愛を連れ出して、硬い殻を破り捨てて(2)
「ああ、知っているよ。」
陛下と殿下を前に、今までの自分ならばきっと彼是と言い訳を並べて逃げ出していたであろう事実を確りと口にする。けれど文字通り決死の覚悟を以て口にした事実に対して、返ってきたのはその一言だった。
──理解不能。それと、拍子抜け。それ以外の感想を口に出来ない程に動揺しているのは、自分でも理解出来た。この人たちは、俺の全てを知った上で姫様の護衛を頼んだのか?こんな血生臭い男に、一人娘を?信じられないのは勿論、予想だにしなかった状況に狼狽える。
「私は──いや、王ではなく一人の人間として話すんだ、僕の方がいいかな。……僕は、君の父上と古い友人だ。まだ僕が商人だった頃からの仲でね。あいつは不愛想だし良い家の坊ちゃんで、僕はご覧の通りのひょうひょうとした商売人で。まあ驚くくらいに真逆の人間だったけれど、どういうわけか馬が合った。不思議なことに、出会った時からね。お陰で国を興すときには随分と世話になったよ。それは君も知っているだろう?」
「はい。私は、その縁で姫様に──」
「うん、その通りだ。古い縁。それも腐れ縁みたいなもので、僕は君をこの国に呼んだ。この子の護衛として。『人間らしい生き方と最期』なんて笑っちゃう報酬だったけれど、それでも君は引き受けてくれた。」
「………はい。」
当時のことを思い出す。結局のところ、自分という人間──否、人間ですらない──が空っぽだということに気が付いて、荒れに荒れたあの頃。最初から姫様の身代わりになって死ぬことが前提のあの依頼は、そのあまりの直球さに却って興味を引いたのを覚えている。自分には、どうせ人間らしく生きることなんて出来ないのだ。なら、死ぬ時くらいは貴族王族に利益を齎す道具として死ぬのではなく、人間として死にたい。たった1人でもいい。誰かに惜しまれたい、悲しんで貰いたい。そう思った俺は、気が付けば二つ返事でその依頼を受け、早々に腐りきった騎士の世界を後にした。
正直な話、後悔や迷いがないと言えば嘘だった。どうであれ築き上げた地位を捨てるのは惜しかったし、憎い末弟が死にに行くと知った時のあいつの顔は本当に殴り飛ばしてやりたいくらい憎かった。けれど、それでもこの身ひとつでこの国に居を構えたのは、陛下がとても真剣に説き伏せて下さったからだと思う。欲に目の眩んだ、薄汚い貴族や王族にはない真摯さ。そのひとつひとつを思い出しては、頷いた。「本題に入る前にひとつ、昔の話をしようか。」陛下はそう口にすると静かに語り出す。
「──この子が生まれた頃の話だから、君がやっと6つか7つになった頃だと思う。僕は君の父上の知恵を借りようとヴァルシオ家を訪れた。国を興してから暫くのことだったから、あいつは歓迎してくれたよ。そして君のことを紹介してくれた。と言っても僕は君を窓越しに、それも訓練に励む姿を見ただけだったけれどね。兎に角、あいつは君を僕に紹介した。」
「──────。」
「……君は、子供とは思えないくらいに冷たい顔と目をしていた。僕はそれが気になって堪らなくて、あいつに尋ねた。すると、あいつは君が研究の成果だと嬉しそうに話してくれた。凡そは君が語った内容と同じだ。僕は驚いたよ。心底ね。そして軽蔑した。昔から頭のネジが外れている男だとは思ったけれど──まさか、倫理観までぶっ壊れているなんて思わなかった。おまけに君の母上は欠陥品を産んだと責められ、離縁されたと聞いてまたしても驚いた。妻の為に国を興した僕にとっては信じ難い事実の連続だった。そして後悔した。君に対して、勝手な罪悪感を抱いた。怪しげな研究に心酔していることは知っていた筈なのに、どうして友人として、もっと真剣に止めなかったのだろう、とね。──だから、僕は君に声を掛けた。15年越しになってしまったけれど、せめて君を人間として扱ってやりたくて。安らかな最期を与えてやりたくて。……まあ、結果は当初に思い描いていたものと随分と違ってしまったけれど。でも、結果として君は確かに人間になった。」
