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「お前、本当に誰なんだ?」

 王城の大広間は、まばゆい光に満ちていた。

 天井から垂れ下がる黄金のシャンデリアは無数の蝋燭で彩られ、壁際には高貴な紋章を染め抜いた緞帳。柱には季節の花がふんだんに飾られ、床は宝石を散りばめたように輝いている。

 音楽が鳴り響き、優雅に笑う紳士淑女の衣擦れの音すら、まるで装飾の一部のようだった。

 そんな中――その一角に動きが生まれる。


「……来たぞ」


 誰かが小さく囁いたのをきっかけに、場の空気がざわりと揺れた。


 振り返る人々の視線の先にいたのは、長身の青年――王国第二皇子、シルヴェイン・ジャズ・キャルアルデーラ。

 今日もその姿は完璧で、黒に近い濃紺の軍礼服に金糸の刺繍が重厚に施され、王家の紋章が右胸に燦然と輝いている。

 冷ややかな横顔と、鋭い眼差し。その一歩一歩が、会場の緊張感を引き締めていく。

 だが――それ以上に、今夜の視線を奪ったのは、彼がエスコートしていた女性だった。


 リネアルーラ・リサンドラ・レイヴンシェイド。

 深い夜空のような紺のドレスを纏い、濃紺の髪は美しく編み上げられて宝石の飾りが光を弾いている。背筋を伸ばし、顔を上げ、ゆっくりと歩くその姿には、どこか幻想的な気配すら漂っていた。

 誰もが言葉を飲む。


「……あれが、シルヴェイン殿下が“保護している”という少女……?」

「まさか、あの子が……公爵令嬢だったという噂も、嘘ではなかったのか……?」

「でも、顔に見覚えは……」

「見事な立ち居振る舞いね……あの歩き方、尋常じゃないわよ」


 ざわめきは広がる。だがその中心にいるリネアルーラは、一切動じることなく、シルヴェインに寄り添うようにして、ゆっくりとカーテシーをした。


「リネアルーラ・リサンドラ・レイヴンシェイドと申します。……本日は、陛下のご厚意にあずかり、この場に立たせていただきました」


 澄んだ声が空間に響く。

 まるで舞台女優のような、完璧な立ち振る舞い。

 気品。知性。そして、どこか掴みどころのない強さを感じさせるその姿に、誰もが一瞬、息を呑んだ。

 シルヴェインが無言でその隣に立ち、ただ一度、ゆっくりと首を傾ける。

 その目が語っていた。


【……お前、誰だ】


 その視線に、リネアルーラはわずかに目線だけを向けて、にっこりと“完璧な淑女の微笑み”で返した。


(……え、すご。リネアルーラ殿が、……貴族してる……)


 背後でノクタリオンが一歩引いた位置から静かに目を細め、まるで新しい存在を見ているような目で彼女を見ていた。


 そう――今夜のリネアルーラは、“仮面”を被っていた。

 猫のように鋭くて奔放な言葉を封じ、自然体でいたずらっぽい素顔を押し込み、完璧に仕立て上げた「理想のご令嬢」としての自分を演じていた。


 挨拶の時は、常に相手の階級を正しく認識し、距離を詰めすぎず、礼節を持って。

 踊りに誘われても、首を少しだけ傾け、優しく微笑みながら言う。


「ご厚意に感謝しますわ。ですが、この場ではご遠慮申し上げたく――どうか、お許しを」


 さりげなく断るその物腰には、嫌味も棘もなく、むしろ“断られても納得してしまう”気高さがあった。

 数人のご令嬢が、さっそく牽制に近い言葉を投げかけてくる。


「殿下とご一緒だなんて、どれほどのご身分かと思えば……噂では、どこかの没落貴族だとか?」

「まるで新作の人形のようなドレス。すごく……素敵ですわね? ねえ、どなたが仕立てて?」


 明らかに皮肉と挑発に満ちた視線。

 だがリネアルーラは、まばたきひとつせず、微笑んで返した。


「お気に召していただけたなら、光栄です。仕立ては王城の衣装部の皆様に。皆さん、とてもお優しいの」


 そして、そっと相手のグラスに手を伸ばし、「素敵な装飾ですね。今夜のドレスとお揃いでしょうか?」と軽く流して、そのまま話題を相手のほうへ反らしてしまう。

 相手は返す言葉を失い、笑うしかなかった。

 見事な切り返しだった。


「……ほんとに、誰だお前」


 シルヴェインが横でそう呟いたが、リネアルーラはその視線すら気づかぬふりで、微笑を絶やさない。

 完璧な演技。完璧な社交。

 だがその胸の内では――


(つっかれるーーーー!!!!!)


