うん、そう。婚約したの。」
気が付けばまた季節が一巡しようとしていた頃、厳しい冬の合間の小春日和を満喫する猫に交じって微睡んでいた姫様を見つけて揺さぶったのがすべての始まりだった。聞けば昨晩は全然眠れなかったのだという姫様にまさか何か悩み事でもあるのかと血の気が引いたのも束の間、私の心配を余所に顔を真っ赤に染めては「実はね…」と切り出した姫様もとても可愛らしかったですはい。いや、あの、でもさ。うん。言いたいことはたくさんある。ただ、ありすぎて何処から突っ込んだらいいのかお姉さんはわかんないよもう。
深呼吸して、幾ら小春日和で暖かいとはいえ冬の冷たい空気を肺一杯に取り込む。少しだけ体温が下がって、冷静になれた気がした。いや全然冷静じゃないけどね?!頭では分かっていたけれど、姫様は立場ある方なんだからいつかはこうなるのだということくらい分かってた。わかってた、けど…。
「姫様、私は寂しいです…。」
「あら、どうして?」
だって私の姫様が!と言えたらどれだけ幸せだっただろうか。でもまさかそんなこと、口が裂けても四肢をもがれても言えやしないので「とにかく寂しいんです!!」と少しだけ声を張り上げて主張すると、姫様は大きな瞳を何度か瞬かせた後に「本当?うれしい。」と頬を緩ませた。いや可愛いけど!相変わらず可愛くて最高だけれど!!そうじゃないんだよ!!私の!!姫様が!!誰だよ私の愛しい姫様を娶ろうとしている不埒者は!!夜闇を歩けると思うなよ!と口に出来たら、やっぱりどれだけ幸せだろうなぁ。
ああ、権力のない我が身が恨めしい。もし私が押しも押されぬ名家の令嬢だったら、ありとあらゆる権力を使って姫様をこの国に留めておけるのに。悲しいかな、ただの下働きのメイドに出来るのは涙を流すことだけなのだ。
「それで…何方へ嫁がれるんですか?」
「嫁ぐって、誰が?」
「えっ?」
「え?」
いや嫁ぐっちゃ嫁ぐ以外ないでしょ冷静に考えて。誰がって、貴女以外あり得ないでしょ王族なんだから。ましてやこの国は出来たばっかりで、他所から婿を取れるような大国じゃないんだから。どう考えたって姫様がどこかの国へ嫁いで、その国の属国というか同盟国というか、そういう運命を辿るんじゃないの?そんな可愛い顔と声を出してもお姉さんは騙されません!と胸を張って言おうとしたけれど、私の話に微塵もついていけていない姫様の顔を見るに、え、何これ。私の方が間違ってんのか?いやでも普通に考えたらこの国は小国だし、生き残るためにはそうするしかないと思うんですがどうですか。私は何か間違ったことを言っていますかどうですか。
あれか?やっぱり私が間違っているのか?と認識を改めようとしたところで、「あ、でも…嫁ぐといえば嫁ぐのかも。」だなんて顎に手を当てて、真剣な表情で姫様が呟くものだから、尚更に訳が分からなくなってくる。いやどっち?嫁ぐの?嫁がないの?あっ、それともあれですか?形だけの結婚てやつ?だったら悪いこと聞いちゃったかなあ、でも嬉しそうに私に報告してきたのは姫様だし、やっぱり訳が分からない。だから恐る恐る問い掛ける。
「あのー…姫様、ご結婚なさるんですよね?」
「もう、さっきからそうだって言ってるじゃない。」
「ご結婚なさるってことは、この国を出て行かれるんですよね?」
「いいえ。どうして?」
「え、どうしてって…。」
あれ?やっぱり私が間違ってるのか?女子はというものは家を出て嫁ぐものじゃないのか?だんだん頭痛がしてくる私とは反対に、姫様ときたら猫を膝の上に乗せてはとても楽しそうに鼻歌なんて歌い出したものだから、もう考えることをやめた。なんかよく分からないけど姫様はこの国を出ていかないし私はこれからも姫様のお傍に居られるんだね、ハッピー!一緒になって姫様の膝でくつろぐ猫を撫で回す。それはそうと姫様、結構音痴なんですね。音感とかないタイプ?可愛いなぁ。
…って、いいわけないでしょ。結局何がなんなんだよもう!地下深くまで埋まるくらいの勢いで頭を抱える私を見て、姫様は心底楽しそうに笑った。いや、そこは笑うところじゃないです姫様。私にも分かるように説明するところですよ、姫様。じとりとした視線を向けると、姫様はやっぱり心底楽しそうに笑った。
「もう、へんなお姉さん。さっきからわたしが誰と結婚すると思ってるの?」
「いや、だって小国とはいえ第一王女と結婚するんですよ?そりゃあ、それなりの地位や名誉のある方ですよね?」
「ええ、そうね。地位も名誉もある人よ。」
「あーもう、誰なんです?勿体ぶらないで教えて下さいよ、姫様。」
