10 修業開始、そして…
「あのさ。お前さ、自分の店ほったらかにして、人様の店の心配してどうすんの?」
「だってここはわたしの想い出の場所ですし」
さっそくエプロンをつけたわたしを見てノルさんが呆れたまなざしを向けてきます。
仕方ないじゃないですか。
ここのごはんは絶品ですし、なによりわたしにとって想い出の場所なんですから。
ちなみに、店の名前はパピヨン亭。
店主さんはエオホズさんというそうです。
呼びにくいので店主さん呼びのままで行こうと思います。
「ロゼッタちゃん、準備できたかな?」
「はーい! いま、いきまーす! ノルさんはこちら(ホール)で待っていてくださいね」
店主さんに呼ばれて厨房に入るとメニュー表を渡されました。
「ここにあるものなら基本は作れるけど、ロゼッタちゃんはどの料理を知りたいのかな?」
「そうですね、さきほど食べたナポリタンと……ほかにもいくつかパスタ料理を教えていただけると嬉しいです」
「うん、じゃあ。この上で材料を切るところから始めようか」
年季の入った調理台です。
表面がぴかぴかに磨かれていて、大切に使われているのが分かります。
わたしは店主さんの教え通りに材料を切り、かまどに移動して、麺をゆで──だいたい二時間ほどでしょうか。
パスタ料理の作りかたを教えていただきました。
「ふむふむ。麺をゆでるときは塩を入れるとくっつかないんですね」
「そうだね。あとは、麺の太さにもよるけど、ナポリタンを作るときは茹でてから少し寝かせて使うと触感がよくなるよ」
「ほへー。ところで寝かせるってなんですか?」
「冷たいところに閉まって時間をおくってことだよ」
「……」
ホールから送られてくる無言の視線。
修業一日目の終了です。
お疲れ様でした、わたし。
◇
修行二日目。
「今日はショートパスタを使ったものを作ろうか。光蝶型のものはユーハルドでは定番だからね」
店長さんが蝶のかたちをしたカラフルなパスタを沸騰したお湯にざらーっとぶちこみました。
チョウチョ。
大昔に生息したとされる虫の名前ですが、エール大陸の空にはその『蝶』によく似た存在が飛んでいます。
きらきらと光る金色の蝶。
光蝶と呼ばれるそれは、一般のヒトには見えない精なる存在であり、人々から妖精だと言われています。
とくにユーハルドでは光蝶の存在が信じられており、なにかと蝶のかたちを模したモノが多いのだとか。
可愛らしいパスタを茹でながら、店主さんは仰います。
「これはスープ系と絡めると味が染みてうまくなるよ。もちろんグラタンなんかにも入れてもいいし、子供たちにも人気があるから、店には切らさずに置いておくといいよ」
「ほうほう」
講義も二日目ですから、わたしは慣れた手つきで店主さんの話をメモしていきます。メモメモメモ。
飽きてきました。
そろそろ休憩を、いえ、もう修行終了でよくないですか?
