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Pirouette  作者: るるる
13/29

愛を連れ出して、硬い殻を破り捨てて(1)


その男が俺に会いに来たのは、或る冬の日だった。


理由?そんなものは尋ねるまでもなく分かっている。手紙のひとつ、アポイントメントのひとつも取らずにこの国までやって来たのが何よりの証拠だ。大方、可愛げのひとつもない上に父上の手を煩わせる末弟にちょっかいを掛けに来たんだろう。現に目の前の男はそれをオブラートに包み、陛下へ尤もらしく言ってのけると人の好さそうな笑みを貼り付けた。…苛つく。俺だってつい1年とちょっと前までは同じような笑みを浮かべていた癖に、そんなことを思った。

男が口にした理由は、所詮建前にしか過ぎないことは本能で分かった。こいつの本当の目的はとうに分かりきっている。嘗て命令とあらば殺しさえ平然とやってのけた俺が、それら全てから足を洗った切っ掛け──即ち、姫様だ。ただでさえ理不尽に俺を恨んでいらっしゃる兄上のことだ。姫様に何をされるか、はたまた何を吹き込まれるか心配で、それから不安で堪らない。出来ることならば会わせたくはなかったけれど、頑なに拒む方が却ってあいつの神経を逆撫ですることは良く知っている。だから適当に相槌を打つ。「久し振りだな、リーン。」「ええ。兄上がお元気そうで安心致しました。」「そうか。俺もお前が元気そうで安心した。」…互いに本心を見せることのない会話。嘘、偽り、虚構、虚無で作り上げられたこれが兄弟の会話だというのだからお笑いだ。

薄っぺらい笑顔を貼り付けた男は姫様に恭しく跪くと、小さく白い手に口付けようと姫様の手を取る。……完全に嫌がらせだ。態と俺を見遣って口元を歪ませる様に、心底腹が立つ。あいつの思惑通りだと分かっていても、あいつが姫様の肌に触れる瞬間なんて見たくない。ましてや、自分が触れるまでに何度も躊躇した数の分だけ許せなかった。だから、悔しいけれど思い切り目を逸らした。


「お初にお目にかかります、美しい姫君。私は貴女様の従者であるリーン・ヴァルシオの兄、ローシェ・ヴァルシオと申します。」

「初めまして、ローシェ。それから、どうもありがとう。」

「いえ。これは姫様の可憐さ、美しさを前に自然と身体が動いてしまっただけのことです。…全く、姫様にお仕えしている末弟が羨ましい限りです。是非とも代わって貰いたいくらいですよ。」


──嘘こけ。

思わずそんな言葉が零れそうになった。お前が俺を羨ましがる道理なんて少なくとも姫様に関してはこれっぽっちもない癖に、よくもまあそんな言葉がスラスラと溢れ出てくるものだ。反吐が出そうになる。兄を名乗る男が姫様に興味を抱く理由なんてたったひとつ、憎くて憎くて堪らない末弟への嫌がらせ。そうでなければ態々姫様と俺とこいつの3人で話したいなどと宣うものか。薄汚い魂胆を隠そうともしない相手に心底腹が立った。けれど恐ろしいまでに階級を重視する騎士の世界では末弟と長兄、それも何もかもかなぐり捨てて小国の王族に仕える自分と華々しい経歴の兄とでは圧倒的に此方が不利だ。

とどのつまり、こいつは俺が姫様の為、陛下の為にどこまで耐えられるかほくそ笑みながら賭けて遊んでいる。相も変わらずに嫌らしい根性だ。


「ごめんなさいね。私、従者はリーン1人で充分なの。」

「嗚呼、どうぞお気に病まずに。末弟と貴女様の絆については周知して居ります。…生贄にされた美しい姫を助け出した騎士。まるで御伽噺のようだと、此方の国でも話題になっていますから。そして、末弟のあの様子を見れば自ずとその後の姫様とあやつの間柄も──ええ。凡そは、理解出来ました。」

