表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Pirouette  作者: るるる
10/29

死んでもいいわ(2)


「やっほー!お茶菓子食べに来てあげたわよ…って、あの犬コロは?」

「………リーンと一緒に居るのは、もうやめたの。」

「はぁ?!あんなに人の目の前でいちゃついておいて!?ちょっとなにそれ、どういうことよ!1から10までご説明願おうじゃないの!!」


調子よく自室に飛び込んで来るや否や、リーンの居ないことに気が付いたアスタロトは拍子抜けしたように目を丸くした後に、わたしに訝しげな視線を向けた。一瞬誤魔化そうとも思ったが、やめた。この人相手に誤魔化そうだなんて出来るわけがない。わたしは正直に告白する。


──あの日、わたしがとても嫌な子になってしまった夜から何日か過ぎた。結局あの晩は泣き止めなくて、次の日は具合が悪いと言って1日中誰にも会わなかった。会えなかった。会いたくなかった。でもそれは本当のことだった。あの日から、何をしていても仲睦まじい2人の姿と声がわたしに付いて離れない。とても苦しい。だから、彼に会うのを止めることにした。

お父様とお母様にそう告げた時、2人はとても驚いていらっしゃった。リーンが来てからというもののわたしがとても年頃の娘らしくなったことを1番に喜んでくれていたのは、お父様とお母様だったから。だから何かあったのかと聞かれたけれど、わたしはただ黙って首を横に振った。「いつまでも彼に頼るのはよくないと思ったんです。」自分でも驚くくらいにするりと言葉が生まれたものだから、わたしはわたしに驚いた。そして、本当に嫌な子になってしまったと思った。

意外だったのが、教育係のイザベラだった。いつもと違ってぐずることなく大人しく授業を受け、溜息ひとつ発しないわたしを、彼女はとても心配してくれた。それまで彼女のことを口うるさくて、頭でっかちで、機械で出来ているんじゃないかと思っていたわたしはとても驚いた。何と言えばいいのか分からずに俯くわたしに、彼女は休憩と称して甘いミルクティーを淹れてくれた。リーンはあんまり甘いものが好きじゃないみたいで、いつもお砂糖は控えめ。でもイザベラのはお砂糖がたっぷり入っていて、なんだか意外だった。小さな声でお礼を言うと、イザベラは黙って頭を撫でてくれた。それがなんだかリーンに重なって見えて、少しだけ泣いてしまった。


「──つまり、自分だけのものだと思ってた可愛いペットが他人に、それも他の女に、よりにもよって自分と居る時よりも楽しそうに尻尾を振っている姿を見て、最高に腹が立ってるわけね?うんうん、その気持ち、最高に分かるわ!!」

「…少し違うけど、だいたいは、まぁ…そんなかんじ。」

「…で、どう?」

「どうって、何が?」

「初めての恋の感想よ。」

「……恋………?」


アスタロトの言っている意味が分からなくて、首を傾げる。恋というものの存在は知っている。胸が苦しくなって、その人のことしか考えられなくなること。世界がキラキラ輝いて、まるで世界中の人と友達になったかのような気になれること。ついこの間、お母様がそう教えて下さったばかりだからよく覚えている。でも、わたしの胸の中にあるのはそんな眩しくて綺麗なものじゃなくて、もっとドロドロとした醜いもの。腫れた傷口から漏れ出す膿のようなもの。自分で自分が嫌になって、何もかも投げ出したくなるくらいの嫌悪感があるという点では、本当に膿のようなものだと思う。

……そんなものが、恋であっていい筈がない。わたしはゆっくりと首を横に振る。「ちがうよ、」これは恋なんかじゃない。恋である筈がない。とてもやさしくてあたたかいあの人に向けるべき感情じゃない。何度も何度も否定する。その度に胸が苦しくなって、あの日のように目にじわりと涙が浮かんだから俯いた。


「あのね、姫様。」


「その醜さこそが恋なのよ」呆れたような口調のくせに、やけに優しい声色。でも顔を上げる勇気のないわたしは、ティーカップの中の紅茶越しに彼女を見る。なんて卑怯なわたし。臆病なわたし。大胆で、自分に正直で、だからこそ嫌いになれない、寧ろ人を惹きつけてやまない、そんなひとに何を言われるか分からないから、とても怖いから、今度は心の扉に鍵を掛けようとしている。それでいいの?自分に問いかけてみるけれど、自分自身に正直になることさえ怖くて怖くて堪らない。だから、ティーカップの中の彼女からも目を逸らす。


「確かに恋ってね、世界が輝いて見える。もう何でも出来るぞ!って思うことだってある。でもね、恋って、それ以上に厄介なのよ。愛ってね、死んでしまいたくなるくらいに複雑なのよ。自分で自分が分からなくなることもある。相手の全てを独占して、閉じ込めてしまいたいと思うことだってある。それこそ、自分がおかしくなったんじゃないかって思うくらいに。」

