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ありえない音

 ――冷たい感覚から、意識は浮上した。

 石のような何かに肌が触れている。

 足元にも、背中にも、無機質な硬さがあった。

 かすかに湿った空気に、苔の匂いが混じっている。


「……あれぇ?」


 まぶたを開いたリネアルーラは、ひとつ大きく瞬きをした。


「……私、また攫われたのか。あはは、懐かしい感覚」


 天井は灰色。薄明かりが射し込む小さな窓には鉄格子。

 石造りの壁はひび割れ、雨水が染みたような痕がいくつも走っていた。


(……古い。しかも塔か。高い場所の音の反響だ)


 頭ははっきりしていた。視界も回らないし、記憶も明瞭。

 服を脱がされたりもしていないらしい。お忍び用の服も、装飾のブレスレットもそのままだった。

 気を失う前に吸わされた香水は、麻痺よりも催眠作用が強いらしい。眠気が尾を引いていた。

 それよりも――と、リネアルーラは手首を見下ろした。


「……ふむ。がっつり拘束されてるねー」


 両手首と足首に、それぞれ冷たい金属製の手錠がはまっている。

 繋がれた鎖は、背後の壁にしっかりと固定されていた。

 逃げようと思えば、今すぐにでも可能だろう。だが、リネアルーラは動かなかった。

 足を組み直し、背もたれのない床に胡座をかき、薄く笑う。


(さて。出方を見ようじゃないの)


 扉の外で、きぃ……と錆びた音が鳴った。

 ゆっくりと入ってきたのは、一人の男。

 茶色の髪を無造作に後ろで束ね、細身の体にくたびれた貴族風のシャツ。

 優しげにも見える目元のせいか、どこか儚げな雰囲気を纏っている。

 が、その表情は――笑っていた。


「……目が覚めたんだね。思ったより早い」


 男は小さく肩をすくめると、壁にもたれてこちらを見下ろした。


「痛かった? あの香水、結構強いんだよ。女の子にはちょっと酷だったかな」


 リネアルーラは、男の顔をじっと見つめてから、ふっと吹き出した。


「……なるほど? あの女の子、あなた?」

「正解。気づいてた?」

「気づかなかった。完璧すぎる演技と変装だったよ。あの体格差であそこまで違和感ないってすごい」


 その口調は、感嘆すら含んでいた。

 本気で感心しているらしく、目が楽しそうに細められている。

 男の眉がわずかに動いた。


「君……普通、もっと怖がるとか、泣くとかするもんじゃないの?」

「そうなの?」


 リネアルーラは首を傾げた。わざとらしく、大げさに。


「じゃあ、えーと……“こわい〜〜〜っ! たすけてぇ〜〜!”って泣き叫べばよかった? 鎖をガチャガチャ振ってさ」


 茶化すようなその声に、男は眉間に皺を寄せた。


「……君、この状況がわかってる?」

「もちろん。――わかってるから、ここに来たんだよ?」


 男の表情が、一瞬固まった。


「……は?」

「“罠にかかった”って思ってるでしょ。でもね、“あえて踏んだ”んだよ。私がこの罠を」


 一拍。


「さて、どうするのかはあなた次第。とはいえ、あまり長く考える時間はないと思うけど」


 その言葉の直後だった。



 ――ドガンッ!!



 下の階から、石を砕くような大音が響き渡った。

 男がはっと顔を上げ、窓へと駆け寄る。


「な、なんだ……?」


 塔の下――夜の帳が下り始めた地上に、確かに“人影”があった。

 陽の名残を背に、白銀の髪を風に揺らす男。

 黒い外套を翻し、いくつもの兵士を引き連れて塔を囲んでいる。


「……シルヴェイン……ジャズ・キャルアルデーラ……っ?」


 男の声に怯えが混じった。


「なんで……どうして居場所が……!? 発信機か!? でも、機械なんて持ってなかったはず……!」


 その言葉に、リネアルーラはくすくすと笑った。


「うん、普通は持ってないよね。私も、ポケットに突っ込んでたわけじゃない」

「じゃあ……!」

「気を失う直前に飲み込んだの」


 男が、目を見開いた。


「……飲み込んだ……?」

「歯に仕込んでたの。小型発信機。探知機の対になるように、こっそり作ってあったやつ。彼、頭はいいけど偏屈だからさ、説明したら“面倒だ”って言いながらしっかり持ってたよ」