「なら、どうしてそんなことを?」


一体何が言いたいんだ。何をしに来たんだ、こいつは。まさか本当に単に俺に嫌がらせをしに来たのか?───そんな考えは、甘い妄想だったことを咄嗟に悟った。あいつは姫様が素朴な疑問を口にするのを待っていたんだ。どうして?そんなの、パイを切り分けるのより簡単だ。「姫様、」どうか、そいつの言葉なんて微塵も耳を傾けて欲しくなくて声を掛ける。「もう良いでしょう、兄上。」彼女の手を引く。困惑しながらも大人しく手を引かれる姫様の訝しげな視線が痛い。つらい。けれど、今一番の問題はそんなことじゃない。1分でも1秒でも早く姫様をこいつから遠ざけたい。余計な真実を知るより先に。俺という人間に失望するよりも先に。

「嗚呼、おいたわしや姫様!!」鷹の目のように鋭い瞳で睨まれる。戦場を震え上がらせる声が、広くも狭い室内に響き渡る。あまりの声量にびくりと肩を震わせた姫様が反射的に足を止める。困惑と、不安の入り混じった瞳で俺と兄上を交互に見詰める。


「嗚呼、姫様。貴女はなんと哀れな方か!人間ですらない男──怪物にも成れず、人間にも成れず、多くの人間を殺め、罪を重ねてきた我が末弟に騙され!その純粋な感情を弄ばれて!!おお、なんと健気なことか。なんと悲しいことか!!嗚呼、おいたわしや、美しい姫君。私は貴方を、その男から救って差し上げたいのです。」

「……………な、に…?」

「───やめろ。」


耳に届いたのは、呆れるほどに予想通りの言葉。けれど痛い程に事実で、いっそうのこと

清々しく否定出来るくらいに図太い神経をしていれば──或いは、初めから認めて、いっそ開き直っていれば、こんな結末にはならなかったのかと頭の片隅で考えた。

姫様の手を痛い程に握り締める。もしかしたら、これが最後かもしれないから。けれど本当は本当に最後になんてしたくないから、精一杯の声で反抗する。声は震えていた。そんな自分に腹が立つ。けれどいちばん腹が立つのは、態々あいつの顔を見るまでもなく、どういう顔をしているか分かる自分。あいつが、次にどんな言葉を紡ぐのか分かる弱い自分だった。


「良いですか、姫様。貴女を救ったその男は、人間ではないのです。かといって、魔獣や怪物の類でもない。…では何か?──それは、我が父の飽くなき探求心と叡智の結晶。人間であって人間でないもの。魔の者であり、魔の者でないもの。人工的にデザインされたもの───即ち、魔人。」

「─────やめろ。」

「その男は精神的加虐性と肉体的被虐性を持ち、略奪、殺人等数多の罪を重ねてきました。金の為ならば平気で無実の人間をも殺す。命令とあらば、如何なる手段を用いても口封じをする。おまけに生命体として歪んでいる影響か、女とあらば誰であろうと抱く絶倫ぶり。そのくせ寿命は短く、臓器は欠陥だらけ。まともに女を孕ますことも出来ない出来損ないときた。」

「───────やめろ。」

「…だから、正直な話、驚いたのです。そんな我が末弟が、貴女の前ではまるで犬のように尻尾を振り、あたかも義に厚く、忠義を貫く騎士の振りをしているではありませんか!世界でも5本の指に入るであろう、殺人鬼が!べったりと血に濡れた掌で姫様の手を引き、一丁前にナイト気取りとは!!」

「─────────やめろォっッツッ!!!」


初めて、姫様の前で大声を出した。それから、初めて姫様の前で、こんなにも誰かを殺してやりたいと思った。殺してやりたい。嘗てそうして、多くの人の命を奪ってきたように。指を一本ずつ切り落として、それから足と腕にゆっくりと刃を入れて、骨も肉も神経もぐちゃぐちゃになって原型が分からなくなるくらいに切り刻んで、踏みにじってやりたい。生きたまま内臓を引きずり出して思い切り踏み潰してやりたい。手足をもいで、獰猛な魔獣の檻にぶち込んでやりたい。自分でも止められない程に、明確な憎悪が殺意となって溢れ出す。

