愛を連れ出して、硬い殻を破り捨てて(4)
「…成程、凡その事情は分かりました。要はヴァルシオ家をぶっ潰せばいいのね?」
「レティシアちゃん、違うわ。全然違う。」
「わかってるっての。ほんの冗談、ジョークだってジョーク。」
「………………。」
「………………。」
「なんか言わんかい!!」
時間にすれば短いけれど、この人──母上とこうして顔を合わせて、言葉を交わして、分かったことがある。それはこの人はとんでもなく明るい人だ、ということだ。望まぬ結婚、望まぬ出産。挙句の果てにはその身一つで追い出されて、そのことに対して異論を唱えることも出来ず。それだけでも充分に不幸だというのに、半分魔の者である俺を産み落とした反動か、いっさいの回復系の魔術が効かずに実に10年近くもベッドの上で地獄のような苦しみを味わった。その因果か身体は一切の成長をやめ、殿下と同い年の筈が外見年齢は寧ろ俺の方が近しい。
にもかかわらず、彼女の紡ぐ言葉は底抜けに明るく、そして心地良い。母親というよりかは古い友人と言葉を交わすような、小気味いい調子の会話。彼女もそれを鋭敏に感じ取り、ノリ良く言葉を紡ぐ。俺とよく似た顔が笑う。その度に、胸の奥に、じんわりとあたたかな灯がともるのを感じた。
「…ああもう、大丈夫だって!分かってるって!優雅に華麗に知的に穏便に、その子をアイデス家の籍にすればいいんでしょう?大丈夫、分かってるから!本当に!!」
「──貴女は、それでいいんですか?」
なのに、唇から零れた言葉は臆病さを形にしたような後ろ向きなもので。そうして欲しくてアイデス家を訪れたのに、そうしてくれると言っているのに、あくまでも最終的な意思決定がさも自分にはないような口振りは、我ながら実に嫌らしさに溢れていると思った。
目の前の人の表情から、笑みが消える。鋭い目で俺を見詰める。ついさっきまで朗らかな笑顔と共に軽口を叩いていたその人は、澱みない声で俺の名前を呼んだ。全身に緊張が走る。
「……確かに、愛し合って結婚した訳じゃない。望んで授かった子でもない。でも、それでも、あたしは貴方の母親なの。貴方はあたしの子供なの。だから、あたしはあなたを愛する。愛してる。当然でしょう?そうすることに特別な理由なんていらない。理屈じゃないのよ。心がそうだって叫んでるだけなの。」
「…でも、そのせいで貴女は、」
「『でも』も『だって』もあるかいな!──いい?そんなことはあんたが気にすることじゃない。あたしが気にすること。子供は子供らしく、大人の事情なんて気にせずに思い切り我儘言って癇癪を起こしていればそれで良し!!」
「いや、もう子供って歳じゃ…。」
「親にとっちゃ子供はいつまでも子供だっての!いい?次にそんな下らないこと言ったらぶっ飛ばす!!オッケー?…よし、返事がないってことはオッケーだな?!はいこの話終了ー!!」
まるで何処ぞの女神兼悪魔を思い起こさせるような押しの強さ。言葉が波になって押し寄せるあの感覚。けれどあのどうしようもない女と違って、彼女の言葉は自分でも驚くくらい素直に耳を傾けられた。反論の余地なんて1ミリも与えられなかったし、言葉は乱暴だし、どうであれ女性の使うべきでない表現ばかりで、これっぽっちも褒められたものではないというのに。──なのに、強制的に終いにされて言葉こそ紡ぐことは出来なかったものの、彼女の言葉と思いのひとつひとつを受け止めては確りと頷き、その終幕を不快感なく、ごく自然なものとして受け入れた自分に素直には些か驚いた。
声もなく、けれど確りと頷いた俺を、彼女は満足そうな顔で見詰める。その瞳に先の鋭さや意志の強さは感じられない。殿下が陛下を、姫様を見るのと同じ色や優しさを含んだ瞳で俺をじっと見詰めるその人。「うっし、いい子!流石はあたしの子だな!」と相変わらず底抜けに明るい声をのせて、俺の頭を撫でる細い手。少し恥ずかしいけれど、それを拒む術はまだ要らない。
ちらりと上目で彼女を伺うと、暫し大人しくされるがままの俺を満足そうに見詰めていた。視線がかち合うと、にかっと歯を見せて笑う。そうしてそっと離れていく手を、素直に惜しいと思った。
