七百五十三参り道中
草履の緒が足首をやんわり締め、言葉の音のように擦れる。しゃり、しゃり。まるで古い小銭がのどぼとけに貼りつく音。朝はとっくに明けたはずなのに、風はまだ夜の匂いを引きずっていて、神社へ続く参道の砂利は誰か別の人の記憶で敷き詰められていた。私の記憶ではない。けれど私の歩幅で並んでいる。
本来なら七、五、三と段を踏むように祝うはずの日だという。けれど私の母は私の年齢を指で数えるたび指が余ったり足りなかったりした。だから私たちは年齢の代わりに石を拾うことにした。道端に転がる喉仏みたいに丸い石。拾うたび石は私より私をよく知っている顔で黙った。
社の鳥居は二の字に曲がって見える。私の目が歪んでいるのか鳥居が歪んでいるのか、どちらにせよ、まっすぐなのは私の背骨だけでほかはみんな機嫌を変える。母は口紅を忘れてかわりに赤い糸を唇に結んだ。ほどけないように、強く。私はそれを真似して舌の先に細い糸をひとつ結んだ。話すと言葉が引っかかり糸はうっすら濡れて重くなる。重さは安心だ、と誰かが耳の奥で嗤う。
参道の屋台はまだ畳まれていて錆びた鉄骨が骨の授業みたいに並ぶ。空気はチョコバナナのはずの匂いを忘れ、代わりに昨夜の雨粒が古い紙を読んでいる匂いをしている。私は石を三つ拾った。七まで集めるのか、五でやめるのか、三で足りるのか。決めるのは私ではない。石のほうが決まりを知っている。袋の中で石たちはひそひそと擦れ合い、数を秘密にして嬉しそうだ。
角を曲がると小さな橋。川は透明だが底の砂だけが黒い。黒は水に溶けるくせに目には頑なに残る。私はそこに一本の髪を見つける。私のものに似ているけれど私にしては長すぎる。母にしては短すぎる。橋の欄干に絡み風に撫でられて、まるで道案内の黒い矢印。触れたら髪は水面へ落ちそうで落ちなかった。落ちないものを落ちそうとする自由は、きっと誰のものでもない。
鳥居へ近づくたび背中が少しずつ古くなる。肩甲骨が知らない祝詞を覚えている痛み。私は首の後ろをさすって確かめる。皮膚は昨日のまま柔らかいが、その下で何かが歳を取る。外側の私と内側の私で歳は一致しないらしい。母は振り返らない。赤い糸の結び目が彼女の横顔で七回ほど瞬きするのを私は数える。七は大きすぎる。だから私は目を細め、三に見えるように世界の幅を削る。世界は意外と削られやすい。
階段の最初の一段目に紙の鳥が一羽、たたまれたまま落ちている。だれかが折ったのに飛ばさなかった鳥。拾ってやると、紙は私の掌にたしかな温度を置いていった。その温度は誰のものでもあるし誰のものでもない。背中の古びが掌のぬくみに拮抗し、私の体の中で塩と砂糖が見えない喧嘩を始める。甘いほうが勝つとも、しょっぱいほうが勝つとも言えない。勝ち負けを決める口が私には二つある。どちらも私を代表するふりをして私を代表しない。
鈴の音がまだ鳴らされていないのに耳の中で先走る。からん、から、ん。音の影が私の足首に絡み草履の緒と仲良くなりたがる。私は歩みをゆるめて音の影に歩幅を合わせる。合わせるたび道の長さが伸び縮みし、母との距離は測り間違えたメジャーみたいに伸びっぱなしのゼロを吐き出す。ゼロは空っぽの言葉らしいが口に含むと金属のような味がして少しだけお腹が満たされる。
私はまだ祝われていない。祝われる前の私を祝おうとする誰かがいるのかどうか、その確かさは橋の欄干に残した髪と同じくらい落ちそうで落ちない。袋の中の石は重たく、私の名前の字画をひとつずつ盗んでいく。名前が軽くなるほど私の足取りは確かになる。確かになるほどに行き先はあやふやになる。母の背中は赤い糸の結び目だけを置き去りにして細い薄い空気に溶けた。