 驚愕の色を浮かべたまま、男は言葉を失った。

 その隙を縫うように、カチャリ――と金属音が響く。


「……!?」


 振り返った時には、すでにリネアルーラは立ち上がっていた。

 手錠は外れ、足枷も外れている。


「えっ……!? どうやって……!?」

「ブレスレット。鋼線仕込みの細工入り。ちょっとした鍵なら開けられるよ。あ、もちろん持ち込み禁止の場所では自粛してますんで」


 笑顔すら浮かべながら、リネアルーラは袖口を下ろした。


「……化け物かよ……」


 男が絶句する。

 それをよそに、リネアルーラはストンと座り込み、脚を組みながら肩をすくめた。


「さて。おしゃべりはここまで。彼が来ちゃったら、私の出番、減るからね」


 塔の外では、第二の爆音が響き――

 シルヴェインの怒声が、夜の風を裂いて届いた。


「リンネ!! そこにいるな!!」


 彼女は、鎖の山を足で蹴飛ばし、にっこりと笑った。


「はーい。ここにいまーす」


 その余裕と規格外ぶりに、男の膝がガクリと音を立てた。


「……一体、何を攫ったっていうんだ、俺は」


 そう呟くように崩れ落ちた青年を、リネアルーラは飄々とした笑みのまま見下ろしていた。




 その時、カチッという、乾いた金属音が響いた。




 リネアルーラは不思議に思って顔を上げた。青年もまた、訝しげに眉をひそめている。塔の上まで届くほど、その音は異質だった。


 続いて、カチカチカチカチッと、不規則な音が高速で続く。まるで何かの歯車が狂ったように。耳に届くその音に、リネアルーラと青年は息をのんだ。

 一瞬の静寂が訪れたかと思うと、今度はカチッ、カチッ、カチッ……と、恐ろしいほど規則的な音が響き始めた。


 青年は不安そうに眉根を寄せ、音の出どころを探そうとする。しかし、リネアルーラの表情は、一瞬にして凍りついた。

 その音は、前世で公安警察として働いていた頃、嫌というほど耳にしてきた、――時限式爆弾のそれに酷似していたからだ。


(……いや、まさか)


 頭では理解が追いつかない。

 この世界には、爆弾はあっても時限式爆弾はないはずだった。それがこの世界の技術的な常識だった。

 だが、今もなお響くそれは、紛れもない精密な機械音。

 音の出どころを探ると、それは塔の扉から聞こえてくる。


 リネアルーラは静かに、青年へと向き直った。


「ねえ、扉に……何か付いていなかった?」


 彼女の声は、平静を装いながらも、僅かに震えていた。

 青年は、困惑したまま首を傾げる。


「え? ああ……そういえば、何かあったような気がする。ずいぶん物々しい感じの……」


 その言葉に、リネアルーラの頬を冷たい汗が伝った。

 確信した。扉の向こうに、爆弾がある。

 なぜ、誰が、そんなものを?

 考えようとする脳を無理やり停止させ、彼女は扉の奥に向かって叫んだ。


「ルー! 止まって!」


 一瞬、塔全体が静まり返る。

 そして、扉の向こうから、冷たいシルヴェインの声が響いた。


「そこにいるんだな、リンネ。すぐに扉を開けさせる。待ってろ」


 無表情な彼の声が、どれほどの怒りを秘めているか、リネアルーラは知っていた。

 だからこそ、このまま彼を扉の向こうで死なせるわけにはいかない。


「開けちゃダメ! 扉の機械は爆弾! 時限式で、もうすぐ爆発する!」


 リネアルーラの言葉に、扉の向こうがざわついた。

 だが、シルヴェインの声は動揺一つ見せず、静かに響く。


「……何?」


「とにかく、扉から離れて! ……いいから、話は後で! これから自力で脱出するから、あなたもすぐに退避して!」


 リネアルーラの言葉は、簡潔だった。

 沈黙が、長い時間続いた。

 一刻一秒を争う状況の中、塔の中は静まり返っていた。

 やがて、わずかに戸惑うように、だがすぐに理解したように、シルヴェインの声が響いた。


「……わかった。退避しろ、全員!」


 シルヴェインは、引き連れた兵士たちに退避を命じた。

 その声に、リネアルーラは安堵の息を漏らす。

 そして、振り返り、青ざめている青年へと向き直る。


「……行くよ」

「え……? どこに……」

「窓から飛び降りる」


 リネアルーラは、そう告げると、まっすぐに窓へと向かった。

 青年は、呆然と彼女の背中を見つめる。


「な、何を馬鹿な! 無茶だ!」


「……大丈夫。死なないから」


 そう言って、リネアルーラはにっこりと微笑んだ。

 彼女は、数えきれないほどの死と生を繰り返してきた。

 そのせいで恐怖心は、常人よりも恐ろしく薄くなっていた。

 窓枠に足をかけ、青年へと振り返る。


「……さあ、早く」


 リネアルーラは、青年を抱きかかえると、その勢いのまま、塔の窓から身を投げた。

 夜空に、二つの影が落ちていく。

 青年が、恐怖に満ちた悲鳴をあげた。

 退避した兵士たちが、その光景を目にして目を見開く。


 しかし、落下する最中、リネアルーラの瞳は、冷静に輝いていた。

 彼女は、ブレスレットの仕掛け、二つ目を発動させた。

 カチャリと音がすると、ブレスレットから細いワイヤーが飛び出し、飛び降りた窓の縁にしっかりと引っかかる。

 リネアルーラは、ワイヤーを少しずつ長くして、青年の体を守るように、慎重に降りていく。

 地面に足がついた瞬間、彼女は青年を解放した。


 その直後だった。

 轟音が、塔全体を揺らす。

 巨大な爆炎が、窓から噴き出し、塔の一部が崩れ落ちた。

 吹き荒れる風と砂煙の中、リネアルーラは、崩れ落ちる塔を見上げていた。


「……一件落着、とは、いかないよねぇ」


 そう呟く彼女の目に映るのは、未だ立ち尽くすシルヴェインと、絶句したノクタリオン、そして怯えきった兵士たちの姿だった。

 そして、リネアルーラを助けた青年は、彼女の隣で、ただ呆然と立ち尽くしていた。


 彼の瞳には、恐怖と混乱、そして――得体の知れない女への、好奇心が浮かんでいた。

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