その言葉に、ただただ素直に驚いた。遠い昔、この国で姫様に仕えるようになる前から気にかけてくれた人がいたなんて、そんなこと想像だにしなかった。言葉にならない感情が溢れる。祖国やヴァルシオ家にさえ感じたことのなかった恩義という感情、感覚にされるがままに頭を下げる。陛下と殿下がいいのだと諫めて下さったけれど、でも、そうせずにはいられなかった。どうすればいいのかわからない姫様が、そっと俺の頭を撫でる。「だいじょうぶ」つい先程も確かに言われた言葉に、漸く顔を上げる。陛下が満足そうに笑う。その顔が姫様に本当に似ているから、思わず釣られて笑ってしまった。
「…で、だ。此処からが本題だ。僕は君に、娘を助けて貰った恩がある。それと、娘を笑顔にしてくれた恩もね。だから僕もまた、君を助けたい。助けようと思う。そこで問題になる点が2つ。ひとつはヴァルシオ家。君の父上は言わずもがな、長兄も随分と癖のある人物のようだからね。流石に王族相手に喧嘩を売っては来ないと思うけれど、君に報復という名で何か行動を起こす可能性は大いにある。もうひとつは君の身体。……まあ、こっちは解決したも同然だけどね。」
「陛下、それはどういう───」
「なあに、僕は使えるものは何でも…は言い過ぎだな、うん。ある程度は使う男だ。──アスタロト!出てこい、アスタロト!お前のことだ、どうせ聞いているんだろう?」
陛下が声を張り上げて彼女を呼ぶや否や、「ちょっと、人が聞き耳立ててるみたいな言い方やめてくれる?!まあ聞いてたけど!!」と相変わらず頭痛のする金切り声と共に、アスタロトが姿を現した。その場に現れるだけで一気に五月蠅くなる彼女を、じとりとした視線で見詰める。ふと横を見遣ると、姫様も同じような視線を向けていた。一方で陛下と殿下はなんてことなさげな面持ちで彼女を見詰めているのだから、つくづく慣れというものは恐ろしいと感じた。
しかし、何故彼女を呼んだのだろう?その疑問を口に出すよりも先に、陛下が先程までと変わらない人懐っこい口調でアスタロトに話し掛ける。
「やあ、アスタロト。早速だけれど、お前の持っている霊薬を譲ってくれないかい?ほら、前に三日三晩掛けて神器を見せびらかしてただろう?その時に見せてくれたあれだ。」
「嫌。絶対に嫌。」
「そんなこと言うなよ。僕とお前の仲だろう?」
「だから尚更嫌だって言ってんのよ!!…まあ、確かに私の持ってる霊薬なら多分そいつを助けられるでしょうよ。でも嫌。断固拒否します。第一、どうして私が人間の傲慢さと驕りの象徴たる存在を助けなくちゃいけないわけ?神として咎めるならまだしも、助けるなんて絶対に嫌。死んでも嫌。」
「………アスタロト……。」
「…いい、姫様?私は何も意地悪しているわけじゃないのよ。これはね、リーン・ヴァルシオという存在が憎いとか気に食わないだとか、そういう問題じゃないの。神として、祖が定めたいのちの形に沿わないものは認められない。ましてや助けるなんて以ての外。それだけの話なのよ。」
大きな蜂蜜色の瞳がアスタロトを見詰める。どうしてと言いたげな視線は見ている此方の胸が痛む程に真っすぐで、微かに涙に濡れていた。姫様の今にも泣き出しそうな表情に、流石のアスタロトといえども一瞬目を見開いてぎょっとした顔をした。けれどそれは本当に一瞬の出来事で、すぐさまばつが悪そうに視線を逸らすと彼女にしては珍しく、しおらしく答える。それでいて淡々と言い聞かせる声が、どうであれ女が嘗て神だったことを知ろ示す。悔しいけれど、今回ばかりは彼女に食って掛かる気にもならなかった。自分の異常性にはとうに気が付いている。リーン・ヴァルシオという人物のひとつひとつを冷静に解剖していった時、彼女の言っていることは紛れもない事実だからだ。我ながら、笑えないくらいに笑える救いの無さだと思う。思わず唇を噛んだ。
けれど陛下は強い言葉で拒まれても尚、やけに強気に言葉を続ける。
「いいや。アスタロト、お前は僕にその霊薬を譲る他ない。」
「はあ?何バカなこと言って──」
「何せ15年も前のことだ。忘れていても無理はない。おまけに怒りに任せた上での行動だ。君の名誉の為、果ては僕のプライバシーの為、出来ることならそのままにしておいてやりたかったけれど、そうも言ってはいられない。何しろ可愛い娘の笑顔の為だからね。──さあ、悪いけれど思い出して貰おうか。そして払って貰おうか。君が僕に対して負っている多大な負債を、その霊薬に換えて。…うん。有り体に言ってしまえば、取り立ての時間だ。」
