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Pirouette  作者: るるる
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愛を連れ出して、硬い殻を破り捨てて(6)


簡素な自室に備え付けられた壁掛け時計が時を刻む。その音は昼間だというのにやけに静かな室内に響き渡り、否応なしに心臓を高鳴らせる。握り締めた掌は緊張なのか不安なのか分からない汗に濡れ、一分一秒が永遠のように感じられる。張り詰めた時間とぐちゃぐちゃに混ざり合ったわけもない感情に、柄にもなく動揺しているのは自分が一番よく分かっていた。まるで去年の姫様の誕生日前日のようだ。どうしようもない焦燥感、母への申し訳なさ、無力感。そういったものに思わず奥歯を噛み締めると、姫様の小さな手が俺の頬を撫でる。「だいじょうぶ」と言ってふにゃりと微笑む姫様を、思わずじっと見詰める。

──今頃、母上は単身ヴァルシオ家で戦って下さっている。他でもない、俺の為に。

だからこそあの意地の悪い長兄に何かされていないかだとか、矢張り今からでも俺も行った方が良いのではないかとか、そういったものばかりが頭の中に浮かんでは消え、浮かんでは消えていた。けれど、そうだ。息子である俺が1番に母上のことを信じてやらなくちゃいけないのに、勝手に思い悩むのなんて失礼だ。ましてや鉄砲玉のようなあの人にとっては余計な世話の他ないだろう。


「………ありがとうございます、姫様。」

「これが、わたしがリーンにしてあげられることだから。」


ゆっくりと息を吸って、吐いて、それからお礼の言葉を口にする。ぎこちないかもしれないけれど、今出来る精一杯の微笑みをたたえて姫様の頭を撫でてやる。絹のように滑らかで、それでいて銀細工のように繊細な柔らかな髪の毛が、剣とペンばかり握っている固い掌の動きに合わせてかすかに揺れる。指の間をすり抜けていく感触が心地良い。何度か繰り返しそうしてやれば、姫様はうっとりと目を細めて俺の肩に凭れ掛かってきた。俺を励ましたいのか、はたまた甘えたいのか傍から見れば理解不能な状況に思わず苦笑が零れる。そのくせ紡ぎ出す言葉はつい甘えたくなってしまう魅力があるのだから困ったものだ。だから小さな身体の小さな肩を抱き寄せる一方で、肩に乗る小さな小さな頭の上にそっと顎を乗せる。凭れ掛かりつつ、凭れ掛かられる。そうすれば姫様は俺の腰に腕を回して、ますますべったりと甘えてきた。

この人はいつだってそうだ。何食わぬ顔と声で、真反対のことを堂々とやってのける。今だって俺を甘やかしつつ甘やかされて、幸せそうに微笑んで。そうして張り詰めた心を、まるで絡まった糸をほぐして絡め取っていくように過去のものにしてしまう。姫様は俺のように剣を持てないし、母上のように目には見えないものと言葉を交わし、それを使う才能だってない。剣士でもなれば魔術師でもない。どこにでもいる、平凡な存在だ。けれど、俺にとって彼女は確かに魔法使いだ。


「ねえ、何かお話して下さる?不安や緊張が吹き飛ぶくらい素敵なお話がいいわ。」

「──そんな話があったら、寧ろ私が知りたいですね…。」

「あら、リーンにも分からないことがあるのね。ふふ、なんだか不思議な気持ち。ちょっとだけいい気分だわ。」

「…怒られたいんですか?」

「いいえ?でも、それで気がまぎれるなら、いくらでも叱ってくれていいわ。わたし、頑張って悪い子になるから。」


小さな掌がシャツを引く。あまり引っ張ると痛むでしょうと注意したのはいつだったか。宣言通り悪い子になろうとしているくせにはこの程度の悪事しか働けない姫様に、少しだけ呆れた笑いが零れる。すると程なくして抑えた筈の笑い声が姫様の耳に届いてしまったのか、不意に此方を見上げる不満そうな瞳と尖った唇が視界に映る。それがなんだかおかしくて、つい「頑張って悪い子になるなら、これくらいはしないといけませんよ。」と子供染みた対抗心を以って両手で姫様の髪を乱す。柔らかな髪は少し乱すだけでくしゃくしゃになった。それが何故だか心底おかしくて笑う。姫様はそんな俺を暫し吃驚したような顔で見詰めるも、すぐさま一緒になって鈴のような声で笑い始めた。「リーンが思い切り笑った顔、はじめて見たわ。」そう言われるとなんだか申し訳ないような気恥ずかしいような気持ちになったから、思い切り顔を背けた。




─────────




「おうおうおう、待たせたな可愛い息子よ!」


母上が息を弾ませながら文字通り王の座に押し入ってきたのはそれから数時間後、冬の海が夕焼けの色に染まる頃だった。この間、アイデス家を訪れた時よりも髪も服装も確りと硬く纏められていて、母上はどこからどう見ても良家の令嬢だった。なのにそんな乱暴な口振りで、しかも連絡のひとつも寄越さずに突撃してきたのだから城中が騒然とする。何よりも驚いたのは、母上を摘み出そうとした兵士を揃いも揃って返り討ちにしながら此処まで来たという事実だった。開いた口が塞がらないとはきっとこういうことを言うのだと思う。

