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皇都、猫一匹持ち帰り

「というわけでこいつも国に連れて帰る」

「申し訳ございません、シルヴェイン殿下。このじいや、とうとう耳が悪くなってしまったようです。もう一度仰って頂けますか」

「こいつを飼うことになった。連れて帰る」

「にゃー…………」


 うら若き少女が無の表情で猫の鳴き真似をするのを見て、幼き頃からシルヴェインの世話係を務めていた爺やは、モノクルのレンズを『パリィィンッッ』と割って気絶した。

 護衛はすぐさま彼をキャッチして「胃薬を‼︎」と叫ぶ。別の護衛が「すぐに持ってくる‼︎」と叫び返して駆け出す。

 そりゃそうなるわな、とリネアルーラとノクタリオンは深く頷いた。主人が突然ペットを飼うノリで少女飼うとか言い出したらそうなる。

 シルヴェインたちが乗っていたという馬車は、盗賊たちと戦った場所からそう遠くはなかった。

 皇族が乗るにはシンプルだが、細かな模様が決して地味に見せないデザインの馬車だ。

 さすが大国、と感心するリネアルーラはすでに諦めている。

 ここに来るまで何度もシルヴェインに対して『私飼っても何にもならないよ絶対!』『ていうか行く宛のない少女を家に連れ込むって世間的にどうかと思うな!』と訴え続けたが、決意を固めたシルヴェインを曲げられたものはいない。結局大人しくついてくるしかなかった。


 三人が乗り込んだ馬車はやがて、カラコロと小気味よい音を立てて走り出した。


「……おい」

「ん?」

「お前の長いな。縮めていいか?」

「……好きにすればいいよ」


 すっかり諦めきった顔で、リネアルーラは馬車の窓の外を見つめた。

 黄金の夕日が平野を照らし、風にそよぐ草が、まるで波のように揺れている。


「……リンネ、でどうだ」

「……だから、好きにすればって言ったじゃん」


 “リンネ”という呼び名に一瞬心臓が跳ねた。

 輪廻転生――それは、生まれ変わりを意味するニホンの四字熟語。

 輪廻という名前もニホンには存在した。あの世の魂が、もう一度戻ってくるという意味。


 そして、リネアルーラの前世の名だった。


「……お前、本当に猫っぽいな」

「またそれ?」


 先ほどの『にゃー』が気に入ったのか、シルヴェインは愉快そうに笑っている。

 リネアルーラはそれを見て、むしろ心配になった。


(ほんとに大丈夫かなぁ、この人……)