「大丈夫。身包み剥がされる程度で済むさ。」と平然と言ってのける陛下のその顔は、紛れもなく商いに生きた人間の顔だった。不利を利益に変えることを知っている商人の顔。アスタロトが僅かに青ざめる。いつも自信満々で、堂々としていて、減らず口を叩いていたアスタロトが、陛下の本気の交渉に焦っている。こいつのそんな姿は初めてのことで、思わず目が丸くなった。必死に過去の記憶を辿って、何か酷い失敗をしたことがあったかと探る様は宛ら悪事を働いた子供のようだった。
「リーン。君は賢い男だ。だからこそ、この国…いいや、僕と妻と娘。この家庭に違和感を覚えなかったかい?」その問い掛けにはっと我に返る。そして陛下の期待に応えようと、柄にもなく真剣に頭を働かせる。この国、ひいては陛下と殿下、そして姫様への違和感などと急に言われても、もうこの国で暮らすようになってから2年も経つのだ。初めは戸惑った文化や風習も、今ではすっかり自分のものにしてしまった。だから俺もアスタロトのように、初めて陛下にお会いして話を伺った時のことを必死で思い出す。──そうだ。あの時、幾ら小国とはいえ側室が居ないなんて珍しい国だと思った。今も昔も殿下を深く愛しておられる陛下が眩しかった。それに比べて自分の生家は本当にどうしようもないと思ったのを覚えている。騎士とは名ばかりの、金と女に困らない生活。父は何人も女をとっかえひっかえ。挙句にある日突然、俺の母のように着の身一つで追い出す。子には能力の優劣で待遇に差をつける。おかげ様で俺とローシェのように、兄弟同士で激しく憎み合う図式が出来上がってしまうのだ。
そこまで思い出したところで、急に激しい違和感を覚えた。兄弟間での待遇の差なんて、別にヴァルシオ家だけの話ではない。何処の国の王族貴族も、裕福な暮らしと約束された地位を守ることに必死だからこそ何人も子を成す。それは少しでも優秀な人物に次の当主を任せたいという思惑と、有事の際には家が途絶えないようにする為。身分が上であればあるほど、日常生活における危険度は高いのだ。暗殺、革命、反乱…華やかで豪奢な暮らしの裏には、いつ殺されるかもしれない恐怖が潜んでいる。だからこそ何人も子供を作る。けれど、この国には───。
「陛下。もしかして、」
「そう。その『もしかして』さ。」
辿り着いた一つの結論に声を上げると、その解答を示すまでもなく陛下は頷いた。「思った通り、やっぱり君は賢い男だ。」満足そうにそう呟くと、言葉を続ける。
「通常、王族貴族といった地位の人間は子を多く成すもの。では、何故僕たちの間にはこの子ひとりなのか。この子が供物に捧げられると定められて尚、何故僕と妻の間にはほかに子供がいないのか?…答えは簡単だ。僕は不能だ。いや、不能にさせられたと言うべきか。───アスタロト。他の誰でもない、お前によって。」
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ!そりゃあ15年前、私を拒んだ貴方には嫌がらせをしたわよ?!でも流石に可愛さ余って憎さ百倍で相手を不能にしたりなんてする訳が───」
あくまでも否定しようと反論を掲げて口を開くも、その本人が次第に面白いくらいに青ざめては言葉を無くしていくのだから、裁判に掛ける必要すらないだろう。「………あるのね…。」「………あるんだな…。」思わず呆れて漏らした呟きが、姫様のそれと重なる。思わず互いに顔を見合わせた。
「し…信じられない!誰よ、怒りに任せてそんなことした愚か者は!…って私か!!」
「思い出して貰えたようで何より。さて、少しは反省したかな?」
「…ま、まあ、そうね?私は確かに貴方を不能にしました。それは認めましょう。反省しましょう。けれど、だからといって霊薬を譲る理由にはならないわ。」
「いいや、なるさ。」
堂々とした声が静かに響く。どちらが有利か。どちらが勝者か。既に勝負はついていた。
「だって君は、僕の娘に迷惑料と称して神器を貸し与えた。ならば、それは僕にも適応されるべきだ。正当な権利だ。何しろ僕は逆恨みした君に国を荒らされ、不能にされ、挙句の果てに娘を奪われそうになったのだからね。…なあに、そう悲観的になるなよ。君は『過去の過ちを認め、僕の不能を治すために霊薬を譲渡する』。今ならたったこれだけで不問にするって言ってるんだからさ、優しいものだろう?」
