甘くて苦いそれ
おじさまが猫殺し花に頭をかじかじされている頃、『ツバキの部屋』と名付けられた自室で、リメイヴァはベッドに沈み込んでいた。
ちなみにこの部屋の名前はリネアルーラが付けた。曰く、『桜と来たら次は椿でしょ!』と。
『サクラの部屋』が優美なら、『ツバキの部屋』は清廉、と表現しうるだろう。
青と白で統一された家具は整然としていて、無駄のない清らかさが広がっていた。
そんな清らかな空間にある大きなベッドで、天使の羽のように柔らかい最高級クッションに顔を埋めつつ、窓から差す暖かい日の光をシャットアウトする。
綺麗な金髪が乱れて服に皺ができるが、気にせずに小さく呻く。
「また……逃げ出した」
呟かれるのは後悔の念。彼の脳裏には、少し前のことが映し出されていた。
先程、昼食を終えて自室に戻ろうとした時、リネアルーラに『リメイヴァ、一緒に温室に行かない? 面白い人もいるんだよ! お姉ちゃんのズッ友なの!』と誘われたのだが……。
『……行かない。というか、なんでそんなにオレに構うんだ? ……本当の姉でもないのに』
そう言って逃げるように自室に駆け込んだのだ。
もう一ヶ月近く、似たような態度を取り続けている。
顔を背ける寸前の、軽く目を見張った彼女の表情が忘れられない。
明確な拒絶に傷ついてしまったか、あるいは無愛想な自分を軽蔑したか。どちらにせよ、いい感情を持っていないのは確実だろう。
場合によっては、嫌われたと見ても……。
「………………オレだって…………」
本当は仲良くしたい。
彼女の頼み事なら、なんでも叶えたい。食事の感想も、もっと真摯に伝えたい。
もっと時間を共にして、その濃紺の髪に触れたいとさえ思っている。
でも、彼女と目が合うと鼓動が早くなる。顔が熱くなり、気恥ずかしさが湧いて目を逸らしてしまう。
『弟』と呼ばれるたびに胸に鋭い痛みが走り、悲しみに似た感情が生まれる。
「なんなんだ、これ……」
仰向けになって、きゅっと心臓のあたりの胸に手をやる。
目を閉じる。笑顔を浮かべる彼女の姿を振り払おうと、もう一度うつ伏せになって、クッションに顔を擦り付ける。
耳を塞ぐ。脳内で響く透き通った声は消えなくて、浅い息を漏らした。
何もわからない。なのにわかる。この感情は自分を滅す。
こんな感情、自分は知らない。
こんなに甘くて苦い感情、知るわけない。
「…………なんなんだよ、これ……――」
その感情の名前を、彼は知らない――知ることはない。
◇◇◇◇◇
「恐怖は、時に理性を凌駕する」
その夜。リネアルーラは自室のバルコニーで一人、そう楽しげに笑う。
夜色のガウンを羽織り、静かに吹く風に目を細める。
手には一つのピアス。金と碧を基調とした清廉なデザイン。
「理性を壊すほどの強い感情を危険と判断した心は、稀により強い感情で上書きしようとする」
悲しみを嘆くように、恋情を迸るように、憎しみを呪うように、愉悦を歌うように。
そんなチグハグな声色で、彼女は夜空を見上げる。
「そして、あまりに強い感情に壊れてしまった理性は――いつも危険を知らせてくれるとは限らない」
空に翳されたピアスが、シャラリ、と上品な音を奏でる。
満月の光で碧の宝石が煌めいて、彼女の顔を静かに照らした。
〈おまけ・シルヴェインどっきり大作戦!!〉
「うんうん、めっちゃ可愛いよサラ!」
「あ、ありがとうございますリネ様……!」
「リネ様、私もお願いします!」
「私も!」
「みんな順番にね〜」
リメイヴァが王宮に来て二週間ほど経ったある日。
リネアルーラは変装用に自作したメイク道具で、仲のいい侍女たちにオシャレをさせていた。
きゃっきゃと交わされる笑い声と「かわいい!」という言葉。完全に女子会のノリである。
今回のメイクアップ会は、リネアルーラが「可愛くなりたい子、この指とーまれっ!」と一言言っただけで開会された。
それもこれもリネアルーラの人気ゆえである。リネ様大好きな侍女たちは多く、リネ様厨と言っても過言ではない敬愛ぶりなのだ。
リネアルーラの手によって、次々と美少女になっていく侍女たち。
可愛い系に大人系、お色気お姉さん系から儚げ系まで幅広く。
しかも誰一人として、素材の良さを殺していない。あくまでも主役は侍女たちな超高技術メイク。どんどん美少女になっていく侍女たちに、リネアルーラはご機嫌である。
そこらへんのメイクアップアーティストが見たら心がポッキリ行くレベルのメイクスキルを披露したリネアルーラは、にこにこしながら適当な口紅を取る。
「さーて、私はどんなメイクにしよっかなぁ。可愛い系か、綺麗系か…………あ」
どうしよっかなーと考えて思いついたアイディアに、思わずニヤァと口角を上げて笑った。
