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気持ちが悪い

 舞踏会から、まだ三日しか経っていなかった。

 王城の朝は、いつも通りに始まる。

 敷石に注ぐ日差しは柔らかく、回廊を渡る風は涼しい香草の気配を運んでいた。

 遠くの塔から聞こえる鐘の音も、衛兵の行進する足音も、昨日と何ひとつ変わらない――はず、だった。


 リネアルーラは、城の南側の小さな回廊を歩きながら、ほとんど意識的に息を殺していた。

 なぜか。それは、目に見えない“違和感”が、そこかしこに満ちているからだ。


(……変わった)


 彼女は、それを痛いほど感じていた。

 侍女の仕草。

 貴族の視線。

 すれ違った誰かの小さな会釈、語尾の抑揚、笑顔の角度。


 舞踏会の前までは、リネアルーラに向けられる態度は一定だった。

 “第二皇子が気まぐれに拾った女”。

 貴族とはいえ素性不明で、出処が曖昧で、いつ追い出されてもおかしくない――

 その“扱いやすいあやふやさ”に、周囲は安心していたのだろう。

 だが今は違う。


「リネアルーラ様、本日はお散歩でいらっしゃいますか? ……あいにく陽射しが強うございますので、どうか扇子などお持ちを」


 朝、控えの間に顔を出した侍女は、深く礼をしながらそう言った。

 笑顔は丁寧に整えられており、着ている制服の裾は、昨日よりも心なしかよく整えられていた。


(……この人、昨日までは“さっさと出かけてくれたほうが助かります”みたいな空気だったのに)


 その変化は、誰か一人だけのものではなかった。

 王宮の廊下を歩けば、すれ違う若い騎士たちがわずかに立ち止まり、視線を送ってくる。

 女官たちが遠巻きにひそひそと話す声の中には、明らかに「リネアルーラ」の名前が混ざっていた。

 ただの噂話ではない。評価、懸念、そして――期待。


(“何者なのか”が、見定められ始めてる)


 彼女は、感じ取っていた。

 見えない審査の目が、自分に向けられていることを。

 それは、舞踏会の晩に感じた“値踏み”とは、まったく質の違うものだった。

 今のそれは――“これから、自分はどこへ進むのか”。

 未来の立場を推し量られるような、まるで舞台の上に乗せられた俳優のような視線。

 リネアルーラは唇を引き結び、黙って回廊を歩き続ける。

 侍女には“散歩”と告げたが、目的地は決めていなかった。

 無意識のうちに足が向いていたのは、南庭の奥にある古い中庭。

 花壇に囲まれた静かな場所で、観賞用の噴水が水音を響かせている。

 だが、その場所にも――“仕掛け”はあった。


 中庭の縁、白い石造りのベンチに、ひとりの青年が腰掛けていた。

 整った黒の燕尾。

 文官の礼服のような、しかし動きやすく調整された特注の衣装。

 振り返ったその顔に、彼女はため息混じりの言葉を投げる。


「……やっぱり、わざとね」


 ノクタリオンは、柔らかく一礼しながら微笑んだ。


「お見通しでしたか。流石です」

「通り道、わざと曲げてあった。こっちしか選べないようになってた。……人の動き、配置、全部仕込み」

「細やかに準備したつもりですが……お目にかなったなら、光栄です」


 リネアルーラは苛立った様子も見せず、軽く腰を下ろす。

 だがその目は、鋭い光を宿していた。


「ルーの命令?」

「……いいえ。今回は、私個人の判断でお招きしました」

「なら、忠告?」

「正確には――“警告”です」


 ノクタリオンの声は、やわらかさを保ったまま、その奥に僅かな緊張を含ませた。


「舞踏会の夜、貴女が“ただの保護対象”ではないと証明された。その影響が、今、王城の空気を変えています」

「……変えたくて、やったわけじゃないけどね」

「それでも、変わってしまった。もはや“あの夜”以前には戻れません」


 小鳥のさえずりが、どこか遠くで聞こえた。

 中庭には誰もいない。侍女の気配も、兵の足音もない。

 用意された“対話の場”。

 リネアルーラは膝の上で手を組み、少しだけ視線を落とした。


「……つまり、敵が増えたってこと?」

「……“注視する者”が増えた、というべきでしょう。味方になる者もいれば、警戒する者もいる。すでに、貴女に取り入りたがる家門が数件、非公式な問い合わせを――」

「はやっ」

「貴女は、思っている以上に“舞台の上”に立たされている。……ですから」


 ノクタリオンの声音が、少しだけ低くなる。


「どうか、自分の立場を“守る覚悟”を忘れないでください」


 リネアルーラはその目を、まっすぐ見返した。

 ノクタリオンは冗談でも忠告でもなく、“本気”で言っている――その確信があった。

 しばし沈黙。

 それから彼女は、目を細めて小さく笑う。


「……あなたさ。舞踏会の前までは、私のこと“ルーの気まぐれ”って思ってたでしょ」

 ノクタリオンは、少しだけ目を伏せてから答えた。


「……はい。疑っておりました。ですが――」


 顔を上げ、言葉を続ける。


「今は、貴女が“ただの飾り”ではないと理解しています。だからこそ、こうしてお時間を頂いたのです」

「…………ふうん」


 リネアルーラはため息まじりに肩をすくめた。


「褒められてるのか、脅されてるのか、よく分かんないわね。……でも」


 彼女はふと、視線を空に向ける。

 雲ひとつない青空。

 あの夜の星々とは違う、現実の眩しさ。


「私だって、バカじゃない。城に入った瞬間から、“こういうこと”はあるってわかってた。でも……」


 そっと、自分の胸に手を置く。


「……分かってても、やっぱり怖いもんね。ああいう視線って」


 数多の人生で同じことを何度も感じてきた。

 ただの庶民として生まれて、高貴な場で疎まれても、それまでの人生で培った技術を披露した途端、コロリと手のひらを返す。


 彼女はそれに恐怖を感じると共に――とても気持ちが悪い。

 “利用してやろう”“この女は使える”という思惑が透けて見えて、吐き気がするのだ。

 だからこそリネアルーラは、どの人生でも訪れる“転機”を経験するまでは、その特出した技能を使わないように決めていた。


 ノクタリオンは何も言わない。ただ静かに、その言葉を受け止めていた。

 しばらくの間、噴水の音だけが響く。

 やがてリネアルーラは立ち上がり、軽くスカートの裾を払った。


「警告、受け取った。ありがと。ちゃんと、覚悟するようにする」

「……ご理解に感謝します」


 彼女は最後に、ノクタリオンの顔を見て、少しだけ微笑んだ。


「次は、ちゃんとお茶でも出してよね。誘導するならそれくらいやって」

「善処します」


 ノクタリオンもまた、茶化すように笑った。

 彼女の背中を見送りながら――その目には、ふたたび静かな緊張が宿っていた。


(“この手の女”は――厄介で、面白い)


 その予感が、確信に変わるのは、もう少し先のことになる。

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