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Pirouette  作者: るるる
11/29

死んでもいいわ(3)


『わたしは──わたしの知ったうつくしいものに。わたしが見たうつくしいものに、触れられないなら───死んでもいいわ。』


眠れなくて自室を抜け出したわたしは城の中庭、夜空を眺めながら昼間、アスタロトへ言った言葉を思い出す。けれどひとりぼっちで見上げるには、この空は眩しすぎた。だから足元の、今は萎んだ小さな花を見つめる。夏に2人で見上げたあの空は、いつまでもいつまでも見ていられると思ったのに。

──あの日、あの時、はじめて見たうつくしいひと。彼を見つめることが出来ないなら、触れることが出来ないなら、わたしは死んでもいいと思った。それは本当。でも、それって彼女の言う恋?愛?考えれば考えるほどに分からなくなって、頭の中がグルグルして、視界が回って、その場に崩れそうになる。それがわたしの恋の形だともアスタロトは言ったけれど、リーンと仲良くお話していたあの女の人──彼女になりたい。私だって、彼とあんな風に親しげに話したい。何か努力をするわけでもなく、軽率にそう考えたこの醜さが恋ならば、わたしはいっそうのこと、恋なんて知らなくてよかった。

「…あなたはいいわね。」しゃがみ込んで、足元の花に語り掛ける。少しずつ冷たくなっていく指先に、息を吹きかける。でもね、本当に凍ってしまいそうなのは心。とてもとても寒い。震える肩を抱く。目を閉じる。すると指先にとてもあたたかい何かが触れて、不思議に思って顔を上げた。わたしを見下ろす青い瞳と、亜麻色の髪に出会った。


「…リーン、」

「事務室の窓から姫様のお姿が見えたものですから。…秋の夜は冷えます。どうかご容赦を。」

「……いいえ。いいえ、ありがとう。」


いくら明日が休日とはいえ、秋の虫さえ鳴き止むような時間まで事務室にいた彼に驚く。何もこんな時間までお仕事しなくても…と言いたいのをぐっと我慢して、代わりにこんなわたしを──もう何日も話していない、顔を合わせてさえいない…ううん、違う。合わせる顔のないだめな主君のために、わざわざ手を止めて、ここまで来てくれたことに感謝する。けれど何故か彼の顔をまっすぐに見つめることが出来なくて、すぐに俯く。リーンはそんなわたしに何か小言を言うでもなく、片膝をついてわたしの前に跪くと優しい手つきで頭を撫でた。久しぶりの、とても大きくてあたたかい掌に涙が零れそうになる。それがどうしてかわからなくて肩に掛けられた彼のコートを握り締めると、頭を撫でる掌が髪を滑って、そっとわたしの手に触れた。


「ほら、姫様。ネグリジェが汚れてしまいますから、せめてベンチに座りましょう。」

「………やだ。」

「やだって…子供じゃないんですから。」

「まだ子供よ。」


もう成人したくせにそんな訳の分からないことを言うものだから、彼が困惑するのが肌で分かった。そうよ。わたし、リーンのことなら顔を見なくたってわかる。

…だって、ずっと一緒だったから。彼も、そうだと言ってくれたから。

……だって、わたしのリーンだから。彼も、そうだと言ってくれたから。


「…わたし、まだ子供よ。だって、そうじゃなくちゃ、説明が付かない。───そうじゃなくちゃ、わたしの知らないリーンがいることが悲しくて、そのリーンを知っている人をずるいと思って、自分だけが仲間はずれなことに腹を立ててるわたしがいる、その説明が付かないの。リーンがそばにいてくれるだけで満足だったはずなのに、嬉しかったはずなのに、それだけじゃいやだと思っているわたしがいることに、わたしが納得できないの。」

「─────姫様、」

「わたし、嫌な子なの。リーンがわたしの知らない女の人と、とても仲よさそうに話しているのを見ただけで、それからずっとそのことばかり考えてしまう、とっても嫌な子なの。あなたに会えばそのことを口にして、責め立ててしまうから、だから、嘘をついてまであなたを避けて。なのにそのくせ、何をしていてもあなたのことばっかり考えて。勝手に落ち込んで。そんな自分が嫌で。だけど、止めることが出来なくて。苦しいの。とてもとても、苦しいの。」


堰を切ったように溢れ出す感情は飾り気のない言葉になって、こんなにも醜いわたしをいちばん見られたくない人に見せてしまう。──絶句。そうとしか言いようのない声に、ああ、言ってしまったと後悔する。固く目を瞑る。けれど止まらない。止まれない。


「ごめんなさい。とてもきれいなあなたに、とてもうつくしいあなたに、こんな醜い感情を抱いてしまって、本当にごめんなさい。分かってるの。これは恋なんかじゃないって。ただの執着心。子供っぽい癇癪。だから嫌いになってくれていい。許してくれなくていい。軽蔑してくれていい。でもおねがいよ、わたしのそばにいて。そして、あの女の人と話していた時みたいに、飾らない、本当のあなたで話しかけて。わたしに触れて。あなたに触れさせて。わがままでいい。呆れられていい。じゃないとわたし、わたし─────」