 そんなリネアルーラの表情を読んだのか、反対側の座席にいたノクタリオンがくつくつと笑った。


「気にしなくていいですよ。あれでいて、殿下は国一番の策略家なんです!」

「そうなんですか!?」

「嘘です」


 ノクタリオンの顔に浮かぶのは、堂々とした悪意のない嘘つきの顔だった。


「……つまり、ほんとにこの人、思いつきで私を拾ったってこと?」

「たぶんそうです」


 リネアルーラは思わず、天を仰いだ。

 馬車の天井が見えただけだった。



 ◇◇◇◇◇



 しばらくして、間も無く皇国に着くという頃。

 シルヴェンが口を開く。


「ところでリンネ。お前――あの戦闘技術は、どこで得た?」


 空気が変わった。

 リネアルーラはうっすらと笑みを浮かべるが、目の奥が全く笑っていない。

 冷気が漂うような氷の空気で空間が満ちて、シルヴェインとノクタリオンは背筋を伸ばす。


「――なんで、そんなこと聞くのかな?」


 柔らかな声色だったが、そこには“訊かれたくない”という感情が含まれている。


「……話によると、お前は昨日まで公爵令嬢だった。だが先程の戦いでは、練り上げられた技術が感じられた」


 鋭い危機感知能力。軽い身のこなし。盗賊にも動じない確固な精神。容赦なく急所を突く、冷酷な判断力。

 どれも、公爵令嬢が身につけられるとは思えない、超一流級の技術だった。

 リネアルーラはしばし無言で、指先を膝の上で組む。

 その仕草すら、どこか軍人のように正確だった。


「……教えたら、どうするの?」

「ん?」

「私が誰に教わったか、どこで訓練を受けたか、何をしてきたか……それを聞いて、ルーはどうするの?」


 問いの中にあるのは――試すような棘だった。

 ノクタリオンは思わず息を飲み、シルヴェインも一拍、黙した。


「……ああ、悪い。強く聞きすぎた。ただ、少し気になった」


 シルヴェインは素直に詫びた。

 だが、目は逸らさない。


「気になる、ね」


 リネアルーラは目を細めて、微笑む。

 それは笑顔というより――戦場で敵に見せる、油断させるための表情に近かった。


「じゃあ、ヒントだけあげる」


 彼女は、窓の外を指差した。

 ちょうど遠くに、皇国の城門がうっすらと見え始めている。


「私は、かつて『敵』だった」


 リネアルーラのその一言に、車内の空気が凍りついた。

 けれど、次の瞬間。


「でも今は、ルーの猫。モフってもいいよ」


 ――不意を突かれた。

 シルヴェインがぽかんと口を開ける。

 ノクタリオンは咳き込み、肩を震わせて笑いを噛み殺す。


「……は? いや、は?」

「モフらないの?」

「いや、モフるとかじゃなくて……」


 リネアルーラは無表情のまま、じり、と距離を詰める。


「私は今、“猫”。猫ってことは――人間より、ずっと気まぐれで、ずっと自由」


 静かにそう言って、彼女はふわりと笑った。

 ――その目は、完全に獣のそれだった。


 そして、皇国の城門が目前に迫る。

 皇族の馬車の帰還に、衛兵がざわつき、夜中だというのに街の民が道端に集まり始める。

 それをリネアルーラは、猫のように好奇心に満ちた瞳で見つめる。


 城門が開き、馬車が皇都の石畳に入る。

 リネアルーラは車窓の外を興味深げに眺めていた。

 壮麗な建築群。街路に並ぶ旗。活気づく市民たち――。


「……すごい、ね。王都って、もっと陰鬱かと思ってた」

「どういうイメージですか、それは」


 シルヴェインの苦笑に、リネアルーラは肩をすくめる。


「ほら、皇族の住む場所なんて、陰謀と処刑と権力争いでギスギスしてるのが定番っていうか……」

「うん、それはだいたい合ってます」

「即答!?」


 ノクタリオンが笑いながら補足する。


「ま、表面は平和に見えますけど、内側はそうでもないですからね。今日も殿下が何か持ち帰ってくるって聞いたら、宰相様が胃を押さえてたくらいですし」

「気の毒に……」


 リネアルーラが同情を込めて呟くと、馬車がついに城門をくぐった。

 見上げれば、城の尖塔が空に伸びている。

 門の前には、すでに王宮の近衛たちと、上級文官の一団が整列していた。

 そして、その中でも一際目立つ存在――白銀の髪を後ろで束ね、精緻な装束を纏った中年の男が、眉間に皺を寄せて立っていた。


「……あれが宰相様?」

「うん。胃痛で有名な、皇国三賢のひとり」

「かわいそう」


 リネアルーラの第一声に、ノクタリオンが吹き出す。

 そして馬車が止まった。

 扉が開く。

 シルヴェインが先に降り、リネアルーラがそれに続く。

 瞬間――。


「……殿下。この件について、ぜひ“説明”を」


 低く、静かに、宰相が口を開いた。

 その語気には、雷のような圧力があった。

 リネアルーラは無言のまま一歩下がり、シルヴェインの背中を見上げた。

 その背は、堂々としている。


「説明は後だ。まずはこいつを寝かせたい」

「ペットの扱いですね……?」

「そうだ、猫だからな」

「……にゃー」


 どういう流れか知らないが、また鳴いてしまった。

 宰相の額に青筋が浮かぶのを見ながら、リネアルーラは思った。


(私、ここで生きていけるのかな)


 純粋な疑問と好奇心だった。きっとできるだろう。

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