死んでもいいわ(4)
「やっほー!お茶菓子食べに来てあげたわよ…って、今日は犬コロ付きじゃない!いやー、結構心配してたのよ?ほら、私って一応は神様じゃない?テキトーなアドバイスで万が一破局でもしたら、まーた悪名ばっかり広がっちゃうと思ってさ、あんまり長引くようならクピト神に弓矢でも貸して貰おうかと思ってたところだったのよねー!!」
「………とりあえず、お前がまた碌なことを考えてないのは分かった。あと痛いからやめろ。今すぐやめろ。それから帰れ。」
「なんですってー!??!」
15時。わたしとリーンのティータイム。テーブルには紅茶とクッキー。そこにいつも通り騒がしさをお土産に飛び込んできたアスタロトは、リーンの姿を見るなり彼の背中をバシバシ叩いた。
「こんにちは」、わたしがそういうよりも先にリーンがやっぱりいつものようにアスタロトの首元を掴んで、窓から放り投げようとしたから案の定口論が始まった。彼女の言葉はとても難しくて、まだ子供のわたしにはわからないことばかり。でも、こっちまで元気になる明るい声(リーンは金切り声で頭痛がするって言ってたけど)で、流星群のように次々と言葉を並べる彼女が、わたしは好き。夜空に輝く一番星らしい、遠慮のない明るさ。わたしにはない快活さ。確かに本人の言う通りアスタロトという存在は失敗ばかりなのかもしれないけれど、でも、彼女が人間に愛され続けるのは、きっとそんな失敗や弱さを包み隠さずに、それさえも自分なのだとしっかりと胸に抱いているからなんだと、わたしは思うのだ。
「こんにちは、アスタロト。それと、ありがとう。アスタロトはアスタロトなりに、わたしたちのことを心配してくれていたのよね?不謹慎かもしれないけれど、わたし、嬉しかった。本当にありがとう。」
「……ねえ、犬コロ。この姫様、やっぱりあんたには勿体ないんじゃない?」
「五月蠅い。余計なお世話だ。」
あらかじめ用意してあった、彼女の為の椅子を引く。「どうぞ」そう言って椅子を勧めれば、彼女は上機嫌でテーブルについてクッキーに手を伸ばす。リーンは「姫様はそんなことしなくていいんですよ。」と言うけれど、友人をもてなすのに立場なんて関係ないと思うの。──そう口にすれば、アスタロトは「どっかの騎士様と違って人間が出来てるわねー!」と楽しそうに笑って、わたしを彼女の膝に座らせる。なにがそんなに面白いのかわたしにはわからないけれど、でも、わたしの頭に顎をのせて笑う彼女に悪い気はしないから、釣られてわたしも笑うのだ。
「というか、なんでお前が姫様に触れてるんだよ。早く離れろ。」
「おっほっほ、何とでも言いなさい。元はと言えばこの娘は私への供物。つまり私のモノも同然じゃない?私のモノに私が触れて、愛でて、慈しんで、一体何が悪いというのかしら?醜い男の嫉妬はお止めなさいな。そして、女同士だからこそ出来る触れ合いを目の当たりにして地団駄を踏むことね!」
「……………性悪女。」
「──うふふ。それ以上口答えするならサトウキビの弓と花の矢で撃ち抜くことになるけれど…宜しくて?」
「やめろ。絶対やめろ。」
──サトウキビの弓と、花の矢。
なんだかとっても可愛くって、おまけに甘い香りのしそうな組み合わせに、わたしは思わず「いいなぁ…。」と呟く。宙を見つめて、可愛いそれを想像する。そんな可愛らしいものが世の中にあるなんて知らなかった。
けれど、ふと視線を宙から外して目の前に向けると、リーンはとてもきれいな瞳を大きく見開いて、信じられないといった表情でわたしを見つめていた。わたしはどうしてそんな顔と目で見られるのかがわからなくて、首を傾げて彼を見つめる。するとすぐさま逸らされてしまって、わたしはますます首を傾げる。訳が分からない。「あ…そっか。撃たれたら痛いものね。」尤もらしい事実を口にしたところで、アスタロトが堪え切れずに吹き出した。心底おかしそうに大声を上げて笑う彼女に、なんでかわからないけれど、とっても恥ずかしくなったから、今更ながらも熱を持った頬を両手で挟んで隠した。
「あー…お腹痛い。やっぱり貴女って最高よ。ねえ、犬コロ君?」
「お前は少し黙ってろ。本当に。」
同意を求められたリーンは居心地の悪そうな表情でアスタロトを睨み付ける。けれどアスタロトはそんなものどこ吹く風で、飛び切り明るい笑い声の合間を縫ってお茶菓子に手を伸ばしては「そんな怖い顔すると姫様に嫌われちゃうぞ☆」と楽しそうに言葉を紡ぐ。一方わたしといえば、2人の会話についていけない疎外感とよくわからないままにかいてしまった恥のせいでなんだかとても暑かった。