「──さて、茶番は此処まで。そろそろ真面目に話をしましょうか。…大丈夫、その子をヴァルシオ家から引き抜く算段はもう付いてるから。」
「まあ、流石はレティシアちゃんね。……ふふ。なんだか女学校時代、先生方を言い包めていたのを思い出すわ。」
「おうおうもっと褒めろ!けど当然っちゃ当然よねー、あたしってば女学校時代から自他共に認める天才だし?…ま、今すぐこの場でってわけにはいかないけどさ。でも、簡単なことよ。」
そう告げると彼女はティーカップを持ち上げ、なみなみと注がれた紅茶を一気に煽った。次いで一瞬で空になったティーカップに視線もくれずに脇へ追いやると、代わりに紙とペンを取り出す。さらさらとペンを走らせ、描く文字は乱雑な話し言葉とは全くの真逆で、とても整然としていて読み易い。おまけに俺と陛下が事細かに語った現状を、一字一句違うことなく箇条書きにして書き並べていくのには驚いた。恐らく、雑然とした若者風の話し言葉は彼女の本質ではないのだろう。本当の彼女はこの書き言葉のように整然かつ毅然とした、芯の強い女性。それでいて賢く、美しく、気高い女性。…そう思うと、なんだか少し嬉しかった。
「まずはこの件を持ち掛ける相手を見定めましょう。いえ、普通なら当主に話を持ち掛けるのがセオリーだけれど、あのマッドサイエンティストを相手取るのはかなり不利よ。だってあいつ、自分の研究の為ならヴァルシオ家がどうなろうが──ううん。仮に研究が実を結ぶなら、世界が壊れたっていいと思っているような男よ。そんな男がヴァルシオ家の外聞や恥を気にするものですか。倫理観も頭のネジもぶっ飛んでる相手をこの一件で脅したって暖簾に腕押し、馬の耳に念仏、ベロニカに緊張感。だから、あたしたちがこの一件を持ち掛ける相手はただひとり。『ヴァルシオ家の次期当主の座を狙っていて』、『外聞を気にするプライドの高い』、『一般常識のある』人間。ま、言うなれば『この一件が世間一般に公表されることで、ヴァルシオ家というブランドに傷がつくことが許せない人間』ね。…どうよ、心当たりはある?」
真剣な眼差し、真剣な声色、ペン先が紙の上を走る硬い音。彼女の言葉に静かに耳を傾ける。──そうだ。確かに父はそういう男だ。せめて一般市民層に生まれていればまだしも、なまじ自らの知識欲を満たせるだけの地位と金のある階級に生まれてしまった。湯水のように金を使い、花を摘むように命を弄ぶことの出来る家に生まれてしまった。それを咎めることのない環境で育ち、大人になってしまった。人の親になってしまった。そういう意味では、父はアスタロトなどとは比べ物にならない正真正銘の悪魔と契約を交わしていると言っても良いだろう。…だから、他の話が通用する者に狙いを絞る。それも今ではなく、次世代を担う者──即ち、次期当主候補。万が一、家の名前に傷がついて庶民に格下げなどという事態になれば、生まれながらの貴族には耐えられまい。ヴァルシオ家の人間のプライドの高さと贅沢病を利用した、実にシンプルながらも的を射た意見に舌を巻く。矢張り彼女は頭の良い女性だと思った。
そして、そんな人間と言えば俺にとっては無論ただの1人しかあり得ない。それはこの事態を引き起こしたトリガーにして、幼少の頃より俺を目の上のたん瘤として敵視する長兄。姫様の純真無垢な心を利用して、俺を貶めようとした嫌らしい男。故に絶対に許すことの出来ない相手。何の躊躇もなく、俺はその名前を口にする。
「──ローシェ・ヴァルシオ。ヴァルシオ家の長兄にして、今回の一件の元凶。あの男は幼少の頃よりヴァルシオ家当主の椅子を狙っていますので、人一倍外聞を気にします。言ってしまえば外面が良い。人の道を外れるようなことはしないでしょう。おまけに、今ならば憎い末弟の前で姫様に恥をかかされて日も浅い。そこを少し突いてやれば、プライドの高さ故に激高して却って扱いやすくなる筈です。」
「いよっしゃあ!ならこれはもう勝ったも同然ね。そいじゃ、早速そいつを脅してちびらせますか!!」