「ご覧下さい、姫様!その男の醜い顔を!それが貴女が信頼を寄せ、愛着を以って接していた男の本性なのです!!」勝利を確信した声に、僅かに残っていた理性や冷静ささえも剥がされそうになる。荒い呼吸を繰り返して、何とか最後の一線だけは守ろうと歯を食いしばる。けれどそれさえもきっと、痛い程に手を繋いでいるこの人に、とてもうつくしい人に、恐怖と軽蔑の滲んだ目で見詰められたら。その形の良い可憐な唇で、自分を否定する言葉を紡がれたら。きっと、すぐにだって剣を抜いてあの男へ切りかかってしまう。俺だって馬鹿じゃない。それが狙いだってことくらい理解している。だからこそ、あの男は姫様の純粋な心を煽っている。「気持ち悪い」でも「近寄らないで」でも、なんだっていい。俺を否定するほんの一言でいいのだ。それを誘導している。そして、おそらく高確率でそうであろう未来を思うと酷い頭痛がしてきた。脳が考えることを放棄しろと命じる。苦しい。今すぐにでも気が触れそうで、繋いだ手に自然と力が籠る。それをじっと見詰める蜂蜜色の双眸が怖くて、顔を上げることなんてできやしない。それでも視界の端で姫様が息を吸うのを見たから、咄嗟にせめてもの抵抗代わりに固く目を瞑った。


「ローシェ。あなた、かわいそうな人ね。」


思った通りの言葉。憐れみを込めた、酷く冷たい言葉。けれど姫様はその言葉を俺にではなく、あの男へ向けた。驚きの余り顔を上げる。恐る恐る、姫様の横顔を覗き見る。まだあどけなさの残る幼い顔で真っすぐに相手を見詰める瞳は、凛とした王族然としたものだった。いつも手を引いて、半歩後ろを歩かせて、矢張り何処か兄貴分が抜けずに甲斐甲斐しく傅き、世話を焼いていた少女の強い意志を感じさせるその瞳の持つ輝きに、思わず息を呑んだ。


「──────は?」

「あら、聞こえなかった?かわいそうって言ったのよ、わたし。あなたって、かわいそうな人ねって。」


予想だにしていない展開に、男から余裕が消えうせる。勝者の笑みは仮面のように剥がれ落ち、代わりに激しい憤怒が露わになる。けれど相手は幾ら小国とはいえ一国の姫相手。おまけに焦がれてきた父上の友人の娘なのだ。下手なことをすれば却って自分の方が危うい立場になることを理解している男は、赤い顔と青い顔を交互に繰り返しては拳を力いっぱい握り締め、震える声で「理由を…お聞かせ願えますか?」と、やっとの思いで口にした。


「───きっとあなたは、頭の良い人なのでしょう。多くの人間の信頼を勝ち取るに相応しい度量の持ち主なのでしょう。騎士としても、優秀なのでしょう。…でも、それは表面だけの話。あなたは本当にうつくしいものを知らない。だから、とても、かわいそうな人だと思った。それだけよ。」

「…………は、はは。面白い姫様だ。その口ぶりでは、まるで私が美しくないようではありませんか。」

「だからそう言ってるじゃない。」


姫様はそう言って、心底不思議そうに小首を傾げる。俺と言えば普段の調子で独自の世界観を広げる姫様に心の何処かで安心する反面、ショックすぎて頭が追い付いていないのでは?と不安になる。一方で男は込み上げる怒りを抑えるのに必死な様子だった。それはそうだろう、ああ見えてあいつは父上の寵愛を受けようと努力家なのは知っていた。その結果、自他共に認める程に座学、実学のみならず芸術面でまで高い評価を掴み取った過去があるのだ。それをたかだが15年と少し生きてきただけの、それもつい最近まで籠の鳥だった少女にあっさりと否定されてしまったのだから、怒りに震えるのも当然だ。


「…姫様。再三忠告致しますが、その男は人間ではないのですよ?!本来であれば、貴女のような人間に触れるのもおこがましい罪人なのですよ!?その男の何処がこの私より美しいと申すのですか!?!私は、貴女を、その男から救って差し上げると──!!」