するとアスタロトは「ねえ姫様。笑っちゃったお詫びと、貴女がついていけない会話をしてしまったお詫びと、その原因を作った供物騒動のお詫びに、いいモノ貸してあげよっか?」とわたしの顔を覗き込む。わたしとお揃いの琥珀色の瞳はその言葉と同じくらい…ううん。それ以上にとても優しくて、お詫びなんて興味はなかったけれど気が付けば自然と頷いていた。そんなわたしに満足したのか、アスタロトは懐からとても小さな鳥籠を取り出すとわたしの膝に乗せる。檻に絡みついた青い薔薇、少し錆びついた鋼。風情があって素敵だった。中でぼんやりと輝く炎はとても神秘的で、そっと触れるとひんやりと冷たい。
「イナンナのベルよ。このベルはね、1度鳴らすと魔獣を呼び寄せて、2度鳴らすとギアガの大穴…冥府への扉を開くの。そして3度目でこの世ならざる者を呼び出し、天罰を下す。勿論、ただの人間に貸し出す以上制限は付けるけど…護身用にどう?」
「……怖い、けれど…でも、とっても綺麗で、素敵だと思うわ。…でもわたし、護衛ならリーンが居るから平気よ?」
「だからこそ危ない時だってあるのよ、姫様。」
そう言うとアスタロトは半ば無理やりわたしの手に鳥籠改めベルを握らせる。人の身では到底辿り着くことの出来ない技術と神秘の込められた道具を無理やり押し付けられると流石に慌てるけれど、アスタロトは「その怖さが分かるうちは大丈夫。それに、ただの人間がその鐘を3度も鳴らせるわけがないでしょう?」と言うと、わたしを膝から降ろす。でも‥と狼狽えるわたしを他所に立ち上がると、彼女はわたしとリーンを見比べてにやりと笑った。そうして、わたしの耳元に唇を寄せる。
「用心なさい。純粋無垢で大人しい羊を食べようと、今か今かと牙を研ぎ澄ましている狼だって居るのですから。」
「───っ、アスタロト!!」
「また遊びに来るわ!じゃあねー!!」
リーンがとても焦ったように声を荒げるものだから、わたしは驚いて縮こまる。けれどアスタロトはそんなリーンのことなんて微塵も気にせずに、笑いながら足早に去って行った。呆然とその背中を見送っていると、我に返ったリーンが本当に申し訳なさそうに謝ってくるものだから、わたしはちょっぴり困る。…わたしが勝手に驚いただけなのに。そう零せば、リーンは困ったように前髪を掻き上げながら「姫様は甘すぎます。」と言った。その仕草がやっぱり絵になると思ったけれど、黙っておく。そしてなんだか尤もらしいというか、神様らしい忠告を思い出し、わたしはまたしても首を傾げる。確かにこの国は牧畜も盛んだけれど、それとこのベルがどう繋がるんだろう。そろそろこの国の後継者として、真面目に政治に関わりなさいってことなのかな。
「ねえ、リーン。あれって、どういう意味なのかしら。」彼の意見を聞いてみようとベルから視線を外し、手を引く。それから顔を上げてリーンを見上げようとしたけれど、逆に手を引かれてすっぽりと彼の胸の中に閉じ込められてしまう。彼の顔が見えなくて少し残念だけど、代わりに優しいぬくもりと香りに包まれているから、あんまり残念じゃない。「どうしたの?」「……別に、特別な理由はありませんよ。」彼にしては珍しいぶっきらぼうで不愛想な物言いに、わたしは笑う。
「アスタロトもいい香りがしたけれど、でも、やっぱりいちばん好きなのはあなたの香りね。どうしてかしら、ふしぎ。とっても落ち着くわ。」
「…後生ですから、私以外にそういうことは言わないで下さいね。それから、他人に隙を見せないこと。男は勿論のこと、あの女神は特にダメです。姫様が汚れてしまいます。」
「もう、そんなこと言わないの。わたしの騎士様はずいぶんと心配性ね。」
「私の姫様が随分と甘くて、隙があるのがいけないんです。」
「そうかしら?」
「そうですよ。───ほら、こんな風に。」
剣とペンばかり握っている彼の掌が、わたしの頭を撫でる。秋の穏やかな気候も相まって、それがとても気持ちよくて、ついうっとりと目を細めた。もう小さな子供じゃないのに、なんだか寝かしつけられているような気分になって目を閉じる。視覚が遮断されると、自然と聴覚と触覚が敏感になる。すると彼の少し早い鼓動が皮膚越しに耳に届いて、わたしはいっそう安心してしまう。おまけに頭を撫でるのに合わせて、細く長い指先が時折耳や頬を擽るように撫でていく心地よさと気持ちよさときたら、もう蕩けてしまいそうなくらい。ずっと、ずぅっと──こうしていてくれればいいのに。ついそんなことを考えてしまう。