人によっては「110番!!」と言われかねないほど悪い顔だったが、一応奇跡の美少女なので、人を誑かす悪女のような妖艶な笑みになっている。
「いーこと思いついた!」
ドレッサーに座り直して、化粧箱からあれもこれもと取り出す。
一番色の白いファンデーションに、繊細に線が描けるマスカラ。顔の輪郭を変える道具と翡翠色のカラコン。
次々に飛び出す未知のメイク道具(一部そうでない物も混じっているが)に、侍女たちの目は釘付けだ。キラキラどころか若干ギラギラしている。
「あの、リネ様、何をなさるおつもりで……?」
「んー?」
くるりと振り返ったリネアルーラは、最後に口紅を手に取って、下の部分をくるくると回す。
飛び出したそれを、とん、と唇に当てて、楽しげな笑みを浮かべた。
「ちょっとルーをびっくりさせようかなぁ、って」
その唇には、ほんのりと儚げなシャイピンクが付いていた。
一時間後。
シルヴェインの自室の扉の前に、一人の美少女が怖気付いた様子で佇んでいた。
サラサラした明るめの茶髪に、透き通った翡翠色の瞳。小柄で華奢な体格が、彼女を儚げに見せている。
――お察しの方もいるだろう。リネアルーラである。
リネアルーラの「いーこと」とは、『その子ははだぁれ? 騙し切れ! シルヴェインどっきり大作戦!!』だった。
簡単に言うと、新人侍女に変装したリネアルーラが城内で迷ったフリしてシルヴェインの自室に入る。
そこで事情を説明して、部屋まで送ってもらう。
着いた部屋がリネアルーラの部屋だと気付いたところで種明かし……という感じだ。
裏オークションの一件ですっかり変装が気に入ったリネアルーラは、今回も嬉々として別人になった。
ウィッグとカラコンはもちろん、もともと細い線をさらに細くし、侍女から借りたドレスのスカートの中で軽く屈んで身長を低く見せるという徹底ぶり。
あまりの変身っぷりに、同席していた侍女たちはしばし唖然となった。
おどおどとした表情を崩さぬまま、内心でドヤるリネアルーラ。
(ふふふーんっ。さすがは私。あまりの才能に、思わずどこの深窓の令嬢かと思ったね!)
おい自画自賛と突っ込みたくなるが、実際にリアル深窓の令嬢にしか見えないので何も言えない。
ちなみに周囲の死角にはリネ様厨の侍女たちが大量に潜んでいる。各々鋭いペンやらやたらと鋭利な櫛やらペーパーカッターやらを構えている。何かあった時対処するためである。
(じゃあ、いざっ!!)
リネアルーラはその細い腕で、重圧な扉を押し開けた。
が……室主の姿はなかった。
「あれれ? おかしいなぁ。この時間ならいるってノクタリオンが言ってたのに……」
用意周到な彼女は、ノクタリオン経由でシルヴェインがこの部屋にいる時間を把握していた。
余談だが、ノクタリオンがどうして主の予定をペラペラ喋ってくれたのかというと。
『いやだって、こんな面白そうなこと逃すわけないじゃないですか! なんなら一緒にやりたいんですけど! でもこの後は陛下と宰相と貧民街の誘拐事件について話さないといけないんですよね……ああ胃が痛い。宰相様はともかく陛下と同席とか胃痛しかないですよ、本当に』
超早口だった。ついでに目の下には濃いクマ。憐れみを覚えたリネアルーラは、以前自作したホットアイマスクをプレゼントしておいた。
とりあえず中に入って、部屋を見渡す。支えを失った扉が、後ろでパタンと音を立てて閉じた。
大きな机にベッド、ソファ、クローゼット……生活できる最低限の家具が揃えられている。
何度も入ったことのある部屋だった。清潔感のあるこの空間は、いつ来ても心地がいい。
思わずふかふかなソファに腰掛けて、ほぅっと息を吐く。
「うーん、落ち着くわぁ…………………………いやいや落ち着いちゃダメだったわ。私どっきり仕掛けに来てんだよアホか。寛いでどーする」
そしてすぐに自分に自分で突っ込んで立ち上がる。
とにかくにも、今シルヴェインはいない。それだけは確からしい。
机の上には書きかけの手紙と高そうな羽ペン。流麗な文字で書かれたそれを覗き込もうとして、やっぱり覗き見はよくないなと思い直す。
「ともあれどうするかなぁ。多分すぐ帰ってくるよね。ならもう一度廊下で待ち構えて――」
と、そこまで考えたその時。
カチャッと小さな音がして扉が開き、白銀髪紫眼の美青年が登場した。
「「………………………………………」」
まさかのタイミングの出会いにお互い無言の間。
すぐにはっと我に返って、どうしようどうしようと思考を回す。
(どうしようどうしようどうしよ……いや冷静になろうリネちゃん! そう冷静に! これはチャンスだっ、間違って部屋に入っちゃったってことにして、本来の作戦通りに進めよう! 知らない人の部屋に入っちゃうくらい警戒心のない女の子ってことにすれば、なんだかんだで優しいルーは見捨てないだろうし!)
