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魔女の願い

 野々村に連れていかれた先は住宅街の中にあるこじんまりとした公園だった。砂場とブランコ、それから動物モチーフの象形遊具があるだけで珍しいものは何もない。走り回れるようなスペースもなく、小学生なら十分で飽きてしまいそうな場所だった。


 野々村は公園の隅にあるベンチへと俺を導いた。その向こうの茂みに仁とオタクくんが隠れているような気がして動きが固くなってしまった。

 予定外の行動を取って以降、二人には連絡をしていなかった。文句を言われるのが面倒だったし、斥候のような真似は何かを打ち明けようとしてくれている野々村に失礼だと思ったからだ。どうせどこかで身を(ひそ)めているのだろうから、二人のことは忘れることにした。


 塗装の剝げたベンチに並んで座る。野々村はスカートの血を隠すように膝の上に鞄を置いた。


 数秒ほど待ってみたが野々村が口を開く気配はない。仕方なく俺から口火を切ることにした。


「さっきのは驚いたよ。魔女が実在したっていうのもそうだけど、まさか野々村がそうだったなんて。そういえば、誰にも見せちゃいけないって言ってなかったか? 俺は見ちゃったけど平気か?」


 野々村はちらりと俺を見て、すぐに視線を外した。


「本当は駄目だけど、大丈夫。でも、誰にも話さないでほしい」

「ああ、気をつけるよ」


 お願いをされてしまったのなら仕方がない。仁とオタクくんには悪いが、車に轢かれた猫が一瞬にして完治したことは秘密にさせてもらおう。

 話のついでに気になっていたことを訊いておく。


「できたら教えてほしいんだが、あの猫の怪我は完全に治ったのか?」

「うん。大丈夫だよ」

「でも、助けたら猫が苦しむ、みたいなことを言っていただろ? あれは何だったんだ?」


 野々村の手が鞄の肩紐を握り締める。震える指先を見て、余計なことを訊いたと後悔した。


「悪い。言いづらいことだったら無理に言わなくていいんだ」

「ううん。皆月くんはあの仔が心配なんだよね?」


 呼吸を整える間を置いて、野々村は説明する。


「わたしの能力には副作用みたいなものがあるの……傷が治ったその人は、今度はそれに苦しむことになるんだよ」


 どうしてそんなすごい能力があるのに使うのを躊躇っていたのか、その謎が判明した。野々村は猫の命と副作用の影響とを天秤に掛け、答えが出せずに苦しんでいたのだ。

 ただ、命と比較するような副作用と言われてもまるで想像がつかない。少なくともあの猫は元気になったようだから、目が見えなくなるとか、手足が動かなくなるとか、そういう身体的な問題ではないのだろう。それに、『苦しむ誰かがいる』という発言も気に掛かる。副作用は治療を受けた本人だけのものではないということか。


 俺の頭では考えても分からない。本人が言いたくないのなら詮索する必要もないだろう。

 とりあえず、あの猫が無事なのはよかった。

 でも――、


「じゃあ、野々村は?」

「え?」

「よく分かってないけどさ、苦しめることになるかもしれないと思いながら超能力を使ったんだろ? 野々村は苦しくないのか?」


 彼女は小さく口を開き、けれど何も言わず、すぐに閉じてしまった。

 言葉はなかったが、だからこそ、野々村のことが少しだけ理解できたような気がした。


 きっと、野々村は苦しいときに「苦しい」と言えない人なのだ。隣の席のクラスメートにくらい弱音を吐いてもいいと思う。全部自分で背負い込んでしまうなんて不器用な生き方だ。

 そんな野々村だから、心配で、放っておけなくて、力になりたいと思うのかもしれない。


 答えの代わりに野々村は目を伏せた。独り言のように彼女は話す。


「わたし、忘れたいことがあるんだ。それで記憶の魔女を探しているの。噂だと、能力を使えば特定の記憶だけを消すことができるんだって」


 それは誰かを苦しめてしまったことなのか、苦しんだ誰かに恨まれたことなのか、それとも超能力とは関係ないことなのか。魔女に頼るほど忘れたいことなんてない俺には、相槌を打つことも難しかった。


