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千年の片恋 〜不死の魔女は一度だけ恋をする〜  作者: 秋月 もみじ


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第4話 追放、あるいは帰る場所


「魔女に近づく者を、この村には置けない」


長老の声は、震えていた。


村の外れにある長老の家。小さな囲炉裏の前に向かい合って座っている。長老のエルヴィンは七十を超えた老薬師で、師匠のトビアスとは同門だった。痩せた手が膝の上で組まれて、節くれた指が白くなるほど握り合わされている。


俺を見る目が辛そうだった。


「辺境伯からのお達しだ。『森の魔女に協力する者は反逆の徒と見なす』と。ユーリ、お前が森に通っているのは——もう知れている」


知れている。誰が見ていたのか。兵士か、村人か。どちらにしても、隠し通せるとは思っていなかった。


「わしも本意ではない。トビアスの弟子を——あいつの孫同然のお前を、追い出したくはない。だが辺境伯には逆らえんのだ」


長老の手が震えている。目が赤い。こちらを見ながら、何度も視線が落ちる。


領主の圧力だ。長老が悪いわけじゃない。この人は師匠の古い友人で、俺が小さい頃に薬草の見分け方を教えてくれたこともある。村で俺の味方をしてくれる数少ない人だった。


「長老」


「……何だ」


「俺、森に行くのをやめるつもりはないです」


長老が顔を上げた。


「あの人は——森の魔女は、俺の命を助けてくれました。師匠も、あの人を頼れと書き残していました。師匠の言葉を、俺は信じます」


声は落ち着いていた。自分でも驚くくらい。


怖くないわけじゃない。村を出たら、師匠の家も薬草園も失う。ここが俺の居場所だった。師匠と暮らした場所だった。


でも。


師匠は図鑑に「彼女を頼れ」と書いた。死ぬまで口にしなかった秘密を、俺にだけ残してくれた。


「本当にいいのか」


長老の声が掠れた。


「はい」


立ち上がった。


「長老、今まで世話になりました」


頭を下げた。長老が何か言いかけて、飲み込んだ。代わりに、囲炉裏の横に置いてあった包みを差し出した。


「……干し肉と、パンだ。少ないが持っていけ」


受け取った。重かった。食べ物の重さだけじゃない、この人の気持ちが詰まっている重さだった。


師匠の家に戻って、荷をまとめた。持っていくものは少ない。薬草図鑑。調合道具一式。替えの衣類。それと、長老からもらった包み。


薬草園を振り返った。師匠が何十年もかけて育てた薬草たち。置いていくしかない。


(……ごめん、師匠)


家の鍵を閉めた。もう戻れないかもしれない。


でも足は迷わなかった。森に向かって歩き出す。背中に村がある。振り返らなかった。



結界を抜けた時、セレナは庭にいた。


銀葉草の手入れをしていた手が止まる。こちらを見る。俺の背中の荷物に、視線が移った。


「……何だ、その荷物は」


「追い出されました」


言った。隠しても仕方がない。


「村に置けないと。魔女に近づく者は反逆の徒だそうです」


セレナの目が細くなった。怒りではない。何かを予期していたような——いや、わからない。俺にはセレナの表情を読む力がまだ足りない。


「しばらく置いてもらえませんか。町で部屋を探すまででいいので」


沈黙。


セレナが立ち上がった。手についた土を払い、俺の横を通り過ぎて家に入っていく。


「……知らん。勝手にしろ」


扉が開いたままだった。


中に入る。セレナは廊下の奥に向かって歩いていた。突き当たりに、見覚えのない扉がある。俺が寝台で目を覚ました部屋とも、普段セレナがいる部屋とも違う。


セレナがその扉を開けた。


小さな部屋だった。窓がひとつ。木の寝台。棚。それと——毛布と枕が、寝台の上に置いてある。


「ここを使え。汚すな」


それだけ言って、セレナは廊下を戻っていった。


毛布に触れた。使い込まれている。端が少し擦り切れていて、繊維が柔らかくなっている。新しく買ったものじゃない。ずっと誰かが使っていたものだ。


(……前からあった部屋なのかな)


千年も住んでいれば、空き部屋のひとつくらいあるだろう。たまたま毛布が置いてあっただけだ。


そう思いながら荷物を下ろした。


窓の外にセレナの薬草園が見える。銀葉草の葉が風に揺れている。


ここが、今日から俺の部屋だ。



異変が起きたのは、その夜だった。


環境が変わったせいか、それとも追放のあれこれで気が張っていたのが切れたのか。日が落ちてから体が急に重くなり、寝台に横になった時には頭がぐらぐら揺れていた。


熱だ。


額に手を当てなくてもわかる。視界がぼやけて、天井の梁が二重に見える。喉が乾いて、でも起き上がれない。


(……まずい)


師匠が生きていた頃にも、こういう熱を出したことがある。あの時は師匠が薬湯を——


意識が途切れた。


断片だけが残っている。


冷たい手。額の上を何かが拭う。布の感触。濡れている。拭われて、絞る音がして、またすぐに額に戻ってくる。何度も。何度も。


声が聞こえた。低い声。


「……人間は弱い」


文句を言っている。誰かが、文句を言いながら、俺の額を拭っている。


碗の縁が唇に触れた。温い液体が喉を流れる。苦い。薬湯だ。飲み込む力がかろうじてあった。


碗が離れる。額にまた布が戻る。冷たい手が、布の上から額に触れた。温度を確かめるように。


(……師匠?)