――リネアルーラは知らなかった。
シルヴェインがリネアルーラ以外の女には、岩塩も真っ青な塩対応なことを。
そして第二皇子として、今まで幾度となく命を狙われてきたがゆえ、知らない人が自室に入った時点でアウト判定なことを。
無知な新人侍女らしく、王族の顔もわかっていないように、リネアルーラは困り顔で小首を傾げる。
意識して声色を変えて話しかける。
「あ、あの、すみません。勝手に入っちゃって……わ、わたし、ここ、来たばかりで、その、ま、迷子に――」
「誰の差し金だ」
ゾッとするほど冷たい声が届いた。
聞いたことのない冷酷な響きに、思わず息を呑む。
「雇い主は誰だ。ここで何をしようとしていた?」
長い脚であっという間に距離を詰めて、少しカサついた指先が顎にかかる。
想像以上にひんやりして、まるで氷の茨に絡め取られているかのようだった。
強制的に目を合わせられて、つぅ、と冷や汗が頬を伝う。
(あー、ヤバい。ガチ目にヤバいわ。完全に刺客だと思われとる。このままじゃ私牢屋行き? え、待って待って待ってぇ!?)
危機感を覚えたリネアルーラは、弁明しようと口を開く。
「や、ちが、違います! わたし、別にそういうんじゃなくて」
「は?」
(あ、これ無理だわ)
そしてすぐに諦めた。だって「は?」が、「は?(圧)(圧)(圧)」だったんだもん。
死んだ魚の目になったリネアルーラは、もういっそネタバレしちゃったらいいんじゃないかという、普通に考えて一番始めに思いつくはずの解決策を閃いた。
(ここで思いっきり『なーんちゃってっ。あなたの可愛い仔猫、リネちゃんでーすっ!』って素の声で言えば、万事解決だぁ!)
思いついたら即行動。行動力の鬼と有名なリネアルーラは、タイムロス無しで叫ぼうとする。
「な、なーんちゃ――」
「黙れ」
が、あろうことかシルヴェイン、禁断のネタバレ潰し。瞬時に手で口を塞いで、仲間を呼ばれるのを阻止しようとしていた。実際はネタバレの叫びだったのだが。
これによってリネアルーラの生存率は激しく低下した。
当の彼女はとびきりの秘策をおじゃんされて、大きな手で塞がれた口をモゴモゴ言わせながら目を白黒。
(なんで止めるのおおぉぉぉっっ!?)
「叫ぶなよ」
まだ何か言おうとしているリネアルーラ(シルヴェイン視点では不審な女)に、すぅっと目を細めてシルヴェインは言った。
「叫んだら、キスするぞ」
空耳を疑った。
「……………………………………………………………………………????」
目を点にしてたっぷり十数秒の間。
そして。
「………………みっ」
「み?」
「っっ、みゃああああぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
「なんだ、リンネか」
叫び声を聞きつけたリネ様厨の侍女たちが、武器を手に部屋へ飛び込んでくるまで、あと五秒。
リネアルーラは、シルヴェインに変装どっきりを仕掛けるのはこれきりにしようと、心から誓うのだった。
読んでくださってありがとうございました!!
………………よかったら、評価とかレビューとか……お願いできませんかっ? (チラッ)