「──いやだわ、お姉さんたら。本気で言ってるの?」
心底楽しそうな様子から一転、呆れと驚きの混ざった表情を浮かべる姫様に申し訳ないような、いやいやでも姫様の説明だって支離滅裂でしたからね?!なんて私にしては珍しく反抗心染みた正論を抱く。こんなただの下働きのメイドじゃなくて、両陛下やあのお坊ちゃま、はたまた姫様と仲の良いあの女騎士の方…ええと、ツバキメイ?だっけ?ああいう人たちならすぐにわかるんだろうけどさあ、こちらとて一般庶民なんだよ畜生!だなんて心の中で悪態をつく。ホワイトブリムがずれるのも構わずに頭を掻き毟ると、不意に姫様が私の眼前に猫を突き出して来た。
…え、なに?この間シャンプーしたばっかりだからまだ綺麗な筈ですよ?いや、半野良だから王族貴族の方々が飼っているような毛がふさふさのもさもさ、滑らかで柔らか、それでいて気品漂う高級そうな猫とは程遠いけど、結構可愛い顔をしているとは思うんですよね!なんていつか口にした台詞を改めて口にしそうになった時だった。姫様がふにゃりと微笑んだ。あ、可愛い。
「その人はね、地位も名誉もある人よ。それから、とても努力家で優しくって、ずっとずぅっと、わたしの手を繋いで離さないでいてくれた人。」
「へえ、…仲が宜しいんですね。」
「もちろんよ。だってその人はわたしにとって命の恩人で、先生で、お兄様で、従者で、はじめて見たとてもうつくしい人なんだもの。」
「…ん?」
「それから、この猫ちゃんと同じ色なの。」
なーんか、とーっても嫌な予感がするのはどうしてだろう。だってさあ、姫様にとって命の恩人って1人しか居なくね?従者ってあいつしか居なくね?あいつもこの猫と同じ亜麻色の髪だったよな?いやまあ、確かにあいつは地位も名誉もある家(良く知らんけど)のボンボンだし?御伽噺の中の王子様か騎士よろしく颯爽と姫様を助け出したのだから、お互いにそういう想いを抱いていても仕方がないとは思うよ。寧ろ自然だと思うよ。というか、2人がそういう関係だっていうのはこの狭い国で暮らしていれば嫌でもわかる。いやでもさあ、ほら、恋愛と結婚は別とかいうじゃん?よって私も勝手にそう思い込んでいたというか、流石にあのお坊ちゃまもそこまでするとは思っていなかったというか。というか、そう思い込んでいたかったというか。おっ、なんかいうかいうかばっかりだな、大丈夫か私?いや、ダメだね???
「ここまで言えばもうわかるわよね?わたし、リーンと、」
「あーーーすみません姫様、今すぐ急ぎの仕事があるのを忘れてました!!その話はまた今度、ゆーーーっくり聞きますから!だから嘘だと言って下さい!ね?ね???」
「……ほんとう、だけれど…。」
「そんな無慈悲な!!」
なんてこった、これからは私の姫様じゃなくてあのお坊ちゃまの姫様だなんて。いや、そもそもとして私のものではなかったけどさ。寧ろ客観的に見ればどう考えたってあのお坊ちゃまのものだっただろうけどさ。でもでも、それでも独身と所帯持ちじゃ意味が違う。あまりの絶望感に姫様を振り切って逃げだそうとしたけれど、困惑したような声にそれが現実だという事実が重く突き刺さると一歩も動けずにその場にダウンする。やばい、私今日は荒れるかも。朝まで飲むかも。一生分の涙を流しながらそんなことを考える。
姫様が、あのお坊ちゃまと結婚するなんて。あのお坊ちゃまの奥さんになるだなんて。人妻になるだなんて。…ん?人妻の姫様?いやいやいやそれはダメだ、絶対にダメでしょう!人間としてダメだってばと自分に言い聞かせるけれど、でも、人妻の姫様ってなんだか少しだけいいかもしれない。やばい。安っぽいロマンス小説の読みすぎかな?でも1度その事実に気づいてしまった以上、これ見よがしに目を逸らすなんて却って失礼では?
「………姫様。」
「な、なあに?」
「式には…呼んで下さいね……。」
「ええ、もちろんよ。猫ちゃんと一緒にいらして?」
ああ、かみさま。叶わない恋だということは分かりました。分かっていました。ならせめて、せめて一途に思い続けてきた私に、どうか姫様が1番輝く瞬間を下さい。そんな思いを込めて息も絶え絶えに必死に言葉を紡ぐ私とは対照的に、姫様は出会った頃と変わらない優しくて甘い笑みを浮かべて微笑んだ。
今の私にとっては空が思いっきり青空なことさえ恨めしいけれど、でも、同時に、なんとも不思議なことに。今日が快晴で、とても良かったとも思うのだ。
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