鳥居の下で私は立ち止まる。空の青は新品だが私の眼球は中古だ。中古のほうがよく見えるものもある、と誰かが小さく教える。私は目を閉じて袋から石をひとつ取り出す。黒い砂の川底に似た色のつるりと丸い石。額に当てると内側からひんやりとしたの声がする。「数えるな」。私はうなずく。数えないことは忘れないことより難しい。だから私は、七つ、五つ、三つ、の順番を忘れる練習を始める。
鈴はまだ鳴らない。けれど、鳴りやまない。
拝殿の前に敷かれた影は、午前と午後の間違いを抱えたまま、私の足の甲だけを選んで冷やした。母は玉砂利に片膝をつき結んだ糸の端を唇の内側へ引き込み、言葉の骨を舐める仕草をした。喉の奥で小さく鳴った音は鈴ではないのに鈴の責任を負わされているようで私は肩をすぼめる。袋の石が勝手に重さの順番を並べ替え、私の脛に新しい順路を描く。
社務所の窓には紙垂が内側から風を待っていた。動かないものに風は要らない、と昔の私が言った気がする。昔の私の年齢は今の私より少し若いが少し年上でもあった。窓越しに貼られた授与品の写真はどれもピントが奥に合っていて手前の私と母は抜け殻のようにぼやけていた。ぼやけた輪郭のほうが刃物みたいに切れることがある。私はその切れ味でひとつだけ確かなものを切り取ろうとしたが、その確かさがどこに掛かっているのかはまだ教えてもらえない。
狐が二体、片方だけ瞬きをする。七回、と数えられたのは私ではなく私の靴の影だった。影のほうが数に強いのは知っていた。影は背中から私を押し出し手水舎へ連れていく。柄杓を取ると水面が私の名前を小さく書き、最後の一本だけ線をためらった。ためらった線はほどけた糸のようにさざめき、指先に触れると見えない紙を濡らした。紙の鳥が掌の中でかすかに羽音を立てる。飛ぶ気はない、ただ羽音の練習だけ。
絵馬の棚に見たことのある字の額がぶらさがっていた。母のものに似ていて、でもあれほど真っ直ぐではない。表は願いで裏は消し跡。裏のほうが多い。私はそれをそっと覗き込む。そこには祈りの文ではなく算用数字が横倒しに眠っていて、三が耳を塞ぎ、五が横目で笑い、七は眠ったふりをしていた。眠ったふりは起きている証拠だと知っている。起きている数字は眠った祈りの夢を見るらしい。
境内のはずれ、干し草色の屋根の下で一人の子が面を並べていた。面は笑いながら裏側で口を閉ざしている。子の袖口は赤い糸と同じ色で縫われ、縫い目が呼吸しているのが見える。私は面のひとつに手を伸ばす。目の位置が、私の目より少しずれて作られていて、覗くと、世界は半歩右へ傾いた。傾いたままでも立っていられるのは、足の骨が他人行儀だからだ。子が言う。「それ似合うね」
似合う、という言葉は似て合うのか、合うように似せられるのか。私は返事のかわりに袋の中で石をひとつ指で撫でる。丸さの中心がときどき鋭くなる。中心が刃を持つのは世界のほうが丸くなりすぎた合図だ。面を外すと子はいない。代わりに畳まれた紙がひとつ屋根の陰に置かれていた。紙の鳥と同じ折り目だが大きさが少し違う。違いは片方の羽根にだけうっすら墨の跡が残っていること。黒い砂に似た夜の字がこぼれていた。
母はまだ鈴の前に立っている。紐に触れないように、でも触れてしまったあとの形で。背中の線が私の背骨と互い違いに噛み合わない。噛み合わない歯車が静かに回るとき音は小さく、時間だけが擦り切れて粉になる。粉は光る。光る粉は祝詞の発音をひとつだけ間違える。間違われたほうの言葉が私の足もとに集まって砂利の白さをすこし曇らせる。曇りは安心のふりをして境界をぼやかす。
社務所の端に記帳台がある。参拝者の名前が並ぶ帳面。私は吸い寄せられるように覗き込む。紙は真新しい。そこには私の名前が昨日より軽い綴りで書かれていた。誰の手にも覚えのない筆跡で。軽い綴りは画数のいくつかを庭に置いてきた子どもの靴に似ている。置いてきた靴は帰り道の目印になるはずだが、誰が帰るのかはまだ誰にも決められていない。