「………アスタロトも?」

「勿論。というか、私ってば大抵はそれでダメになってるしね!」

「…………………。」

「憐みの目で見るなっての!…まあ、それだけ恋というものは、愛という感情は、神さえも悩ませる障害ってことなのよ。身近に実例がある分、とてつもない説得力があるでしょう?」


それは実例というか、自業自得なのでは?…そうも思ったけれど、言われてみれば確かにそんな気もするから黙っておいた。アスタロトは続ける。


「けれどね、障害ということは、乗り越えられるってことなのよ。乗り越えられるってことはね、なんてことないってことなのよ。………さて、ここで質問です。『でも』も『だって』も『もしかして』もナシ!心して答えるように!」

「!は、はい…。」


凛とした、海の果てまで届くような声に思わず顔を上げる。あまりの覇気に身体の芯がびりびりと痺れる。思わず姿勢を正すと、そんなわたしを見て満足したのかアスタロトはにこりと笑った。夕焼けのように濃い赤が風になびき、わたしと同じ琥珀色の瞳が閉じられると、同じ女の子同士なのになんだか胸がどきりとした。わたしはもともと、彼女のことを綺麗なひとだと思っていたけれど、なんだか今日はいつも以上にとっても綺麗だと思った。

彼女が口を開く。その唇から紡がれる問い掛けに、わたしは胸を押さえる。


「───貴女と貴女の騎士は、そんな障害ひとつ乗り越えられないような関係ですか?」

「───────。」


その問い掛けに、わたしは思わず緊張にカラカラに乾いた喉をごくりと鳴らして、これっぽっちもない唾液を必死に飲み込んだ。不快だった。水が欲しかった。


「さあ、答えて下さる?」

「…わたし、は。……わたしは─────」


…わたしと、リーンの関係。姫と騎士。兄と妹。教師と生徒。当てはまる言葉はたくさんある。わたしたちは、たくさんの時間をたくさんの関係をとっかえひっかえして演じてきた。………でも、それだけ?ううん、違う。それがなにかはやっぱりまだ分からないけれど、でも、きっとそれだけじゃない。15年から先の命を許されたあの日。もっと彼と一緒に居たいと願ったあの瞬間。それを受け入れてくれた彼に感じた、自分を抑えられない強い衝動は、きっともっと別のものの筈。

喉はカラカラなくせに、掌はじっとりと湿っている。うわごとのように同じ言葉を繰り返すわたしを見詰める鋭い二つの瞳に、緊張から視界が揺れる。今にも死んでしまいそう。…でも、どうせ死ぬのなら?彼女の瞳越しに、緊張した面持ちのわたしを眺めながら考える。目の前の美しい女神に看取られるのも悪くはない。けれど、でも、本当は。出来ることならば──彼の隣で、眠るように死にたい。最期の瞬間まであのひとを瞳に映していたい。やさしいぬくもりと香りに抱かれて、耳には少し低い甘い声を。かつて供物として捧げられるその瞬間まで漠然と考えていた妄想に、わたしの果ての無い願望が肉付けられていく。


「………わたしは、」


今すぐにでも吐いてしまいそうなほどに、気味の悪い独占欲。それを必死になって飲み込んで、わたしは言葉を紡ごうとする。頭の中はぐちゃぐちゃで、胸の奥はキリキリと痛んで、もう訳が分からない。でも、それでも、答えになっているかどうかは分からないけれど、はっきりと断言できることがたったひとつだけあった。


「わたしは──わたしの知ったうつくしいものに。わたしが見たうつくしいものに、触れられないなら───死んでもいいわ。」

「……そう。それが貴女の答えなのね。」


わたしが必死になって絞り出した答えにたったひとこと、そう、たったひとことだけを返すとアスタロトは立ち上がる。この答えは彼女の求めている答えだったのかしら?不安になって見上げると、額を指で思い切り弾かれた。「正解ばっかり求めてると認知症になるわよ。」と言って、笑ってわたしを見下ろしたその顔は普段と変わらないアスタロトで、わたしは少しだけ拍子抜けする。

「帰るの?」そう声を掛けると、彼女は「甘いものばっかり食べられないわよ。」と言ってドアノブに手を掛ける。それから、「いい?それが貴女の恋の形よ。次は私じゃなくて、アイツに向かって自分の言葉で言ってやることね。」と神様らしい忠告を置いて行った。


…わたしの、言葉で。リーンに、言う。

そう言葉にするのは簡単だけれど、もう何日も顔を合わせていない相手に、しかも今しがたアスタロトに聞かれたことをしっかりとわたしの言葉として紡ぐのは、とても難しそうで気が滅入った。それに、…それに、この気持ちは本当に恋なの?初めて出来た自分だけの従者。兄のように頼りになる人。そんな彼に、自分の理想を重ねているだけなんじゃないの?

やっぱりまだよくわからないから、わたしは俯く。そして皿を見て、お茶菓子を食べに来たと言った割に、彼女がクッキー1枚しか食べていないことに気が付いた。






.

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