 という悲鳴が、静かに響いていた。

 気障きざったらしい笑みを浮かべる子息に柔らかく微笑みながら、内心で叫びまくる。


(なにこれ。え、なにこれ。めっっちゃ疲れるんだけど。令嬢時代でもこんなキツくなかったよ? え、もしかして慣れない環境だから? 違うな、これ――全方面から“値踏み”されてるからだ!!! やばいやばいやばい、視線が刺さる。これ、舞踏会っていうより尋問!? 笑顔でいれば平気って思ったけど、ちがう! 貴族ってみんな笑顔の下でナイフ隠してるんだった!! うわ、右斜め前の男爵夫人、私の靴元から髪飾りまで順番に見てきた……え、審査員なの? なんか採点されてるの? あれだよね、10点満点中で“歩き方7、言葉遣い8、でも出自でマイナス3”とかされてるよね!? え、されてない? いやされてるわこれ!! あーーーー無理!!! 心が擦り減る音が聞こえる!!! ていうかこの子息、なにさっきから。なんで3歩ごとに話しかけてくるの!?「お噂はかねがね」とか「花が霞むほどの美しさ」とか、そういうテンプレ、脚本家でもいるの!? あんたどこの劇団員!?ていうかルー、なんで少しも助ける気ないの!? 横でずっとプルプルしてるけど、あんたのせいだからね!? こっちは今、顔面筋肉フル稼働で微笑み続けてるのに、なんで楽そうな顔してんの!? あとノクタリオン! あんたもだよ!? 背後からこっそり見守ってますみたいな顔してるけど、普通にこの修羅場の盾になってよ!? どう考えても私一人で矢面に立ってるんだけど!? 私、騎士じゃなくて元・お嬢様だからね!? しかも、ちょっと慣れてきたと思ったら、次々に新手の貴族がやってくるって何!? 貴族ってこんなにいた!? 今夜だけで王国の半分くらいと顔合わせしてない!?!? ――ああもう、わかってたよ。わかってたけど!! これ、完全に“お披露目”じゃん!!「保護している」とか言ってたけど、うっすら“いずれ婚約者です”オーラまで漂わせてるじゃん!? それなのに、本人はずっと無表情で冷静で――でも、そういう“シルヴェイン・ジャズ・キャルアルデーラ”だからこそ……――この仮面、絶対に、落とせないんだよ)


「……まぁ。令嬢は舞踏会に慣れていらっしゃるのですね」


 ふいに話しかけてきたのは、年配の侯爵夫人。

 まるで探るような声に、リネアルーラは表情を崩さぬまま、丁寧に微笑む。


「いえ、身に余るほどの光景ばかりで、圧倒されておりますわ。けれど……殿下がご一緒なら、どんな場所も心強いものでして」

「まぁ……!」


 夫人は驚いたように微笑み、周囲の空気が、ほんの少しやわらぐ。


(よし、ギリギリ刺さった。よくやった私)


 ※なおこの返答を考える間に脳内で30秒ぐらい議論してました。

 それでも。


「リネアルーラ様、次は宰相の奥方がお見えです。ご挨拶を」


 ノクタリオンがそっと囁く。


(え!? さっきの夫人で終わりじゃないの!? え、次!? また!? しかも“宰相の奥方”って、絶対ヤバい人でしょ!? お願いだからこの後、こっそりトイレに籠もらせて……! 仮面の中で顔が限界!!)


