番外編_姫様と私(4)
世界の端っこ、おまけに北にあるこの国の夏は基本的には涼しい。けれど年に数回だけ物凄く暑くなる日がある。そしてどうやら今日がその日のようで、朝から太陽が容赦なく照り付けてくるものだから心底げんなりした。おまけに朝からあの猫の姿が見えないものだから、仕方なしに仕事の合間を縫って貯蔵庫だの裏庭の草むらだの探して歩く羽目になってしまった。余計にげんなりする。別に心配だとかそういうことじゃなくて、何処かの部屋に閉じ込められていたり、野良猫故にうっかり死んでしまったりした時にどうしてちゃんと探してやらなかったんだって後悔するのが嫌なだけ。そう、これはつまりは私のためなのだ。
額に浮かぶ汗を拭いながら廊下を歩く。私が行けるところは皆探したけれど、何処にもあの猫はいなかった。すれ違ったのかな、となるべく楽観的に考えようとするけれど、そうすればするほどに不安が募っていく。暑さで鈍る頭で、何処か見逃していないかと必死に考える。あとは、…城の中庭くらいかな。いやまあ、これに関しては見落としてたとか見落としていないとかじゃなくて、単に暑いだろうから極力行きたくなかっただけなんだけど、諦めて中庭へと足を運ぶ。
よく日の当たるように設計された中庭は入る前から暑そうで、私はますますげんなりする。せめてもの抵抗に日陰を歩くと意外や意外、日陰は寧ろ涼しかった。さて、それじゃあ一応は探してやろうかと「おーい、猫、いる?」と茂みに向かって声を掛ける。するとすぐさまあの猫のにゃあ、という声と共に小さな笑い声が聞こえてきた。鈴を転がしたような、綺麗で甘い声。まさか。逸る鼓動を抑えながら、声のあった方へと歩く。
「姫様!!」
「こんにちは、猫ちゃんの飼い主さん。」
其処には地面に座り込む姫様と、その膝の上で丸くなっているあの猫と、それからあの猫と同じ亜麻色の髪の男の人が居た。いや、別に飼い主なわけじゃないけど。断じて飼い主ではないけれど、でも、姫様に『芋臭いメイド』と認識されるよりかは『城をうろつく猫の飼い主』の方が遥かにましだろうし、恐らく好印象なので黙っておく。そして何食わぬ顔で「こんにちは、猫の飼い主です。」と返すと、姫様は小さな肩を震わせながらくすくすと笑って私を見上げた。か、可愛い…。
そして猫、お前は何をしれっと姫様の膝に乗るばかりか、その膝に顔を埋めては丸くなって甘えているんだ。贅沢すぎる。猫にはあまりにも勿体ない贅沢なので、すぐさま私と交代するように。あとそこの男の人、私を見る視線がとても冷たいのは何故ですか。あれですか?お前誰だよってことですか?そんなこと言うなら私だってお前誰状態ですからね。猫も猫だけれど、なんで貴方もしれっと姫様の隣に座ってるんですか。私の姫様だよ?いや、別に猫も姫様も私のじゃないけどさ。
「…姫様のお知合いですか?」
「そう。ほら、前に話したでしょう?林檎のお姉さん。この猫ちゃんの飼い主なの。」
「嗚呼、姫様に手伝わせた…。」
一体姫様が私について何をどう伝えたかは知らないけれど、姫様が彼に私との接点を説明した瞬間に大変物凄い勢いで睨まれた。冷たい視線を全身に浴びて暑さなんて吹き飛んだ。そのくせ何故だか汗はだらだらと溢れてくる。いや、何この人怖すぎない?視線だけで私を殺す気か?なんで姫様はこんな人と一緒にいるわけ?お前姫様の何なんだよ!姫様と親しげにしちゃってさあ…。距離近くない?恋人同士かよ。離れろ!あと、本当は私だって手伝わせたくなかったわ!!なんて心の中で吠えていたら、姫様が彼のシャツを引きながら「もう、リーンってばいじわるよ。そんな言い方しないの。わたしが手伝いたくて手伝ったんだから。」と咎めるような口調で制した。や、優しい…。ありがとう姫様。やっぱり私の姫様は違う。もう最高。