尤も、母上本人は「会いたかったぞ、愛しの息子ちゃん☆」だなんて、やっぱり歯を見せてにかっと笑うのだから怒るに怒れない。それは殿下も同じで、「まあ、レティシアちゃんらしいわ。」と目を細めて微笑む。陛下ときたら遠い目をして、「あー、こういうタイプね…。」と心底諦めた顔で溜息をついた。姫様は、…姫様は大きな瞳をより大きくさせて、俺と母上とを交互に見遣る。その顔は俺と母上がそっくりだと言いたげだった。それは当たり前のことで、同時にとても喜ばしいことだけれど、姫様相手となるとなんだか恥ずかしい。だから無言で頷いて、肯定と照れ臭さの誤魔化しを兼ねてその頭をくしゃくしゃに撫でて遣った。


「…先日振りです、母上。」

「うん。この間振りだね、リーン。…おっと待ちな、言いたいことは分かってるぜ!あれでしょ?アポ取れって言いたいんでしょ?いやー、それは確かにね、あたしもそう思った。そうしようと思ったよ?でもさ、そんな時間があるならいっそ現地からそのままの足で突撃した方が早くね?って思ってさあ。一度そう思い込んじゃったらあたし、もうそれしか見えなくなっちゃうタイプでさあ。まあ、つまりはそういうことですな!!」

「………母上…。」

「んだよその目はよぉ!…はいはい、反省してまーす。次からはもうしませーん。」


何故。何故そこまで分かっていて、理解していてアポイントメントを取ろうとしない。いや、母上のことだ。一刻も早く結果を知らせてやろうと思った結果なのだろう。善意である分、余計に頭痛がした。おまけに不貞腐れた挙句、棒読みで形だけの謝罪をする姿に思わずどっちが子供だ、と言いたくなる。

けれど母上は不満げな態度も早々に凛とした表情を浮かべると、陛下の前でうやうやしくドレスの裾を持ち上げる。その表情は、瞳は、紡ぎ出す声言葉は、紛れもなく貴人の振る舞いそのものだった。


「お初にお目にかかります、陛下。私は殿下の古い友人にしてアイデス家の令嬢。そして、陛下の愛娘でいらっしゃるリーシャ様にお仕え致しております騎士、リーン・ヴァルシオの母。名をレティシア・アイデスと申します。どうぞ、以後お見知りおきを。…そして、突然の訪問、どうかお許し下さい。先程息子に申しました通り、私というものは一度沸き立ってしまえば自分を抑えられない女なのでございます。」

「──いいえ。初めこそ驚きましたが、妻の友人にして娘の良い人の母君となれば歓迎しない筈がありませんよ、ミス・アイデス。私は勿論、妻も娘もこの国も、貴女を歓迎致しましょう。」

「…有難きお言葉。陛下の恩情に感謝致します。」


うやうやしい態度と凛とした表情の裏で、母上が「どんなもんだい!」と言いたげに此方を見てくるのだから辟易した。どんなもんだもなにも、仮にも母親なのだからもう少し落ち着いて欲しい。これじゃあどっちが子供かまるで分からなくなってくる。溜息をひとつ零した時だった。今まで驚いてばかりだった姫様が「あ、あの…!」と声を上げる。少し震えたか細い声に、何を聞こうとしているのかなんて今更確かめるまでもなくわかる。俺だって平気な振りをしているけれど、本当は早く結果が知りたくて堪らない。けれど心のどこかでは、やっぱり知りたくない。母上は何処までも明るい人だ。どんな苦しみも悲しみも、へっちゃらな顔をして平気な風を装って笑える人だ。だから、もしかしたらあの笑顔さえも俺を気遣ってのもので、本当はやっぱり無謀だったんじゃないか、なんて嫌な考えが頭の中を一杯に占める。

けれど母上ときたら呑気なもので、姫様を頭のてっぺんからつま先まで舐めるように見詰めては「貴女が噂の姫様ね。ふんふん…成程。」と楽しくて堪らない様子で瞳を輝かせる。困り顔の姫様と好奇心旺盛な瞳で姫様を見詰める母上と、いい加減に止めるべきかと迷う俺。どうしたものかと考えあぐねるも、此方を縋るように見詰めてくる姫様に覚悟を決めた時だった。母上が嬉しそうに笑って姫様の頭を撫でた。突然のことに固まる姫様をよそに、母上は心底嬉しそうに言葉を紡ぐ。


「いやー、22年間音信不通の息子と女の趣味まで一緒とかフツーにビックリしちゃったよね!いい趣味してんじゃん、流石はあたしの息子だな!!」

「…母上。姫様に勘違いされるような言い方はやめて下さいね。」

「あり、なんで?だってそうじゃんかよ、親子二代揃いも揃って同じ血筋の相手に惚れてんだからさあ、もうこれって運命じゃん?超エモくない?!もー最高だよね!」

「え、えも…?」

「あーっと、姫様には難しかったか。そうね、分かりやすく言うなら──」


母上がいったん口を噤む。胸の前で腕を組み、頭を捻って考える。そうして小さな唸り声を上げながら思考すること暫し、徐に顔を上げると真っ白な歯を見せて笑った。


「────どうかこれからも、リーン・アイデスを宜しく頼みます!…って感じかな?」






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