橋へ戻ると欄干の髪は見当たらない。見当たらないものは落ちたのではなく見当たらない場所を選んだのだろう。川底の黒は相変わらず強情で水だけが今日のふりをして流れる。流れの中に紙の鳥と同じ折り目が一瞬だけ裏返って見えた。私は目を瞬く。七回か、三回か、数えない練習の途中で数えないという数がふくらみ喉の糸が少しほどける。ほどけた糸は言葉を連れてこない。ただ、言葉がいた空席を赤く温めた。
私は母の隣に立つ。鈴はまだ鳴らない。鳴らない音の余韻が長く伸びて鳥居からこちらへ戻ってくる。戻ってきた余韻が私の耳たぶに触れると、写真のピントが手前へ寄って母の横顔のひとつのほくろが急に鮮やかになる。そこから微かな墨の線が空気の中で伸びたり縮んだりして、やがて私の眉の上へ届く。触れない。けれど、そこにある。その線を追っていけば、きっと正しい順路のふりをした別の道があるのだろう、と誰かが微笑む。
「数えるな」と、石の声がもう一度言う。今度は石のほうが少し疲れていた。私は袋の口を固く結ぶ。結んだ結び目が母の唇の結び目と遠くで挨拶し、二つの挨拶の間に軽い綴りの私の名前が吊られる。吊られた名前は風でゆっくり回り裏面を見せない。裏面はたぶん、私の顔に似ている。似ているのに、合わない。
鈴の紐が風でもない何かでほんの少しだけ揺れた。私は息を止める。鳴らない音がもう一度だけ鳴りそうになる。
最初の音は鈴からではなく私の舌の結び目から剥がれた。ほどけた糸が一音分の風になり喉の奥で丸まって外へ出る寸前に形を忘れる。忘れた形が境内の空気の皮を一枚剥いだ。光が一段、古くなる。母の横顔のほくろが墨壺みたいに深くなり、その縁からまた細い線が伸びて、今度は私の唇を避け耳の後ろに触れた。触れないまま、確かに。
社務所の帳面はいつの間にか開いていて、ページの端が呼吸している。覗き込むと私の名前が縦書きで七百五十三回、薄い綴りの濃淡で並んでいた。年号はどれも欠けていて日付の欄だけが黒い砂で塗りつぶされている。黒は砂なのに指につかない。代わりに私の影だけが黒さを借りて少し重くなる。影は重さを気に入って私の足を別の向きへ引っ張る。
屋台の骨がいつのまにか祭の骨になっていた。誰もいないのに気配が提灯に灯を入れ、火のほうが人の形に寄ってくる。紙の鳥は掌の中で折り目を増やす。羽根の裏の墨が、さっき見た髪の色と同じ艶を持ちはじめる。私は鳥を開こうとして開かない紙の都合に気づく。都合は決まりより強い。決まりは真実より柔らかい。柔らかいものほど刃を隠している。
橋へ戻ると川は上下を取り違えて流れていた。水面が天井になり、私と母の影だけが川底に立っている。底の黒は見上げる私の目を濡らし、濡れた目はよく見えるふりをして見えないものばかりを拾う。欄干にはやはり髪が一本、今度は結び目を作っていた。結び目は母のそれと同じ手つきだがほどき方がわからない。触れないまま、確かに。
「投げて」と袋の石が言う。声は一つではなく丸さの数だけ重なって私の掌を押し上げる。私は数えない練習を思い出し、練習通りにひとつを選ばず、ひとつを選ぶ。選ばれた石――選ばれてしまった石――は川の天井へ向けて放物線を描き、その途中で鳥へ変わる。紙ではない。骨の鳥。骨は軽く、音は重く、音の重さが水に穴を開ける。穴は音のかたちで穴の縁が波打ち、その波が鈴の紐を遠くで揺らす。
鈴が鳴る。鳴ったのに誰も顔を上げない。上げない顔たちは面の裏側みたいに静かで、静かなまま笑っている。面の子がいつのまにか階段の上に立っていた。袖口の縫い目が呼吸を早め、赤い糸が息の数を間違える。子は手を挙げ、掌の中心に小さな三角形を見せる。紙の鳥の翼と同じ角度。三角は三を呼ぶが呼ばれた三は来ない。代わりに七と五が先に来て三の席を温める。席だけがそこにある。
