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Pirouette  作者: るるる
19/29

愛を連れ出して、硬い殻を破り捨てて(7)


俺がリーン・アイデスとなって数日後。あの後歓談もそこそこに、一旦アイデス家に帰った母上は日を改めて再びこの国を訪れた。勿論、今度はきちんとアポイントメントを取って。…正直、きちんとアポイントメントを取ってから訪問するのは大人なら常識だろうに、それだけで胸を張って得意げな顔をされると心底扱いに困る。

けれど、それ以上に困ったのはこの国の案内を頼まれたことだろうか。いや、案内するのは別にいい。この1年、姫様と色んな場所に行ったのだからある程度案内は出来る。ただ、道行く先々で俺の顔見知りや同僚、或いは部下に「あ、どうも。リーンの母でーす☆」だの「いつも息子と仲良くしてくれてありがとちゃん☆」だの、「えーちょっとリーン聞いた?『お姉さんですか?』だってー!キャー!!あたしってばもしかしてまだまだイケる感じなのかな?!ねえ、どう思う!?!今から新しい恋を探すべき?青春すべき?!ああ、でもあたしには既にこんなに大きな息子が…っ、息子が居るんです……!!」だの、非常に五月蠅い。とにかく五月蠅い。アスタロトがマシに思えるレベルで騒がしい上に、相手が誰であろうと言いたいことを言いたいだけ言って去って行くものだから、ツバキには「りっ…リーンさんの……お母様…?!」と信じられないものを見たような目で見られたし、姫様とよく訪れる洋服店の店主には「継母か何か?」と率直な疑問を口にされるし、もう堪ったものじゃない。堪ったものじゃないけれど、でも、行く先々で何の躊躇もなく俺の母親と名乗ってくれることは、本当に本当に嬉しかった。


そう広いとは言い難い国だから、案内自体は半日もあれば終わった。どれだけ引き延ばしたって半日が限界だ。この国には大陸のような鋭い感性も、目を引くような発明品もない。いずれは出来るのかもしれないけれど、今はまだない。けれどこれで終わりだと言ってしまえば、母上はまたアイデス家に帰って行ってしまうのかと思うと幼い頃にひとりで夕焼けを見た時のような気持ちになってしまった。そんな時、母上が俺に「ありがとう、リーン。」なんて言うものだから、寂しくなって俯く。こんなことを思うのは柄じゃないし、男らしくないだろう。でも、もう少し母上と一緒に居たい。そう思ってしまった。

何か言葉を返してしまえば、その明るい声で「じゃ、あたしはこれで!」なんて言って帰って行ってしまうような気がして、何も言葉を返せない。まるで不貞腐れている子供だ。でもそのくせ、素直にこの国に居て欲しいと我儘を言うのには、俺は少し大人になりすぎている。いっそうのこと、ヴァルシオ家で植え込まれた無駄なプライドなんて丸ごと脱ぎ捨てることが出来たら、俺は母上に素直に甘えることが出来るのだろうか、なんて考える。その肩を、母上が優しく叩いた。「この世界が認めた大天才、レティシア様に任せなさいな!」そう言って、俺の手を引いて城へ戻っていく。よくわからないけれど、もう少しだけ母上と一緒に居られることが嬉しかった。




─────────




「ねー、もう入っていーい?」

「…ダメです。」

「さっきからそればっかじゃんかよぉー!いつまで着替えてんだよオメーは女子か!?女子なのか?!あたしの息子は娘だったんか!??」

「そんなわけないでしょう!」

「じゃあもういいよね?っていうか我慢の限界。失礼しまーす!」

「ちょ…母上!!」


静止も虚しく、バスルームに閉じ込めていた母上が勢いよく扉を開けて飛び出して来た。「母親として、アイデス家の伝統装束に身を包んだ息子を1番に見たいの。…どうかな?いいかな?いいよね?」なんて潤んだ瞳とか弱い声に騙されたのが運の尽きだった。姫様もよくそうやって甘えてくるものだから、つい先程まで街で散々な目に遭ったことを忘れて受け入れてしまったのが間違いだった。幾ら母親とはいえ22年間生き別れ、此方も充分過ぎる程に大人になったのだから流石に彼是手を出す真似はしないだろう、大人しくしてくれるだろうと寛大な心を見せたのがまずかった。「おう、その筋肉に触らせろや!減るもんじゃあるまいし、良いではないか良いではないか!!」に始まり、「やだ…あたしの息子、作画が良い…。何よりも顔がいい。最高オブ最高!イエーイ!!」、「ていうかその顔の良さは命に関わるでしょ…もうまぢ無理…生きてて良かった……。」等々訳の分からない言葉と共に大いに邪魔をしてくれた。

