エピローグ
翌日、仁とオタクくんに事の顛末を説明した。
仁は「付き合ってたんなら俺にくらい言えよな」と肩を殴ってきた。その通りだった。俺が去年、彼女ができましたと打ち明けたのは師匠くらいで、その師匠にさえ紗代を紹介しようとはしなかった。下らない秘密主義が招いた結果だと指摘されたら何も言い返せない。
ただ、仁に話したその日のうちに、俺に新しい彼女ができたことが女子バレー部に知れ渡ってしまったようだから、話さなくて正解だったような気もした。その相手が紗代だと言い触らされなかっただけでもよしとしよう。
仁以上に申し訳ないと思ったのはオタクくんだ。オタクくんは認めたがらなかったが、恐らくは紗代に惚れていた。でなければ尾行したり、お金を払ってまで処女かどうか確かめたりはしないだろう。それを横取りしたようなものなのだから、縁を切られることも覚悟していた。
しかし、オタクくんは憂いを含んだ目でこうコメントした。
「優真、君がBSSだったんだ。しかも逆NTRのコンボと来た。同情はしても恨んだりはしないよ」
言っていることは何一つ分からなかったが、それが逆に笑えた。なんだかスッとして、心を覆っていた暗雲が少しだけ晴れたようだった。俺はこの二人が友人だったことに感謝した。
さらに翌日に智菜が復学した。「超天才外科医の先生に手術してもらって治っちゃったんだよねえ」と下手にもほどがある噓を吐いていたが、周りはよかったよかったと喜んでいた。俺も元気になった智菜の姿が見られて、これでよかったんだと心から思えた。
智菜はあと五日間は俺が教室にいても気づかない。たぶん、認識阻害の効果が切れた後も俺を見てくれることはないだろう。そのうち、俺とは別の誰かと恋をして、キスをして、セックスをするのだ。それが智菜の幸せで、俺が望んだことだ。頭では分かっているのにもやもやするのは、俺がガキのせいかもしれない。〝いい男〟への道のりはまだまだ遠い。
俺は智菜から返してもらったネックレスを捨てられないでいた。今も勉強机の引き出しにしまってある。自分への罰として取ってあるのか、未練があるせいで手放せないのかは自分でも分からない。見たら胸がじくじくと痛むのに、その痛みを思い出したくて取り出してしまう。それで、バカだなあと自分を笑うのだ。今はまだ強がりだけど、いつかはきちんと笑い飛ばせるように。
でも、そうなれる日はそんなに遠い未来ではないと思う。
放課後、隣駅の改札前で紗代と待ち合わせをした。柱に背を預けて待っていると、三分としないうちに紗代が姿を現した。脇目も振らずに俺のもとに駆けてくる。
「優真くん、お待たせ」
ほんのり頬を上気させて、紗代が弾んだ声を出す。三ヶ月前と何一つ変わらない光景に目頭が熱くなった。
「待ってないぞ。今来たところ」
「優真くんの『今来たところ』はあんまり信じられないよ」
「バレたか。本当は三秒くらい待った」
「ふふっ。優真くんの噓つき」
改めて彼氏彼女の関係になってから、紗代は以前よりも明るくなったように思う。そんなににこにこして表情筋が疲れないか心配だ。
改札を抜けて紗代が俺の隣に並ぶ。それを待って、そういえば、と切り出した。
「石倉さんには会えたのか?」
智菜を治してもらった後で、俺は紗代に記憶の魔女の居場所を伝えていた。昨日、異能科の人とともに訪問したらしい。俺も行きたかったが、あまり他の魔女に関わってほしくないと職員さんに止められて自宅待機していたのだ。
紗代はちょっとオーバーな動きで顎を引いた。
「石倉さん、他人の記憶を勝手に覗かせたり、流し込まれた記憶のせいでおかしくなった人を見たりして、嫌になって逃げ出したんだって。だから、わたしの能力の副作用で困っている人のためなら協力してくれるって言ってくれたんだ」
「そうかそうか。よかったな」
「うん。優真くんが見つけてくれたお陰だよ。本当にありがとう」
「俺の手柄じゃないって。実際、見つけたのは『失せもの屋』だしな」
謙遜ではなく、本気でそう思っていた。ブラウザを開いたのも偶然だし、閃いたのも奇跡みたいなものだ。それに、記憶をなくして過ちを犯した結果だから、それを誇る気にはなれなかった。