母が振り向く。唇の糸はほどけても結ばれていて、結ばれていてもほどけている。矛盾は礼儀正しく、まず私の名前を呼ぶが名前の軽さに足を滑らせる。母の声は私の骨に届くまでにいくつかの階段を落とし音程のない音になる。音は意味の服を脱ぎ、裸のまま私の背中へ貼りついた。そこで古びていた肩甲骨がふっと若返り、代わりに膝が一気に年老いる。歩く順番が身体の内部で入れ替わる。
境内の中央にいつのまにか秤があった。皿が二つ。どちらも同じ白で、同じ薄さで、同じ傾きで、どちらも私を誘う。社人の姿はないのに秤の針だけが礼儀正しく正中を指し、まっすぐのふりをして曲がっている。私は袋の口をほどき石をすべて取り出して数えないまま三角形に並べる。三角の中に私の影がぴたりと収まる。影が重さを返してくる。返された重さは、私の名前の抜けた画数のぶん、濃くなる。
「置いてきた靴、どこ?」面の子が問う。問いは私に向けられているのに私ではない誰かが答える。「橋の下、天井のほう」声の主は私に似ていて膝だけが大人だ。私はその声の方向を見る。そこには記帳台の帳面がまたひとりでに開いている。七百五十三の綴りの端がほころび数字の眠りが浅くなる。浅い眠りは夢の内容をこちらへ零す。零れたものは日付の黒砂に吸われない。ただ、私の爪の先に震えを残す。
私は秤の皿へ三角をそっと移す。皿は揺れず針も動かない。動かないことが最も大きな動きになることを私は初めて知る。動かない針の影だけがわずかに魚の尾びれの形をして私の踵を叩く。叩かれた踵が橋の向こうの階段へ向き直り、足は私より先に歩く決心をする。私はそれに遅れてついてゆく。遅れることが先回りに似るとき、世界は私の許可なく別の段取りに入る。
鈴は二度目を鳴らさない。鳴らさないのに鳴ったあとの風だけが社殿の奥から吹いてくる。奥は暗くないのに暗いほうの光を選んでいる。母は私の名をもう呼ばない。代わりに赤い糸の先で結び目同士をそっと触れさせる。私は階段を上る。段の数は決まりを持たず足の骨の機嫌で伸び縮みした。伸びたぶんだけ背中が若返り、縮んだぶんだけ眉の上の墨の線が濃くなる。
拝殿の扉が私の手に触れる前にわずかに開く。その隙間から紙ではない骨の鳥が一羽静かに出てきて私の肩に止まる。止まる重量はちょうど名前の抜け分だ。鳥の眼は私の眼より古く、世界のほうが新品に見える。鳥が囁く。「ここから先は、順路ではなく戻り道」
戻り道。戻るのは誰か。私か、私の年齢か、私の名前か。答えは扉の隙間の温度に仕舞われている。温度は言葉を持たないが言葉より長く残る。私は肩の鳥の体温でわずかに足を軽くし、扉の内側へ半歩だけ滑り込む。半歩が、全部になる。外では母の足音が一拍遅れて私の名の軽さにようやく追いつく。その瞬間、記帳台のページが一枚、風で勝手にめくれ、七百五十四というまだ無い数字の影だけが白紙に立った。
扉の内は暗くない闇だった。畳の目が呼吸し、柱の年輪が指を折って数え直す。骨の鳥は、私の肩から降りて、鈴の縄の影に嘴で触れようとして、触れないまま合図を寄こした。私は進む。床板の下から水の音がする。川がここにも来ている。橋の下の天井が社の底に繋がっているのだと遅れて知る。
正面、賽銭箱の向こうに小さな厨子。中には紙ではない私の履き物が一対、濡れていないようで、確かに濡れた跡を残すように置かれていた。鼻緒はほどけ結び癖だけが残っている。私はそこでようやく言葉の刃を鞘から抜かずに済むやりかたで、答えを言う。「私は、ここで終わっている」
言うと、骨の鳥が頷く。頷くたび肩が軽くなり軽くなるぶんだけ名前が重くなる。私の名はあの日——七と五と三のどれにも届かない年の途中——この橋の天井から落ちて水の側のほうに拾われた。母は声を結び、呼べば来てしまう私を呼ばないために沈黙を口に縫いとめた。赤い糸は言霊の手綱だった。私は身体の代わりに名前として残った。抜けた画数は石に化け、母の手提げに重さとして宿った。だから石は私より私をよく知っていた。