そういうや否や彼女がテーブル横のショーケースの中、等間隔に並べられた小さな宝石へ向けて杖を振るう。杖と言っても指揮棒のような、小さくて短い杖だった。その杖を振った途端、小さな雷が走る。もう1度振るうと、今度は冬の日の朝のようにきらりと光る氷が生まれた。「これでラスト!」そう言って最後の1回を振るうと、秋に落ち葉を集めて地面を這う可愛らしい小さなつむじ風が生まれた。そうして生まれた彼女の魔法を宝石が受けると、そこには人型の使い魔が生まれた。雷と、氷と、風。──俺と、全く同じ属性の魔法。父には何故それしか使えないと罵られ、詰られ、時に恨んだもの。それが、母の使うものと全く一緒だった。母と俺とを確かに繋いでいてくれたものが、確かにあった。偶然と切り捨てるには惜しい何かがあった。その事実に、胸が苦しくなった。
「レティシア様、何か御用でしょうか。」
「今すぐヴァルシオ家へ使者を寄越し、取り急ぎヴァルシオ家の長兄にして次期当主候補、ローシェ・ヴァルシオにアポイントメントの打診を。嘗てヴァルシオ家に嫁いだ身として、そしてリーン・ヴァルシオの母として、このレティシア・アイデスから大切な話があると伝えなさい。具体的な日時の取り決めは追って決めますが、なるべく早く応じたほうが身のためと脅すのも忘れずにね。…ああ、話し合いを拒む分には結構ですが、その場合は相応の覚悟をしておきなさいと付け加えておいて。良いわね?」
「承知致しました。」
「…ああ、それと。客人はもうお帰りになられるから、馬車の手配を。でも、そっちはゆっくりでいいわ。ヴァルシオ家へ使者を寄越して、新しい紅茶を入れて、街にお茶菓子を買いに行って、それからで結構。お茶菓子は、そうね…リーン、あんた何が好きなの?」
「え、ええと…。」
厳しい顔と声と言葉は、確かに才女のそれ。気品と厳しさを感じさせる姿に視線を奪われる。けれどそんな中、唐突に俺へと向けられた言葉は紛れもなく母親の顔で、その温度差についていけずに口ごもる。
…好きなものを聞かれても、正直言って分からない。答えられない。好きな食べ物くらいはあるけれど、でも、どれも姫様と知り合ってから出来たものだ。それはつまり、姫様が俺に教えてくれた人間らしい感性だ。だから、それを俺の好物の振りをしてこの人に教えるのはなんだか違う気がした。けれど目の前の人は俺の言葉を待っているのだ。母親として、子供の好きなものを用意してやりたいと思ってくれているに違いないのだ。
どうすればいいのか見当もつかなくて、前髪を掻き毟る。真剣な眼差しからふいと目を逸らして、どう答えれば良いか思案する。何と言ったら、この人を喜ばせてあげることが出来るだろう。……姫様は何時も、どうやって俺を喜ばせてくれていただろう。記憶を手繰り寄せる。暫し逡巡した後、ぎこちなく言葉を紡ぐ。
「は…母上、の…好きなもの、で。」
「─────うっし、任せとき!!」
ぎこちなく紡いだ言葉だったけれど、それでもこの人は──母上は、それを笑顔で受け取ってくれた。白い歯を見せながら、夏の日差しのように陽気に笑った。相変わらず言葉は粗暴だし、「バタークッキーとキャラメルスコーンとチョコレートケーキで宜しく!」なんて、よりにもよって俺の苦手な甘味ばかり口にするけれど、でも、それでも嬉しかった。父上にも兄上たちにも聞かれたことのなかったその問い掛けが、ぎこちない言葉を真正面から受け取ってくれたことが、本当に本当に嬉しかった。だから、今日ばかりは頷いて微笑みを浮かべよう。いつの日か、実は甘い物が苦手で、あの時は内心少し焦ったんだと言って、笑い話に出来るように。
「────あれ?もしかしてわたくし、さっき悪口言われました?」
「へへーん、もう時効!残念だったねベロニカ君!!」
今更ながらも先程さらりと毒づかれたことに気が付いた殿下が、訝しげにぽつりと呟いて小首を傾げる。その一方で母上はニヤニヤと意地悪そうに笑って殿下を見詰めては、調子づいた言葉で一蹴した。
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