「…姫様、」頭を撫でていた掌が、不意に止まる。頬に彼の掌が宛がわれる。「……姫様…。」少し低い、甘い声。少しの熱を孕んだ、吐息交じりの声。眠気にぼんやりと霞んだ瞳で彼を見上げると、どこまでも広がる空のように透明で、それでいて海のように神秘的な青い瞳と出会った。…なんてうつくしいのだろう。思わず見惚れていると、彼の細指がわたしの唇をなぞった。くすぐったいような、じれったいような、なんだかとても不思議な感覚がして、目を細める。「…好きです、姫様。貴女のことを、本当に──本当に、愛しています。」この間の遠回しな告白とは違う、どこまでも真っすぐな愛の言葉と共に指で顎を持ち上げられる。視界いっぱいに広がる彼の碧眼が近づくのに合わせて少し背伸びをする。本当はわたしだってリーンのことが好きだと言いたかったけれど、大人っぽい雰囲気の彼を前にしたらわたしなんて冗談でも何でもなく生まれたての赤ちゃんのような気がしたから、言葉の代わりに彼の真っ白なシャツを握り締めて目を閉じる。
閉じた視界で少しずつ、少しずつ、彼の吐息が近づいて、わたしの唇と彼の唇が触れる。ただ触れ合わせているだけなのに、わたしのはじめてのキスはマシュマロみたいにとても柔らかくて、蜂蜜みたいにとても甘くて、それから、幸せの味がした。どうか止めないで欲しくて、もっと愛して欲しくて、彼のシャツを握る手のひらに力を込める。狡い子でも、嫌な子でも、いけない子でもいい。だから、このままもっと──。蕩けた思考で、そんなことを思う。けれどわたしの名前を知っているくせに、いまだに1回も言葉にしてくれない彼に少しばかり不満が募ると、わざと子供の振りをしてその碧眼を見つめた。
「…ねえ、リーン。わたし、姫様って名前じゃないわ。言い直して?」
「………嗚呼、そうですね。失礼致しました。」
やっぱりわたしと一緒にいる時のあなたは敬語だし、自分のことを俺なんて言わないし、お前なんて言わない。でもわたしは、それがあなたにとっての『大切な人への接し方』なんだってことを知っている。つまりは、その敬語がわたしだけのものだということを、わたしはもう知っている。あなたのいちばん大切な人がだれか、もう知っている。でも言葉にして欲しくて、ちゃんとわたしだと、わたしの名前を口にして欲しくて、甘える。卑怯でいい。狡くていい。醜くてもいい。それが恋だと、恋する乙女だけが使える特権なのだと、恋と愛に生きる女神様が言ったのだから。
「…好きです、リーシャ様。貴女のことを、本当に──本当に、愛してる。」
彼の唇が私の名前を紡ぐ。お父様とお母様がたくさんたくさん考えて付けて下さった、わたしだけの名前。わたしがわたしであることの証明。それを初めて、彼が口にした。少しだけ砕けた敬語にドキリとする。そのせいで自分の名前だと思えないくらいに甘くて、切なくて、もどかしくて、じれったくて、特別で。それから、胸が苦しくなった。ねえ、どうしたらこの胸の苦しさから解放されるのかしら?分からないから、わたしもあなたに愛を囁く。あなたのものよりずっと不完全で拙い愛。でも、この気持ちに嘘偽りは一切ないと胸を張れることだけは確か。
…だから。だから、どうか。この拙い想いを受け取って欲しいのです、わたしだけの三ッ星。わたしだけの愛の人。どうかこの手を離さないで。どうか、愛することを止めないで。この国にさそりはいません。わたしは弓矢を引けません。ここにあるのはあなたのようなうつくしい空と海と、一面の花畑だけ。だからどうか、安心していつまでもこの国に。──そう言葉にする時間さえももどかしくて、じれったくて、もったいなく感じたから、少し乱暴に彼のシャツを引く。幾ら優秀な騎士とはいえ不意打ちだったのだろう、前のめりになった彼の隙のある唇に、そっとわたしのそれを押し付ける。やっぱり、とっても柔らかくってとっても甘い。リーンは甘いものが嫌いなのに、どうしてこんなにも甘いのかしら?ふしぎね。そう口にすると、彼はわたしが甘いからだと言って、確かめるようにもう1度キスをした。
────ふと見遣ったテーブルの上は、お茶菓子も紅茶も、この間とは違ってみんなみんな空っぽだった。
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