「そんなの簡単よ。」


男の言葉を遮って、姫様が口を開く。俺の手を引く。咄嗟のことで2、3歩ふらついたけれど、漸く姫様の隣に並ぶ。「だいじょうぶ」そう言いたげな瞳で俺を見上げる姫様はいつの間にか逞しくなっていて、少女の成長に心底驚いた。

姫様が、ゆっくりと息を吸う。小さな胸が僅かに膨らむ。そうして腹の底から出した声は、凛と響き渡る。それは確かに幾つもの修羅場を潜り抜け、僅か一代で小国といえども活気ある国を築き上げた陛下の子女らしいものだった。


「わたしの言葉の真意が分からない。それが充分に、お前がうつくしくない証左に他なりません。この国の王女として。そして、次期国王として命じます!───即刻、この場から出て行きなさい!!」

「ですが姫様、私は………!」

「聞こえませんでしたか?でしたらもう1度命じます。即刻、この場から出て行きなさい。尚も拒むようならば─────」


そう言って繋がっていた手を離し、男の眼前に突き付けたのは青白く輝く光を称えた女神の鐘。「わたしは、これを鳴らさねばなりませんね。あらゆる魔を従え、冥府の扉を開く、このイナンナのベルを。」その言葉がはったりであろうが、真実であろうが、今は関係ないのだ。鼠が猫を噛むように、漸く姫様が本気で自分に歯向かっていることを理解した男は後退る。剰え、あの悪名高い悪魔の名前を冠した品なのだ。可哀そうなくらいに青白い顔に、最早心は落ち着いていた。「…いいでしょう。ならばこの場でのわたしと、わたしの従者への無礼は不問と致しましょう。……異論は?」男は悔しそうに唇を噛みながらも、やっとのことで首を横に振る。憎い末弟を刺激して幻滅させる筈が、却って相手を本気で怒らせてしまったのだから当然だろう。おまけに年端もいかない小娘に哀れまれ、恩情を戴いてしまったのだから、その心中はさぞ悲惨な事だろう。

ベルを持つ手とは反対の手で、姫様が扉を指し示す。鋭い視線と無言の圧。静かな室内に男の歯軋りの音だけがやけに反響する。けれどそれもほんの一瞬のことで、最後に心底憎たらしい目で俺を睨み付けると乱暴に扉を開けて部屋を飛び出していった。その背を2人で静かに見送る。暫しの沈黙。先に破ったのは俺だった。


「…すみません、姫様。」

「リーン、主語がないわ。きちんと言い直して。じゃないとわたし、あなたを許すことも許さないこともできない。」


拙い謝罪を契機にテーブルにベルを置き、肩の力を抜いた姫様は初めて出会った頃のように眉尻を下げては困ったように笑った。尤もな言い分に納得する一方で、改めて自分の口で説明するというのは心底情けなく、逃げ出したくなった。けれど、今更になって小さく震える姫様の肩に気が付いた時、それじゃダメなのだと強く感じた。この人は、その小さな身体の中のありったけの勇気を振り絞って、他の誰でもない俺の為に戦ってくれたのだからその信頼と恩を無下にしてはいけない。何度か深呼吸して、気を落ち着かせてからゆっくりと、確りと。ひとつひとつを確かめるように口に出す。


「………自分の出自を、黙っていたこと。犯した罪を、必死に隠していたこと。そして───貴女を、矢面に立たせてしまったこと。その全てに謝罪します。」

「…はい、よくできました。そして全て許します。だってわたし、怒ってないもの。………でも。出来ることなら、あなたの口から真実を聞きたい。それから、お父様とお母様もお呼びして、一緒に考えましょう?どうしたらいいのか。どうするべきなのか。」


姫様の掌が俺の頬を撫でる。「ね?」と小首を傾げて優しく触れるこの人に、今度こそ真摯であろうと誓う。恐る恐る重ねた彼女の掌は、泣きたくなるくらいにうつくしかった。






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