 それでもリネアルーラは――また、笑う。

 優雅に、ゆったりと、完璧な「令嬢の仮面」をかぶって。



 ◇◇◇◇◇



「………………お前、本当に誰なんだ?」

「ついに直接言ってきたね」


 表面上は柔らかく微笑みながら、素の話し方をするリネアルーラ。

 器用だな、と感心するシルヴェイン。


「いやぁ、疲れるね。危うく叫ぶところだったよ」

「その割には上手くやっていたな」

「猫を被るのは得意なんだ。女優人生の経験が実に活きて、」

「ん?」

「…………なんでもない」


 スイっと顔を背けるリネアルーラ。

 そこにまたひとり、嫌味なほど笑った子息が「レイヴンシェイド嬢」と声をかけてくる。


「一曲、お相手願えますか?」

「……申し訳ございません。有難いのですが、今回は辞退させていただきますね。またの機会に」


 瞬時に淑女の仮面を被ってやんわりと断るリネアルーラ。表情にはうっすらと疲労が滲んでいた。


「……こっちだ」


 小声で言うと、シルヴェインは人目を避けるようにリネアルーラの手首を軽く引いた。

 舞踏会のざわめきが遠のく。

 二人が出たのは、王城の東側、緩やかにカーブした回廊の先。

 夜風がわずかに吹き込むバルコニーだった。

 月明かりと灯火が重なり、白い石造りの欄干に影が揺れている。


「……踊りたくないなら、ここで少し時間を稼げ」

「……感謝」


 リネアルーラは緊張の糸を少しだけ緩め、小さく息を吐く。

 が、すぐに肩を張り直す。


「……ノクタリオンにバレると、きっとまた『社交の義務です』って押し戻されるから」

「見つかっても、俺の命令だと言えば通る。……今夜は少しだけ、優先する価値があると思った」

「へぇ……? なにそれ。気まぐれ王子様みたいな言い方」

「……実際に気まぐれだ」


 リネアルーラは肩をすくめて笑い、石の欄干に肘をつく。

 それから、ふと目を伏せ、声の調子を落とした。


「……ねえ。さっき言ってたよね。“本当に誰なんだ”って」

「言ったな」

「じゃあ、こっちも聞いていい? 本当は……どういうつもりなの?」

「……何が?」

「私を、“保護”して王城に住まわせて、こうしてみんなの前に“お披露目”して……」


 リネアルーラはそっとシルヴェインに目を向けた。

 真剣で、でも探るような色を含んだ視線。


「……もしかして、私を――駒にする気なんじゃないかって。ちょっと思った」


 一瞬の沈黙。

 だがシルヴェインは、まるでその問いを“待っていた”かのように、ごく自然に答える。


「当然、そう考える者もいるだろう。王族が“得体の知れない少女”を城に入れ、貴族たちに紹介した。……裏があると思うのは、当然だ」

「……否定しないんだ」

「お前が、自分で選ばなければ意味がないからな」

「……選ぶ?」

「この先も仮面を被り続けるか。素のまま生きるか。あるいは――」


 シルヴェインは言葉を止め、リネアルーラのほうへ一歩近づく。


「俺の“味方”になるかどうか、だ」

「……!」

「安心しろ。強制はしない。ただ……知っておいてほしい。今夜、どれだけの貴族が、お前を“上”に引き上げようとしていたか」

「それは……私が、あなたと一緒にいたからでしょ?」

「違うな。……お前が、ただ“そこにいた”からだ」


 リネアルーラは言葉を失う。

 さっきまで散々叫んでいた脳内が、一瞬、しん……と静まり返る。


「……仮面の中の“私”が、ね」

「そうか?」

「…………」

「俺には、今夜のお前が“本当のリネアルーラ”に見えたがな」


 それは、さらっとした、けれど静かな本音だった。

 彼にしては珍しく、少しだけ感情の熱を帯びた声。

 リネアルーラはふっと視線をそらし、手元のドレスの裾をいじる。


「……演技力に騙されたのかもね。王子様って案外、素直なんだ」

「女優か」

「…………っ」

「さっき、言いかけたな。“女優人生が活きてる”って」


 シルヴェインはリネアルーラの表情を見つめたまま、わずかに目を細めた。


「……何を隠している?」

「さあ。何だと思う?」

「答えろ」

「命令口調、嫌いなんだけど」

「そうか」


 それ以上追及することなく、シルヴェインは目をそらしてバルコニーの外を見た。

 その横顔を、リネアルーラはちらりと盗み見る。


(……ほんとに、何考えてんのかわかんないや)


 でも――


(少なくとも今夜は、あんたがここにいたから、私は淑女でいられたんだよ)


 けっして口に出さず、彼女はまた、仮面の微笑みを浮かべた。

疲労で秘密がついポロポロなリネアルーラ


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