記帳台の黒砂は日付を隠すための喪服だった。隠されていた日は母が私を失い私が母から離れた日。七百五十三という数列は繰り返しの回数ではない。七と五と三、祝うべき数字を母が並べて、しかしどれも私に合わず、合わないたびに薄い綴りで私の名を書き直した。ページが増え、名が重なり、黒砂が涙で湿るたび私は境内の空気として戻ってきた。戻り道、と鳥が囁いたのは私が未来へ進むのではなく書き直しの源へ帰る旅をしていたからだ。
秤は確かめるためにあった。重くなったのは誰か。軽くなったのは何か。皿の上の三角は私の影が覚えている家の形。針が動かなかったのは、私の名から抜けた画数がまだ石の姿で母の袋に散っていたから。決まりよりも都合が強いとき、針は礼を装いながら沈黙を守る。
私は袋の口を開く。外にいる母は扉のこちらに私がいる気配だけを頼りに唇の結び目をそっと緩める。結び目はほどけ、しかし結び癖だけが残る。私は一つずつ石を秤の皿へ載せる。載せるたび、石は画数へ戻り、線は私の名に戻り、名は骨に肌を重ねる。皿の上で三角が家から鳥へ形を変え鳥が紙の軽さを経て最後に静かな無地になる。その無地が私の欠けていた部分だった。
針がほんの一目盛りだけ音もなく右へ寄る。寄った影が魚の尾をやめ私の踵をもう叩かない。川の音が天井から床下へ戻っていき、上下を取り違えていた流れが正しい向きに落ち着く。欄干の髪は見当たらず、代わりに母の肩に朝の光が一本置かれる。
骨の鳥がが言った。「名は帰った。身体は問わない」
私は頷き、厨子の前で草履に手を伸ばす。指が触れる直前、草履は音のない波紋になってほどけ、私の足の裏に柔らかい土の記憶だけを残す。歩ける。歩く場所は、ここではない。私は振り返る。扉の外、母が鈴の縄に手を添え、今度は誰の許しも待たずにひとつだけ鳴らす。からん。鳴った音は縛られていた唇を通らず胸の奥へ落ちてそのまま世界の底まで届く。
記帳台のページが風ではなく終わりの都合で一枚めくれ、白紙に日付が浮かぶ。黒砂が喪服を脱いで素の紙に戻ったのだ。日付は最初の日と同じ。けれど今度は母の手で正しい濃さで私の名が一度だけ書かれる。軽さはもうない。重さはもう母の肩に乗らない。重さは紙の奥で静かに横たわる。
扉口で私は母に頭を下げる。母は赤い糸を外し、糸は唇ではなく私の名の最後の線にそっと結ばれる。ほどけないように、強く。私はそれを見届けた。肩の骨の鳥に小さく礼を言う。鳥は私の頬を一度だけ嘴で撫で、紙の軽さへ戻る。折り目をたたんで賽銭箱の隅に眠る。
橋へ出る。川は底を黒くしたまま、しかし黒はもう強情ではなくただの深さとしてそこにある。欄干に残してきたはずの髪は私の後ろ髪として風に揺れ、振り向けば誰のものでもない長さで笑う。私は靴を持たない。持たない足取りで来た道を戻る。戻り道は行き道より短い。短いのに十分長い。途中で面の子がこちらを向いて手を振る。袖口の縫い目はもう呼吸を急がず、ただ布として落ち着いている。子の掌の三角は消え、代わりに丸い飴玉が転がった。甘いほうが、やっと勝ったのだ。
鳥居をくぐる前、私は立ち止まる。袋は空だ。空は軽い。軽いものほど、残る。私は最後に振り返り、母の背中を見る。背骨はまっすぐで、まっすぐでありながら、これまでよりもよく曲がるはずの柔らかさを持っている。鈴は鳴らない。鳴らないまま、鳴ったあとの世界だけが続いていく。
私は歩き出す。誰の年齢にも合わない足取りで。名は紙に帰り、声は風に溶け、身体は川の向こうで眠る。七と五と三は祝うべきたわみとして母の生活の皿に置かれた。七百五十三参りは今日で終わる。次の数字は要らない。影が一歩遅れて追いつき私の脛を軽く押す。押されなくても、もう歩ける。
参道の砂利が初めて私自身の記憶で敷き詰められる。しゃり、しゃり。その音は、鈴の代わりに世界の端々を結び直す。私は目を閉じる。開ける。青は新品のまま、私の眼球も新品になっていた。
(完)




