それは、燃え盛る夏の夕暮れのように
意外なことに、お父様から頂いた『プレゼント』とはよく気が合った。彼は容姿端麗は勿論、頭脳明晰なだけでなく話題の引き出しの多い人だった。聞けばわたしぐらいの年の頃から剣の修業を兼ねて諸外国を遊説していたらしい。なるほど、実年齢以上に大人びて見えるのはそういうからくりがあったわけかと、わたしは妙に納得する。そして、そんな彼からしてみればわたしの相手なんてさぞかし詰まらないだろうに、仕事とはいえよく我慢してくれているなと思った。
彼の話は遠い遠い国の話に始まりその国の文化や民衆の暮らし、思想、政治学にまで及んだ。友人との歓談というよりかは生徒と教師、或いは兄と妹。はたまた、教科書を読んでいるかのようだと感じることも少なくはなかった。
「どうでしたか、姫様。」
「ええ、とても面白かったわ。ありがとう、リーン。」
いつもと同じ質問に、いつもと同じ回答を返す。そうして、まるで搾りたての果汁を一滴落としたように、青から赤へと移ろいで行く空と海を見詰めながら異国を想う。
その国の朝焼けを。夕焼けを。ほんのりと明るい空に輝く、明けと宵の明星を想い描く。お父様がおつくりになったこの国以外を知らないわたしは、どんなに頭を捻ってみても知らない国の知らない風景を想像することが出来なかったから、代わりに世界中のどこに居ても同じ輝きで航海者を導く光を想う。
「あの、姫様。」
涼しげな顔と風貌に似合わない、少し沈んだ声に視線を向ける。「なあに」そう言って彼をじっと見詰めてみたけれど、互いの視線はほんの一瞬交わっただけですぐに逸らされてしまった。それは宛ら、調律を諦めたピアノのような不和。弦の切れたヴァイオリン。なんだか納得がいかなくて、もう一度同じように呼びかけると彼は渋々といった様子で口を開いた。
「…私は、本当に姫様を楽しませることが出来ているでしょうか。」
「どうしてそう思うの?」
「──もう、夏になりました。」
その言葉に無言で頷くと、ふいと彼から視線を外して先程まで見詰めていた景色を瞳に収める。夏の日は長い。その長い日が、ゆっくりと時間を掛けて世界を赤く染めていく。レースカーテンかヴェールのように、この国を夜で優しく包み込む。開け放った窓から吹き込む風は、もうとうに夕暮れ時だというのにまだ生温い。肌に滲む汗が不快で、彼に気づかれないようにこっそり裾で拭った。喉の渇きを覚える前に、グラスに並々と注がれたアイスティーを口にする。けれど一気に飲んではお腹を壊すでしょうと注意されてしまったから、ひと口分ずつ口に含んでは嚥下する。
「それはつまり、私が姫様にお仕えするようになってからゆうに3か月が過ぎたということです。なのに私は、未だに姫様の笑顔を見たことがありません。私がどんな話をしようとも、姫様は黙り込んで眉ひとつ動かさない。………これでは、陛下に顔向けが出来ません。」
「……………びっくりした。」
あまりにも、あまりにも真面目過ぎる言い分に思わずそう呟くと、彼の方が吃驚したような顔をした。終に噛み合った視線で見詰めた彼はまるで子猫のように目を丸くして、おまけに零れ落ちそうなくらいに見開いていたものだから、それがなんだか新鮮で思わず口元が緩む。緩んだ口元から、笑い声が零れる。
「大丈夫、楽しんでるわ。ただ、わたしの周りには、あなたを含めてとても表情豊かな人たちで溢れているでしょう?だからわたしがしゃべる必要も、微笑む必要もなかっただけなの。うん、でも──それであなたを不安にさせてしまうのならば、明日からはちゃんと喋るわ。頬を緩ませて、微笑みましょう。」
「い、いえ。姫様のお手を煩わせるようなことは───!」
「もう、へんな人。矛盾してるわ。」
そう指摘してやると真っ白な頬が夕焼けを映す海のようにうっすらと赤く染まったから、もういちど笑ってやる。折角だから外の景色と比較でもしてみようかと視線を向けるも、そこにはもう先ほどまでの景色はなく、燃え盛る炎のような深い赤に染まった空と海と、ねぐらへと踵を返す海鳥たちの群れで溢れかえっていた。
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