「見つかりそうなのか?」

「ううん。本当にいるのかも分かってないんだ」


 なんともまあ、雲を掴むような話じゃないか。


「野々村だって魔女なんだろ? そういう情報は入ってこないのか?」

「むしろ、わたしが魔女だから情報が手に入らないのかも」

「どういうことだ?」

「わたしたち魔女は国に管理されていて、依頼が来て能力を使うっていう仕組みになっているの。用意されたところに住んで、指定された学校に通って、おまけにスマートウォッチを持たされるから心拍数も居場所も筒抜け。もちろん保護の目的もあるんだろうけど、ここまでするのは魔女同士で手を組まないように引き離すためだと思う。わたしは他の魔女には逢ったことがないし、報酬として他の魔女について教えてくださいって交渉してみたことがあるんだけど、あっさり断られちゃったから」


 どうやらオタクくんの推測は合っていたらしい。断片的な情報から見事に野々村が魔女であると見抜いていたわけだ。


「国は魔女を把握しているが、魔女に他の魔女のことは絶対に明かさない。だから一般人の俺の方がまだ情報を得やすい……ってわけか」

「うん」


 助けたい、とは言ったものの、これはなかなかの難題だ。今日まで魔女の存在に懐疑的だった俺が、記憶の魔女を探し当てることなんてできるのだろうか。


 ただ、まったく希望がないというわけでもない。そう、俺にはオタクくんという強い味方がいる。

 一応、野々村の了承を取っておく。


「記憶の魔女探しを誰かに手伝ってもらうのは問題ないか? もちろん、野々村が魔女だっていう話はしないつもりだ」


 野々村は俺の顔を振り仰いで、大きく瞬きをした。


「それは構わないけど……皆月くん、本気で探してくれるつもりなの?」

「なんだよ。『一緒に探して』っていうのは本気じゃなかったのか?」

「……うん。もし耳にしたら教えてほしい、くらいのつもりだった」


 まったく、俺も甘く見られたものだ。〝いい男〟は女子の頼みを無下にはしない。師匠だってそう言うに決まっている。


「俺は本気で探すよ。いや、探すだけじゃ意味ないな。うん。見つけてみせる」

「その自信はどこから来るの?」

「自信があるわけじゃない。ただの宣言だ」


 野々村が顔に力を込めて唇をむずむずさせる。あれ、ひょっとして笑いそうだったのか……?


 それを見た途端、俺の中で悪戯心が顔を覗かせてしまった。真剣な話をしているときにノリで動くのは感心できたことではないのだが、抑えが利かないのだから仕方がない。


 俺は立ち上がり、その辺に落ちていた木の枝を取ってきた。即席の筆だ。

 あえて真面目くさった口調で説明する。


「まあ、無謀というわけでもない。ヒントはあるんだ。――野々村は『用意されたところに住んでいる』と言ったよな? 出身地はどこなんだ?」

「東京の三鷹市だけど……」

「じゃあ、三鷹市から横浜に移り、国の管理を受けているってことだな」


 地面に『国』と書き、下矢印を足して、その先に『の』の文字を置く。国が野々村を管理している、という図。

 さらに矢印の縦線を横切るようにして『の』を四角で囲う。俺の腕が届く限界の、余白いっぱいの特大の四角だ。


「ここで重要なのは、魔女は皆、関東地方出身ということだ」

「え? そうなの?」


 しまった。既知の情報ではなかったのか。

 俺が魔女について調べていたと知られるのは得策ではない。適当にごまかす。


「俺の勘がそう言っている」

「勘……」


 唖然とした声が返ってきた。だが、これでいい。できる男と思われても困る。


「国は魔女同士を接触させたくない。だが、散らばっていては管理が大変だ。だから横浜、もしくは神奈川県に集めている可能性がある。この範囲で野々村と同じようにスマートウォッチを着けている女子がいれば、そいつは魔女かもしれないってわけだ」