「でも、石倉さん言ってたよ。わたしに力を貸してくれるのは優真くんのことが気に入ったからだって」
「それは……喜んでいいのか分からないな」
突然押しかけて、トイレでゲロを吐いて、みっともなくぼろぼろ泣いていたっていうのに、どこに気に入る要素があったのか。間違いなく俺の人生で最もダサい瞬間だった。心当たりがあるとすればお茶を断ったことくらいだろう。断っといてよかった。
石倉さんのだらしない恰好と怠惰な態度を思い出すと、途端に紗代が悪い影響を受けていないか不安になってきた。ホームへの階段を下りながら、生唾を一つ呑んで訊ねる。
「紗代、石倉さんに変なこと言われてないか?」
「えっと……言われたかも」
「えっ」
恩人に対して失礼極まりないが、あの野郎、と思ってしまった。石倉さんは野郎ではないけれど。
「ちなみに、何て?」
「一つは、優真くんが他の子のところに行って苦しかったときの記憶を消してあげようかって」
予想とかけ離れた答えに足が止まりそうになってしまった。
俺の罪を、紗代の中でなかったことにする。紗代が、比喩ではなく本当に死ぬほど苦しんでいたことを忘れてくれる。それは身震いするほど甘美な提案だった。
けれど、『他の子のところに行って』と口にできるということは、紗代は記憶を消さないことを選んだのだろう。紗代には悪いが、俺としてもその方がありがたかった。超能力なんかに頼って許されたのでは贖罪にならない。
ホームのベンチに並んで腰掛ける。俺は密かに拳を握り締めた。
「記憶を消さなかったのは、俺のためか?」
俺のために、俺の罪を一緒に背負ってくれようとしたのか。そう思って質問すると、紗代は薄く微笑んで頭を振った。
「わたしね、優真くんが浮気したなんて思ってないよ。忘れてたんだから仕方がないと思うし、忘れさせたわたしにも責任があるから。でも、記憶を残すことを選んだのはそういうのとは関係ないんだ。たしかにものすごく苦しかったし、たくさん泣いたけど、そのお陰でもっと、優真くんのことが……好きに、なれたんだ」
先細りになったその言葉を俺は聞き逃さなかった。一年も彼氏をやっているのだ、紗代の声ならどんなに小さくても聞き取れる。だからこそ、理解ができなかった。
「俺、紗代にひどいことしただろ? なのにどうして?」
「優真くんはちゃんとわたしのところに帰ってきてくれた。もう二度としないって約束してくれた。それに、初めて、『愛してる』って、言ってくれたから……」
紗代が頬を染めて俯く。その反応を見て俺まで顔が熱くなってしまった。
照れ隠しに話題を変える。
「さっき、〝一つは〟って言ってただろ? 他にも石倉さんに何か言われたのか?」
「うん……えっと、あのね……」
紗代は細い指をもじもじさせ、ぽそぽそと囁くように言った。
「仲直りしたかったら……え、エッチするのが、一番だって……」
石倉さんめ、紗代になんてこと教えてるんだ。
実に許せないことだが、その意見に異論はない。師匠も同じことを言っていた。
怒りやら驚きやら恥ずかしさやらで悶々としていると、紗代が弾かれたように顔を上げた。依然、耳まで真っ赤になっているが、瞳には強い決意のようなものが揺らめいている。
紗代が口元で手を立てるのでそちらに頭を傾ける。紗代のか細い声が耳に直接吹き込まれた。
「わたし……優真くんと、仲直りしたいです」
破壊力抜群のひと言だった。心の中の自分が、ぐふうと胸を押さえて蹲る。
嬉しさでにやけてしまう顔に力を入れ、しっかりと頷いてみせる。紗代は照れくさそうに微笑みを返してくれた。
幸せそうな紗代を見ていたら俺も幸せになって、いつまでも落ち込んでいられないなと思うことができた。
ホームに電車が滑り込んでくる。本音を言うと鼓動が落ち着くまで待ってほしかったのだが、紗代が早く早くと言わんばかりに手を引っ張ってきたので観念して立ち上がった。
俺は生涯を懸けて紗代を笑顔にさせて、紗代を幸せにしよう。
紗代の胸元に輝くペリドットに、そう誓った。
青春物語、これにて完結です。
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