血の気の引いた真っ青な顔ながらも陛下を睨み付けるアスタロトと、あくまでも笑みは絶やさずに和やかな視線を送る陛下。暫し無言の攻防が続く。けれど、もうとっくに勝負はついているのだ。アスタロトが頑なに折れないだけで、もう結果は分かっていた。それでも不安そうに震える手で俺のシャツの裾を掴む姫様の手に、自分の手をそっと重ねる。この手は震えてはいなかった。よりにもよってあの悪魔が自分の運命を握っていることは頭では分かっているのに、だ。…きっと、現実味がないからだろう。自分とはそういう存在だと思っていた。悟っていた。いつか戦場で倒れ、逝くのだと思い込んでいた。だから、急にそんなことを言われても内心困ってしまうだけなのだ。確かに生きたいとは思う。小さく震えるこの手を確りと握って、生きていきたいとは思う。でも、矢張り自信がない。罪ばかり重ねてきた自分が、この震える小さな掌を汚さない自信がないのだ。
不意に、重ねた手を離しそうになった。けれどそれが叶うことはなかった。姫様のものよりも大きく、けれど俺のものよりかは小さな手が確りとふたつの掌を重ねる。まるで自身の無さを叱咤するような、けれど優しく包み込むような甘さに弾かれたように顔を上げる。そこには春の日差しのように柔らかく、それでいて何処かあどけなさを感じさせる殿下の笑顔があった。母性に満ち溢れた優しい笑み。…いつかは、姫様もこんな風に笑うようになるのだろうか。小さな掌を確りと握り締めて、礼を口にする代わりに頷くと、朗らかに笑うその人の向こう側で悪魔が音を上げた。
「────分かりました。確かに貴方の言う通りです。嘗て怒りに任せ、貴方を不能にしたことは確か。今こそその罪を認め、そして償いましょう。」
「ありがとう、流石はアスタロトだ。あとは普段からもう少しお淑やかで、控えめで、奥手だったら僕のタイプだったんだけどなぁ。」
「それじゃほぼ別人だっての!!」
懐から霊薬を取り出したアスタロトは陛下の嫌味を耳に入れるや否や、半ばやけくそで掌の中のそれを投げ付ける。陛下はそれを難なくキャッチすると、恐らく余計なひとことを口にする。先程まで真っ青だったにも関わらず、要約すると「お前はタイプじゃない」と再度振られたアスタロトは顔を夕焼けのように真っ赤に染めては陛下を睨み付ける。けれど睨み付けられている本人にとっては日常茶飯事なのか、それほど気にする様子もなく適当に宥めているのだからつくづく尊敬するを得ざれない。それに何よりも、初めて目にした商人であった頃の顔。その有無を言わさぬ口調と威圧は、確かに先程ローシェを堂々と追い払った姫様に通ずるものがあって思わずはっとした。
「よし。これで問題はひとつ、解決したね。」
「…せめて私の見てないところでやってよね。私はあくまでも、貴方の不能を治すために霊薬を譲ったんですから。」
眉を顰め、苦々しい表情のアスタロトは最後に苦言をひとつ呈すると、「あーあ、サイアクの気分。やってらんないから帰るわ。」と窓枠に手を掛ける。ふわりと宙に浮く身体。「あ、でも、面白いことになったら呼んでよね!」と相変わらず余計な一言を口にして去ろうとした瞬間、姫様が声を上げる。「待って、アスタロト!」「…何?」酷く不機嫌そうな声と共に振り返る。窓枠に腰掛けて、姫様の言葉を待つ。普段ならばその行儀の悪さに文句のひとつでも言うところだが、今日ばかりはそんな気になれなかった。どうであれ彼女は陛下に言いくるめられたも当然なのだから、そればかりは同情に値する。それも、一際可愛がっていた姫様の前で自分の尊厳が落ちる場面を見られたのだ。あの悪魔のことなんて何一つとて分かりたくはないけれど、その羞恥だけは痛い程理解出来た。けれど姫様は普段と変わらない微笑みを彼女に向けると、ただひとこと、言葉を紡ぐ。
「──ありがとう。」
「………別に。」
そう返すと、アスタロトは窓枠から身を滑らせる。本来ならば、俺もそう声掛けるべきなのだろう。けれど敢えて言葉にしない。姫様ならまだしも、俺がそんなことをしたら彼女のプライドはボロボロだ。だからただ黙って雪の降る空に消えていくドラゴンの背と、それに合わせて彼女の燃えるような赤色の髪が靡くのを暫くの間見詰めた。
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