「───姫様。」

「いや。やめて。聞きたくない。」


声が震える。涙が溢れ出す。うまく呼吸が出来ない。苦しい。けれど顔は上げられない。上げたくない。言葉だけでもこんなに醜くて汚らしいのに、それを紡ぐわたしの言葉以上に醜くて汚らしい唇なんて、顔なんて、絶対に絶対に見せられない。それこそ死んでしまいたい。何も聞きたくない。いっそ、こんなあなたのその剣で殺してくれれば楽になれるのに。──そんなことばかり考えるわたしを、彼が優しく、けれど初めて押しつぶされそうなくらいに力を込めて抱き締められた。

はじめに、あたたかいと感じた。次に大きいと感じた。それから、やっぱりわたしとは違う、鍛え抜かれた身体を感じた。そうして最後に、優しい匂いを感じた。そのすべてがわたしの知ったうつくしい人のもので、わたしの触れたかったあなたのもので、堪らず必死になって抱き着いた。これが同情でも憐みでも、この人に触れられるのなら。触れてもらえるのなら、一向に構わない。本気でそう思った。「なら勝手に話します。いいですね?」厚い胸板に頬擦りして、わたしと同じ時を刻む心臓の音を聞く。あなたの声が聞こえないように。あなたの本当の言葉を聞いたら、きっと、死んでしまうと思ったから。


「私は、………姫様が思っていらっしゃるような人間ではありません。貴女に恋をして貰えるような、素晴らしい人間ではありません。貴女のように純粋でない。無垢でない。私は、貴女の思うようなうつくしい人間ではないのです。本当ならば貴女にこうして触れる資格さえない、獣臭い男なんです。──だからずっと、自分を誤魔化してきました。時に教師の振りを、時に兄の振りをしました。自分に言い聞かせてきました。貴女は少し年の離れた、可愛い妹だと。兄として、年上として、自分が確り守ってやらなくてはいけないのだと。そうして自分の中にある──貴女を独占したい。頼られたい。その寵愛を受けたい。誰よりも何よりも、貴女にとっての1番で在りたい。そんな醜い執着心と、それ狂ってしまいそうな自分を、私は必死に抑え込んできました。」


呼吸が止まる。都合の良い言葉にめまいがする。一瞬、これは夢なのかと唇を思い切り噛んでみた。わずかに滲む血の味と痛みに、わたしはこれが夢でないことを知る。


「───姫様。どうか、その感情を醜いだなんて言わないで下さい。ご自分のことを卑下しないで下さい。貴女の目の前には、貴女よりもずっと醜く、嫌らしい男が居るのです。貴女が私の為に思い悩み、涙を流し、苦しむ姿に心が躍って堪らない、貴女に恋する1人の愚かな男が居るのです。だからどうか、貴女が私に抱くその感情を、恋を、誰でもない私の為に否定しないで下さい。私はとても嬉しいのです。従者には過ぎた感情だと諌めていたこの想いと同じものを、貴女もまた私へ抱いていて下さったことが、堪らなく嬉しいのです。ですから、どうかその可愛らしい嫉妬と独占欲を、私が勝手にそうしてきたように、存分に寄せて欲しいのです。そうして私にこれ以上、教師や兄の振りをさせないで欲しいのです。これからはより一層、貴女の騎士として。そして主君へ不相応な想いを抱く哀れな男──そう。貴女の望む、ただのリーン・ヴァルシオとして。今一度、改めてお傍において頂きたいのです。」


耳元で囁かれる、なんて都合の良い言葉。…そんなことを言われてしまったら、わたしはこの受け入れがたい醜さと心底呆れるくらいの汚らしさを噛み砕いて、呑み込んで、ほんの少しでも理解して。とても時間のかかることかもしれないけれど、これもわたしなんだと受け止めることしか出来なくなってしまう。この胸の中に広がる膿のような感情を、恋と認めるしかなくなってしまう。こんなにもドロドロとしていて、重たくて、押しつぶされそうな感情を恋と認めろというだなんて、なんてひどい人。いじわるな人。


「………姫様。どうかこの哀れな男に、お情けを頂けますでしょうか。」

「───ええ。ええ、もちろん。あなたさえよければ、いくらでも。なんだって。」

「………良かった。」


──でも、あなたも同じ気持ちなら、きっと怖くなんてないはず。こんな今すぐ自分を好きになるのは無理だけれど、心のどこかで許すことなら出来るかもしれない。そんな思いを込めて、涙に濡れた顔を上げる。心底安心したような声の彼に、醜いわたしを晒す。鏡で見なくたってひどい顔なのは分かっているのに、「とても可愛らしいですよ、姫様。」そう言って頬を撫で、その指先で涙を拭うあなたが好き。とても好き。


「ねえ、リーン。」

「なんですか、姫様。」

「…わたし、あなたに触れられないなら、死んだっていいわ。」


精一杯の背伸びをして、少し冷たい頬に唇を寄せる。「…なら、姫様が死んでしまわないように、ずっと触れていないといけませんね。」そう告げると彼は、わたしの涙の溜まった目尻に唇を寄せた。柔らかな唇で優しく口付けられたと思ったら、生暖かい舌がわたしの涙を舐め取った。なんだか恥ずかしくって、照れ臭くって、胸が苦しくなった。

……でも、不思議と悪い気はしないから、わたしは彼にそっと反対側の瞳も差し出した。






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