前世は監禁された
リネアルーラは、レイヴンシェイド家お抱えのデザイナーに密かに作らせていた、動きやすい服に手早に着替える。
上は右肩を出したスタイルで、下はキュロット風のズボンにタイツ。ヒールのあるブーツを履けば完成だ。
黒を基調としたそれは夜の闇に紛れやすく、リネアルーラの要望通りのものを作ってくれたデザイナーに、思わず感謝しまくってしまった。
(スパイだった人生を思い出すなあ。うんうん、やっぱりかっこいいや)
リネアルーラの四十三度目の人生は、スパイだった。ただし、異世界の『ニホン』という国のだが。
どうやらリネアルーラの人生は、この世界とニホンのどちらかに、ランダムで生まれるらしかった。最初の四度はこの世界、五度目の人生はニホンの一般人に生まれ落ちたのだ。
最初の頃は世界観がガラリと変わった世界に、ひどく混乱したものだ。
一番辛かったのは言語の習得で、二年近くかかってようやく親の言うことがわかるようになった。
ニホンにいた頃のリネアルーラは、いわゆる本の虫で、ありとあらゆる本を読み漁っていた。
特にお気に入りだったのは異世界転生もので、初めて読んだ時は、あまりにも自分と同じ展開に、青天の霹靂を受けた気分だった。
その後の人生でも、リネアルーラは何度もニホンに生まれた。その度に新しい職業に挑戦し、知識と技術を蓄え続けた。
そのおかげで今世では、やりたいことが盛り沢山だ。全て叶えなければ気が済まない。
「よし、出発!」
荷造りを終えたリネアルーラは、部屋についている窓を開け放った。その時、廊下につながる扉が開いて、メイドの一人が飛び込んできた。
ちなみにこの破天荒令嬢、屋敷へは窓から侵入している。二十三度目の人生の、ニホンの新体操選手であった経験が活きた結果である。
「お、おおおおお嬢様ァ!? 物音がすると思ったら、なんでここにいるんですか!? 今は舞踏会に行かれているはずでは……!?」
「やっほーマリナ。私アルバート様に国外追放って言われちゃってさ。もう行くね、バイバイ!」
「は!? 国外追放!? なぜ!? というかなんで窓から身を乗り出しぅわああああお嬢様が落ちたァ!!」
メイドの悲鳴が響き渡ったが、リネアルーラは落ちていない。屋敷の屋根の上によじ登って、別の屋根に飛び移り、また別の屋根に飛び移りと、文字通り元気に飛び回っている。
そうとは知らないメイドは、「お館様ァァーーッッ!!」とリネアルーラの父を呼びに大声を上げた。
***
リネアルーラの記憶にある数多の人生には、一つの共通点がある。
それは、生まれて十六の年に、必ず『人生の転機』と呼べる出来事が起こることだ。
あるときは母が病死し、あるときは幼馴染が行方不明になり、またあるときは親友に彼氏を寝取られた。
今世の“転機”は、濡れ衣付きの婚約破棄と国外追放。今までとは違い、リネアルーラが両手をあげて喜ぶ代物だった。
「前世は特に酷かったんだよねぇ。顔も名前も知らないような人に、いきなり監禁されちゃて」
しみじみといった様子でいるが、内容はなかなか物騒だ。あらゆる経験をしてきたリネアルーラは、基本的に危機感が薄い。
監禁してきたのは、前世のリネアルーラを恋慕する中学校の先輩で、人気者だった彼女を自分のものにしたかったらしい。
余談だが、その監禁事件は、リネアルーラの『そこまで慕ってくれるなんて嬉しいなあ』という言葉と共に発たれた鋭い右ストレートで終結した。
前世が空手家だったため思わず殴ってしまった、というのが本人の供述である。
閑話休題。
パチパチと弾ける焚き火の前で、先ほど狩ったうさぎに齧り付きながら、リネアルーラは思考に沈む。
(シャンデイル皇国は、ここから結構遠いよね。やっぱり、どこかで馬車とかに乗せてってもらうのが無難かな)
口の端から溢れた肉汁を赤い舌でぺろりと舐め取り、でも、と少し困った顔をする。
(勢い余って『魔の森』に入っちゃったんだよなぁ、私)
そう、ここは獰猛な獣の巣窟、『魔の森』なのだ。
今食しているこのうさぎも、リネアルーラを視認するなり襲いかかってくるほど、非常に好戦的なうさぎだった。
こんなに危険な森を突っ切ってくるような馬鹿はリネアルーラくらいで、当然誰かが通りかかる気配はなかった。
どうしたものか、と自分の愚かな行いに項垂れたところで、過去にソナーマンをしていた耳がピクリと反応した。
(――誰かいる。複数人。音を殺しているけれど、おそらく剣などの武器を構えている。確実に私の背後を取ろうとしている、これは――盗賊)
その言葉が頭に浮かんだ瞬間、あらかじめ用意していた水で焚き火を消す。
すぐにあたりは暗闇に包まれ、夜の色がグッと濃くなった。
(おそらく手練れの者)
