桜と追憶
「サクラの部屋は……誰が、命名したの?」
シルヴェインは、静かにリネアルーラを見つめた。
それから静かに、形のいい唇を開いた。
「――かつての国王の兄君、ルートヴィヒ・ジャズ・キャルアルデーラだ」
「……………………は」
リネアルーラは呆然と息を吐いた。
聞き慣れない名前だったからではない。その逆だ。聞き慣れていた名前だったのだ。
ヒントはあった。
“――こうして、王国はひとつにまとまりました”
“ってことはさ、その“統一王”って人、めっちゃ有能だったわけね? 策士? 天才? え、顔面はどうだったの?”
“……優れた容姿だった、という記録も一応あります”
“それ重要! イケメンは正義だから!”
なぜ国王の容姿を気にした?
既視感はあった。
“しかし……この廊下……どこかで……”
“優雅に見えるように歩きながら、リネアルーラはもやもやとした既視感を覚えていた。”
あの時何を感じた?
違和感はあった。
“……今は、書庫にいらっしゃるかと……”
“それを聞いてすぐにリネアルーラは駆け出した。侍女を振り切って、高速で移動する。”
“書庫に行ったことはなかった。だというのに、なぜか足は勝手に進んでいく。”
なぜ書庫の場所を訊かなかった?
ようやく全てが繋がった。
リネアルーラは、全ての謎が氷解した余韻にゆっくりと目を閉じる。
リネアルーラの六十七回目の人生。
その人生では男だった。第一皇子だった。自分を慕ってくれる弟がいた。
その人生での名は、ルートヴィヒ・ジャズ・キャルアルデーラ。
ひとつ前の人生で桜という花を愛した――サクラの部屋の命名者だ。
◇◇◇◇◇
(――私、だったんだ)
完全に予想外だった。忘れていたんだ、この国に生まれたことがあるということを。
自分がこの国の創設に関わった人間だったなんて、信じがたい。
リネアルーラはゆっくりと目を開け、シルヴェインとノクタリオンを見上げた。二人は、未だに彼女の言葉を待っていた。
「……なんでもない。ちょっとした歴史のクイズに答えてもらいたかっただけ」
そう言って、リネアルーラはふわりと笑った。
「えっ……クイズですか? リネアルーラ殿、まさかそんなことで……」
ノクタリオンは呆れたように眉を下げたが、リネアルーラの顔を見て、言葉を詰まらせた。その笑顔は、いつものように茶化しているようでいて、どこか遠い目をしていたからだ。
シルヴェインは、そんなリネアルーラをじっと見つめていた。彼の視線は、彼女の心の奥底を見透かそうとするかのように鋭かった。
「……そうか。なら、もう用はないな」
彼はそれ以上何も言わなかった。
リネアルーラは安堵し、静かに頷いた。
「うん。迷惑かけてごめん。もう行くね」
そう言って、くるりと背を向ける。
書庫の扉を閉めると、中は再び静寂に包まれた。
シルヴェインは、閉ざされた扉を見つめたまま、微動だにしない。
「殿下……?」
ノクタリオンが声をかけると、シルヴェインは静かに言った。
「……何でもない。……あいつは、また何かを隠している。だが……放っておけ」
ノクタリオンは首を傾げたが、主の言葉に従った。
その頃、リネアルーラは自室に戻り、ベッドに深く沈み込んでいた。
侍女たちが心配そうに声をかけてくるが、彼女は何も聞こえないかのように、ただ静かに目を閉じる。
(思い出した……私は、ルートヴィヒだった)
心の中に、遠い記憶の断片が蘇ってきた。
それは、暖かな日差しが降り注ぐ庭園の記憶。
そして、自分を慕ってくれる弟の笑顔。
その記憶は、温かく、そしてどこか切ない香りを放っていた。
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