「あ、今回は婚約破棄なんだ」
煌びやかなシャンデリア、豪勢な料理、美しく着飾った淑女紳士。
そんな最上級の舞踏会の中心で、赤髪翠眼の美青年は、しなだれ掛かる愛らしい令嬢を片手で支えていた。
そのまま空いている手の人差し指を己の婚約者に向ける。
「リネアルーラ・リサンドラ・レイヴンシェイドよ。公爵令嬢という地位を盾に醜い嫉妬を振り翳すお前に、今この瞬間をもって婚約を破棄することを告げる!」
「あ、今回は婚約破棄なんだ」
「は?」
意味がわからないと聞き返すこの国の王太子とは対照的に、たった今婚約破棄された令嬢は、納得したようにうんうんと頷いていた。
頷くたびに蜂蜜色の瞳が瞬き、光の加減で金がかかる濃紺の髪が揺れる。
溜め息が出るほど美しい彼女は、リネアルーラ・リサンドラ・レイヴンシェイド。
ユラエス王国の公爵令嬢兼、王太子たるアルバート・ナイル・ウェルズの元婚約者である。
リネアルーラ周囲の注目を一身に浴びながら、アルバートに声をかけた。
「本当なら今すぐここからドロンしたいところなのですが、まあ一応理由をお聞かせ願えますか?」
「どろ……なんだって?」
「お聞かせ願えますか?」
無視した。
仮にも王族相手に、不敬だと言われてもおかしくない所業である。
だがそれで「ああ、聞かせてやろう!」と頷くアルバートもアルバートなのだが。
「リネアルーラ様ぁ、まさかわからないとでも言うんですかぁ? あんなことしてきたのに、酷いですぅ」
アルバートの腕にしなだれ掛かった、桃色髪が可愛らしいユリア・トラリスタ男爵令嬢は甘ったるい声を上げた。
「お久しゅうございます、ユリア様、ですよね? あんなこととは、なんでしょう? 私、身に覚えがないのですが」
「お久しぶりですぅ、リネアルーラ様。ねぇ、しらばっくれないでくださいよぅ。私、死んじゃうかと思ったんですよぅ?」
「ユリアの言う通りだ。無駄な抵抗はやめるんだな」
アルバートがユリアを庇うように腰を抱き寄せて、リネアルーラを睨む。
だが心当たりがないリネアルーラはきょとんとするしかない。
「貴様は一昨日、ユリアを学園の階段から突き落としたそうじゃないか! 軽い捻挫だけで済んだが、下手したらユリアは死んでいたんだぞ!?」
「それ私ちゃう」
「は? ……ちゃ?」
「あっ間違えた。それ私じゃないです」
アルバートはリネアルーラらしからぬ言葉遣いが聞こえた気がしたが、気の所為だろうと結論付けて記憶から抹消した。
「嘘をつくな! ユリアがそう言ったんだ。今謝罪すれば、この後の貴様の処遇を軽くしてやってもういいぞ」
「この後の処遇、とは」
「国外追放だ」
ニヤリと笑って告げられた言葉に、周囲は驚愕と好奇の声を上げた。
仮にも公爵令嬢のリネアルーラが、国外追放。一体何をしたのか、と無数の視線が語る。
だが当の本人は、驚いてはいるものの、なぜか一瞬嬉しそうに笑った。
「国外追放! 婚約破棄だけではなく! しかも濡れ衣付き! 何故そうなったのか教えてください!」
しおらしい顔をしているものの、喜色に塗れた声だった。それに気が付かなかったアルバートは、フンッと鼻を鳴らした。
「まだわからないのか、リネアルーラ。貴様はこの僕と親しくするユリアに数多の嫌がらせをした。それは僕の逆鱗に触れる行為だったのだ! さあ、どうする? 謝罪か、国外追放か」
「国外追放で!」
即答だった。
謝罪を選ぶだろうとする思っていたアルバートを含む全員が絶句する。それ程までに、リネアルーラの返答は予想外だったのだ。
「では私はさっそく追放されますねごきげんよう! どうぞお幸せにアルバート様ユリア様! うわああやったぁ! やっと出られるー!」
そんな周囲をよそにリネアルーラは早々に会場を後にしようとする。満面の笑みで。
淑女の口調はすでに剥がれ落ちているが、構わず声を上げた。
くるりと身を翻して早足に出口へ向かう。その足取りは軽い。
だが何を思ったか。ふと立ち止まって、アルバートとユリアを振り返った。
「言い忘れてました。私は一ヶ月前に学園を自主退学しています。公務に専念したかったので」
「は?」
「なのでユリア様を突き落とすことはおろか、学園に出入りすることもできません。それに一昨日会ったばかりの人間に『お久しぶり』はないのでは?」
アルバートはリネアルーラの言わんとしていることが理解でき、見開いた目をユリアに向けた。
それにユリアは顔面蒼白になって取り繕うとする。
「どういうことだユリア! まさか全て嘘だったのか……!?」
「ち、違うんですよぅ、アルバート様! こ、これは、そのっ」
ざわめきをBGMにしながら、リネアルーラは騒然とし始めた会場を後にした。
そのまま向かうのは、レイヴンシェイド家の屋敷にある自室だ。
すぐに国外追放の件は、世間体を気にする両親の耳に入るだろう。そうなれば今すぐに出て行け、と言われかねない。
その前に必要そうなものを持ち出そうと、大きめのキャスター付きのカバンに、あれもこれもと詰め込んだ。
(ああ、やっと出られるんだ、この心底つまらない国から!)
ハレルヤ! とリネアルーラは内心で歓声を上げた。そこにあるのは歓喜である。
リネアルーラは、この国と公爵令嬢という立場が鬱陶しくて仕方がなかった。何一つとして面白いことがないからだ。
だから地位を捨ててこの国から出ていくことに不満はなく、これ幸いと乗っかったのである。
(今世は何をしよう? とりあえずシャルデイル皇国にでも行こっかな。たしか飴細工がすごいんだっけね!)
彼女はリネアルーラ・リサンドラ・レイヴンシェイド、十六歳。
ついさっき婚約破棄され国外追放の身となった元公爵令嬢であり、九十九の人生の記憶を持つ、飴細工好きな女の子である。
ちなみにシャンデイル皇国とは、ここユラエス王国の敵国である。