「でも……」


 野々村が遠慮がちに俺の顔を覗き込む。


「勘、なんだよね?」

「ああ」

「えっと、この図は……?」

「今の説明を簡潔に表したものだ」


 よく見てくれ、と言うように枝でつつく。そこにあるのは『国』、『↓』、『の』、そして無駄に大きな四角だけ。


 もう一度、今度は恐る恐るといった感じに野々村が訊いてくる。


「あの……これで完成?」

「ああ」


 野々村はしばらく、瞬きもせずに地面に描かれた図を見つめていた。目が余白をさまよい、やがてぽつんと記された中央の『の』に落ち着く。

 その瞬間、野々村の肩が震えた。


「っふ、」


 顔を逸らされてしまったからほんの一瞬だったが、俺はたしかに見た。


「笑った」

「ご、ごめんっ。そんなつもりじゃなくて――」


 非難されたと思ったのか、野々村が慌てて謝ってくる。そんな彼女に笑顔を返す。


「渾身のシュールギャグだ。笑ってもらわなくちゃ困る」


 さすがにこんな何の説明にもなっていない図を描くほど俺は間抜けじゃない。もちろんわざとだ。真剣な態度で間抜けなことをするからこそ笑えるというもの。オタクくんがこれと同じことをやったらと想像すると俺まで噴き出しそうになってしまった。


 このせいで俺がアホだと思われても構わない。それ以上に得られた成果に満足していた。

 いつも俯いていて、淋しげな背中を見せていた野々村が笑った。それだけのことが、密かにガッツポーズをしてしまうくらい嬉しかった。


 なんだか陽だまりにいるみたいに胸がぽわぽわする。


 なぜかは自分でもよく分からないが、俺は野々村に笑ってほしいようだ。緩んだ頬と優しく下がった目元がまだ瞼に焼きついていて、今も、もう一度見たいと願ってしまっている。


「暗い顔をしているより、笑っていた方がいいと思うぞ。俺は野々村が笑ってくれたら嬉しい」


 当たり前のことを真剣な顔で言っていた。前言撤回。やっぱり俺はただの間抜けかもしれない。


 俺の言葉に反して、野々村はしゅんとした表情で俯いた。笑えないような事情を抱えているのだろう。けれど、それがどんな事情であろうと関係ない。俺は野々村が笑えるようにできることをするだけだ。

 咳払いを挟んで本題に戻る。


「ふざけて悪い。ただ、俺は本気で記憶の魔女を探すつもりだ。さっきの、魔女が関東地方出身という話は本当にあるらしいしな。魔女探しを手伝ってもらおうと思っているやつがそう言っていた」


