18 ま、魔獣です!
「これは……瘴気」
黒い霧があたりに立ち込めています。
視界を塞ぐほどではないとはいえ、立っているだけで肺が燃えるように熱い。
わたしはローブの裾で口元を覆い、空を睨み上げました。
「やはり……無いですか」
森の深い場所にはときおり結界が張ってあると聞いています。
その理由は森の奥地に生息する魔獣と瘴気を閉じ込めるため。
実際にここ、ニアの森も数年前までは結界が敷かれていたそうですが、あるとき森の半分を焼く山火事があり、緑とともに魔獣も焼滅したため、新たに結界を張る必要が無くなった。
だから魔獣も瘴気もこの森には存在しない。
そのように王都の門兵さんが話していましたけど、ではなぜこの場に瘴気が?
わたしはソフィアさんとやらを探して周囲を警戒しながら歩みを進めます。
するとふいに小さな悲鳴が耳を掠めました。
声の方向を見ると、大岩のそばで、女の子が座りこんでいます。
見覚えのある少女です。
色素の薄い紫色の長い前髪で、目元を覆い隠した十代半ばの娘。
以前立ち寄ったケーキ屋さんの、あのびっくりするほど暗い店員さんです。
地面にはへし折られた二本の剣。
少女は怯えた表情で空を見上げています。
──上空。黒い鳥。
正確には瘴気をまとった大きな鷲のような鳥がそこにはいました。
鋭い牙に血濡れた双眸。
ヒトの二倍はあるだろう巨大な怪鳥がばさりと羽を広げ、空から竜巻を放ちます。
「──ぶほぉ!」
呼吸が詰まるほどの狂乱風。
可愛くない悲鳴を上げてわたしは地面に杖を突き刺し、薄くまぶたを開けました。
目の前には転倒する女の子。
地上に降り立つ怪鳥。
怪鳥は首をもたげて鋭いくちばしを、女の子に向けました。
「っ、危ない! ──あなたに赤いリンゴをプレゼント! 大きな炎」
大慌てで火球を撃ち込み、わたしは女の子のもへと駆け寄ります。
「無事ですかっ!?」
「……あ、あなたは以前ウチにいらした──」
そのまま女の子はわたしの胸に身体を預ける形で気を失ってしまいました。
外傷はなし。
精神的な疲労からくるものでしょう。
女の子を岩のそばに寝かせてわたしは上空へと逃れた怪鳥をひたと見据えます。
「あれは……」
ぐるりと首まわりを囲う、禍々しい紅い魔石。つまり、あの鳥は──
「魔獣……」
全身からさあっと血の気が引いて、手足がガタガタと震えてきます。
魔石とは、魔力を宿す不思議な石の総称。
そして、その魔石を体内に保有する獣は高確率で魔獣だと言われています。
いわく、魔獣とは瘴気を生む動物。
形状が鳥でも魚でも、そう呼ぶそうです。
魔獣に出会ったら、死。
あれは、そういう生きものなのです。
わたしが恐怖で立ちすくんでいると、魔獣がけたたましい声をあげて空から飛来してきました。
間一髪。横に転がり避けて首だけうしろへ顧みると、舞い上がる土煙の先には魔獣の影が。
わたしは震える足を叱咤して、杖を構えて、呪文を詠唱します。
「──あなたを丸焼きに! 大きな炎」
ボッと火の弾がはじけ飛びます。
しかし、魔獣の羽ばたきひとつで掻き消え──
「なら!」
炎。炎。炎。
火の連弾を撃ち込み、魔獣の目をくらまし、その隙に次の詠唱へと移ります。
「──あなたの身体を鉄串に! 縫い付けましょう、焼きましょう、炎の鉄串!」
やや長め呪文の終わりとともに、空に三本の火槍が顕現。
そのままズドドドッと魔獣の頭上に降り注ぎ、深々と貫通。
耳をつんざく断末魔が聴こえて、やがて魔獣は動かなくなりました。
──……。
倒せた、のでしょうか……?
動く気配はありません。
わたしはぺたんと地面に座り込み、
「は、はあ~~~~! なんとか、助かりました……」
どっと噴き上がる疲れ。
しばらく動けそうにはありません。
もう二度と魔獣とは戦いたくないです……。
戦闘後の疲労と、いまだ取れない手の震えにわたしは小さく息を吐き、空を見上げました。
「そもそも、なぜ魔獣がここに? 結界からは出られないはずなのに……」
まあ鳥型ですし、どこかの結界が壊れて空を移動してきたのでしょう。
そう結論付け、ぼんやりとした思考の中で沸いた疑問に『まあいいか』と考えることを放棄した次の瞬間に、わたしは言葉を失いました。
「…………っ」
いま、目が合った──ような気がする?
わたしは息を呑み、腰を浮かしました。
死んだはずの鳥が、黒い血を流してこちらを見ている。
……いや、違う。まだ死んでいません。
ぐるりと回る赤い瞳。
緩慢に起き上がる巨体。このドブ臭い匂い。
──ああ、死が近づいている。
わたしは急いで立ちあがろうとしました。
でも出来ない。
動けない。
恐怖で身体が強張り、地面に縫い付けられた足がびくともしない。
完全に気を抜いていた。
魔獣が標的めがけて突進を開始。
(あれほど……)
あれほど師匠にも言われていたのに。
──敵を前にして最後まで気を解くな。
それが油断したせいで、もうすぐこの身はあの鋭いくちばしに貫かれて死ぬのでしょう。
その次には、うしろで眠る女の子が。
──いいえ。
せめて彼女だけは逃がさなければ。
わたしは涙をためて、杖を構え、しかしその直後に鼓膜を突き破るような轟音が、周囲を包み込みました。
そう、雷が──落ちたのです。