だから決死の思いでバスルームに押し込み、扉が開かないようにつっかえ棒を刺し、漸く形だけとはいえひとりになったところで、母上が持参して下さったアイデス家の家紋の入った伝統装束に着替えようとしたところ、またしても問題が発生した。どう見ても改造されていたのだ。万が一にも、これが伝統装束だったら腹を切って死んでもいい。今この時ばかりはあの悪魔にだって堂々と誓える。とはいえ母上が折角用意して下さった手前、袖を通さないわけにもいかないし…と渋々身に着けはしたものの、鏡に映った姿はどう考えても正装とは言い難い。さて、どうしたものかと頭痛のする頭を抑えながら思案していたら、母上が思い切り扉をぶち破って出てきてしまった。


「おー、似合ってんじゃんー!何々?もしかしてあたしを焦らす作戦だったんか?いやー、歳の割にテクニシャンだねえ、このモテ男め☆」

「…母上。これ、改造してますよね?」

「あ、バレた?」

「バレるに決まってるでしょう、こんなの!!はぁ…戻していいですか?」


一体、世界の何処に胸元が開いたノースリーブの黒のシャツが正装の貴族が居るのか。もし居るなら是非とも話を伺いたい。大陸に居た時は勿論、この国に来てからだって貴族、庶民共にこんな大胆な服装の人は見たことがない。第一、こんな服装でまともに戦えるものか。俺はどうであれ騎士なんだ、有事の際には姫様をお守りしなくてはいけない。今でこそ世界は平和だけれども、いつかその平和が乱れる時が来るかもしれないのだ。その時、命に代えても姫様を守り抜くのが俺の仕事であり責務。そして、何があってもあの人には生きていて貰いたいと願うのが、騎士だとかヴァルシオ家だとかアイデス家だとか一切関係のない、今の俺の素直な気持ちだ。

けれど、それを口に出して説明するには少し疲れていた。母上の相手はなんだかとても疲れる。兎にも角にも、一瞬とはいえ着たのだから脱いでもいいかとシャツに手を掛ける。お願いだから息子の着替えひとつで騒がないでくれと願いながら裾を捲ろうとすると、その手を母上の手が掴んだ。まだ何かあるのかと訝しげな視線を向けると、思いの外真剣な眼差しと目が合う。思わず、ごくりと息を呑む。


「…ダメ。脱いだらダメだよ、リーン。」

「……母上…?」

「だって、それを脱いだら、あんたはまたあの服を着るんでしょう?心を殺して、人を殺めて、罪を重ねた記憶の染み着いたヴァルシオ家の正装。純潔で潔白な騎士の家系なんて、平気で大ウソをつくあの家の正装を着るんでしょう?──そんなのはダメ。絶対にダメ。あたしが許さない。」


俺と同じ顔が歪む。青い瞳が俺を射抜く。そうして紡がれたものは、悲痛な叫びだった。生きながら地獄を彷徨い、死に切れることも出来ずに現世を彷徨った女の、悲痛な魂の叫びだった。それでいて、俺の幸せを思って紡がれた、とても優しい叱咤だった。バカみたいに強がった言葉だった。


「リーン。あんたはもう、ヴァルシオ家の人間じゃないのよ。自分の好きな物を着ていいの。無駄なプライドなんて取っ払って、自分の生きたいように生きれるの。………アイデス家の正装を着て欲しいなんて、本当は只の口実。そりゃあ、気に入ってくれたら嬉しいな、なんて下心はあったけれどさ。あたしは、…あたしは、何よりもあんたに自由に生きて欲しい。その切っ掛けがあたしが誇りにして、拠り所にして生きてきたアイデス家の正装だったら嬉しいなあ、って思ったりしてさ。だから用意した。…あたしはもう、それくらいしかあんたにしてあげられることがないからさ。」

「…母上……。」


そう言って俺を見上げた母上はいつものように胸を張って、歯を出して笑っていた。けれどその笑みは何処か悲しそうで、つらそうで、思わず拳を握り締める。下唇を噛んで、それから、鏡に映った自分を見詰める。──確かに、戦闘には向かない格好かもしれないけれど。でも、これが着たいと思えるような服に出会えるまでの間くらいなら、きっと。母上が俺に、母親としてそうすることしか出来ないように、今は俺もまた母上に、子供としてそうしてやることくらいしか出来ない。だから。


「──脱ぎませんよ。」

「え…?」

「俺はもう、アイデス家の人間ですから。」


鏡の中の自分を見詰める。ヴァルシオ家の人間だった頃と、今と。大きく変わったことなんてそれこそ姓くらいしかない。俺の周りの人達は変わらないし、きっとこれからも変わっていかないだろう。もし変わるとすれば、それは関係性だけだろう。これから先、長い長い時間の中で、少しずつ年を取っていくことくらいなのだろう。でも、それでも、自分はもうアイデス家の人間なのだ。目に見えぬものと言葉を交わし、力を借りることの出来る神秘の家系の人間になったのだ。それは逃げではない。新しい世界を知るための、大切な一歩だ。その一歩から逃げ出しているようでは、俺は姫様の騎士も母上の息子も名乗れない。正真正銘の腑抜けになってしまう。