リネアルーラは護身用に持ってきた短剣を抜いて、音もなく構える。
相手は人を襲うため、夜の闇に慣れているはずだ。
だがリネアルーラは、先ほどまで焚き火の近くにいたせいで、まだ暗闇に目が慣れていないため、状況は不利だ。
ヒュン、と空気を切る音が聞こえた。
反射的にしゃがみ込んだリネアルーラの目が捉えたのは、五人の総骨隆々な男たち。
「よお、嬢ちゃん。随分いい服着てんじゃねえか」
「オレら一文無しでよお、ちょっと恵んでくんねぇ?」
下品な笑みを浮かべながら、そんな言葉を宣う。
ギャハハ、という耳障りな笑い声が耳を擽り、リネアルーラは思わず呟いた。
「――うるさい」
「……あ?」
「てめえ、いまなんつった? あ?」
「うるさいと言ったのよ、クソ害虫ども。考え事の邪魔をした罪は重いわよ」
ニホンで不良をしていた人生の癖で、ついつい敵を煽るような口調になってしまったリネアルーラ。
案の定、盗賊たちは顔を真っ赤にして、剣先をリネアルーラに定めた。
「予定変更だ! このクソ娘はこのまま殺す。せいぜい命乞いするんだなァ!!」
「命乞いするのはアナタたちでしょうに。何言ってるの?」
「アァ!? オレらがてめえみたいな小娘に負けるって言いたいのか!?」
「あれ、そう聞こえませんでした? ……ハァ。話すのも時間の無駄なので、もうこちらから仕掛けますよ」
時間稼ぎで話している間に、リネアルーラの目は随分と暗闇に慣れた。
そろそろいいだろうと、短剣を向けた。
短く息を吸い込み、止めると同時に地面を鋭く蹴る。
盗賊たちが反応するより早く、リネアルーラの峰打ちが盗賊の一人を襲った。
ドサリ、と音を立てて倒れた男を見て、自分たちが相手をしているのがただ者ではないとようやく察したらしい。
警戒するように男たちが顔を歪ませた時。
「十秒」
シャイピンクの唇から、ぽつりと溢れたような声が聞こえたと同時に、リネアルーラの姿がブレた。
目を見張った次の瞬間には、もうリネアルーラは目の前にいて。
「いち」
可憐な声が響いた。
まず、鳩尾に一発、蹴りが叩き込まれて、一人が脱落し。
「にー」
次に、剣を持った男が彼女の頭部を狙った攻撃を背後から放つと、まるで見えているかのように半身になってかわして。
「さん」
回転の勢いを乗せた左の裏拳が顔面に直撃し、また一人脱落。
「しー」
濃紺の色が視界に広がった次の瞬間、太ももに鋭い痛みが走り、男は苦痛の声を上げて倒れ込んだ。
「ごー」
声は続く。
いつの間にか手に握った長い針の先から、正体不明の液体を滴らせながら、リネアルーラは戯れるように言い続ける。
男が痛みに悶えていると、次第に視界が歪みだし、気分が悪くなっていき。
「ろく」
視界がブラックアウトしたであろう男の頭を蹴りながら、リネアルーラは楽しそうに笑った。
「なな」
最後の一人がこちらに背を向けて逃げようとしたので、リネアルーラは落ちていた矢を拾う。
「はち」
そのまま右手で握り込み、肩まで上げて振りかぶる。
同時に左足を高く上げ、勢いが乗るように身体を捻る。
「きゅう」
リネアルーラが思い描くのは、前世で見た野球選手の投球スタイル。
足を勢いよく下ろしながら、しなるように腕を振り抜く。
さながら野球選手のように投げられた矢は、真っ直ぐに男の背を射抜いた。
「ガ、アアァッ!!」
「じゅう」
背中に矢が突き刺さった瞬間、男は苦悶の声を上げて、地面に崩れた。
「――はいっ、十秒ぴったし。さっすが私!」
先程まで命の獲り合いをしていたとは思えない、場違いなほど明るい声が響いた。
ふふん、と誰にでもなく胸を張ったリネアルーラは、乱れた髪を撫でるように整える。
ついでに、少し荒れている唇に、蜂蜜が練りこんである口紅を挿して、ふわふわと楽しそうに笑う。
「――――それで」
鈴が鳴るような声が、上機嫌に言葉を紡ぐ。
後方を振り返って、リネアルーラは淡い笑みを零した。
「アナタは、だぁれ?」
楽しげな響きを含んだ言葉を向けられた者たちが、リネアルーラの見つめる木の陰から、静かに出てきた。
リネアルーラの前世
幼い頃から、その美しい容姿で人気者だった。監禁事件が解決したあと過保護になった両親のために自衛の術を身につけ、将来は公安警察になった。
前世のリネアルーラを監禁した人
リネアルーラの先輩だった人。かなりイケメンで女の子にモテていたが、遊び人な一面があった。それを知っていたリネアルーラが先輩の告白を断ったことで、愛が暴走。どうしてかリネアルーラを監禁する結論に。「へえ、〇〇(リネアルーラ)さんの将来の夢って警察なんだ? 俺、〇〇さんなら逮捕されてもいいかな!」って言ってた。よかったね、夢が叶ったよ。