こう見えてわたしは優秀ですから一を聞けば十を理解する女です。
よって、卒業試験を希望します。
「ロゼッタちゃん。手がとまってるけど大丈夫? わからないところあった?」
「完璧です!」
「……」
またしても、ノルさんの熱視線がわたしの頬を直撃します。
なにをおっしゃりたいのでしょうか。
「そろそろ休憩にしようか」
店主さんが出来上がったスープパスタを皿によそってくれました。トマト味。いただきます。
「……おお、味しみっしみ」
野菜の優しい甘みとトマトのさっぱりとした酸味。隠し味にスライスしたニンニクが入っているとかで、深みのあるスープが何杯でもおかわりできます。
スープの中に浮かぶ可愛らしい蝶のショートパスタ。これを店で出したら人気が出そうです。
労働のあとの甘美な食事を平らげ、わたしがひと心地得ていると、店主さんがイチゴのパフェを出してくださいました。
これまた素朴な王道パフェ。
きのうオープンカフェで見たイチゴ盛り盛りのパフェも豪華でおいしそうでしたけど、わたしはこちらのほうが好きです。
シンプルイズザベスト。
甘く熟したイチゴを噛みしめ、わたしはこくこくと頷きます。
店主さんが仰いました。
「これでパスタ料理は一通り教えたけど、次はどうする?」
「いえ、そろそろお店に戻らないといないので。今度またぜひ教えてください」
「そうかい。じゃあ、教えた料理のほかにもいくつか簡単なものを渡しておくね」
ぴしりと手のひらを立ててわたしがお断りすると、店主さんは羽根ペンを取り、さらさらと何かを紙に書き出しました。
料理のレシピです。
わたしが言うのもなんですけど、そんなあっさりと他人に門外不出のレシピを教えてしまっていいのでしょうか。
ゆくゆくはライバル店(希望)になるわけですから、そこはもう少し敵に鉛入りの塩を送るつもりで……と伝えれば、
「いいんだよ。この味を次に繋げてくれると思えば、僕も嬉しいからね」
その言葉で一気にしんみりとした空気になってしまいました。
そうでした。
彼のお店はまもなく閉店。
たった二日とはいえ、こうして料理を教えてくださった店主さんには感謝しています。
それに、この店を盛り立てる、という条件(わたしが勝手に提示した)で料理を学ばせていただいているのです。
ここは、恩返しをしなくては。
なによりうん十年前のお礼もありますからね!
「客。客。客。離れた客を呼び戻す方法……」
わたしは腕を組んで考えこみました。
店主さんは「いまさらもう大丈夫だよ」とおっしゃいますけど、そういうわけには参りません。
なにか、なにか……と才女なわたしは頭をひねり、そこでふいに緑のカーテンが目に入りました。
「そうですよ、窓を開けてみてはどうでしょう」
「窓を?」
店主さんが首を曲げます。
「ええ、実はきのうオープンカフェの前を通ったんですけど、そのときすごくいい香りがしてつい足を止めてしまったんですよ。わたし、思うんです。匂いって武器になるなって」
だけど、この店の窓は閉め切っている。
たしかに冬ならば寒さを凌ぐために窓を閉めるのはわかります。
でも、いまは春です。
暖かいです。
だったらいっそのこと、窓を開けてしまえば料理の香りが外の通りに広がるはず。
そうすれば、その匂いに惹かれて店の前を通った人たちが足を止めるのではなかろうか?
ドアを開けて、店の中に入るのではなかろうか?
──と、安易な考えですけど、こんな手でもやってみる価値はあると思うのです。
「さらに、店の看板ももう少しだけ目立つような配色にしてあげれば……こんな風に」
白い紙に文字を書き、その空いた部分にカラフルな蝶のパスタを乗せるかたちで店主さんに提案します。
ようするに、古びた茶色の看板を、遠くからでも目立つような白板に変え、カラフルな蝶の絵でも書き添えたらどうか、という話です。
この国で光蝶はたいへん人気なデザインです。
子供受けはもちろん。
いままで来ていた常連さんたちにも心証はいいはずです。
これから来るお客さんにだって『カラフルな蝶の看板の店』として、ここの場所を覚えてもらいやすい。
ブーランジェリ・トルテュと同じです。
あそこはカメですけど、なにか印象に残るマスコット的なものを作れば、お客さんの記憶には残りやすい。
うちがノルさん(?)であるように、この店には七色の蝶を。
パピヨン亭の名前にふさわしい看板に変えてしまえばいいのです。
そのようにお伝えしますと、店主さんは真剣な表情で考えこみ頷くと、「やってみるよ!」と言ってさっそく窓を開けはじめました。
これで少しは効果が出るといいんですけどね。
それを知るのは、これからしばらくしたあとになりそうです。
わたしは絵の具を片手にパピヨン亭の看板作りを手伝いました。
パピヨン=フランス語で蝶
トルテュ=フランス語で亀