違う。師匠の手はもっとごつごつしていた。この手は——指が長くて、薄くて。冷たいのに、丁寧で。


誰の手だろう。


考える前に、意識が沈んだ。



朝日で目が覚めた。


頭が軽い。熱は引いていた。体を起こすと、寝台の脇の床に膝をついている自分に気づいた——いや、そうじゃない。普通に寝台に寝ていた。膝をついていたのは夢か。


枕元に碗が置いてあった。


薬湯だ。蓋がしてある。手に取ると、まだ温かい。つい先ほど置かれたものだ。


(いつの間に……)


誰が置いたかなんて、この家にはセレナしかいないのだから決まっている。だが、いつ。俺が寝ている間に入ってきて、薬湯を置いて出ていったのか。


薬湯を飲んだ。苦い。だが体の芯まで沁みるような、確かな効き目がある。師匠の調合とは違う処方だが、熱に効く薬草の組み合わせが的確だった。


着替えて部屋を出た。廊下を抜けて台所を覗くと、セレナが窓辺に立っていた。外を見ている。


「おはようございます。すみません、初日から体調を崩して——」


「……騒がしい寝言だった」


セレナが振り返った。


その顔を見て、少しだけ引っかかった。


目の下に、薄い隈がある。いつもは——いや、不死の身に疲労があるのかはわからない。だがこの十日間、毎日顔を合わせてきた俺の目には、今朝のセレナがいつもより僅かに疲れて見えた。


「大丈夫ですか? 眠れなかった——」


「私が眠れないわけがないだろう。千年生きている」


遮るように言って、セレナが台所から出ていく。


庭に出ると、朝露が薬草の葉に光っていた。セレナが銀葉草の区画の前で立ち止まり、こちらを振り返った。


「ユーリ」


「はい」


「……薬草の世話くらいは手伝え。居候の礼だ」


居候。


その言葉が、追放の朝から締めつけられていた胸を、ほんの少し緩めた。


居候ということは、ここにいていいということだ。「勝手にしろ」と言いながら部屋を用意し、寝言がうるさいと文句を言いながら薬湯を置いてくれた人が、「手伝え」と言ってくれている。


「はい。何でもやります」


「何でもとは言っていない。銀葉草の水やりだ。昨日の分が——」


「半分ですよね。覚えてます」


セレナが一瞬、口を閉じた。それから、ほんの僅かに——本当に僅かに、眉の力が抜けた。


「……覚えているなら、さっさとやれ」


背を向けて、庭の奥に歩いていく。


俺は井戸に向かった。桶を下ろし、水を汲む。冷たい水に手を浸しながら、昨夜の断片を思い返した。


冷たい手。額を拭う布。苦い薬湯。


夢だったのか。本当にあったことなのか。わからない。でも枕元の薬湯は確かにあった。まだ温かかった。


(……ありがとう、セレナ)


口には出さなかった。出したら、きっと「知らん」と返される。


水を汲んで、銀葉草のところに向かった。昨日の半分の量。根の色を見て、白くないことを確認して、ゆっくり注ぐ。


ここが、俺の居場所だ。


村を追い出された。師匠の家を失った。でも——ここに、毛布と枕が用意された部屋がある。文句を言いながら薬湯を作ってくれる人がいる。


今はそれで十分だ。



同じ朝。アルデン辺境伯ヴィクトル・ロートリンゲンの執務室。


窓から差し込む光の中で、ヴィクトルが部下の報告を聞いていた。


「薬師の小僧は村を出ました。荷物を持って森に向かったとのことです」


「予定通りだ」


ヴィクトルが椅子の背に凭れる。指で肘掛けを叩くのは、上機嫌の時の癖だった。


「次の布告を出せ。『森の魔女に協力する者は反逆罪とする』。周辺の村全てにだ。魔女を孤立させる。外との繋がりを断てば、いずれ動かざるを得なくなる」


「はい、辺境伯閣下」


部下が退出した直後、別の扉が叩かれた。


入ってきたのは若い男だった。三十前後。旅装のまま、埃を被った外套を羽織っている。


「辺境伯閣下。宮廷魔術師団第三席、ガルシア・モレッティの弟子、ダリオと申します。師匠の命で参りました」


ヴィクトルの目が細くなった。


「……モレッティ殿の弟子か。待っていたよ」


窓の外で、森の稜線が朝日に照らされている。

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