 朗報のはずなのに、野々村はますます顔を伏せてしまう。長い睫毛が小刻みに震えている。

 溜め息に混ぜたような声で彼女は呟く。


「皆月くんなら、本当に見つけちゃうかもね」


 まるで見つけられたら困るような言い方だった。探してほしいのではなかったのか。困惑のあまり言葉に詰まってしまう。


 俺を見ようとしないまま野々村が続ける。


「皆月くん、一つだけお願いがあるんだけどいい?」

「いいぞ。お願いの内容によるけど」

「もし記憶の魔女を見つけても絶対に会おうとしないで。記憶の魔女とはわたしが会うから」

「一緒に行くのも駄目なのか?」

「うん」


 宝を見つけても地図だけ寄越せということか。寂しい気もするが、それで野々村の望みが叶うならよしとしよう。


「分かった。約束する」

「ありがとう」

「お礼を言うのは見つけてからの方がいいんじゃないか?」


 冗談めかして言ってみたが、野々村は笑ってくれなかった。俺が記憶の魔女と会わないことがそんなに重要らしい。もしかして危険な人物なのだろうか。


 俺は記憶の魔女を見つけても野々村に報告するだけ。そう考えて、気づく。肝心な連絡手段がない。

 思い至ったときにはスマホを取り出していた。


「じゃあ、連絡先を交換しよう。学校以外だと伝える方法がないだろ?」


 他意も思惑もない、日常的な台詞のはず。ところが、野々村はスマホを見つめたまま硬直してしまった。唇を噛み、息を止めている。泣き出しそうな表情にも見えた。

 何か地雷を踏んだのだろうか。


「あー、もしかして嫌だったか? 無理にとは言わないぞ?」


 野々村は口を(つぐ)んだまま頭を振る。艶のいい黒髪がさらさらと揺れた。


 俺はスマホを持った手を宙に浮かせたまま、無言で次のアクションを待った。


 野々村が動いたのはそれから十秒も経ってからのことだった。躊躇いがちに鞄に手を伸ばし、そうして次に手が出てきたときにはスマホを掴んでいた。液晶にひびがないどころか、ピンク色のカバーにも汚れがない。新品のようなきれいさだった。

 見慣れたアイコンの並びに、お、と声を漏らす。


「野々村もアンドロイドか? 一緒だな」


 俺の発言は見事にスルーされた。うん、どうでもいいよな。ごめんな。

 野々村が掠れた声で言う。


「わたし、まだスマホに慣れてなくて……」


 なるほど。連絡先の交換の仕方が分からないと。そんなの恥ずかしがることじゃないのに。


「これは自慢だが、俺は浅く広い交友関係を築いている。友達百人なんて三日もあれば余裕だ。連絡先の交換なら任せてくれ」

「えっと、お願いします……」


 求めていた反応と違うが、まあ、結果オーライということで。

 せっかくなので憶えてもらおうと説明しながらRINEのIDを交換する。そうして野々村の『友だち』に俺の名前が加わった。記念すべき五人目である。他の四人は家族と水上のようだ。〝見た〟のではなく〝見えた〟ということは理解してほしい。


 野々村が立ち上がったので俺もそれに(なら)う。いつの間にか空には茜色が混ざっていた。


「家まで送ろうか?」


 礼儀として訊いてみると、野々村はわずかに首を横に振った。


「近くだから大丈夫。それに、皆月くんに何かあっても嫌だから」

「〝何か〟って?」

「わたしを監視している人に捕まるかも」


 冗談みたいな話だが冗談ではないらしい。表情がそれを物語っている。そもそも野々村は冗談を言わない。

 せめてもと公園の入り口まで見送ることにした。


 このままお別れというのもなんだか味気ない気がして、俺はお得意の軽口を叩く。


「野々村に笑顔になるコツを授けよう」


 隣を歩く野々村がこちらを見上げる。無言かつ無表情なのが悲しいが、まあ想定内だ。気にせず続ける。


「それはな、好きなものを食べることだ。野々村の好きなものは何だ?」

「……オムライス」

「じゃあ、オムライスを食べたらいい。今夜はオムライスだ」

「お母さんがもうお夕飯を作っているから、今夜は無理だと思う」


 あれ、独り暮らしという噂は? と思ったが、口には出さない。後で覚えていろよ、オタクくん。


「分かった。オムライスは明日にしよう」

「……うん」


 頷いた野々村の横顔にはほんの少しだけ笑みが浮いているように見えた。やはり好きな食べ物はすべてを解決する。


 公園の入り口で向かい合う。野々村はもう無表情に戻っていた。


「じゃあ、野々村。また明日」


 手を挙げてみせたが、野々村から返ってきたのは会釈だけだった。


 歩き去る背中を見つめながら、思わず呟く。


「オムライスか」


 可愛いと思ってしまうのは『オムライス』の響きのためか、それともそれを口にしたのが野々村だからか。

 なんだかオムライスが食べたい気分だった。

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