…って、今姫様なんて言った?貴女、物凄く聞き逃してはいけないことをさらっと言いましたよね?リーン?リーンって確か……いやいやいや、姫様を助けたかのヴァルシオ家の優秀な子息がこんな冷たい人間なわけないだろ!うん、そうだ。きっと聞き間違いだ。おとぎ話の中から飛び出してきたような完璧超人の良家のお坊ちゃまが、幾ら私が姫様を手伝わせたとはいえただの芋臭い地味なメイドを全力で睨み付けるような品性の持ち主の訳ないだろ!!同じ名前の別人だって、と自分に言い聞かせる。恐る恐る、姫様に尋ねる。頼むから姫様の口からそうだと言って欲しい。そしてどうか、私を安心させて欲しいのだ。
「えーと…姫様、その方は?」
「?…あ、そっか。猫ちゃんの飼い主さんはメイドだから、知らなくても仕方がないわよね。」
私の質問に「知らないの?」と言いたげに小首を傾げる姫様も可愛い。生憎、ただの下働きのメイドですので…と謙虚でもなんでもなく、悲しいまでにそれ以上飾りようのない立場を口にしようとした瞬間、姫様がふにゃりと笑った。はい可愛い。1度のみならず2度も姫様と言葉を交わすだけでなく何度も微笑まれてしまうだなんて、私はそろそろ死ぬのかな?でもせめて死ぬ前に、その人があのヴァルシオ家の子息だっていうのをきちんと否定して欲しい私なのだ。
けれどそんな私の願いも虚しく、姫様はきらきらとした笑顔を私に向けると「リーンっていうの。リーン・ヴァルシオ。わたしの従者なのよ。ね?」と言って彼の腕に抱き着く。姫様のあまりにも自然な動作と、べったりと甘えた顔に私は目を見開く。おまけにさっきまで私に対してはあんなに冷たい顔をしていた彼ときたら、姫様に対してはとても優しい笑顔を浮かべて「そうですね。」だなんて口にしては頭を撫でているものだから、こっちも「へー、そうなんですね…。」以外の言葉が出ない。
いや、別に私と姫様への対応に差があるのは当然だと思う。その貴公子スマイルを向けられても困るし、姫様一筋の私にとってはだから何状態になること必至だ。でもさ、その距離感は何?距離近くない?恋人同士か?付き合ってるのか?いやまあ、姫様にとっちゃ命の恩人だものね。おまけに外の世界に連れ出してくれた人だ、そういう気持ちを抱くこともあるかもしれない。私に向けられたわけじゃないけど、その笑顔だって大変愛らしくて最高。よって不問。
でもリーン・ヴァルシオ君、君はダメだ。貴方は立場的に女の人なんて選び放題だろうに、何故よりによって姫様なんだ。おかしい。間違ってる。護衛の仕事だって、何もこれが初めてじゃないでしょうに。いや、知らんけど。想像だけど。というか、絶対にありえないとは思うけど、姫様より可愛い子だっていたんじゃないの?なんでそっちにしないんだ。私の姫様を返せ。
「…ほら、姫様。飼い主も現れたことですし、もういいでしょう。」
「いや。だってこの子、とってもかわいいんだもの。…もう少しだけだめ?」
「どうぞどうぞご遠慮な───あっいえすみません姫様、返して頂けますか?」
どうぞどうぞご遠慮なく、いつまでも可愛がってやって下さいと言おうとしたら物凄い勢いで睨まれた。慌てて180度真逆の言葉を紡ぐ。なにこれ。ヴァルシオ家ってどうなってんの?全然高潔な騎士じゃないんですけど。高圧と間違えたかな?私の耳、腐ってたのかな?
「──はあい。…またね、猫ちゃん。」姫様が渋々といった様子で猫を抱き上げる。眉を下げて、しょんぼりした表情の姫様に心が痛む。突然心地良い膝から離された猫は、大きな瞳を真ん丸にして姫様を見上げた。そんな姫様と猫を見て、ヴァルシオ家の坊ちゃんときたら「いいですか、姫様。我儘を言って困らせてもいいのは両陛下と私だけですからね。」なんて言うものだから、おいおいおい、お前はさらっと自分を含めるんかい!どうなってんだヴァルシオ家!!と口にしそうになった。
そして極めつけは、姫様から猫を受け取ってお別れの挨拶を交わした時。あの坊ちゃんときたら、去り際に私に「…あの猫、洗っておけよ。姫様が変な病気になったらどうする。」と小声で文句を言ってきた。いや心配は御尤もですけどね?!勿論全力でシャンプーしますけどね!?個人的には変な病気よりも変な虫がついている方が問題だと思うんです。本当にどうなってるんだ、ヴァルシオ家という家は。
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