服と一緒に用意してあった、青い手袋を履く。サーコートの代わりに、白いジャケットを羽織る。そうして一式身に着けた自分を鏡で見ると、なんだかとても新鮮な気持ちだった。

これまでの自分とこれからの自分にたいした差違などない。犯した罪は消えないし、奪った命も戻らない。両手は血で染まっている。それを償うことは難しいだろう。きっと、一生出来ないだろう。でも、犯した罪と奪った命の重さを背負って生きていくことは出来る。血で染まった両手でも、大切な誰かを守ることは出来る。そうやって泥臭く生きていくことは出来る。そうして最期、たとえ行き先が地獄だとしても自分の人生に満足できる自信が、今の俺にはある。だから母上に向かい合う。どんなに血の匂いが染みついていても、泥水の中で藻掻いていても、これが貴女の息子の生きる姿なのだと理解して貰えるように。自分はもう、大丈夫だと安心して貰えるように。そして、俺たちの見詰める先は過去ではなく、今と未来だと伝えるために。


「…ヴァルシオ家では、身も心も仕えるべき主君に染まるようにと白の装束を身に着けます。……母上。この装束の由来をお聞きしても?」

「………目には見えない世界の法則に通ずる者として、如何なる権力や富、名声、ひいては魔の者の悪しき心に染まらぬように。いつも心の目で、大切なものを見極められるように。如何なる時も自分を見失わず、誇りを胸に抱き続けるために。──そのために、どんな色と混じっても決して変わらない、黒の装束を身に着ける。それがアイデス家の伝統。…あたしが、誇りにしてきたもの。」

「……ありがとうございます、母上。」


不安と期待とが混ざり合った視線を、一身に浴びる。言葉なんて必要ない。ただ確りと目を見詰めて、大きく頷いてやれば母上は瞳に薄っすらと涙を浮かべているくせに満面の笑みで頷き返す。それだけで嗚呼、良かったと思える。この人の息子で良かった。この人が母親で良かった。「…似合ってるよ。」そう言って照れ臭そうに笑った母上に、こっちまで照れ臭くなってくると視線を逸らす。暫くは多分、そう言って褒められるのはむず痒いと思う。

「あ、そうそう。」母上が不意に何か思い出したように口を開く。まさかまだ何かあるのかと若干警戒しながら耳を傾けると、鼓膜を震わせたのはとんでもない言葉だった。


「それはそうと、魔術師の正装なんて埃っぽくて、ジメジメしてて、今の若い子にはうけないかなー、なんて思ったから多少手を加えたことは謹んで認めますので何卒。」

「……は?」」

「さ、そのセクシー且つ大胆に生まれ変わったリーン君で、早速姫様に会いに行こっか!ねね、あまりの大人の色気に『リーン、素敵…今すぐ抱いて…?』なーんて言われちゃったらどうする?!あたしもうおばあちゃまになっちゃう感じ?いやー参ったなあ!!」

「───母上!!」

「へへっ、もう遅いよ―ん、だ。言質取ったり!!」


感動的な雰囲気は何処へやら、すぐさま普段の調子で俺の手を引いては部屋の外へと連れ出そうとする母上に思わず声を荒げる。それはそうとしてやっぱり改造はしていたんじゃないかとか、姫様がそんなこと言うわけないだろとか、色々と指摘したいところはある。訂正させたい箇所ばかりだ。でもそんなことよりも先に、俺があまり強く出られないことを充分に理解した上で手を引き、強引に城内を連れ回そうとする母上をどうにかしなければ。確かに脱がないとは言った。自分はもうアイデス家の人間だとも言った。けれど自分から人に見せるなどとは断じて言っていない。せめてジャケットをきちんと着させてくれ。…しかしながら悲しいかな、早々に諦めてしまうのが1番ダメージの少ない対処法だと半日掛けて存分に学んだ俺は、最終的には上機嫌な母上に手を引かれて城内を隅々まで練り歩く羽目になった。勿論、またしてもツバキに「りっ、リーンさんが…何故そのような格好を…?!」と信じられないものを見る目で見られた。殿下には「あら、母息子でお散歩?素敵ね!」とズレたコメントを頂いたし、陛下からは憐みの視線を向けられた。

けれど姫様は、姫様だけは「まあ、お洋服を変えたの?ふふ、とっても素敵ね。よく似合っているわ。…だいじょうぶ。安心して。わたし、どんなリーンもすきよ。だいすき。」などと甘い声と笑顔でそんなことを言ったものだから、俺よりも先に母上がノックアウトされた。遺言は「あの笑顔を独り占めできる息子が羨ましい。」だった。ぽかんとした表情で母上を見詰める姫様と、冗談でも何でもなく昇天しそうな母上の対比がおかしくておかしくて、気が付けば自然に笑い声が零れていた。


──空は、とても綺麗な青色だった。






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